117 個人情報を売る忍者。
聞こえた声を追うように視線を向けると、東に小さく帝都カトルの姿が映った。
(視られている……?)
なんとなく、そんな感じがする。
「どうしたエル! 何か見えるのか?」
「……いえ、なんでも……」
一瞬地上のリズに視線が泳ぐと、視られている感覚は消えていた……。
僕は周囲を警戒しつつ、ゆっくり地上へと降下する。
建物内の調査をしていた者たちも、恐る恐る警戒しながら表に出て来ていた。
先ほどの影響は人によるのか、中には肩で息をしている者もいるようだ。
「二人とも大丈夫そうで良かった」
リズとシルフィはとくに外傷もなく、疲弊した様子も見られない。
この辺りはさすがだな。
「嫌な音だったな、交易都市で聞いた音とどこかに似ている気がした」
「えぇ、おそらく同じようなものだと思います。助かりましたエルさん」
二人も交易都市でのことを思い出していたようだ。
つまり邪教の者の仕業……そう考えるのが自然だろう。
「一旦撤退して報告したほうが良さそうですね」
調査が始まってまだそれほど時間は経っていないが、このままここにいるのは危険な気がする。
そう思い、アンジェリカさんから預かっていた黒い板を取り出した。
「全部隊に告げる、開門し一時退却せよ。繰り返す――――」
これは魔道具協会で使われていた、一方的に声を伝達する装置だ。
指示を出すだけならこれで事足りる。
……噛まないか不安だったけど。
我ながらチキンな判断だが、これだけ規模の大きい罠があったなら致し方ないはず……。
「魔法陣……たしかに似てると言えば似てるけど……」
要塞都市から即座に撤退した僕らの報告を聞き、アンジェリカさんは見取り図の隠し通路を赤いインクでなぞった。
魔法陣としてはかなり歪な気はするが、結界を張った時に感じた異物感は地上よりも下からだった。
「まだふらついていた人もいたので、先行部隊の人たちには休んでもらっています。念のためリズとシルフィも」
不覚をとった、とリズは悔しそうだった。
本人は休んでくれそうになかったが、そこはシルフィが上手く諫めてくれた。
最近あの二人妙に仲良いんだよね。
「そうね、念のため野営地も移動しましょう。……それにしても、魔力反応はまったく感じなかったわ……」
壁の外からもこれといった前兆はなかったらしい。
中にいた僕らも魔力反応はまったく感じなかった。
「それと、罠だったとしたら何が狙いだったんでしょうね」
全軍が突入してからならわかるが、たかだか先行部隊の人数のためにあんな大規模な罠を使うとは思えない。
狙うとしたら、今公国のトップであるアンジェリカさんを狙うべきだろう。
もしかして……何か別の発動トリガーでもあったのかも?
「狙いか……あれが相手の意図したタイミングだったのか否か……。ともかく、地下通路の調査は早急になんとかしたいわね」
アンジェリカさんの言う通り、またいつ罠が発動するかも……という危険がある以上、それは最優先事項になる。
しかし調査しようにも、魔力が伴わない罠となるとどう調べたものか。
僕とアンジェリカさんは、しばらくあれこれ考えを巡らせていた。
こういう時、師匠がいたらあっさり答えを出してくれそうなのに。
「あ、あのぉ……」
いや、師匠がいたらそもそも発動前に罠の存在に気づいているな。
「さっきのアレなんですけどぉ……」
そういえば、結界ってまだ張ったままにしておいたほうがいいのかな?
「……もしもーし、聞こえてますかー?」
安全が確保されるまでは現状維持が無難か。
「――――忍法、存在感の術!」
――パンッ!
