126 戦いの狼煙。
リズとシルフィは屋根から屋根へと跳び皇城を目指す。
エルリットは空を駆け、上空から一足早く城門を視界に捉えた。
「とは言っても、城内のどこにいるかはわかんないんだよね」
でもまぁ……叩けば出てくるでしょ。
指先を城門へ向け、魔力を集中する。
この角度なら城内までは届かないが、おかげで遠慮する必要もない。
「これは宣戦布告だッ――!」
上空から放たれた閃光は、城門に大きな風穴を開けそのまま大地を焼いた。
衝撃はそれほどでもないが、後は勝手にぼろぼろと崩壊していく。
そしてもう一つ、上に向かってレイバレットを放つ。
(こっちは頭数に入れてないけど、気付いたら察してほしい)
帝国兵の反応は悪くない。
しっかりとこちらを視認している兵もいるようだ。
「でも思ったより騒ぎが小さいな……もうちょっと抉っとこうか」
先ほどよりも出力を絞り、城をちまちまと削っていく。
その時だった――――
「そっちから来てくれるなんて嬉しいわ」
一人の女が、バルコニーへと姿を現した。
黒い髪、漆黒のドレス……間違いない、こいつが――――
「ワーミィ……」
「まぁ、私のことご存じだったなんて、光栄ですわ……第2公女様」
そう言ってワーミィはニヤリと笑う。
同時にネットリとした視線が薄気味悪かった。
(やっぱり、要塞都市で僕のことを見ていたのはこいつだ)
思ったよりあっさりと姿を現したのは、余裕の表れなのだろうか。
「あなたは一体何者なんですか」
「それはこっちのセリフよ。偽りの身分に、呪いを弾くその力……私気になるわぁ」
ワーミィの言葉に、一瞬だけ心臓の音が大きくなる。
この女には一体何が見えているんだ……。
「言っている意味がわかりませんね」
「だってあなた、男なんでしょう? 公女だなんて嘘をついて……いけない子だわ」
そう言ってワーミィはワイングラスに口を付けた。
「それは……僕も巻き込まれてるだけなもんで。ホントはのんびり気ままに冒険者でもやってたいんですけどね」
決して望んで公女名乗ってるわけじゃないよ。
「あらそうなの……でも不思議なのよねぇ、要塞都市に仕掛けてたアレって、公爵家の血筋に反応――――
「――ところで先ほどから口にしているそれ、帝都の牧場産ですか?」
言葉を遮るように、ワーミィへと睨みつける。
「……だとしたら?」
返事を聞くと同時に、指先に魔力を集めレイバレットを――――
「――向けたわね?」
ギョロッと女の鋭い視線がこちらを射貫く。
直後――――僕の右腕が消えた。
否、消えたように錯覚したのだ。
実際になくなったわけではないが、右腕はだらりと垂れ下がっている。
まったく感覚はなく、動かすことさえ叶わない。
「ふふっ、何が起こったのかわからないって顔してるわね」
ワーミィはフッと浮き上がり、こちらと同じ高さまで飛翔する。
「……何をした?」
腕に外傷はない。
しかし魔力すら通らず、肩から先がごっそりなくなったようにさえ感じる。
「呪術ってねー不便なのよ。下準備は色々してあるけど、条件が揃わないと使えないの」
ワーミィはわざとらしい困り顔だった。
しかしそれも長くは続かず、口元に指先をあて、余裕の笑みを浮かべる。
つまり、僕は今何か発動条件を満たしていた……?
でもこんなもの、神力を流せば……
「神力が……流れて行かない?」
僕の体は淡く発光する。
しかし動かなくなった右腕だけは別だった。
「無駄よ、だってその腕はもうあなたのものじゃないんだから」
勝ち誇ったように、ワーミィは距離を詰める。
「――くッ!」
残る左腕の指先だけを向け、見えない攻撃……マナバレットを放つ――――つもりだった。
魔法は発動することなく、今度は左腕が消失したように錯覚した。
「今何かしようとしたのね。でも無駄よ、条件さえ満たせば発動するんだから」
こちらの攻撃に気づいた様子がなかったことから、彼女の言っていることはおそらく本当なのだろう。
呪術師本人が認識している必要はないのか……。
両腕は感覚もなくだらりと垂れ下がり、自然と体が前のめりになる。
もう少しはっきりと発動条件が知りたい所だ。
そう思い周囲に目線を走らせるが、これといっておかしな点はなかった。
「……気に食わないわね。両腕が使えないのよ? もっと絶望しなさいよ」
ワーミィはやや苛立ち始めていた。
「いや、だって両腕が使えないだけだし……」
正直なところ、僕が魔法を使う分にはそれほど重要なわけではない。
……一生このままって言われたらさすがに怖いけど。
「そう……あなたのこと、ちょっと嫌いだわ」
「奇遇ですね、僕もあなたのこと嫌いですよ」
ワーミィはこちらへ手を向け、漆黒の魔力を放った――――
(ちょっと腕が邪魔だけど、空中戦なら躱す分には問題ない)
今放たれたのは呪術ではなく、ただの闇属性魔法だ。
目に見える攻撃ならなんてことはない。
わざわざ魔法を使って来たということは、呪術に攻撃手段そのものはないのか……?
