6.初デート?
何やかんやで、この家に来て7日目となった。今日は土曜日、ここで迎える初めての休日だ。
今のところ同居人との関係は可もなく不可もなくといったところだ。皆私の事を概ね好意的に受け入れてくれたらしい。
家事は未だに日吉君の担当だ。ただ、私の衣類の洗濯と部屋の掃除だけは彼に任せる訳にはいかなかった。
彼はそれを了承したが、どこか不満顔だった。自分がこの家の全ての家事をこなしていないと納得出来ないらしい。恐ろしい家事モンスターだ。
話を今日に戻そう。お昼前の現在、私と斉藤先生以外の3人は外に出掛けている。
勝浦さんは今日も出勤だ。彼の勤めている工場はシフトが不規則で、土日が休日になるとは限らないらしい。
一ノ瀬さんは数ある女のうちのひとりとデート。先生が「また北千住の団地妻?」と訊くと、「違う。新小岩の普通の女」と返していた。
日吉君は“コミットアーケード”とかいうサブカル系のイベントに行った。それは同人誌を売買するイベントで、彼はそこへ出店する側なのだとか。
何でも、ネットで出会った仲間とチームを組み、制作から出店準備までを行ったらしい。彼にそんな協調性がある事に私は驚いた。
兎も角、彼はその為に朝早くから出掛けていき、朝ご飯は作り置きの物が用意されていた。
それを食べてお腹を満たした私は、運動がてらレイちゃんとお散歩に行った。
レイちゃんというのは、日吉君がペットショップで買ってきたマルチーズという種類の犬だ。小さくて毛並が白く、愛くるしい目をしている。
今日は日吉君が一日家を空けるので、代わりに私がレイちゃんの世話を任された。最初は面倒だと思ったが、想像よりも手が掛からないし、何より可愛らしい。
散歩から戻った私は、洗濯物を干したり掃除機をかけたりしたのち、特にする事も無いので自室で小説を読んでいた。
『おーい、跡部さん。起きてるー?』
ドアの向こうから、間の抜けた声が私に呼び掛けた。
「起きてるわよ。さっきまでそっちにいたじゃない」
苛立ちながら怒鳴る。
『静かだからお昼寝しちゃったのかなと思ってさー』
「ひとりでどう騒げっていうのよ」
『別に騒げとは言ってないよ。ねぇ、開けていい?』
「嫌」
『えー何でぇ?』
「……どうぞ」
ドアが開き、パジャマ姿の斉藤先生が現れた。
「こっち来て一緒にコーヒーでも飲まない?」
「あなたに“コーヒーでも”なんて言われるの、もうこりごりだわ」
「そんな事言わないでよ。折角共同生活してるんだし、同じ空間にいる事をもっと楽しまない?」
「相手があなたじゃなければ楽しむ努力もしてたかもね」
「跡部さん、いくら何でも酷いよ……」
彼はがっくりと肩を落とした。
本当にめんどくさい人。私にとっては犬よりもこっちの方が遥かに目障りだ。
「はいはい。コーヒーでも飲みましょうか」
私は本を閉じ、のろのろと立ち上がった。
「やった! 嬉しいなぁ」
先生は白々しくガッツポーズした。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
先生が淹れてくれたコーヒーのカップを受け取り、軽く息を吹き掛けてから口に運ぶ。
「美味しいでしょ」
「まずまずってとこね」
私の膝の上に座り込んでいるレイちゃんを撫でながら、そう答えた。
「先生、寝癖ついてるわよ」
「ああ、そう? 僕癖っ毛なんだよね。まぁいいや、何たって今日は休日だからね!」
「初めて会った時からずっと同じ所についてる気がするけど」
「え、ほんと? じゃあもっと早く言ってよぉ」
先生は手櫛で髪を整えた。今まで鏡を見ずに生きてきたのだろうか。
「それは失礼。どうせ中身がこれだから、見た目だけちゃんとしてもしょうがないと思って」
「これって何だよ! ほんっと酷い人だね、跡部さんは」
こういうやり取りをあと何度繰り返すのだろう。すっかりお馴染みとなった勝浦さんと先生の小競り合いを回想しながら、憂鬱な気分になる。
「あーあ、傷付けられたからしばらく喋りたくないなー。テレビでも観よっかなー」
「勝手にどうぞ」
「……はーい」
テレビはワイドショーを映し出した。よく分からないタレントだか芸人だかが数人出ている、しょうもないやつだ。
私は視線をレイちゃんの方に移した。彼女はもぞもぞと体を動かしている。抱きかかえて床に下ろしてやると、その辺をとことこ歩き始めた。
やはりペットがいると心が安らぐ。思わず目を細めた。
しかしその穏やかな感情は、先生の快活な笑い声によって途切れた。
そんなに面白い特集でもやっているのかと思えば、テレビによく出ている何たら夫人とかいうのが人の悪口を言っているだけだった。
一体先生は、純粋なんだかひねくれてるんだか。どちらにせよ変な人だ。
「先生。もう部屋に戻っていいかしら」
「え、あ、ちょっと待って! 何かお話しよう、お話」
「何について?」
「えっと……そうそう。ゴローがさ、随分君に懐いてるじゃない」
「え。そう?」
確かに、少しずつではあるが心を開いてくれている感じはする。だが、懐いているという程ではないだろう。
「うん。まだ数日しか経ってないのに、僕より君を頼りにしてるでしょ。レイちゃんの世話だって君に任せたし」
