3.奇妙な同居人と奇妙な同僚
朝目覚めると、知らない部屋にいた。
ぼんやりした頭で、とりあえず眼鏡を掛けようと思いつく。手探りで枕元に置かれていた眼鏡を掴んだ時、昨日の出来事を思い出した。
自分を取り巻く異常な現実に頭を痛めながらも、殺風景な部屋を見渡した。
この部屋は元々日吉君のものだったそうで、彼が趣味で集めたサブカルグッズが山ほど置かれていたんだとか。だが、昨夜の会議でここは私の部屋となった。
ここファミリア202号室は2LDKで、もうひとつの部屋は日吉君以外の3人の寝室になっている。空き部屋は無い。
そこで彼は渋々、部屋にあった物全てを他3人の寝室に移し、そこで寝る事を承諾した。おかげで寝室がますます狭くなったと勝浦さんが愚痴を零していた。
それにしても変な人達だ、と改めて振り返る。
日吉君は十代特有のフレッシュ感が無い謎のオタクだし、勝浦さんは無神経なのか鋭いのかよく分からないおっさん、一ノ瀬さんはクールな女たらし。
極めつきは空気の読めないアホの精神科医だ。こんな人達と生活する事に対し、前向きになれる方がどうかしている。
でも、他に選択肢が無いのだから仕方ない。寝泊りする場所を提供してもらっただけでもありがたいと思おう。
さぁ、今日は月曜日だ。とりあえず起きて支度を整えて、朝食を用意して――
……そういえば、ご飯は日吉君が作ってくれるんだっけ。
『いただきます』と声を揃えて合掌する4人の姿に、意外とお行儀の良い人達なんだと少し見直す。
私は目の前に並べられた朝食を眺めた。白飯に鮭の塩焼き、卵焼き、ほうれん草のお浸し、野菜たっぷりの味噌汁。
17歳の男の子がひとりで作ったとは思えない、きちんとした和の朝ご飯だった。
鮭を一口サイズに区切り、口に入れる。すかさず白飯を頬張る。ご飯と共に食べる事に適した、適度な塩加減だ。
続いて卵焼きを食べた。意外にも甘めの味付けで、ふわりと柔らかい。昔、母がお弁当に必ず入れてくれたそれによく似ていて、思わず涙が出そうになった。
美味しい。この家に来て初めて、幸せな気持ちになれた。
「美味そうに食ってんなぁ」
勝浦さんの一言で現実に引き戻される。彼は凄まじいスピードで飯をかき込みながら、嘲笑する様な表情で私を見ていた。
「だって、本当に美味しいんですから。悪いですか?」
「悪かねぇよ。俺達は毎日こいつの飯食って慣れてるもんでさ。そういう反応が新鮮だったから」
「幸せな人達ですね。本当に家の事は全部、日吉君に任せてるんですか?」
「ああ。こいつがやりたがるからな」
「でもそれって……」
いくら好きな事だからといって、負担が大きすぎるのではないか。学校にもバイトにも行っていない事を負い目に感じて、無理をしているのかも知れない。
「日吉君、これからは私も家事手伝うからね」
「断る。僕ひとりで充分だ」
「は?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「何でだよゴロー。跡部さんの方から提案してくれてるんだ、遠慮する事ないんだよ?」
斉藤先生がたしなめる様に言う。騙して私を連れてきたくせに偉そうな奴だ。
「そうだそうだ、お前は男で優希ちゃんは女なんだぞ」
勝浦さんが平然とした顔で前時代的な発言をする。
一ノ瀬さんはいつの間にかテレビを点けていて、無表情で“きょうのわんこ”を観ていた。
「断ると言ったら断るんだ。この国は働きたい人間を働かせる事もしないのか。日本はそこまで腐った国なのか」と、ニートの日吉君がまくしたてる。
卵焼きをもう一口食べる。さっきより甘味が薄れた気がして、顔をしかめた。
一癖も二癖もある同居人達との新生活に意識が飛んでしまい、ぼんやりしているうちに午前の業務が終了した。
私は今、会社に程近いファミレスで、1年後輩の女の子と向かい合って座っている。
「聞いて下さいよ跡部さん。私さっき会社から出る時手をぶらぶらさせてたら、ロッカーに手ぶつけちゃったんですよぉ! それで今も赤くなっちゃってるんです、ほら!」
注文を済ますなり、彼女は堰を切った様に喋り始めた。私は頬杖を突きながら、「ああ、ほんとだね」と言った。
彼女――佐野美咲はいつも快活な人だ。その上空気も読まず延々と喋り続ける、まさに私が一番苦手なタイプである。
しかし、同じ部署で仕事をする様になってしばらくすると、苦手なイメージはいつの間にか消えていた。むしろ会社の中なら相性の良い方なのかも知れない。
だからといって仕事帰りに呑みに行く程仲良くはないが、こうして昼食を共にするくらいの関係にはなったという訳だ。
その佐野さんがこうして他愛もない話を熱く語り始めた時、私はいつも黙って聞いていた。
彼女の勢いに気圧されて、というのもあるが、関係の浅い彼女に自分の事を話したくないというのが一番の理由だった。
でも昨夜起こった事に関しては、流石に誰かに喋っておかないと落ち着かない。私は覚悟を決めた。
「でね、普通の人は手ぶらぶらさせないのかなぁって思って、私ってちょっと変わってるのかな、いやいや私は普通の――」
「あー佐野さん、ちょっといいかな?」
「はい? 何か思うところあります?」
「いや、今の話には全く関係無いんだけどね。私、昨日プライベートで色々あって……ちょっと、聞いてもらってもいいかな」
「跡部さんのプライベートの話ですか!? すっごい気になりますぅ!」
佐野さんは言葉通り目を輝かせ、早く話せと言わんばかりに手をふるふるした。
私は男4人との共同生活に至るまでの経緯を話した。心療内科でクレイジーな先生と出会った事から、包み隠さず。
全てを話し終えた時、彼女は呆けた様に口を半開きにしていた。
「……えっと。佐野さんは、今の話聞いてどう思った?」
「うーん。ま、いいんじゃないですか。やっていけそうなら」
さっぱりした口調で答えた彼女に、私は拍子抜けした。
「おっきたきたー、パスタだぁ」
その直後に注文していたランチが届き、佐野さんの関心はすぐさまそちらへ移った。
「……やっぱり佐野さん、私に興味無いよね?」
「えっ、佐野は跡部さんにバリバリ興味ありますよ! でもほら、最近シェアハウスとか流行ってますし、よくある事なのかなーって」
そう言ってのけると、彼女は音を立ててパスタを啜り始めた。
……よくある事? 人妻と独身男性達のシェアハウスが?
私は頭を振り、何も考えずに自分のランチに手を付ける事にした。
「あなたなら、あの人達と気が合うかもね。変わり者同士」
「変わり者? 私がですか?」
小首を傾げるその仕草は、彼女の可愛らしい顔立ちによく似合う。
斉藤先生と同じだ。黙っていれば、綺麗な花なのに。