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翌日。
駅で待っていた私の前に現れた椿ちゃんは、白いワンピースに麦わら帽子という絵に描いたようなお嬢さまスタイルだった。
「わあっ、可愛い!」
思わず声を上げた私から、頬を赤くして顔を逸らす。
「ちょっと散歩に行くだけだって言うのに、どこで誰に会うかわからないからちゃんとした格好をしないとってお母さまが……」
不満そうに口を尖らせている表情さえ可愛いと、本人に言ったら嫌がられそうだが、事実なのだから仕方がない。
「よく似あってるよ」
軽く背中を押して歩き始める私に、やっぱり椿ちゃんはしかめ面をした。
「どうせ着るなら和奏みたいな服がいい」
「そう?」
なんでもないブラウスに膝丈のスカートという私の格好は、あのお屋敷のお嬢さまとしてはやはり不釣り合いなのではないかと思う。
「椿ちゃんにはその服がいいと思うけどな……」
「えーっ」
正直に伝えると、不満そうな声を上げられた。
ぶつぶつとまだ何か言いながら、椿ちゃんは駅員さんのいる窓口で切符を二枚買い、一枚を私に渡す。
「え、お金自分で出すよ?」
焦る私に、いいからいいからと強引に切符を握らせてしまった。
「私のわがままにつきあってもらうんだもの、ここは出させてよ」
「わかった。じゃあ帰りは私が払うね」
「それじゃ意味ないじゃない!」
今日もくるくるとよく表情の変わる椿ちゃんと一緒に、二番目のホームで電車を待っていると、線路の向こうからもくもくと白い煙が見え始めた。
「え……?」
まさかどこかで火事でもと焦ったが、私以外は誰も動揺していない。
それどころか椅子に座っていた人も立ち上がり、みんな電車に乗るための整列を始める。
「和奏、なにやってるの? ほら並ぶわよ」
椿ちゃんに促されるまま列に並んだが、その間にも、遠くに見える煙がどんどん大きなる。
「ねえ椿ちゃん……あの煙って……」
私が問いかけようとした時、煙の中から大きな黒い列車の車体が現われた。
「なっ……!」
息を呑む私の前にそれはどんどん迫り、シューッと上気音を響かせてホームに停まった。
中から人が下りてくるのと入れ替わりに、ホームで電車の到着を待っていたはずの人たちが次々と乗りこむ。
「和奏、早く!」
乗降口に足をかけた椿ちゃんのあとを、私も慌てて追ったが、頭の中は疑問符だらけだった。
(蒸気機関車……だよね? これに乗るの? 確か町に初めて来た時は、普通の電車だったような……)
髪振町にあるたった一つの駅である『髪振駅』は、規模は小さいが二つの路線が通っている。
有名デザイナーが内装を手がけた観光列車も乗り入れていることを思い出し、私は納得した。
(ああ、そうか! 観光客のために特別に走らせてるんだ。確かに景色はいいものね。ノスタルジックな気分に浸れそう……)
だったら私も、椿ちゃんのように時代に囚われない格好をしてくればよかったという思いが、ちらりと脳裏を掠めた。
(そういう服を持っているわけじゃないけど……)
列車に乗りこみ、椿ちゃんと向きあって座る形で、椅子に掛けた。
ぼーっと大きな汽笛を響かせて、列車がゆっくりと動き始める。
始めは蒸気で窓からの景色もよく見えなかったが、スピードが上がるとのどかな田園風景が広がり始めた。
(うん。確かに『旅』って感じだね……)
窓の透明度が高くないせいで、ぼんやりと見える風景も味のあるものだったが、いくつかのトンネルを抜けると、椿ちゃんがその窓を持ち上げて全開にしてしまう。
「もう開けても大丈夫よ。そのほうが、外がよく見えるし、風が気持ちいいでしょ?」
強すぎるほどの風で吹き飛ばされそうになる帽子を、笑いながら押さえている椿ちゃんは、とても嬉しそうだ。
私も髪を大きくなびかせながら、笑顔になった。
「ほんとにそうだね!」
列車の音に負けないように大きな声で、昨夜家に帰ってから家族にどういう言い訳をしたのだとか、今日はどう言って家を出てきたのかだとか、笑いながら話している間は、椿ちゃんは普通だった。
しかし列車が山にさしかかったあたりから、頭痛がすると言い始めた。
「頭が痛い……」
「え……大丈夫?」
前屈みになって両手で頭を押さえる椿ちゃんに、不安が大きくなる。
少し様子をみても、よくなるどころかひどくなる一方なので、私たちはいったん列車を降りることにした。
「ごめんね、和奏」
「いいんだよ。少し休んでよくなるといいけど……」
椿ちゃんを支えながら降り立ったのは、山の中の小さな駅だった。
ホームは私たちが降りた一つしかなく、改札に駅員の姿も見えない。
「ここ、無人駅だったかも……」
「そっか……」
待合室もないので、駅舎の前に置かれた木製のベンチに椿ちゃんを座らせ、私は自動販売機で飲みものを買おうとした。
(水分摂ったほうがいいよね……)
しかし駅にはない。
仕方なく、少し出てみることにした。
「何か飲みもの買ってくる。辛かったら横になっててね」
弱々しく頷く椿ちゃんの様子に不安を大きくしながら、駅の前の通りへ出てみた。
町中ではなく山の中の駅なので、人通りもなく、建物もない。
緩い勾配になっているその道を、登ろうか下ろうか迷った末、下ることにする。
(人が住んでるところへ出たら、コンビニ……とは言わないけど、さすがに商店ぐらいはあるんじゃないかな……)
