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2.ファミリア202号室の罠

「ここです。僕の家」

 彼は202号室の前で立ち止まった。そして鍵を差し込み、ドアを開ける。

「……本当に、いいんですよね」

「ええ、どうぞ」

 あまりにもあっさりした彼の態度に戸惑いつつも、私はあとに続いて部屋へ入った。


「おかえりー」


――男の声がした。

 理解が追いつかなかった。思わず小さな悲鳴を上げて2、3歩あとずさる。

 精神科医はそんな私に気付かなかったのか、「ただいまー」と言いながら靴を脱ぎ、部屋の中へ入っていった。

 彼の背中で隠れていた部屋の全貌が明らかになる。大きなテーブルに頬杖を突いている無精髭のおっさんが、こちらを振り返る。

「ん? その姉ちゃんは?」

「言ってたでしょ。新しい同居人」

「はぁ!? 女……?」

 おっさんは細い目を丸くして、私の全身を舐める様に凝視した。

「何、女?」

 奥のドアから背の高い男が出てきた。ハンサムな色黒だった。

 色黒は私をちらりと見てから、“おい。どうなってんだよ”という視線を精神科医に浴びせた。

 精神科医はきょとんとしていた。

 次にその隣のドアから、太った男の子が出てきた。多分、男の()だと思うのだが、そう呼ぶには貫禄がありすぎる様な気もする。

 彼は眼鏡の奥から何の感情も見えてこない目で私を2.5秒睨み、何事も無かったかの様に部屋へ戻ろうとした。

「待てよゴロー。どう考えたって今から会議だろうが。第ウン十回、202号室同居人会議」

 おっさんは太った男の子に軽く怒鳴った。ゴローと呼ばれたその男の子は、やはり何の感情も見えてこない顔でテーブルへと歩き、着席した。

 続いて色黒、精神科医も席に着き、テーブルを囲んでいた4つの椅子は全て埋まった。

 そこで精神科医が何かに気付いて立ち上がり、慌てて奥の部屋から別の椅子を運んできた。

「どうぞ。新しい同居人さん」




「お互いに色々疑問はあると思うけど、まずは自己紹介から。跡部さん、どうぞ」

 お互いに色々疑問を抱かせた戦犯である精神科医は、罪の意識などこれっぽっちも持ち合わせていない様子だった。私は仕方なく、口を開く。

「跡部優希(ゆき)です。えー……会社員です」

「歳は?」

 おっさんが口の端を歪めながら訊いた。

「25歳。先生と同い年です」

「そう、僕と同じなんだよ」

「へぇ! もっと老けて見えるな」

 私は閉口したが、おっさんの言葉を咎める者はこの場にいなかった。おっさんも特に気まずさを感じなかったのか、ただニヤニヤしていた。

「彼女は旦那さんのDVから一時的に逃れる為にここに来た。それを提案したのは僕だけどね」

「よく男4人とのルームシェアを受け入れたものだな」

 黒縁眼鏡のゴローが低い声で言った。

「それは聞いてなかったのよ。だから、要するに……騙されたの。この男に」

 この部屋へ入ってきてから膨張し続けていたどす黒い感情を、私は“騙された”という表現で放出した。

 精神科医以外の3人の男達は一様に納得顔になった。精神科医だけがぽかんと口を開けたままだ。鈍器でぶん殴ってやりたかった。

「ちょっと待ってよ。騙されたって何?」

「……一番簡単な言葉で言うとすれば、先生はこの人達と同居しているという重大事項を私に伝えなかった。それが騙したって事なのよ」

“先生”はまだ理解出来ないという風な顔で、なおも何か喋ろうとしていた。

 それを遮って、色黒が話し出す。

「なぁ、あんた。許してやってくれとは言わないが、こいつに悪気は無いんだ」

「そうそう。こいつはただアホなだけだ。アホな上にロクに恋愛もしてない。だから男と女がふたりきりで暮らす事と、男4人女1人で暮らす事の違いが分からねぇのさ」

 おっさんが口を挟んだ。

 私はこめかみを押さえた。どうせなら頭痛薬も処方してもらえばよかった。

「……世の中に、そんな人がいるんですか?」

「何も冗談でこんな事言ってる訳じゃねぇって。で、お前さんはこれからどうする。家に戻るか?」

「帰れる訳ないでしょう……今頃、夫はもう家に帰ってきてる筈です。そして恐らく私の長文の置き手紙を読んで混乱してます。今更帰れる訳ないでしょ!!」

