146 アンジェリカの嘘。
学園に通うまで残り3日、リズとシルフィは王都内の散策へ出掛け、僕は礼儀作法のお勉強……かと思いきや、まずはドレスの試着をしております。
「ちょッ……やめ、これ……死ぬッ」
「もうちょいや、気合い入れんかい」
僕の訴えも虚しく、メイさんは容赦なくコルセットを締め上げていく。
「よしッ! もうええで」
ええと言われても呼吸すら苦しい。
もはやこれは拷問ではなかろうか。
「はぁ……はぁ……内臓飛び出るかと思った」
今後お茶会などに呼ばれた際、毎度これをつけないといけないらしい。
世の女性たちはなぜこんな試練を己に課すのだろうか。
そんな僕をアンジェリカさんは優雅にお茶を飲みながら眺めていた。
「まぁその表現は間違ってないけどね。実際内臓位置変わったりするし、最近はもっとゆったりしたのが主流よ。それこそスタイルに自信があるなら付けない人もいるわ」
「えっ……じゃあこれ嫌がらせ?」
やっぱりこれは拷問だった。
「ほれ、これ付けてお終いや」
ペチッと控え目の偽パイを貼りつけ、ブラを取り付ける。
そしてドレスを着ると、僕の男としての尊厳は消え失せた。
「あらーエルリットちゃん、お似合いですこと」
アンジェリカさん、なんか楽しそうだな。
「ほな、ウチは下町行ってくるわ」
役割を終え、メイさんは部屋を出て行った。
室内に残されたのは僕とアンジェリカさん……はたしてどんなお勉強が始まるのだろうか。
「……あ、お手本役のカトレアさん連れてきますね」
「今日は必要ないわ。それより、あなたに話しておきたいことがあるの」
アンジェリカさんは窓際に寄りかかると、真面目な表情へ切り替わった。
「学園にいる救世主だけど、おそらく日本人よ」
「へー、そうなんですか」
異界からの召喚、という話を聞いたときにその可能性もあるかもとは思ったけど、まさか日本からとはねぇ……。
「私の調べによると、その子の特徴は黒髪に茶色の瞳で」
「こっちだと珍しいですよね」
「謎の言語で書かれたノートを持ち歩いてて」
「日本語で書かれてるってことですかね?」
「使えないスマホを大事そうにしてるらしいわよ」
「まぁこの世界じゃ使い物に……」
そこでブワッと汗が噴き出した。
……僕は今何を話しているんだ。
アンジェリカさんと目を合わせるのがすごく怖い。
「……やっぱり、そういうこと……」
ということは、そういうことなのだろう。
「アンジェリカさんも転生者……ということですか」
「まぁそうね……ってあんた汗すごいわね」
そりゃもう、隠していたはずのアレな本が母親に検挙されたような気分ですよ。
「別に転生者だからってどうこうするつもりはないわよ。ただちょっと確認しておきたかっただけ」
その言葉にちょっとホッとした。
そもそも別に悪いことしたわけではない。
しかしそうなると、僕もあることを確認しておいたほうがいいのだろう。
「ちなみにアンジェリカさんって、自分がなぜ死んだか覚えてます?」
創造神から聞かされていた、心に闇を抱えたもう一人の転生者……それがアンジェリカさんなのかどうかを――――
「…………それは、答えなくちゃいけないのかしら」
「できることなら」
視線が交差する中、しばしの静寂が訪れる。
「……はぁ、まぁもう吹っ切れたからいいか。自殺よ自殺、自分から飛び降りたの」
僕の中で点と点が線で繋がった。
彼女で間違いないと……。
「その自殺に巻き込まれたのが僕です。退院して病院を出たところを……覚えてませんか?」
僕はそれを聞いてどうするつもりなのだろうか。
――――彼女を責めるのか?