「それは、先生が犬好きじゃないの知ってるからじゃない?」
「うーん、でも……」
「ま、先生が全然信用されてないだけなのかもね」
「そんな事な……いや、そうかも」
「認めちゃうの、そこ」
「だって、ヨシゾウさんやモッチーには心開いてるし……」
先生は次第に落ち込んできたのか、頭を垂れた。流石に可哀想に思ってしまう。
「あまり子供扱いしない方が良いのかもね、もう大きいし。対等に接して、仲良くなりたいって気持ちをさりげなくアピールすれば良いんじゃないの。私はそうしたけど」
彼は恨めしげな目で私を見つめる。
「じゃあ……僕とも、仲良くしてくれる?」
「はい?」
「ゴローとは仲良くしようと自分からはたらきかけたんでしょ? それを僕にもしてよ」
「それも精神療養の一環?」
「いや……個人的なお願いだけど」
先生は何かを思い出した様に、机の上に置かれた2枚の紙切れを手に取った。
「これ、友達に貰ったんだ。ロックバンドのライブチケット。今日の分なんだけど、用事が出来て行けなくなっちゃったんだって」
「へー」
「誰か誘おうかなぁと思ってたんだけど、周りにロック好きな人なんていなくてさ。だから、よかったら一緒に」
「嫌」
「……早いよ」
ぼやきつつも、彼はまだ食い下がるつもりらしかった。
「他にする事でもあるの?」
「レイちゃんのお世話」
「餌やりくらいでしょ? それならライブから帰ったあとでも充分出来るよ。これお昼過ぎから1時間ちょいしか掛かんないもん」
「でも行き帰りが面倒でしょ」
「電車と徒歩の時間合わせて20分くらいだけど」
「……でも、レイちゃんから目を離さないでって日吉君に言われてるわ」
「跡部さん、さっき自分の部屋にいたじゃない。レイちゃんはずっとここにいるけど。君の目って取り外し式なの?」
「…………」
「この子、手が掛からない子らしいから大丈夫だよ。ゴローは心配しすぎなんだ。さ、気分転換にライブに行こうよ。その前にどっかでランチ食べてもいいよ」
「じゃあ駅前のうなぎ料理の店でもいい? 奢ってくれる?」
私はすぐさま食い付いた。少し上目遣いに彼を見る。
「ああ、あそこ僕も気になってたよ。大丈夫、そんなに睨まなくてもお金は出すから」
「ありがとう。じゃ、行くわ」
睨んだつもり無いけど。
「よしっ! ねぇ、何だかんだで君と僕って良いコンビじゃない?」
「じゃ、着替えてくるわ」
私は机を軽く叩き、尻尾を振るレイちゃんを横目で見ながら自室に戻った。
何がロックだ。
最後の曲が終わった時、私は心の中でそう毒づいた。
会場がまぁまぁな広さのあるホールで、席もほぼ埋まっていたせいで期待しすぎてしまった。
私は音楽知識なんてほとんど持ち合わせていない。それでも、彼らの曲が有名な洋楽をなぞったものばかりなのははっきりと分かった。
やっぱり来るべきじゃなかったか。でも人の金でうな丼を食べられたのだから、トータルで見れば得したのかも知れない。
幕が下り、仰々しい拍手と歓声が止んだのち、私は隣にいる斉藤先生と顔を見合わせた。
「いやー、かっこよかったね! 痺れたよ」
先生はエアギターをしながら頭をぶんぶん振ってみせた。
「かっこいいって何が。あの人達のルックス?」
「そんなの興味無いよ。曲だよ曲! 特にあのギターがかっこよかったなぁ、僕もやってみたい!」
彼は目を爛々と光らせている。冗談でも皮肉でもなさそうだ。私とこの人とはつくづく馬が合わない。
「そう、良かったわね。それじゃ帰りましょうか」
私はバッグを手に立ち上がった。振り返ると、観客達は既にぞろぞろと出口へ向かっていた。8割がた女だった。
皆、顔が目当てで音楽性なんてどうでもいいのだろう。白けた気持ちで彼女らを眺めた。
――しかし私は、ひとりの女性の顔を認めて目を見開いた。
この溌剌と光る白い肌。威圧感すら感じる、大きな目と口は。
間違いなく、後輩の佐野美咲だった。
「跡部さん、どうしたの?」
先生の声で我に返る。
「いや、あそこに……」
私は思わず指を差してしまった。先生はあの子の事なんて知らないのに。
「え? あれっ、モッチーだ!」
モッチー? 私は佐野さんと立ち話をしている男性に目をやった。
「……嘘でしょ?」
一ノ瀬さんと佐野さんが、一緒にここへ来てる。という事は。
「じゃあ、あの人が新小岩の普通の女かぁ」
嘘吐け。どこが普通の女だ。
彼女は淡いピンクのトレーナーに白いミニスカート姿で、その下にストッキングを穿いていた。大学生みたいなファッションだが、まだ若いのでよく似合っている。
普段は束ねている髪は下ろされていて、彼女が笑うと肩の辺りでさらさら揺れた。
……見た目だけなら普通か。いや、隣に男前がいるせいかモデル並みに華やかに見える。
彼らはしばらく言葉を交わすと、連れ立ってホールの外へ出ていった。
「綺麗な人だったなぁ。お似合いなんじゃない、あのふたり」
先生は感心する様にそう言った。
私は急に自分が恥ずかしくなった。暖かさを優先した地味な服を着て、間抜けな男を連れている自分が。
「帰ったら事情聴取ね」
足早にその場を去る。先生が慌ててついてくるのが足音で分かった。




