148 僕らの常識、貴族の非常識。
「すいませーん遅れましたー」
キララは意気消沈した様子で教室へと入る。
そして何事もなかったかのように自分の席へと着席した。
「えっと……キララさん? 体調不良と寮長から聞いてたのですが……」
ゾーイ先生の言葉に、キララはハッとした。
「そ、そうだった……ね、熱は引いたので大丈夫でーす」
「……わかりました、無理はなさらないようにしてくださいね」
ゾーイは納得したわけではない。
だがそれが彼女の処世術だった。
『こいつとは絶対に関わってはいけない』
長い年月を生きるエルフの勘がそう訴えていた。
「ふぅ……ん?」
キララは席につくと、後ろの席に見知らぬ女性が座っていることに気が付いた。
「あ……ひょっとして隣の国の王女様?」
本来であれば無礼な態度として罰せられるところだが、彼女は気にしない。
むしろ罵倒の一つでもあれば、結果的に自分が得をすると思っているのだ。
しかし目の前の王女の反応は期待外れだった。
「えぇ、今日からこちらでお世話になります、エルリット・ヴァ・エルラドです。どうぞよろしくお願いしますね」
柔らかい物腰と、どこかぎこちない笑顔でそう答えた。
(新しい悪役令嬢……って感じではなさそうね)
顔を凝視するとどこか困惑しているようだった。
それもそうだろう。
この時、エルリットの心拍数は跳ね上がっていたのだから。
(なんかすごい見られてる……ひょっとしてもうバレたんか?)
手汗がすごいことになっている。
握手を求められたら危険だ。
「あの、エルリットさんの従者の中に男の人っていますか?」
「いえ、いませんが……それが何か?」
何なら目の前にいる僕が男です。
「あー……いや、何でもないです。っと自己紹介がまだでしたね、私キララ・ヤマダです、よろしくね」
そう言ってキララはノートを広げ授業に集中した――――ように見せかけて、授業とはまったく関係ない内容をノートに書き記していた。
そして、それは後ろの席のエルリットから丸見えだった。
(……思いっきり日本語だなぁ)
事前情報通り、日本人らしい容姿だ。
黒髪はこの世界にもまったくいないわけではないが、やはり珍しい。
それに彼女はヤマダと名乗った。
キララは漢字がちょっとわからないが、ヤマダはどう考えても山田だろう。
(調査対象がまさかこんな近くの席とはね……)
こちらが後ろの席なので、すごく観察がしやすい。
……とは言っても、あまりジロジロ見ても怪しまれるので、ちゃんと授業は聞いておくとしよう。
ゾーイ先生の授業は歴史か……。
「――っと、この政策の始まりは120年前まで遡ることになります。今でこそ当たり前かもしれませんが、制定された当時は大変だったんですよ。というのも、役人によって解釈違いが発生して――――」
さすがは長命なエルフだ。
よほど古いものでなければ、実体験として語れる強みがある。
こういうところは是非ともエルラド王国で学園を設立する際は参考にしたいところ。
(おっと、こういうのは僕の仕事じゃ……いや、これも僕の仕事か?)
今はこんな格好してるけど、自分の出生を知った今、本当の身分は王子ということになる。
(……柄じゃないよなぁ)
午前の授業が終わり、各々が昼食をとるべく教室を後にしていく。
おそらく食堂へ向かったのだろう。
中にはこちらに声をかけてくる者もいたが、メイさんが昼食を用意していたのでお断りした。
「食堂以外だと、中庭で昼食を取られる方が多いですよ。私も侍女が持参しているので……良かったらご一緒にどうですか?」
そう言ってローズマリアさんは優しく微笑んだ。
この人……本当に同じ歳なのだろうか。
決して悪い意味ではなく、こちらを優しさで包むような包容力を感じる。
「そうですね……人が多いところは苦手なので、是非お願いします」
チラッと視線を移すと、キララさんは3人の男子生徒に囲まれていた。
同性より異性の友達が多いタイプか……そもそも友達かも怪しい。
今はまだ、観察だけに留めておくとしよう。
中庭にあるテーブルやイスは共用らしいが、ほぼ貴族専用と化しているようだった。
そもそも平民はほとんどが食堂へ行くらしい。
なんでも全メニュー無料なのだとか……メニュー次第では僕も一度行ってみたい。
「そういえばリズ、鎧はどうしたんです?」
「それがな……帯剣はいいが、鎧はできれば遠慮してほしいと言われたのだ」
言われてみれば、見かけた護衛騎士は軽装な人が多かったな。
その方が身軽ではあるが、何か特別な理由でもあるのだろうか。
「なんや威圧感があるからとか言うてたなぁ」
それはまぁわからなくもない。
「でもそれだと剣もダメな気が……」
「そこはまぁ、剣術の授業とかあるからセーフなんちゃう?」
へぇ、剣術の授業があるんだ……。
「……え? 剣術の授業が?」
そんなの聞いてないよ。
絶対危ないやつじゃないか。
僕の視線は真実を求めローズマリアさんへと向いた。
「えぇ、ありますよ。剣術と魔法学は選択授業になってます」
それを聞いてホッとした。
「ところで、エルリット様は随分とその……従者の方と親しいのですね」
