145 救世主は笑う。
「だ、騙されてる……?」
メイさんの一言は、脳裏の片隅に埋もれていた地雷を見事に踏み抜いた。
僕だって詐欺の可能性はまったく考えなかったわけではない。
でも聞けば聞くほどうまい話のように思えてきて……。
「失敗する可能性も限りなく低いって……」
「そら出資者にはそう言うやろな。わざわざリスクを強調するプレゼンなんて誰もせぇへんで」
た、たしかに……。
じゃあひょっとして僕が掴まされた犯罪奴隷のお嬢さんも実は……?
僕は止まらない動悸を抑えながら、後ろのカトレアさんへ振り返った。
「私は嘘は申しておりません」
優雅な所作で頭を下げるカトレアさんは、正に貴族らしい貴族だった。
彼女が奴隷でなければ、絶世の美女と持て囃されることだろう。
しかしその視線は鋭く尖っており、眼だけで人を殺してしまいそうだ。
そしてその名にはリズが反応した。
「モードレッド……聞き覚えがあるな」
「……えぇ、私もリズリース様の御姿は一度拝見したことがあります」
二人のやりとりを見て、僕はホッとした。
「エル、ホッとしてるとこ悪いけどな、この嬢ちゃんが本物やったとしても、出資の話はまた別やで。詐欺ではないにしても、返ってくる保証はどこにもないんや」
ですよね……。
僕はガクリと項垂れた。
一先ず話を整理するために、アンジェリカさんの帰りを待ってリビングへと場所を移した。
「よくもまぁたった一日でそんな高い買い物ができるわね」
アンジェリカさんは呆れていた。
僕も帰り道の途中は後悔の念に押しつぶされそうだったよ。
そして最も機嫌の悪いシルフィが、早速と言わんばかりに本題に入る。
「それで、なぜエルさんはまた犯罪奴隷を買われたのでしょう?」
なんとなく、僕が下心ありきで購入したと思われてそうだ。
しかしこれはちゃんとした理由がある。
聞けばみんな納得するはず。
「実は、彼女は教会の庇護下にある救世主の毒殺を謀った罪で犯罪奴隷になったそうでして」
「……私じゃない」
掻き消えそうな声でカトレアは否定した。
奴隷商館で聞いた話によると、毒殺の証拠もあがっており、王都では大事件として誰でも知っていることらしい。
しかし不思議な点もあった。
事件が起きたのは2週間前なのだが、大きな事件の割に裁判はあまりにもスムーズに進んで彼女は犯罪奴隷に堕ちた。
それはまるで、最初から予定されていたようであったと……。
「カトレアさん、あなたたしかクロード殿下の婚約者だったはずよね」
アンジェリカさんの口からまた新たな情報が出てきた。
クロード殿下のことは学園に入る際の事前知識として、一応僕も知っている。
「第一王子の婚約者……?」
つまりは未来の王妃ではないか。
「元婚約者……と言ったほうが正しいでしょうね」
そう答えたカトレアさんの表情は寂しそうに見えた。
「なるほどね、それでモードレッド家の立場も弱まってるわけか……。もしかしたら良い買い物したんじゃない? 救世主の件といい、何かキナ臭いわ」
アンジェリカさんは悪い顔になった。
王女のする顔じゃないよ。
「ところで、救世主ってどんな人なんですか?」
僕の問いに、皆の視線がカトレアさんに集まった。
「どう……と言われましても、私自身はあまり話したことがなくて……。ただ個人的な印象でなら、妙に殿方を味方につけるのがお上手だなと」
それほど深い接点もなく冤罪をかけられたのか……。
それに男を味方につけるのが上手というとなんとなく覚えがあるな。
(大学時代、サークルにそういう女子いたな……)
「サークルにそういう女いたわね……」
一瞬、考えたことが口に出てしまったかと思った。
しかし今のは間違いなく、アンジェリカさんのほうから聞こえた。
(……いやいや、まさかね)
「救世主やカトレアさんの冤罪に関してはまた後で情報を整理するとして、他の皆の報告を聞きたいです」
「それじゃあ私から」
スッと手を挙げて、孤児院巡りをしたシルフィが答える。
結論から言えば、王都内の孤児院は何も問題がなかった。
それどころか、環境としてはかなり恵まれているらしい。
あれだけ教会が豪華なのだ、ある意味当然ともいえる。
もっとその金が地方にまで回っていれば、僕の孤児院時代ももう少し違ったのかもしれない。
次に騎士団の演習に参加したリズとアンジェリカさんなのだが……
「セリスが面倒見ていた部下は目を見張るものがあったな。それ以外はその辺のゴブリンと大差ない」
「そりゃお姉さまからしたらほとんどの騎士はそうなるでしょうね」
