113 精霊女王。
僕らは要塞都市を目指し、徒歩で南へと向かっていた。
街道が整備されていて今の所不自由なところはない。
実はタットの街を出る際、ジョンソン隊長に馬を押し付けられそうになった。
こちらは徒歩でも5日もあれば十分要塞都市には到着できるのだが、向こうとしては第二公女をないがしろにできないのだろう。
でもね……僕そもそも馬乗ったことないんだよね、なんせ偽公女なもんで。
「邪教の気配……?」
道中何もないと思ったのだが、シルフィが邪教の力を感じ取ったことで、僕らの進路はやや逸れることとなった。
「この先……数分ほど走ったところに邪教の力を感じます」
そう言ってシルフィが指差した方角には、深い森が広がっている。
「ふむ……どうする? 寄り道する余裕はあると思うが」
「ウチは行ってみてもええと思うで? 地図じゃとくに名前もない森やけど、なんかあるんやろか」
リズとメイさんは、最終判断を委ねるように僕に視線を移した。
まぁ数分ほど走ったところならそこまで深くは潜らないだろうし、無視して先を急ぐ理由もないかな。
「じゃあちょっと寄って行きましょうか。シルフィ、先導を頼みます」
「わかりました、こちらです――――」
――直後、シルフィの姿は瞬く間に森の中へ消えた。
一瞬だけ遅れて、リズの姿も消える。
……え?
数分ほどって……その速さで?
それってけっこうな距離があるのでは……。
「なにボーッとしとんのやエル、はよ乗っけてや」
呆気に取られていると、メイさんが背後から首に手を回す。
僕は仕方なく、言われるがままメイさんを背負った。
「……いや、あの速さでは飛べませんからね?」
これだけ深い森だと上空からじゃ何も見えないし、森の中で木々を躱しながら飛んで行かないといけない。
「ええから、はよせんと置いてかれるで」
もう置いていかれてるけどね……と思いつつ、渋々速度を上げて森の中へと潜っていった……。
割と急いでいるつもりだが、なかなかリズとシルフィの姿は見えてこない。
しかし真っすぐ進めば確実に合流できるのはわかる。
あの二人がわざわざ遠回りする理由が思いつかないし。
ただ途中から、ちらほらと魔物の姿を見かけるようになった。
ゴブリンに狼っぽいのに……角の生えたあれはオーガかな?
けっこう種類が豊富だった。
ただ共通しているのは……
「全部一撃かぁ……」
どれもすでに死体と化していた。
しかも一撃で葬られている。
「全部浄化済みやな。これなら放っておいてもちゃんと土に還るやろ」
背中にしがみつくメイさんが言うには、放っておいても大丈夫らしい。
浄化というからにはおそらくシルフィの処置なのだろう。
「エル、メイ、こっちだ」
森に入って数kmほど進んだあたりで、先行していたリズとシルフィにようやく合流することができた。
そこで目にしたのは、手を振るリズと、その背後にある薄暗い膜のようなものだった。
その膜にシルフィはそっと手で触れる。
「……やはりこれは邪教の者が張った結界で間違いないようです」
それは、神力による結界の真逆のような存在らしい。
「てことは、この中に邪教徒の人がいるってことですかね?」
僕の疑問に対し、シルフィは首を横に振る。
「いえ、これはむしろ中から外に出られないようにする結界ですね」
つまり邪教にとって、ここから出て欲しくない何かがいるということか。
ということであれば、僕らにとっても別に敵というわけではないだろう。
「ほほー、そら邪教にとって隠したいもんがあるいうことやな」
メイさんはなぜか悪い顔になった。
こういうの好きそうだな……。
「結界というより封印みたいなものか。シルフィ、これはどうにかできるのか?」
リズがそう言うと、シルフィは少し考える素振りを見せ……
「多分……やってみますね」
そう言って、結界に触れたまま目を閉じる。
すると、薄暗い膜のようなものは霞むように消えて行った。
リズはシルフィに様子を伺う。
「……上手くいったのか?」
「え、えぇ……もう邪教の力は残っていません」
自身の手を見つめながら、シルフィは歯切れの悪い返事をした。
「……やっぱり……神力が増して……?」
そうボソリと呟くと、シルフィはエルリットに視線を移す。
「……? 僕の顔に何かついてます?」
「いえ、なんでも……」
そう言ってシルフィは顔を逸らした。
なんだろう……ひょ、ひょっとして!?
