164 ちゃんと忍んだ忍者。
――――王都オルファリアスにある教会本部。
信心深い者が多いこの地では、多くの信徒が日々教会を訪れている。
シルフィも信徒と同じように教会で祈りを捧げると、寄付金を持って大司祭の元へと赴いた。
「冒険者は何かと物入りでしょうに……あなたに創造神様の御加護があらんことを」
これほど立派な教会だ、金貨数枚では少ないかと思ったのだが、まったく嫌な顔はされなかった。
試すような真似をして少し申し訳なく思う。
「気にしなくても大丈夫ですよ。たしかにこの荘厳な造りに萎縮してしまうかもしれませんが、創造神様はその程度のことであなたを見放したりしませんから」
「そ、そうですか……」
一見フォローしてくれているようにも思えるが、少ないことには変わりないらしい。
普通の教会では金貨数枚の寄付なんて滅多にあることではないのだが……。
「あ、そうそう……司祭としてのあなたに一つお願いしたいことがあるのですが」
「お願い……ですか?」
司祭として、という言葉にシルフィは少し警戒心を抱いた。
正直、今はどこまでこの地の教会に関わっていいのかわからないのだ。
「近々豊穣の祈りを捧げる式典が予定されているのですが、実は神官の数が不足しておりまして……」
大司祭の言葉に、シルフィは違和感を覚える。
「この規模の教会と大聖堂があるのに人手が足りていないのですか?」
規模の大きさは、信徒の数に見合っているだろう。
しかしそれに見合った神官がいないというのは不思議な話だ。
「お恥ずかしい事に、以前に比べると神官の数が減少傾向にありまして」
「そうなんですか……それは何か原因でも?」
教会本部の人員不足なんて他国の教会の耳にも入りそうなものだが……。
「……いえ、原因まではさすがに……」
大司祭は表情一つ変えずにそう答える。
なので、シルフィもそれ以上は追及しなかった。
「……わかりました。当日の流れをお聞きしても?」
「感謝します、司祭シルフィ」
大司祭が当日の話をしている間、シルフィは教会の隅に視線を送る。
(後は頼みましたよ、アゲハさん)
大司祭の注意を引くシルフィを尻目に、アゲハは教会深部へと踏み込んでいく。
表は信徒も多く多少の物音では問題にならないが、少し奥へ入り込むだけでシンと静まり返っていた。
ここから先は足音一つ許されないだろう。
(こんな神官以外足を踏み入れないような場所まで金がかかっていそうですね)
造形や調度品などもそうだが、所々探知系の魔道具を見かける。
それはおそらく関係者以外に反応すると思われるが……
(見えている私には何の問題にもなりません)
魔力の綻びを縫うように、アゲハは物音一つ立てず奥へと進んでいく。
すると、曲がり角の先から気配を二つ感じ取った。
「……」
アゲハは動じることなく、サッと天井に張り付いた。
「損な役回りだな」
「まったくだよ。孤児院の子供のほうがまだ聞き分けがいい」
気配の正体はどちらも神官で、二人は雑談をしながらアゲハに気づかず通過していく。
「それで、祝詞のほうは大丈夫なのか?」
「一応は……でもけっこう状態の悪い写本が多いんだよ」
声量を抑えているようだが、静かな場所なのでよく聞き取れる。
「まぁ場所が場所だし」
「ただの写しをわざわざ地下に保管する意味とは……」
二人の気配が十分に離れたところで、アゲハはスッと着地した。
(地下……ですか)
地下への階段は探すのにそれほど苦労しなかった。
ただ、問題があるとすれば思ったより地下が深かったことだ。
(これは教会として普通なのでしょうか……)
ようやく地下1階へと到達したところで、いくつかの小部屋が続く。
その一つに、書庫と思われる本棚の並ぶ部屋があった。
(写本は……あぁ、なんてわかりやすい)
同じ本がいくつも並んでいたのですぐにわかった。
たしかに神官が言っていた通り、状態の良くないものが多い。
比較的マシな状態の写本を一冊拝借し、アゲハは地下通路をさらに奥へと進んでいく。
その先にあったのは――――
(ここは一体……?)