と、何かを叩く音が耳に響いた。
「……何やってんですかアゲハさん」
「だ、だって声かけても気づいてもらえなかったので……」
いつの間にか、天幕の隙間からアゲハさんが顔を覗かせていた。
「えっと、たしか報告にあった忍びのアゲハだったわね。用件があるなら普通に声をかけてくれればよかったのに」
アンジェリカさんがそう言うと、アゲハさんは表情が暗くなった。
「普通に……声かけたつもりだったんですけどね」
普通に呼んだら優秀な忍者っぽく現れるくせに、自発的に登場するときはどっか抜けてるな……。
「それで、存在感の術がどうかしたんですか?」
「そ、その術は忘れてください。私が言いたいのは、先ほどからお二人が話されている罠の件でして……」
アゲハは天幕に入り、スッとメガネをかけて改めて話を続けた。
「都市内で発動したアレは、呪術の類だと思います。地下通路に刻まれた呪印が何らかの条件で発動したものかと」
そう言ってアゲハさんは人差し指で眼鏡をクイッと上げる。
あの動作、気に入ってんだろうな……。
「呪術……たしかにそれなら魔力反応を感じなかったのも頷けるわね。それに地下通路に呪印が……ちょっと待って、あなたあの状況で地下にいたの?」
言われてみればたしかに。
僕が結界を張ったとはいえ、地下にいたならモロに影響受けてたんじゃ……?
「あー……その、実は呪いの類は効かない体質でして……」
答えたアゲハさんは目が泳いでいた。
嘘つくの下手だなぁ……。
「ふーん、便利な体質ねぇ……」
アンジェリカさんはジッと視線を逸らさなかった。
「え、えぇ……た、体質です……」
アゲハさんは勝手に追い込まれ、徐々に冷や汗を隠せなくなっていく。
そこでアンジェリカは、スッと懐から金貨を1枚取り出し、アゲハの目の前にちらつかせた。
「……チッ、さすがに1枚じゃ無理か――――
「これは我が家に代々伝わる瞳術の一種でして、万視の瞳と言われています。万物の流れ……あらゆる不可視のものを可視化することができる能力です。代表的なところだと、空気や魔力の流れ、人の意志など見えたりするんですよ。おかげで呪術の発動前に綻びを見つけて、僅かな安全地帯に避難できました。けっこう珍しいもので、世界規模だと魔眼とも呼ばれたりしますね。……あ、代々伝わると言ってもその能力は人によって違いが――――」
アゲハはサッと金貨を回収し、饒舌に語り始めた。
魔眼とかかっこいいワードが出てるのに……かっこ悪いぞ忍者。
「アゲハさん……なんか大事そうなことなのにそんなあっさり喋っていいんですか」
「困るのは私だけなので問題ありません」
アゲハさんは強気な表情でそう答えた。
まぁそういうことならいい……のか?
自分が困る情報を金貨1枚で売りやがったよコイツ。
「あら、便利な能力ね。今後とも仲良くしたいものだわ」
そう言ったアンジェリカは笑顔だったが、目が笑っていなかった。
「残念ですが、私はすでに主を得た身ですので……」
主ってメイさんのことなんだろうけど、いつの間にかアンジェリカさんと繋がりが出来てたからなぁ。
いいように使われる未来が目に浮かぶ。
「ま、それはいいとして。じゃあ地下のくわしい調査は、二人にお願いしようかしら」
そうそう、そんな便利な能力があるのなら二人に……。
「……二人?」
◇ ◇ ◇ ◇
「お前の呪いが不発とはな」
男はそう言いながら、窓から外を眺める女の隣に立った。
「ふふっ、おもしろい子見つけちゃった。あれは私の獲物よ、誰にも手出しさせないわ」
女は要塞都市の方角へ熱い眼差しを送る。
それはまるで恋焦がれる乙女のようでもあるが、室内は血の匂いで満たされていた。
「ほう、お前がそこまで言うとは、やはり公国も一筋縄ではいかんか」
「たとえあなたでもダメよ? 私が先に見つけたんだから」
女は鋭い視線を男に向けた。
「計画に支障がないなら好きにしてくれて構わんよ」
まったく興味がない。
男はそう言いたげな返答だった。
「どの道私は一旦王国へ帰らねばならん。帝都はお前に任せる」
「ふーん、私は別にいいけど……お偉いさんは大変ねぇ」
男は背を向け、部屋を後にする。
残った女は、口角が緩むのを手で抑えた。
「好きにしていいんだ……ふふっ」