――――あるいは同情でもするのか。
ただ一つ言えることは、お互いの心境に大きな変化が――――
「……は? 病院? 私が飛んだのビルの屋上なんだけど」
「……あれ?」
繋がったように見えた線が、一瞬で掻き消えて行った……。
「なんか……私が言うのもなんだけど、悲しい最期だったのね」
僕の死因を話すと、アンジェリカさんに同情された。
自殺した人に同情されるってどうなの……。
「僕の死因はこの際どうでもいいです。創造神の話によれば、まだどこかに転生者がいることになりますよ」
「しかもその子は魔王になってもおかしくないほどの力を持ってるって? そもそも創造神の話も信じ難いのだけど……」
たしかにもう16年も前に聞かされた話と考えるとちょっと自信がない。
しかしその子の転生は優遇されてる上に闇を抱えてるという部分は覚えている。
「たしかに私は容姿端麗だし、才能にも恵まれて文武両道で一国の王女だけど、闇には……堕ちきれなかったわ」
フッと自分を嘲笑うように、アンジェリカさんは窓の外へ視線を移した。
自虐のように見えて随分自己評価高いじゃないですか……その通りだから否定もできないけど。
それに完全に堕ちる前に命を張って救い上げてくれる人がいた――――環境にも恵まれていたようだ。
「ま、危険な転生者がどこかにいても探す手段はないし、あんたは自分のことを心配することね」
「というと……?」
「救世主にうっかり変なこと口走らないようにってこと」
なるほど……同じ日本人だからこそわかるようなことには気を付けないといけないな。
こういう時は、思い切って役になりきることが大事だろう。
これはその最初の一歩だ。
「それではお姉さま、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたしますわ」
せっかくドレスを着ているので、カーテシーと呼ばれるお辞儀をやってみた。
「……なんか、ちょっと気持ち悪いわね」
一歩目でくじけそうになった。
その日の夜、アンジェリカは食事も取らずに所用があると言って外出していた。
街を歩いていると、ふと窓に自分の顔が映り込む。
「……ひどい顔」
本当は用なんてなかった……ただ、また逃げ出してしまったのだ。
咄嗟に嘘までついて……。
「何が魔王よ……私にそんな力なかったじゃない」
◇ ◇ ◇ ◇
夜の王都を、黒いローブに身を包んだ男が駆けていく。
「――今、迎えに行くからな」
袋に詰めた金属同士の触れる音が周囲の視線を集める。
やがて男は、奴隷商館の前で足を止めた。
「はぁ……はぁ…………え?」
乱れる呼吸を整え顔を上げると、ある異変に気付いた。
犯罪奴隷を扱う商館に――――灯りがついていない。
夜とは言っても店を閉めるにはまだ早いはず。
それに警備の姿もない。
(嘘だ……嘘だと言ってくれ……)
恐る恐る扉に手を伸ばす。
体に思うように力が入らない。
それでも震えながらぎこちなく扉を叩いた。
「誰か……誰かいないのか!」
道行く人は一瞥していくが、扉の先から反応が返ってくることはなかった。
(……いや、まだ悲観するべきではない。これには何か事情があるはずだ)
隣にある通常の奴隷商館の灯りはついている。
たしかオーナーは同じ人物だったはずだ。
男は一縷の望みと共に、重い足を運ぶ。
そして一度呼吸を整え、扉へと手を掛けた。
「すまない、オーナーはいるだろうか。犯罪奴隷について尋ねたいのだが」
中にいたのは、書類を整理している男が一人だけだった。
仕事柄なのか、一瞬だけこちらを値踏みするような視線が体を走る。
「オーナーは私ですが……犯罪奴隷はもう扱わないので、数日後には空き店舗になりますよ」
違う……そういうことが聞きたいわけじゃない。
「もう扱わない? じゃあ残っていた者は……?」
「誰も残っていませんよ」
男は血の気が引くのを感じた。
はっきりと聞いてしまうのが怖かった。
「カトレア……公爵家の娘がいたはずだ」
震える手で、金貨の詰まった袋をオーナーへと差し出した。
「それなら先日売れてしまいましたが……」
男は「嘘をつくな!」と大声を張り上げたかった。
しかしそれよりも早く、形容しがたい喪失感が全身を襲う。
気付けばその場に両膝をついていた。
あんな大金を払える貴族など知れている。
彼女ははたしてどうなるのか……醜い貴族の慰み者か?
男の脳裏に過ったのは――――最悪の結末だけだった。
「一体……誰が彼女を……?」
それを聞いて自分はどうするつもりなのか……。
自然と出てしまった言葉に、オーナーは困った顔をした。
「残念ですが、その質問にはお答えしかねます」
だろうな……、とだけ言葉を漏らし、男は立ち上がると商館を後にしようとした。
それに対し、オーナーは背を向け口を開く。
「ただまぁ……冒険者というのは、私が思っているよりも随分儲かるようですね」
その言葉に、男は一瞬立ち止まった。
「……恩に着る」
そう言い残し、夜の街へと消えて行った……。