一際広い空間だった。
位置的には、ちょうど教会と大聖堂の中間にあたるだろうか。
反対側にも同じような通路が見える……もしかするとあちらは大聖堂へと繋がっているのかもしれない。
そしてどうしても目立つのが、中央に描かれている魔法陣。
あまりにも複雑な術式でその内容は理解できないが、すでにそれが抜け殻のようにアゲハの目には映った。
(ひょっとしてこれが救世主召喚の……)
だとすれば、ここはもう役目を終えた空間なのかもしれない。
そこで、アゲハは大聖堂に続いているであろう反対側の通路に視線を移した。
あの先に足を進めれば、おそらくもっと大きな成果が得られるかもしれない。
しかし、アゲハの眼にはあるものが視えていた。
(呪術の痕跡……それも帝国で視たものと似ている)
今行くには、準備が足りない気がした……。
しばし観察した後、アゲハは踵を返す。
シルフィを待たせているため、あまり時間に猶予がないのだ。
事実、この判断は間違っていなかった。
大聖堂側の通路には、クレストが気配を殺し待ち構えていたのだ。
「私の気配に感付いたか……思ったより優秀な斥候だったようだな」
ここから先に進むようならそれでも良かった。
いっそのこと教皇の元へ案内してもいい……いや、それは少し気が早いか。
クレストは口元を歪ませ、通路を戻って行った……。
◇ ◇ ◇ ◇
「大丈夫かなリズ……」
跳んで行ったリズの姿は、すぐに小さくなり見えなくなってしまった。
「リズなら心配いらんやろ」
「いや、やりすぎないかなって……」
新聞の一面に載るようなことがないことを祈るよ。
「それよりエルは自分の心配したほうがええんとちゃうの」
そう言ってメイさんは走る馬車の窓から外を気にしていた。
そこには街路樹から街路樹へと身を隠しながら追って来るキララさんの姿が……
――怖ッ!
街中なので馬車もあまり速度を上げられない。
つまり……このままでは振り切るのは不可能。
「どないする? このままやと多分屋敷までついてくんで」
それは非常に危険だ……。
カトレアさんがほぼほぼ自由に屋敷内をうろついている。
そんな彼女とキララさんが鉢合わせてしまったら危険だ。
「うーん……ちょっと寄り道しましょうか。どこか王女が行ってもおかしくないようなところで」
「ほなら王城でええんとちゃう」
え? それはちょっと……。
そもそもいきなり行くのは失礼じゃなかろうか。
そんな時だ、協力してくれそうな人の姿を見かけたのは……
………………
…………
……
「なるほど、それで寄り道しようとしたところに私の姿を見かけたというわけか」
偶々見かけたセリスさんに声をかけ、僕らは近くのカフェに入っていた。
軍服のような服装だったのでてっきり仕事中かと思ったが、これが私服らしい……。
なお、キララさんは店の外からこちらを覗いている。
……ホント怖い。
「巻き込んでしまってすいません」
「気にするな、むしろ頼ってもらえて嬉しいぐらいだよ」
相変らずリズと同じでかっこいいタイプの女性だ。
「王都にくわしいセリスさんがいると心強いです」
「あぁ、任せろ。しかし王城に寄り道はさすがに理由がいるだろうからな……ここで時間を潰せば彼女もその内あきらめるだろう」
そう言って、セリスさんは綺麗な所作で紅茶を口にした。
(そういえばこの人貴族だった……)
僕のような付け焼刃じゃないのですごく絵になる光景だ。
それにしても……理由があれば王城に寄り道できちゃうのか。
自分の身分に未だ理解が追いつかない。
さて、僕はセリスさんと違いレモンティーを頼んだわけだが、お手並み拝見といこうじゃないか。
「ん……美味しい」
一口でレモンの風味が頬を刺激する。
しかし決して強すぎない……後味はやや甘めだが、スッキリとしていた。
これなら何とでも合うだろう。
そして隣に座るメイさんは『ずずっ』と音を立てて抹茶を飲み干していた。
カフェに本格的な抹茶があるのも驚きだが、なぜにこのチビメイドは作法を知っているのだろうか。
「すまないな、おそらくキミを狙ったであろう賊と繋がりのある貴族はまだわかっていないんだ」
教会とは別で僕の存在を面白く思ってない貴族がいるようだが、なかなか足を掴ませないらしい。
国境付近で何かあったようだけど、僕自身は特に被害に遭っていないので頭を下げられても困る。
「別に実害があったわけじゃないんで頭を上げてください」
大体のことは周囲の超人達がなんとかしてしまうからね……。
その後1時間程だろうか、キララさんの存在を忘れる程度に僕らは談笑していた。
王都には慣れたか?
