159 高鳴る鼓動。
教皇に言伝を頼まれた神官は気が重かった。
何せ相手が聞く耳を持ってくれないのだ。
「救世主様、そろそろ式典も近いので祝詞のほうを……」
「あーはいはい、ちゃんと覚えとくからいいでしょ? それよりエルなんとか王女をどうにかしてよ」
教会が関わるような案件ではない。
と説明したはずなのだが、どうしてこうも理解してくれないのか。
前回公爵令嬢に毒殺されかけた際はさすがに教会も動いた。
しかし今回は内容的にも教会が関わるのは無理がある。
そもそも前回とて、強引に事を運びすぎて教会内に戸惑いが生まれているのだ。
「それに関しては以前も申し上げましたが――
「あぁもうホント使えないわね、ここにいてもつまんないしもう行くわ」
言葉を遮るように、キララは教会を後にする。
残された神官は、ただただ深いため息をつくしかなかった。
「はぁ……胃が痛い」
教会を出たキララは、そのまま学園へと向かっていた。
「まったく、呼び出されたから朝から寄ってあげたのに、教会って小言ばっかりね」
祝詞なんてどうせ現地で見ながら読めばいいだけ。
あとは神力を女神像に捧げるだけの簡単なお仕事だ。
この神力を何の代償もなく扱えるのは、救世主である私だけらしい。
「……あれ? でもあの王女……」
……いや、気のせいだろう。
神官が神力を使っているのを見たことがあるが、ひどく脆弱な上に苦しそうだった。
それをさらに強力にしたものを無条件で扱える……正しく私だけに許されたチートなのだ。
「――っと、そんなことより式典が終わった後どうなるのかな」
豊穣の祈りを捧げる式典が終わると、私は役目を終え元の世界へと帰ることになっている。
でも正直戻りたいなんて思っていない。
おそらくこの世界に留まるイベントが待っていると私は考えている。
それがエンディングになるのかどうかはわからないが……。
「もしそうなら逆ハーエンドのためにも王子の存在が不可欠よね」
学園に到着し、門の前で決意を新たにする。
「って、なんでこんなところに人だかりが……?」
門をすぎた先には人が集まっている。
その中の一人と目が合うとキララの元へ駆け寄って来た。
「おはようキララ。今日もキミの髪は凛と咲く黒薔薇のように美しい」
「ミハエル、これなんの騒ぎなの?」
「え? あぁ、殿下が今日から復学するそうなんだ」
「クロード王子が!?」
最後の攻略対象がこのタイミングで復活する……渡りに船とはこのことだろうか。
(でもここでがっつくのは素人、私は主人公なんだから必ずチャンスはやってくる)
そう自分に言い聞かせ、今すぐ王子に駆け寄りたい衝動を抑える。
そんなミーハーな真似はモブの仕事なのだ。
教室へ入ると、隣国の王女とローズマリアが談笑していた。
演習場の一件、私はまったく悪くないのだが、一応こちらが折れて頭を下げておいたほうがいいだろう。
その話はきっと人伝に王子の耳にも入るはず……戦いはすでに始まっているのだ。
「あの……先日はごめんなさい!」
教室中に聞こえるような大きな声と共に頭を下げる。
もちろん注目を集めるためだ。
この状況で私を叱責するならそれもいい。
謝っている人間を責めるのは、周囲の人間には悪く見えるものだ。
さて、二人はどんな反応をするか……。
「え? えっと……」
王女は気まずそうにローズマリアのほうへ視線を泳がせていた。
毅然とした態度かと思ったら挙動不審だったり……ちょっとよくわからないタイプかも。
「私なら大丈夫ですから、どうかお気になさらずに」
ローズマリアはキララを責めなかった。
それはそれで面白くないが、そもそも私はまったく悪くないのだから当たり前だ。
「良かった、じゃあ仲直りの握手です」
差し出した手は、本来なら貴族や王族の姫君に対して失礼な行いなのだろう。
だからいっそのこと、この手を払いのけてくれて構わない。
「喧嘩していたわけではないと思いますが……」
戸惑いながらもローズマリアはその手を取った。
「え? あ、ぼ……私もですか?」
続いて王女とも握手をする。
今の彼女から神力は感じない。
(気のせいだったのかな……?)