一国の騎士もリズからしてみればゴブリンと同格か……僕も肉弾戦だったら似たようなものだろうな。
演習が終わると、負傷者こそいなかったものの、隊長クラスでさえ眠るように気を失ったらしい。
一緒に参加したアンジェリカさんも、よく見ると疲れが顔に出てる。
ついて行けるだけすごいことだ。
そして最後に、メイさんからの報告になった。
「全部回ったわけやないけど、組合っちゅーのがほとんどの工房管理しとるらしいな。どこもかしこも似たようなもん作っとっておもんないわ」
心底つまらなさそうだった。
全体的に高品質だが、それ以上突出した物はなかったもよう。
メイさん的には職人の個性をもっと大事にしてほしいようだ。
これなら輸入品や中古品を扱っている商店を見たほうがまだ楽しいらしい。
「あと見てへんのは下町やな」
王都の南側から外へ出ると、外壁近くに街と呼べる規模の建物が密集している。
そこに住む理由は、王都内では物件が高い、組合の規則が面倒、貴族がいないので気楽、等々様々だ。
「下町かぁ……」
案外そういうところの方が、隠れた名店とかあるような気がする。
「興味持ってるとこ悪いけど、あんたは明日からお勉強よ。丁度いいじゃない、カトレアさんっていうお手本もいるんだし」
「……え?」
古き良き日本の下町風景を頭に思い描いたところで、アンジェリカさんから釘を刺された。
「エルラド家は礼儀作法にうるさいわけじゃないけど、最低限は身につけてもらわないとね」
アンジェリカさんは疲れた顔でニコリと微笑んだ。
まるで連休が突然なくなったような気分だった。
「お手柔らかに……お願いします」
◇ ◇ ◇ ◇
王立学園の生徒の内、凡そ半数ほどは学生寮から通っている。
救世主と呼ばれる女生徒は大聖堂から通うことも可能だったが、本人の希望により入寮していた。
「んー、次はどんなイベントがあるのかしら」
山田姫星16歳。
気が付けば見知らぬ世界へと召喚された彼女だが、その適応能力は非常に高かった。
貴族の通う学園に、異世界から呼び出された少女……あぁ――――私は主人公なのだ。
きっとこれはよくやる乙女ゲー世界に違いない。
そう思った瞬間、思わずガッツポーズをしてしまった。
「でも……いくら思い出してもオルフェン王国なんて記憶にないのよね」
それどころか、攻略対象らしき人物たちの名前も聞いたことないものばかりだった。
そこで一つの結論に至ったのである。
「マイナーなゲームも一通り全部やってるはずだし……やっぱり発売前のかな?」
もしそうであるなら、私は運まで味方につけている。
「つまり、誰よりも早く攻略できるってことよね」
まったく攻略情報がない状態ということになるが問題ない。
どんな行動、台詞が攻略対象の心を掴むのか……そんなの簡単だ。
なぜなら――――私の頭には幾多もの乙女ゲー知識が詰まっているのだから。
実際邪魔だった悪役令嬢も簡単に潰せた。
というか毒を盛ってきたのだから自業自得だろう。
後はこちらがヒロインムーブをしてれば周りがなんとかしてくれる。
ただあまりにもあっさり退場してしまったので少し困っていた。
「悪役がいないとこれからのイベントどうなっちゃうのかなー」
あまりにも張り合いがなくなり、メリハリのないクソゲー展開になってしまうではないか。
こういう場合は代わりの悪役か、もしくは物語が大きく動き出す何かが……
「……!」
――その時、キララは閃いた。
「ひょっとして……隠しキャラが出てくる展開かも!」
こうしてはいられない、と早速ノートにいくつもの出会いイベントパターンを書き出していく。
しかしその途中でピタリと筆が止まる。
「うーん……これを全部実行するのはさすがに無理よね。ただでさえ最近は推しメン達に囲まれちゃってるし……」
もはや一人でいる時間は、今いる寮の自室だけと言っていいぐらいだ。
「それに王子もまだ攻略途中なのよね」
婚約者だった悪役令嬢を追い出せたものの、その後王子には会えていない。
そもそも彼は学園にも顔を出さなくなっていた。
「何かキーイベントをこなせていない……? これも隠しキャラと関係あるのかな」
ふと、キララは壁に掛けたカレンダーに視線を移した。
「……そういえば、隣国の王女様が留学してくるんだっけ」
口にすると同時に自然と口元が緩む。
なんてわかりやすいイベントが用意されているのだろう。
「ははーん、さては護衛騎士辺りが隠しキャラってわけね」
となると、王女が新たな悪役令嬢の可能性も?
そう予想し、ニヤケ顔で出会いパターンを書き留めていった……。