見晴らしの良い狙撃ポイントがある。
リズと再会した騎士団が泣いて喜んでいた。
等々……何やら物騒な内容や解釈違いがありそうだが、気付けば窓から見える風景は夕暮れで赤く染まっていた。
「エル、あの嬢ちゃんおらんよぉなっとるで」
そう言われ窓の外を見ると、たしかにキララさんの姿は見えない。
ホッと安堵し、僕らはカフェを出ることにした。
「支払いは任せてくれ」
「いえいえそんなわけには……」
ただでさえ巻き込んでしまったんだ。
せめて支払いはこちらに任せてほしい。
「こういう時は身分の高い方が払うものですよ」
そう言って僕は強引に支払いを済ませた。
一応僕の身分はやんごとなき御方ですので。
「む、そうか…………そうだったか?」
セリスさんは首を傾げる。
この世界はちょっと考え方が違うのかもしれない。
店の外に出ると、夕暮れに染まった街並みが一際美しく感じられた。
今後はこういう寄り道をもっとしてみてもいいかもしれないな……。
その瞬間――――夕暮れの街並みが高速で揺らいだ。
「――あかんエル!」
何かを察知したのか、メイさんは僕を突き飛ばした。
遅れて何か割れるような音が聞こえる。
しかしそれは僕の耳には入らなかった。
あまりの衝撃に、一瞬意識が飛んでしまったようだ。
「いてて……メイさん急に何を…………ん?」
思えば、ドワーフ特有の怪力で飛ばされた割にはどこかをぶつけた感じがなかった。
あるとすれば、何か柔らかいものがクッションになったような……
「いったぁ……何なのもう、バリア張らなかったらシャレにならなかったわよ」
今最も会いたくない人物……キララさんが僕の下敷きになっていた。
ひょっとして覗きから出待ちに切り替えていたのか……なんて人だ。
「――って、王女…………ん? なにこれ?」
キララさんの手でグニグニと揉みしだかれる下半身のデリケートゾーン。
その瞬間背筋が凍り、反射的に僕は立ち上がった――――
「は、ははは……や、やだなぁ、それは僕の太腿ですよ」
今穿いているのはカバーパンツ……触り心地的には太腿に近いはずだ。
「っといけない。ぶつかってしまってすいません! でも急いでるのでこれで失礼します!」
普通に考えたら、ぶつかっておいてこれはあまりにも失礼である。
しかしこの時の僕はもはや何も考えられない状態で、早くこの場を立ち去りたかった。
「はぁ……太腿?」
立ち去るエルリットを見ながら、キララは手の感触を思い出していた。
太腿の割には何かの生地っぽかった気がする……。
「……ん? 僕……?」
その時、キララに電流が走る――――
全てのピースが……カチリと嵌る音がした。
「そ……そうきたかぁ」