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4.キッチンに立つ男

 珍しく定時までに仕事を終えた私は、寄り道もせずまっすぐファミリアへと帰宅した。不用意に外をうろついて、夫に見つかりたくなかったのだ。

「ただいまー」

 昨夜貰った合鍵を使ってドアを開け、中に向かって声を掛ける。返事は無い。

 誰もいないのか、と安堵し掛けたその時。

「おかえり」

 奥の部屋からドアを開ける音と共に低い声がして、私の心臓は縮み上がった。

「あ、日吉君……いたんだ」

「ニートなのだからほとんどの時間は家にいると思ってくれていい」

「ああ、そうよね。うん」

 日吉君は黒いウィンドブレーカーを着込み、肩から買い物袋の様な物を提げていた。

「今からお買い物なの?」

「ああ。夕食の買い出しだ」

「それなら私が行こうか? 今日は仕事も早く終わっちゃって、体力有り余ってるから」

「断る」

 私の顔色を全く気にしないきっぱりとした口調に、今朝の出来事がありありと蘇る。

「……日吉君。たまには人を頼ったらどう?」

「充分頼っている。誰かに依存していなければニートではいられないからな」

 より一層鋭い目つきをしながら、彼は更にこう言った。

「信用出来ない人間には頼れないというだけだ」

 私はそれ以上、言葉が出てこなかった。

「いってきます」

「……あ、いってらっしゃい」

 そんな私の姿を気に掛ける風も無く、日吉君は去っていく。

 閉まるドアを見つめ、ここに来てから何度目か分からないため息を吐いた。

 彼にとって私は、信用出来ない人間らしい。しかし逆にいえば、他の同居人の事は信用しているのだろう。なら、それでいいのかも知れない。

 そうして前向きに捉えてはみたものの、やっぱり空虚な寂しさは消えなかった。




『ただいま』

 律儀な挨拶の声に、私は手にしていた本を傍らに置いて立ち上がった。

「おかえりなさい」

 自分の部屋のドアを開け、玄関に立っている日吉君へ微笑みを浮かべながらそう言った。

 彼は小さな瞳で私を2.5秒見つめると、何の反応もせず靴を脱ぎ始めた。

 そしてのっそりした動作でキッチン台の前に立ち、買い物袋をそっとカウンターに置いた。

 彼は袋から次々と食材を取り出していく。じゃがいも、ニンジン、玉ねぎ、鶏モモ肉――

「今夜はシチュー?」

 努めて明るく朗らかに、私はそう尋ねた。確信に近い予想だ。若い子が作ろうとする料理の種類なんてたかが知れている。

「ボルシチだ」

「あ、そう」

 ……何だっけ、ボルシチって。ロシア料理?

「作り方知ってるの?」

「知っているから作るんだ」

「誰に教えてもらったの?」

「そんな昔の事は覚えていない。親かネットか、どちらかだろう」

「へー。わざわざネットで調べて作るなんて、本当に料理が好きなのね」

「好きでなければ毎日炊事場には立たない。僕はそういう人間だ」

 彼はそう言った直後、不意に動きを止めた。目線は斜め上に向けられている。

 どうやら何かを考えている様だった。しかしその内容は口に出さず、ひたすら沈黙が続く。

 私が脳内で問い掛けの言葉をひとつに絞ったその時、彼はやっと私に目をやった。

「……キャベツを買うのを忘れていた。よければ、買ってきてほしい」

 それは相変わらずぶっきらぼうな口調だった。でも、ほんの少しだけ彼が私に歩み寄ってくれた気がした。

「分かった。急いで買ってくる」

 私が笑顔で答えると、彼は僅かに頭を縦に振った。そして気まずそうに寝室へ戻っていった。




「じゃあ、結構ここの人達とは仲良くやっていけてるんだ」

 2つのまな板を並べ、それぞれ別の野菜を切りながら私達は会話していた。

 私がキャベツを買って帰ったあと、どうせなら料理も手伝ってくれと日吉君の方から頼んできたのだ。

「そうだ。共通点なんて片手で数える程しか無いが、何故か馬が合うし心地が良い」

「ほんと、不思議だわ。変な大人達の中にひとりだけ十代の子がいて、それでも衝突が無いなんて」

「変な大人達だったからこそ、馴染めたのかも知れない。今まで同年代の奴らと話していて面白いなんて思った事はほとんど無い。ましてや親となんて会話したくもなかった」

 日吉君は手元の玉ねぎから目を離さずにそう言った。

「でも、親御さんに料理教えてもらってたんでしょ?」

「ああ。母親は家事でも何でも器用にこなせる人間だった。性格は悪人そのものだったが」

「うちのお母さんと似てる。あの人も料理の腕は抜群だけど、ヒステリックで嫌なお母さんだった」

「……それで、実家に戻らずここへ来たのか」

 珍しく、少し気を遣ってくれている様なトーンだった。

「ええ。結婚した時にはもう絶縁状態だったの。多分、親戚か誰かのお葬式以外で会う事なんて二度と無いわね」

「僕もそうなるだろう」

「まだ17歳なのにそんな事言っちゃう?」

「跡部さんだって、まだ25だ」

 私はくすりと笑った。まだ(・・)25か。確かにそうだが、年下の子に言われると変な気分だ。

「ありがとう。そろそろお肌も曲がり角だけどね。話は変わるけど、日吉君ってアニメが好きなの?」

「ああ。昨日、そういうグッズを隣の部屋に運んでいた事から分かる通りだ」

「凄い量だったわね。そんなにハマる様なアニメって、どんなやつなのかしら」

 日吉君は少し顔をしかめた。

「話しても一般人には分からんだろう。距離を縮めるにはまず相手の趣味からと計画して話題を振っていただいたところ悪いが」

「……まぁ、そうだけど」

 そんな意地悪な言い方しなくてもいいのに。これも、まだ信用されていないという証か。

「平たくいえば、SFものだ。ああいうものは綿密に世界観を練っていかなければならない。作家のオリジナリティーが試される。だからこそ面白い」

「へー、SFもののアニメねぇ。ガンダムとか?」

「ガンダムか。あれも昔からよく観ているが、他にもメジャーどころでいうと――」

 その時、勢いよく玄関ドアが開いて「たっだいまー!」という叫び声が聞こえた。斉藤先生だった。

「うーさぶかったー! 我が家はあったかいねぇ。ストーブ買い換えといて良かったよ、ほんと」

「先生、頭だけじゃなくて体までおかしいんじゃないの。今日は外も暖かい方じゃない」

「え? そんな事無いでしょ、普通に寒かったよ? あと頭おかしくないよ僕」

「マッチが最近気に入っているそのダッフルコートが原因だろう。生地が薄すぎる」

「ああ、これかぁ。これ好きなんだよねぇ」

 先生はコートを脱ぎ、しげしげと眺めた。ベージュの可愛らしいそれは、昨夜彼が着ていたのと同じ物だ。

「そんな子供っぽい服を好んで着るなんて、やっぱり頭おかしいじゃない」

「酷いよ跡部さん! ここに来てから当たり強すぎるって!」

「あなたが悪いんでしょ、このヤブ医者」

「何おう!?」

 私達の口喧嘩を尻目に、日吉君は鍋に野菜を投入していたのだった。

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