表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
139/222

139 飛鳥馬揚羽。

和国を治める飛鳥馬一族には、両極端な姉妹がいた。


どこか抜けていて、何をしても人並み以下だった姉の揚羽。

物静かで、神童と呼ばれるほど人々に期待された妹の椿。


才の違いは嫌でも比較され、周囲の人間は露骨に二人の扱いを変えていく。


それでも腐ることのなかった姉のことが、椿は大好きだった。

出来の良し悪しで態度を変えなかった母と姉さえいればそれで良かった。


揚羽もそんな妹を邪険にすることなく、むしろ姉として誇らしいとすら思っていた。

それに引き換え自分は……と思い悩むこともないと言えば嘘になる。


ただ言われたことをこなし、しかし努力しても結果は伴わず。

だからと言って何かを変える術もない。

ここはひょっとして自分がいるべき場所ではないのだろうかとも思った。


そんな諦めに近い日々も――――揚羽が10歳を迎える頃終わりを告げる。



当主たる父は元から子に対し厳しかったが、揚羽に対してはもはや無関心という状態だった。


「これも仕来りだからな。不本意ではあるが、お前にも従者を付けねばならん」


飛鳥馬一族では、10歳になると専属の従者たる護衛を付けることが義務付けられていた。

そしてそれは、本人の指名により決定する。


「……まぁ好きに選べ」


本来であれば腕に覚えがある者を募り、その中から選ぶことになる。

そこで見る目を試されるのだが、もはや揚羽は何の期待もされていなかった。


好きに選んでいいが、そのための用意は何もされていない。

家臣でさえその状況を楽しんでいるようだった。

この場に母がいれば父を糾弾したであろう。


しかし――――揚羽の選択は、その場にいる誰もが予想できていなかった。


「――では、その者をお願いします!」


そう言って指差した場所は、何もない天井だった。


一瞬だけ静寂が場を支配した後、家臣たちはクスクスと小声で揚羽を笑い者にし始めた。

父に至っては、呆れてため息をついている。


「はぁ……せめて形式上誰かを選べ。この場にいる家臣では不満か?」


「ですから、そこの者でお願いします」


なおも選択は変わらない。

それどころか、先ほどとは指差している位置が少し違っている。


揚羽の奇行に父が少し苛立ち始めた、その時だった――――


「だからそこには誰も――――


「申し訳ありません御影様。見つかるほど未熟ではないつもりでしたが……」


何もないはずの天井から、忍び装束の男が姿を現した。


「小太郎か……お前が人前で姿を現すなぞ珍しいな」


「本来であればそうなのですが……お嬢様の熱意に負けてしまいました」


小太郎と呼ばれた男は、飛鳥馬一族を陰から支える忍びの一人だった。

この日も、主人である御影にさえその存在を悟られぬよう、気配と姿を消し控えていたのだ。


「……さすがに当てずっぽうだろう」


「移動しても見抜かれていましたのでそれはないかと」


小太郎の言葉に、父は頭を悩ませる。

予想外の展開な上に、よりによって小太郎を選ぶか……と。


「しかしな、お前は遊ばせておくには優秀すぎる」


父が難色を示すと、姉の表情が曇る。

少し寂しそうなその表情に、気づいた者が二人いた。


一人は妹である椿、そしてもう一人は――――


「素人に気取られる拙者など、子守が似合いでしょう」


小太郎は揚羽に歩み寄る。

子守という表現に椿は不快感を感じたが、おかげで周囲は納得しているようだった。


新しい主の前で、小太郎は静かに膝を付く。


それを見つめる揚羽の瞳は、ほんのりと変色していた――――




それから1年……たった1年で、揚羽は変わった。


「揚羽! 揚羽はどこだッ!」


和国の城内にて、御影の怒鳴り声が響き渡る。

そこへたまたま椿は居合わせた。


「父上、姉様がどうかなさいましたか」


「椿か……見ろ、我が一族の家宝がこの有り様だ!」


父が見せたのは、ボロボロに刃こぼれた一本の刀だった。


「それを姉様が?」


「あいつ以外おらんだろう。また勝手に持ち出しておったに違いない!」


そう言って、父は再び城内を駆け回り始めた。

その背中を見て、椿は自然と口角が上がる。


「……姉様楽しそう」



その後も御影は城内を隅々まで探し回る。

しかし一向に見つからず、最終手段をとることにした。


「小太郎! 小太郎はおらんか!」


「――ハッ! ここに」


呼び声に応え、音もなく小太郎が姿を現した。


「揚羽はどこに隠れている! お前ならわかっているだろう」


たしかに小太郎にはわかっている。

だがそれを口にしていいものか、判断に困っていた。


「隠れているわけではないので、なんと言っていいか……」


「は? どういうことだ」


小太郎の視線は、御影の背後を向いていた。


「……まさか」