僕はまさかと思い、ポーチから手鏡を取り出し自分の顔をまじまじと観察する。
「……違ったか」
ただの気のせいだった、ちくしょう。
ガックリして項垂れると、メイさんが顔を覗き込んできた。
「何が違ったんや?」
「いや、ついに髭が生えてきたのかと思って……」
どうにも僕はなかなか髭が生えてこない。
もみあげから顎へと繋がる髭とか憧れるんだけどね。
まぁ……この顔じゃ似合わないんだろうけど。
「……しょーもな、大体エルには似合わへんやろ。それに下が生えとるだけマシや」
メイさんは簡単にデリケートゾーンな話をしてしまう。
そりゃ一応下は生えてるよ……薄目だけど。
でも下が生えてるだけマシってどういう感性……
「あそっか、メイさん生えてな――」
「――あ?」
メイさんに睨まれてしまった。
そっちがそういう方向に持って行ったんじゃん。
……ていうか一応気にしてたんだね。
結界を解除しその先へ足を進めると、多数の視線がこちらへ集まり始めた。
「すごい……見られていますね」
と言いつつも、シルフィはとくに武器を構えたりはしない。
警戒する必要がない相手だとわかったからだろう。
なぜなら視線を送っている者たちの正体は――――
「妖精がこんなに……」
木々の枝や葉から顔を覗かせこちらを見ているのは、過去に一度だけ見たことのある妖精たちだった。
それもかなりの数で、気が付けば囲まれてしまっていた。
その光景は幻想的で、神秘的……まるで絵画の世界のようだ。
だがそれは長くは続かず、妖精たちが散開すると一人の女性が姿を現した。
耳が尖っていて、エルフを彷彿とさせる。
「精霊女王がお待ちです、こちらへどうぞ」
女性が発した言葉はただそれだけだった。
名乗ってすらくれなかったが、こちらも名乗ってないからそれはいい。
しかしなんでまた急に精霊……? 女王?
「いきなりだな……どうする?」
リズは困った顔で僕に判断を委ねた。
いきなりお待ちですって言われても困るよねそりゃ。
「妖精どころか精霊かいな、しかも女王て……」
メイさんも絶賛困惑中。
「妖精は見たことありますけど……精霊は初めて見ました。もしかしてここが精霊の国なのでしょうか」
シルフィはチラチラと先ほどの女性を見ていた。
ここで引き返すにはあまりにも予想外の出来事だ、大人しく案内されよう。
「まぁお待ちになってるのなら……いきましょうか」
僕らは、淡々と案内する女性の後ろをついていくことにした。
精霊……それは妖精の上位種と聞く。
人工的なものなら僕の中にもいるんですよ、とは今は言わないでおこう。
「……あの結界は精霊を閉じ込めていたんでしょうか」
もしそうなら、精霊は邪教にとって都合の悪い存在ということになる。
「たしかに普通の妖精なら、あの結界を破るのは無理だとは思います。でも精霊……それも女王となると、あれぐらいどうということはないはずです」
……多分、とシルフィは自信なさげに付け足した。
などとこちらがこそこそ話してる間に、一際存在感のある大樹と、木漏れ日の差し込む広い空間に辿り着いた。
「…………」
ここまで案内した女性は、何も言わずに一礼をして姿を消す。
だが何も言わずともわかる。
大樹の根本に寄り添うように眠る、薄緑の長い髪の女性……きっとあれが精霊女王なのだろう。
『……人の子よ、よく参られましたね』
そよ風のような声が――――どこからともなく聞こえた。
皆の視線は眠る女性へと集まるが、もちろんその口元は動いていない。
(ま、まさか脳内に直接語り掛けて……?)
すると、眠る精霊女王の目がゆっくりと開く。
その瞳は、まるでこちらの全てを見透かしているように感じる。
髪の色と同じ薄緑の瞳はジッとこちらを見つめ、今度は直接口を開いた……。
「……余の腹話術、なかなかのものだろう?」