「え?」
ローズマリアさんの言葉に、僕らは顔を見合わせた。
よくよく周囲を確認すると、護衛やメイドは主の後ろに控えており、一緒に座って食事を取っている者はいない。
なるほど……これは貴族らしからぬ事態だ、今こそこの言葉を使うとしよう。
「……エルラド家ですので」
ごめんねエルラド王、先に謝っておきます。
せっかく王族になったのに、僕が帰る頃には多分評判落ちてると思います。
「なるほど……辺境伯時代のエルラド家のことは噂程度に聞いたことはありますが、そういうのもいいですね。シャーリィ、あなたも座りなさい」
ローズマリアさんは、自身の侍女へ一緒に食事を取るように命じる。
「で、ですがお嬢様……」
そりゃ急にそんなこと言われても困るよなぁ、しかもこちらは他国とはいえ王族なわけで。
でも原因はこちらにあるし、どう助け船を出したものか。
「シャーリィさんと仰いましたね……エルラド家では普通ですから大丈夫ですよ」
僕はゴリ押した。
もちろんエルラド家の食事風景なんて知りもしない。
「そういうことでしたら……失礼します」
恐る恐るシャーリィさんは席につき、メイさんはすかさず一人分の食事を追加で用意した。
「そ、そんな! お嬢様方と同じものをいただくわけには……」
「でもシャーリィ、これすごく美味しいのよ」
気が付けばローズマリアさんの席にも、メイさんの用意したサンドイッチがあった。
「すいませんローズマリアさん、なんだかこちらに合わせてもらったみたいで」
本物の貴族令嬢にこんなことさせて大丈夫だろうか。
「あら、こういうの楽しいと思います」
優しく微笑んだローズマリアさんに僕らは救われた。
めっちゃええ子やん……。
「それに、本当に美味しくて……特にこのフルーツサンドが――――」
スイーツ枠の生クリームたっぷりフルーツサンドが次々と消えていく。
それを見て少し緊張が解れたのか、シャーリィさんもサンドイッチに手を付け始めた。
(ローズマリアさん……まさかシャーリィさんのために敢えて……)
なんてできた人なんだ。
そう思った矢先、フルーツサンドがなくなると露骨に残念そうな表情になった。
「……メイさん」
「任せとき!」
メイさんがその場で追加のフルーツサンドを作り始めると、ローズマリアさんの目は子供のように輝き始めた。
ひょっとして侍女のためとかじゃなくて本当にただ美味しかっただけなのだろうか……。
◇ ◇ ◇ ◇
「最近高額な奴隷を買った冒険者? 知らねぇなぁ」
「そうか……すまない、邪魔したな」
男は聞き込みをするほど、顔に焦りが出始めていた。
せっかく奴隷商館で得た情報も、その先に繋がるものがなかったのだ。
「……私個人の力など所詮こんなものか」
これ以上どうしていいかわからず、路地裏で力なく座りこむ。
上を見上げると、そこから見える空はひどく狭く感じた……。
「どうかなさいましたか?」
透き通った女性の声に、ハッと目を覚ます。
いつの間にか眠ってしまったらしい。
「いや、なんでもない。少し休んでいただけだ」
「そうでしたか、それは失礼しました」
女性は丁寧にも頭を下げる。
こちらと同じようにローブでその姿を隠しているが、帯剣はしていないので特に警戒もしなかった。
「でもこんなところで眠っては風邪を引かれますよ」
余計なお世話だ……と反論するほどの気力ももうない。
「……そうだな、しかしもう疲れた……」
心は折れかけていたし、もう折れてもいいのではないかと思い始めていた。
「……ひょっとして、あなたも迷われているのですか?」
「迷う……? いや、もう諦めようかと今しがた思い始めたところだ」
でもそれを選べば……私は間違いなく後悔することになろう。
「諦めてはいけません! まだ試していない道があるはずです!」
女性は力強くこちらの手を握った。
それはもう本当に力強く……
「ちょ、痛っ……痛いって」
「えっ……あ、すいません」
女性は慌てて手を放す。
本当に女かどうか怪しい握力だった……。
「大体、試していない道って一体何の……」
話だ、と口にする前に何かが引っかかった。
(試していない……違う調べ方がまだ残されている?)
高額な奴隷を買った冒険者、今までこれに絞って調査をしていた。
しかしよくよく考えれば、そんな大金を払える冒険者などほんの一握りだろう。
それなのに、いくら調べてもその存在に辿り着かないのは……
(この王都……街中でそれほど名が知られていない……?)
それも高ランクでとなると……最近王都に来たということか?
「そうか……そうだったのか! ありがとう、私にはまだやれることが残っていた!」
男は走り出す。
先ほどまで力なく項垂れていたのが嘘のようだ。
その後ろ姿を、ローブの女性……シルフィーユはただ見守るしかできなかった。
「行ってしまいました……せっかく仲間ができたと思ったのに」
シルフィは地図を広げるが、現在地である路地裏などは記載されてはいない。
ふぅ……とため息をついて、空を見上げた。
「跳んだら目立ちますよねぇ……」
その後もしばらく路地裏を歩き続け、大通りに出た頃には空は茜色に染まっていた。