105 教会と邪教。
教会が秘術として語り継いで来た神降ろしの真実は、生命力を代償に強大な神力を得るものだった。
創造神をその身に降ろすのではなく、生命力を強引に神力に変換する行為。
しかしそれは純粋な神力ではなく、所詮は模した紛い物である。
――――だからこそ、そこには人の意思が介入する。
神と同等の力を人が……。
傲慢としか思えぬその発想は、道を誤るには十分だった。
女神像の力も、自在に扱えたなら――――
祈りによって女神像に至るご神体は、紛れもなく創造神の力が宿っている。
本来ならそこに人の神力が介入する余地などないはずだが、神降ろしの神力はそれを可能にした。
紛い物だが強大な神力は、女神像を器に人の意思を汲んだものへと変貌する――――
「――――そうして生まれたのが邪神像……ですか」
シルフィはそう口にしたものの、まだそれを受け止めるには至っていない。
懐からロザリオを取り出し、それを浮かない顔で眺めていた。
司祭ともなれば、それなりに装飾の施されたものが下賜される。
だがシルフィが手にしているのは、見習い時代から持っている素朴なロザリオだった。
司祭用は恥ずかしいから……というシンプルな理由ではあるが、不思議とこちらのほうが安心感があったのだ。
(……結論より情報を整理しよう)
シルフィは一つ一つ、自身と会話するように頭を整理していく。
でもそれは、頭を一瞬だけよぎった一つの結論から、目を背けているだけにすぎない。
もしこれが事実であったなら、教会と邪教は――――
「――ま、老い先短い年寄りの戯言かもしれんがね」
シルフィの考えを遮るように、アイギスはおどけて見せた。
それを見て、シルフィは肩の力が抜ける。
「なるほど、後は自分の目で確かめろ……そういうことですね?」
シルフィの答えにアイギスは軽く微笑んだ。
「上出来だ、教会も一枚岩じゃない。誰が敵で、誰が味方か……私もそれは把握できちゃいない」
そしてさらに、真剣な表情になると、耳元でボソリと小さく呟いた。
「ただ……王国の神官には気を付けるんだね」
「……はい」
シルフィは未だ事実を受け止められるほど頭の整理が出来ているわけではないが、その瞳から迷いは消えていた。
「お話は終わったようですね、それじゃあ僕も外を手伝いに――――」
「――まだ話は終わってないよ」
話が一区切りついたようなので、僕はそそくさとその場を去ろうとした。
しかしおそるべき速さで、アイギスさんに回り込まれてしまう。
「シルフィーユ、こいつは私の知らない神官ってわけじゃないだろ?」
「えぇアイギス様、この方は教会とは何の関係もありません」
なんてことない事実確認なのだろうが、二人の笑顔が非常に怖かった。
さらにアイギスさんは僕の右肩をそっと掴む。
「ほー、じゃあ神力とは何の縁もなさそうだ。なのに純粋な神力と紛い物の区別がつくのかい? 不思議だねぇ」
徐々に肩を掴む力が強くなっていく。
しかし笑顔が崩れることはなかった。
そして左肩を、シルフィさんがそっと掴む。
「そうなんですよねぇ。しかもこの方、何の代償もなく強大な神力を扱われるのですよ」
こちらも徐々に掴む力が強くなっていく。
だが笑顔は絶やさない。
ちくしょう、あっさり僕のこと喋りやがった。
「たしかに強大な神力だったねぇ。目がほとんど見えなかった時は、創造神様が舞い降りたのかと勘違いしちまったよ」
笑顔なのだが、アイギスさんの目は笑っていない。
おかしい、僕は命の恩人のはず……。
神力を戻してあげたわけじゃん?
上手いこと元の生命力に還元されて、結果OKだったわけじゃん?
