103 回帰。
「ふぅ、やっと足が抜けた」
めり込んだ壁から抜け出し、まずは炭鉱の外の様子を窺う。
そこにはもう、あの強大な魔力反応は感じられなかった。
「全身丸ごと覆うぐらいのレイバレットならと思ったけど、上手くいって良かった」
炭鉱に逃げ込んだところを無視されたら、失敗に終わっていただろう。
一先ず高い位置へと飛翔し、街の様子を確認する。
氷は今なお健在だが、煙の上がる煙突がチラホラと見え始めた。
僕が思っているより、ずっと逞しい街のようだ。
そこでふと上空に視線を向けると、ちょうど結界の境目部分に到達していた。
こんな状況だ、さすがにちょっと触って確認するぐらいいいだろう。
「……うん、やっぱりこれ、僕の使う神力とはちょっと違うよ」
神降ろしというぐらいだし、創造神の力のはずなのだが……。
違いがあるとすれば、神力に別の気配が混じっているような?
疑問に思いながら結界を眺めていると、ただでさえ薄く感じた結界の膜が、さらに弱々しく薄れていく。
「と、とりあえず結界を張りなおしたほうがいいかな?」
神力を解放し、結界に触れた手から放出する。
結界の張り方は……今ある結界に上書きする形でいいだろう。
そもそも一からやるのはやり方がわからない。
前もシルフィさんに合わせただけだったし……。
そう思い神力を流し込んでいく――――というか流しすぎたかもしれない。
元々結界に使われていた神力が、行き場を失い溢れ出てしまった。
こうして神力だけを分離してみると、その力からはアイギスさんの気配を強く感じ取れる。
(……戻したりできないのかな)
そう思い溢れた神力を教会のほうへ誘導する。
すると神力は砂塵となって、まるで吸い込まれるように消えて行った……。
◇ ◇ ◇ ◇
「ホントに、破滅は回避されてしまったノカ……?」
エマとシルフィは教会の外に出て、空を仰いでいた。
大きな魔力反応は消失し、今なお結界は健在である。
「そんなものを願ったところで、アイギス様は喜ばれませんよ」
「――そんなことわかってるサッ!」
膝を付き項垂れるエマの気持ちが、シルフィは痛いほどわかる。
わかるが……これはどうにもならないことだ。
この鉱山都市を守ったあの結界が、アイギス様の生き様なのだと自身を納得させるしかなかった……。
「……? 結界に厚みが――」
先にシルフィが結界の異変に気付く。
それまで薄い膜のようだった結界が、分厚いガラスのように変化したのだ。
エマはその光景に気づいていない。
というよりも、エマにはおそらく神力の結界は見えていないのだろう。
シルフィだけが、その異様な光景を目の当たりにしていた。
「こんなことができるのは創造……いや、エルさんがいましたね」
創造神様、と口にしようとしたところで、エルリットの顔が思い浮かんだ。
彼の不思議な神力なら可能……と言えるほど簡単な話ではないのだが、他に思い当たる節もなかった。
「しかし結界に異常はなかったようですし、わざわざ張りなおしたのは一体どういう……」
そこでシルフィは、さらに理解の及ばないものを見た。
神力の一部が、砂塵となって教会の中へと消えていったのだ。
「あれは一体……」
シルフィが不思議な光景に目を奪われていると、エマがおもむろに立ち上がる。
そして拳を強く握りしめた。
「こうなったらいっそのコト、私が直接この街を終わらせて――――」
もはや暴走ともとれる言葉だったが、それは横からの衝撃によって遮られることとなる。
「――この大馬鹿者がッ!」
エマの体は、螺旋のように宙を舞う。
だがそんなことよりも、シルフィはエマを殴り飛ばした張本人に驚きを隠せないでいた。
「アイギス……様?」
そこにいたのは、やつれて寝たきりだったアイギスではなく。
シルフィの良く知る、横暴で逞しいアイギスの姿があった。
その目の前に、気を失ったエマが墜落する。
「もう落ちてきたか、ちっと鈍っちまったかね」
◇ ◇ ◇ ◇
帝都カトルにある魔法研究部門の一室にて、マリオンは怒りに感情を支配されていた。
「――くそッ! なんなのよあの小娘!」
格下と思っていた相手に傷一つ与えられなかった。