さっきだって発動したのは、僕が攻撃を向けた瞬間だった。
一先ず間違いない発動条件は……
「攻撃を向けること……?」
そして対象は、使用した体の部位。
「あら、気づいたの? 私に敵意を持って攻撃を向ける……それが条件。つまりあなたは、私を攻撃するだけ自身の自由を奪っていくことになる」
なんともあっさり相手が教えてくれた。
しかしそれはあまりにも都合の良すぎる発動条件だった。
「まぁこの条件だと必要になってくる贄もそれ相応だけど……それはいつもおいしくいただいてるから」
そう言ってワーミィは自分のお腹を擦った。
本来呪術とは、贄という代償を支払うことで強力な効果を得る。
でもこいつは――――
「自分が支払う代償を子供たちに払わせてるのか……!」
「賢いでしょ?」
あぁ……この女に遠慮はいらないな。
腕が使えなくとも問題ない、僕にはアーちゃんがいる。
体内から分体を六つ放出させ、ワーミィの周囲を旋回させた。
「変わった魔法ね……いや、これは――――」
勘づいたワーミィは咄嗟に身を翻す。
それとほぼ同時に、アーちゃんを通してレイバレットを放った――
「それは避けるんだね」
閃光はワーミィの頬を薄く裂いただけだった。
しかし、彼女は回避行動をとった……それだけわかれば十分だ。
「女の顔に傷をつけるなんてひどいじゃない」
相変らず言葉には余裕を感じさせるが、その瞳は先ほどまでと違い鋭いものへと変わっていた。
◇ ◇ ◇ ◇
リズとシルフィは足を止め、上空に視線を向けていた。
「エルが戦っているのは例の呪術師か」
「そのようですね、私たちも急ぎたいところですが……」
空中戦では分が悪い。
なおかつリズとシルフィは、帝国兵によって包囲されていた。
「対応が早いな、それに数だけは多い」
「強引に突破しますか?」
リズとシルフィならそれも可能ではあるが、結局追われてしまっては意味がない。
「……シルフィは先に行ってくれ。こいつらの性根は、私が叩き直す」
そもそも突き技主体のシルフィより、リズの方が一対多数の戦いには向いている。
それがわかっているのか、シルフィも頷いた。
むしろ心配なのは帝国兵のほうだ。
「リズさん、ほどほどにしておいてくださいね」
それだけ言い残して、シルフィは大きく跳躍しその場を離れていく。
それを確認したリズは、建物の陰に視線を向ける。
「遅れてきた割に、いつまでそんなところに隠れているつもりだ?」
その言葉に反応するように、一人の男が姿を現した。
それはつい先ほどまで公爵邸にいた男……。
「護衛が主の元を離れていいのか?」
今度はリズの殺気にたじろぐこともなく、その手には抜き身の剣を握っていた。
しかしどこか様子がおかしい。
「ぅ……がッ……」
肌は褐色に、瞳は漆黒に染まる――――
リズはその変貌に覚えがあった。
「まさかアンジェと同じ魔神化……? しかしそれにしてはお粗末というか、自我すら怪しいな」
リズの言葉に対し男は返答することなく、ただ大きく剣を振りかぶった――――
シルフィは屋根の上で背後からの轟音を耳にする。
「リズさんなら心配はないと思いますが……」
それでも一瞬だけ、音のほうへ意識を向けたその時だった――――
「――ッ!」
何かを察知して、シルフィは横に大きく跳び退いた。
同時に、ひんやりと冷たい冷気を感じ取る。
見れば先ほどまでいた場所が凍り付いていた。
「ったく、今日は非番だってのに、いちいち避けんじゃないわよ」
声の主は、上空からゆっくりと降下する。
「あなたは……」
「ハッ、名乗ってあげるわ、光栄に思いなさい。帝国最高の大魔導士……帝国の叡智マリオンとは私のことさ!」
かくして、帝都は人の域を超えた戦いの場へとなるのであった……。