これ以上何を望もうというのか。
「……エルさん、初めて神力を扱ったときのこと……もう少しくわしくお話できませんか?」
そう言ったシルフィさんの表情は、少し寂しそうに思えた。
……そうだよね。
ごまかすってことは、信用してないってことだもんね……。
僕は、初めて神力を扱ったとき……創造神に体を乗っ取られたときのことを、順を追って話すことにした。
さすがに転生云々は省く。
ただこれがないと、なぜそれが創造神とわかるのか、という疑問が残ってしまう。
なので、乗っ取られた体と強大な神力を上手い事結び付けて欲しいところだ……。
「――色々と不思議な点は多いけど、たしかにそりゃ本物の神降ろしだ。教会の秘術とはわけが違う、ナーサティヤ様でなければ不可能な話だよ」
と口では言ったものの、アイギスが最も疑問に感じたのは、なぜその後も同等の神力を扱えるのか、というところだ。
目の前の彼と創造神ナーサティヤ様の間に、何らかの繋がりが生まれた……?
しかしそれでは初めに見た眩い光の説明がつかない。
さすがに繋がりだけで神々しい存在と錯覚するだろうか。
他に可能性があるとしたら……
(……ナーサティヤ様の使徒?)
それも、直接神力を行使できる直属の……。
そこでアイギスは、ジッとエルリットの顔を眺めた。
「……う、嘘は言ってないですよ? 説明は下手かもしれませんが……なんかすいません」
責められたわけではないが、貫禄あるアイギスの視線に、なんとなくエルリットは謝ってしまった。
(……妙に腰が低い。本人に使徒の自覚がない、あるいは何らかの事情でそれが欠落している……?)
そこまで考えたところで、アイギスは一旦冷静になることにした。
「いや……これは飛躍しすぎだね」
だがこの強大な神力が味方であるのなら、まだナーサティヤ教にも救いはあるのかもしれない。
「……ん、そういえば、わざわざこんなところに何の目的で来たんだい?」
アイギスはここで一旦別の話題に切り替える。
まさか今の情勢で旅行なんてことはないだろう。
この質問に、シルフィとエルリットは顔を見合わせた。
「……私は、アイギス様には話しても大丈夫だと思います」
「わかりました、そういうことなら――――」
◇ ◇ ◇ ◇
エルラド公国、中央都市エルヴィン内のはずれにて、ルーンはミンファに飛行魔法を教えていた。
魔法に関しては天才的な才能を見せるミンファだったが、飛行魔法は体幹的なセンスも求められるため、今はまだふよふよと浮く程度に留まっている。
「……ん? 今の魔力反応は……」
ルーンは視線を北東へと向ける。
その方角は、帝国の鉱山都市ミスティアがある……順調にいっていれば、今頃性別詐欺な弟子が到着しているはずの場所だ。
そして先ほど感じた魔力反応は、弟子の魔力量をはるかに上回っている。
「んー……この魔力反応、知っているような知らないような……?」
なんとなく、ルーンはその魔力反応に懐かしいものを感じていた。
遠くの空を眺めるルーンに気づき、ミンファはふわりと地上へ降りる。
「ししょー、どったの?」
ミンファはエルリットを真似して、ルーンを師匠と呼んでいた。
その言葉の意味を理解して使っているかどうかは不明である。
「いや、なんでもない。それより飛行魔法はどう?」
本来なら、ミンファの歳で浮遊程度だとしても飛べるの自体が異常なことだ。
「うーん楽しいけど……エーちゃんみたいに上手に飛べない」
「あぁ、あいつはちょっとズルしてるから参考にしちゃだめよ」
実際エルリットは自分で飛行魔法を使っているわけではない。
人工精霊を介して使っているだけだ。
まぁ人工精霊とあっさり適合するのも異常といえば異常だが……。
「エーちゃんずるいの?」
「そうねぇ、ずるいというか、才能以外は色々とおかしいやつだから」
元々魔力量以外は非凡なところが多かった。
とはいえ、神力まで使いだしたのは何の冗談かと思ったぐらいだ。
「そっか……たしかにエーちゃん、いつもお菓子隠し持ってるもんね」
ふっ、とルーンは笑みを浮かべ、ミンファの頭を撫でた。