それだけならまだしも、魔力で作った分体とはいえ一撃のもとに葬られたのだ。
「あの忌々しい魔女ならいざ知らず、あんな小娘に……キィーーーッ!」
部屋は荒れ果て、見るに堪えなかった。
無論マリオンの声は、部屋の外にまで響いていて……
「ここ最近で一番荒れてるな」
「昨日は転移魔法がついに成功したとかで機嫌良かったのにね」
「報告書上げるの明日にしようかな……」
同建物内にいる研究員たちは、マリオンの声に戦慄していた。
彼女の部下である研究員にとって、室長のマリオンは絶対に逆らってはならない存在なのだ。
だが――――中には例外もいる。
「ふっ、ここは任せろ。なだめたついでに俺の虜にしてやる」
そう言って、一人の研究員がマリオンの暴れる部屋の扉に手をかけた。
「おいおい……」
「死ぬわアイツ」
「ほう、熟女専ですか……たいしたものですね」
誰もその男を止めることはなかった。
いっそのこと、室長のストレス発散に一役買ってくれと思っているぐらいである。
男はそっと扉を開き、奇声の響き渡る部屋へと消えて行った……。
その後、マリオンの声が止み、静寂が訪れる。
「……静かになったぞ」
「上手くいった……てことはさすがにないよな?」
「多分親子ぐらいの歳の差だったと思うが……」
研究員たちは恐る恐る中の様子を伺おうとした――――その時だった。
爆発音と共に壁を突き破って先ほどの男が舞い戻って来た。
「お、おい! 大丈夫か!」
ホントに死んだのでは?
と、研究員たちは男に駆け寄った。
だが男は満足気な様子で……
「これだよこれ、この痛みだ……母さんを思い出すなぁ」
男は恍惚とした表情を浮かべていた。
これには皆ドン引きである。
「それ絶対虐待の記憶だよ……」
時を同じくして、その会話は帝都のとある屋敷にて行われていた。
「なんだ今の音は?」
「大方またマリオンのやつでしょう」
話す者は皆仮面をつけており、目元を隠していた。
だがその身なりから、貴族階級の集まりであることがわかる。
「またか……」
「それより、魔神様の行方は?」
「目下捜索中だ」
「まさか王国に……ということはないだろうな?」
各々が好き勝手に会話を進める中、それまで沈黙していた女性が静かに口を開いた。
「……呑気なものだ。交易都市を公国に奪われ、鉱山都市は今なお手中に収められない。所詮は階級に胡坐をかいた愚鈍ばかりか」
がっかりだ……っと付けたし、ため息をついた。
当然それには激昂する者もいて……
「なんだと! 言わせておけば好き放題言いおって!」
「そうだな、さすがに口がすぎるぞ。我々とてこれから手は打つつもりなのだ」
二人はまるで対等な立場であるかのように抗議する。
だがそれは大きな間違いだった――
「――去ね」
女性がそう静かに口にすると、室内に鮮血が飛び散った。
そこには、首から上の無い肉塊が二つ出来上がる。
「楔に気づいてすらいないとは……まぁ、見せしめにはちょうど良いか」
室内に残る仮面の貴族たちは、皆沈黙する。
そんな中、上座に座る一人の男が口を開いた。
「あまり数を減らしてくれるな、彼らも建前上は必要な存在なのだ」
その男は他の者と違い、どこか余裕を感じさせる。
女性もまた、彼に対する態度は他とはどこか違っていた。
「そうね……残った者が利口であることを切に願うわ」
女性はそう言って笑みを浮かべる。
口元しか見えないが、他の貴族はその表情にゾッと寒気を覚えた。
その後の会議はつつがなく終わり、室内には先ほどの女と、それを諫めた男だけが残った。
「魔神ダスラの行方はホントにわからないの?」
「あぁ、困ったことにな」
すでに仮面をはずし、素顔で会話を続ける。
二人にとっては、それが当たり前であるかのように。
「ふーん……そう言えば聞いた? 交易都市に公国の第2公女様が現れたって噂」
女は血生臭いワイングラスを片手に、男にとりとめのない話を振った。
「交易都市か……たしかお前の飼い犬がいたと思うが?」
「あれは勝手に自滅しちゃったみたい。まぁあまり期待もしてなかったけど」
そう言うと、女はグラスにそっと口をつけた。
「……やっぱりおっさんの血はまずいわ」