かすかな希望を抱いて下り始めたのだったが、少し行ったところで、畑の中で作業をしている人影が見えた。
「こんにちは」
都会に住んでいる時は、ご近所の人にぐらいしか挨拶の声をかけることはしなかったが、ここでは誰にでも自分から積極的にしたほうがいいと、ハナちゃんが教えてくれた。
『悪い人なんぞおらんから、誰とでも顔見知りになっとったほうがええ。困った時、きっと助けてくれるから』
ハナちゃんと同じくらいの年齢のお婆さんは、私の声にふり返り、ぺこりと頭を下げてくれた。
「はい、こんにちは」
私はほっとして、畑に歩み寄る。
「近くに自動販売機はありませんか? 列車に乗ってたんだけど、友だちが、頭が痛くなっちゃって……」
「自動販売機……?」
ゆっくりと首を傾げるお婆さんの仕草から、どうやらないようだと私は判断した。
「何か冷たい飲みものが売ってそうなお店でも……」
その問いかけにはすぐに、首を横に振る仕草で答えられる。
「近くにはないねえ」
「そうですか……」
ならばやはり、坂の下にあると思われる集落までこの道を下るしかないかと、坂道を見下ろす私を、お婆さんが手招きする。
「サイダーでよけりゃ持ってきちょるけえ、こっちおいで」
「え……いいんですか?」
農作業の途中の休憩で飲もうと持参したのだろうに、申し訳ないという思いが一瞬頭を過ぎったが、椿ちゃんの辛そうな様子を思い出し、私はお婆さんの好意に甘えることにした。
「すみません……ありがとうございます」
「いいよ、いいよ」
畑の奥のほうは山の岩肌に面しており、小さな川が流れていた。
そこに浸けて冷やしてあるらしい網の中から、お婆さんは瓶を取り出す。
(わあっ……)
缶ではなく瓶入りのジュースに、私は少し感動を覚えた。
お婆さんは腰から下げていた金具で、器用に瓶の蓋を開けると、私に手渡してくれる。
「早く持っていっちゃれ」
「ありがとうございます!」
私はジュース分のお金を払おうとしたが、いらないと何度も断られるので、代わりに丁寧に頭を下げて帰ることにした。
「本当にありがとうございます! 助かります!」
『年寄りは、若い人に喜んでもらえたら、それだけで嬉しいけえ』
というのも、ハナちゃんの言葉だ。
『助けてもらって嬉しかったら、自分も誰かが困っている時に助ける。相手は他の誰かでいい。そうして助け合いになる』
都会では縁を持つことのなかった『恩返し』の輪の中に、自分も組みこまれたことを実感して、使命感のようなものと同時に、照れくさい嬉しさがこみ上げた。
駅に帰ると、椿ちゃんはベンチに横になり、顏の上に麦わら帽子を乗せていた。
「お待たせ!」
私が駆け寄ると、ゆっくりと体を起こし、ベンチに座り直す。
「ごめんね、和奏」
まだあまりよくない顔色を見て、自分のことのように苦しく感じながら、私はお婆さんからもらったサイダーの瓶を、椿ちゃんに手渡した。
「近くの畑にいたお婆さんからもらったの……飲めるかな?」
「うん……」
椿ちゃんは細い首が折れてしまいそうにこっくりと頷いて、両手でサイダーの瓶を持ち、飲み口に口をつける。
こくこくと飲む横顔が、まるで絵画のように綺麗だなどと私が考えているうちに、あっという間に一瓶飲み終わり、見るからに顔色がよくなった。
「ありがとう和奏。だいぶ楽になった」
私はほっとして、椿ちゃんの隣に腰を下ろす。
「よかった……」
椿ちゃんは恥ずかしそうに、首を傾げる。
「急に頭が割れそうに痛くなってびっくりした……乗り物酔いなのかな? これまでなったことないんだけど……」
「一応、病院へ行ったほうがいいんじゃない?」
「うん。家に帰ったら、お抱えの町村先生に来てもらう」
(お抱え医師……)
椿ちゃんは本当に『お嬢さま』なのだということを再確認しながら、私は彼女の手の中にある瓶へ目を向ける。
「瓶入りのサイダーなんて珍しいね」
「え? ……そう?」
椿ちゃんは私の発言のほうが珍しいと言わんばかりに、瞳を見開く。
「どこの家にもあるわよ? ケースで買うもの。畑仕事なんかの休憩に飲むために持っていって、冷やしとくの」
「そうなんだ……それをくれたお婆さんも、川に浸けてた網の中から出してくれたよ」
「そうそう、採れたての胡瓜とか西瓜なんかもそうして冷やしておいて、休憩に食べたりするから」
「そうか……」
このあたりではごく普通の習慣なのだと、私は納得した。
「今度またお礼に来なくちゃ……」
手の中で瓶をもてあそぶ雅ちゃんに、私は問いかける。
「どうする? 次に来る列車に乗って、隣街へ行く?」
椿ちゃんは少し寂しそうに笑った。
「今日はもういいかな……せっかくつきあってくれたのに、ごめんね和奏」
私は慌てて首を振った。
「気にしなくていいよ! 私はいつでも暇だし……またいつでも誘ってよ。一緒に隣街へ行こう!」
「うん。ありがとう」
椿ちゃんが微笑んだ時、私たちが本来行くはずだった方角からぼーっという汽笛が聞こえた。
「あ、帰りの方向の列車が来るみたい……あれに乗ろう」
「うん」
ベンチから立ち上がり、椿ちゃんに肩を貸してゆっくりと駅舎へ入った。
切符を売る場所がなく、自動改札もなく、どうしたらいいのかと迷う私を、椿ちゃんが笑って促す。
「乗ってから車掌さんに言えばいいのよ」
「そうか……」
都会で使っていたICカードは持ってきたが、今日はまったく出番がなさそうなことに地域性を感じながら、椿ちゃんと二人きりのホームで列車の到着を待った。