背後を振り返ると、そこには揚羽が立っていた。


「駄目ですよ小太郎、それじゃあ教えているのと同じです」


「申し訳ありませんお嬢様。せめて身を隠すぐらいしていただけたら違ったのですが」


二人のやりとりに、御影はわなわなと震え始める。


「揚羽……ずっと後ろにいたのか?」


「もちろんです父上。お呼びだったようなので」


そう言って揚羽は屈託なく笑った。

それに引き換え、御影は鬼の形相に変わる。


その直後――残像を伴う拳が上から下へと飛ぶ。


「貴様は父を愚弄しておるのかッ!」


無駄のない動きで、強力なゲンコツが床を砕く。

しかしそこにいたはずの揚羽は天井に張り付いていた。


「父上、実の娘に本気を出すのは大人げないのではないでしょうか」


「本気でやらねば当たらんだろうが!」


再び放たれた拳が、今度は天井を砕いた。


「それは間違いです父上、たとえ本気でも当たりません」


その声は背後から聞こえた。

もはや揚羽の速さは、常人に捉えられるものではなくなっていた。


ただし――あくまでも常人相手ならの話である。


「駄目ですよお嬢様、さすがに調子に乗りすぎです」


そう言って小太郎は揚羽に縄をかける。


「小太郎、裏切るのですか?」


「御影様もまた主です故、ご容赦ください」


「よくやった小太郎。さて、今日は説教だけではすまんぞ」


御影は縄に縛られた揚羽を連れて行こうとする。

しかし、まったく反応がなく不気味だった。


「……おい小太郎、まさかとは思うが……」


「申し訳ありません、変わり身の術ですな」


ボンッと揚羽の体が破裂し煙が舞う。

するとそこには縄に縛られた壺があるだけだった。

それどころか縄がきつかったようで、ピキッと欠ける音が聞こえる。


「んな……! これも宝物庫にあったはず……」


御影は膝から崩れ落ちた。


「ま、まぁ子は宝と言いますし……そ、それでは拙者はお嬢様を探しに……」


「――待て」


その場から逃げるように去ろうとした小太郎の肩を、御影は力強く掴んだ。


「お前、本当に揚羽に何もしてないんだろうな」


「忍びとして……ということであれば、何度も申し上げている通り、稽古をつけた覚えはありませんよ」


小太郎は御影に嘘はつけない。

それがわかっているからこそ不思議なのだ。

あれほど不出来だった揚羽がなぜこうも変わったのかと……。


「まさか我が一族の瞳術が……?」


御影が一人何かを呟く中、小太郎は気まずそうにしていた。


(まぁ……嘘はついてないよな)


たしかに稽古はつけていない。

教えた覚えもない。


ただ……


(見せただけでああも完全にものにされるとは……)




逃げた揚羽は、屋根の上で一人空を眺めていた。


「やはり卓越した人の動きはわかりやすいです」


いつからか、なんとなく人の体を巡るように動く何かが視えるようになった。

それから揚羽の世界は大きく変わった。


しかし何かが足りない……。


周囲の視線は残念な子を見る目から、変わり者を見る目になっただけで未だ良い気分ではない。

忍者の真似事をしても、結局自分は飛鳥馬一族なのだ。


「見える世界が変わっても……環境が私を認めていない」


その2年後――――揚羽は書置きを残し、和国を去る。


『本物の忍者になるため旅に出ます。探してもいいですが、私は速いですよ』


父は絶句し、母は顔色が悪くなった。

そして椿は心に決める。


(探してもいいんですね、姉様)



◇   ◇   ◇   ◇



姉様……。

たしかにツバキは、アゲハさんを見てそう言った。


その声は本人にも届いていたのか、ツバキを見たまま硬直している……と思ったら震え出した。


「ざ、座敷童……?」


……感動の再会で震えてるのかと思ったら違ったようだ。


「ね、姉様! 私だよ、妹の椿!」


ツバキはアゲハに詰め寄り、声を荒げ訴えた。

感情の起伏が少ない子という印象だったが、今は歳相応の女の子に見える。


「――ハッ! 何を言うかと思えば。妹の椿はもっとこう……小さくてですね」


そう言ってアゲハは、自身の腰ぐらいの高さを示した。


「姉様……5年もあれば背ぐらい伸びるよ……」


「た、たしかに……じゃ、じゃあホントに椿……?」


返事はなく、ツバキはただ抱きついた。


どうやらこれは5年ぶりの姉妹の再会らしい。

どういった経緯で離れ離れになっていたのかは知らないが、きっとこれは心温まるシーンなのだろう。

しかしどうにもアゲハさんは狼狽えるばかりだ。


「ど、どどどどどうしましょう。こういう時どんな顔をすればいいのかわかりません」


「自分の感情に正直であればいいんじゃないですかね」


そう答えると、アゲハさんは苦笑いでツバキを抱きしめ返した。

それどんな感情なの……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