◇ ◇ ◇ ◇
僕とローズマリアさんは中庭で昼食をとっていたのだが、その場に王子が加わったことで注目の的になっていた。
「久々の学園だが、とても落ち着ける状態ではないな……」
遠巻きに見ている生徒が多く、とても学園で協力者との会話ができる状態ではない。
「この際だからローズマリアさんにも色々説明しておきたかったんですけどね」
カトレアさんの親友である彼女なら、王子同様協力者としては申し分ない。
しかし、学園でこの3人が集まるとどうしても目立ちすぎる。
「説明ですか……? それなら放課後、屋敷にお邪魔してもよろしいでしょうか」
「私は所用で行くところがあるので同席できませんけど、全然来ていただいて大丈夫ですよ」
ローズマリアさんの目的はカトレアさんだろう。
……なんだかちょっと寂しい。
「そうなんですか……エルリット様もご一緒できたら良かったんですけど……」
ホント、ええ娘さんや。
「なるほど、そういうことなら私もお邪魔して……」
「クロード殿下はちょっと遠慮してくださいね。ただでさえ目立つので」
王子はあからさまに落ち込んだ。
さすがに第1王子がうちの屋敷を出入りするのは目立ちすぎる。
昨日みたいなお忍びならまだしも、普段から気軽に来られるのは困るよ。
その後も僕ら3人の会話は進む。
無論カトレアさんの名前は出さないし、内容もせいぜいエルラド王国の現状など、当たり障りのないものになっている。
そんな時だ、救世主が割り込んできたのは……
「エル、対象がこちらへ向かって来る」
リズが耳元でそう囁いた。
たしかに、視界の端にそれらしき人物の姿がある。
「エル、ホシが持っとんの食堂限定プリンやで」
メイさんが反対側の耳元でそう囁いた。
たしかに、それらしき物を持っているようだ……それも二つ!
「クロード殿下お久しぶりですー。見てくださいこれ、競争率高いのに二つも手に入っちゃいました」
キララさんは無邪気な笑顔を向ける。
しかし王子は露骨に嫌そうな顔をした。
「……そうか、それで?」
「良かったら、お一つどうぞ」
王子は差し出されたプリンをチラッと一瞥するだけで受け取らない。
「悪いが、今少し大事な話をしていてね。できれば遠慮してほしいのだが」
今このテーブルにいるのは、この国の第一王子、交易に特化したフォン侯爵家のご令嬢、そして隣国の第2王女、ということになる。
たしかに顔ぶれだけ見たら、大事な話というのも説得力はあるのだろう。
「そんなぁ、それじゃあプリンがもったいないですよ」
キララさんはなおも食い下がった。
まるで人の話を聞いていないが……ひょっとしてあのプリンにはそれだけの力があるのだろうか。
そう思った時、僕はおそるおそる手を伸ばした。
「……あのー、もし良かったら……」
良かったら……ホントに良かったらなんだけど、いらないならそのプリンは僕がいただきたい。
その瞬間――――キララは閃いた。
(これは使える)
傍から見れば、王女が私に手を伸ばしているように見える。
遠巻きにこちらを見ている生徒もいる。
後は突き飛ばされたかのように演出すれば……
――よし、今だッ!
「キャッ……」
「おっと、危ないですよ」
後ろに倒れかけたキララの体は、エルリットによって支えられていた。
予想外の出来事に何が起こったのかよくわからなかった。
「あ……」
王女の顔が近い。
こうして見ると、化粧も最低限で素材の良さがよくわかる。
それと同時に……自分の顔が熱くなるのを感じた。
「えっと……大丈夫ですか?」
なおもこちらの心配をする王女の目を――――直視できなくなっていた。
「……だ、大丈夫だから!」
予定とは違い、私が王女を突き飛ばしてしまった。
しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。
今すぐにでもこの場を離れたい一心だった。
「べ……別に感謝なんてしてないんだからね!」
そう言って私はその場から逃げ出した。
鼓動が高鳴る胸を抑えて……。