 私は叫んだ。精神科医は目を丸くして「どうしたの、急に大きな声出して」と言った。

 その他3人の男達は憐れむ様な目で私を見ていた。




 それから精神科医を除く3人は、しばらくの間、私の顔色を窺いつつひそひそ話をしていた。

 私の様子が落ち着いてきたのを見計らい、おっさんが「こっちも軽く自己紹介といくか」と言った。

「俺は勝浦(かつうら)義蔵(よしぞう)、39歳。自動車部品の工場で働いてる。……ちなみに、バツイチだ」

 成程、それらしい。道理で禿げ掛かった頭に独特の哀愁が漂う訳だ。心の中で毒を吐いたが、勿論口には出さない。

「おいおい、そんな目で見るなよ」

「あ、いえ……そんなつもりじゃ」

 バレたか。中々鋭いおっさんだ。

「まぁいい。じゃ、次誰かやれ。ほらモッチー」

 勝浦さんはそう言って、色黒男の肩を叩いた。

「……あー、一ノ瀬(いちのせ)元也(もとや)。フリーター」

「歳は?」

 精神科医が口を挟む。

「なんであんたが……まぁいいや。27」

 長身、ハンサム、おまけにセクシーな声。やや長い茶髪やギラギラしたピアスはいただけないが、精神科医よりは断然良い男だ。

「一応言っとくが、こいつに惚れるなよ。見ての通り遊び人だ」

 勝浦さんが私の表情を見て断言した。さっきからこのおっさんは、かなり的確に私の心を読んでくる。

「そうそう。びっくりするくらい色んな所に女作って、連日デートデートで忙しいんだから」

 精神科医が興奮気味に言う。まるで兄の噂をする小学生の様な彼を、一ノ瀬さんは前髪の隙間から冷やかに見つめていた。

「はいはい。次、ゴローも自己紹介しろよ」

 勝浦さんに促され、ゴローは重い口を開いた。

日吉(ひよし)健吾郎(けんごろう)、17歳。ニートだ」

「え……学校は?」

「辞めた。学業なんて面倒な事はもうたくさんだ」

「そんな理由で? 親御さんはどうしたの?」

「両親は学校に行かないならこの家から出ていけと言った。言われた通りに家を出て、親戚を頼ってここへ転がり込んだ」

「親戚って――」

 私の言葉を遮る様に、勝浦さんがわざとらしい咳をした。見れば、気まずそうな表情を浮かべている。

「……しょうがねぇだろ。俺だって、本来高校に行く筈の子をニートのまま住まわしたくなかったよ。けどこいつは何て言うか、普通の餓鬼じゃねぇしよ」

「ええ、それは見てて分かります。……ただ、彼はこのままで大丈夫なのかと思って」

「少なくとも精神面では、彼は全然問題無いね」

 相変わらずのんびりした口調で、精神科医が言った。

「彼は家事が好きだし、漫画とかアニメとかゲームとか、サブカルチャー的な事も大好きなんだ。毎日好きな事を楽しめる、人間として一番快適な日々を送っているよ」

「それ、本当なの?」

 私の言葉に、日吉君はこくりと頷いた。

「家事は全て僕が担当している。だが、同居人のひとりやふたり増えたところで問題は無い」

 真顔でそう言う彼に、私は感心していた。愛想はゼロだが堂々たる態度だ。

 しかし、そんなに家事が好きなら家政夫にでもなればいいのに。

「で、どうする。一応お前も自己紹介しとくか?」と勝浦さん。

「そうだね、ある程度は知ってるだろうけど」

 精神科医が私の方に向き直る。

斉藤(さいとう)真彦(まさひこ)、精神科医。名前の由来は、親がマッチの大ファンだったから。おとめ座でO型、趣味はサッカーね。他に訊きたい事ある?」

「何もありません」

 わざと冷たい声色を使っても、依然として斉藤先生はニコニコしている。この先生自身、精神異常者なのではないだろうか。


 4人の男達の顔を改めて見回し、全員の自己紹介が終わった事を確認する。

「皆さん、ご丁寧にありがとうございます。ひとつ、気になる点があるんですが」

「そりゃあるだろうな。むしろ無い方が驚きだ」

 勝浦さんが何でも訊いてくれという様にふんぞり返りながら言った。

「皆さんは、どういった経緯で一緒に住む事になったんですか?」

「そうか、まずそっからだな。

さっきも言った様に、ゴローは叔父さんの俺を通じてここに来た。1年前の事だ。それ以外の3人が一緒に住む事になったのは、もう6年も前の話でな」

「えっ、6年も?」

「長いよねー僕らの付き合いも。もう家族みたいなもんだよねぇ」

 先生がしみじみと呟いたが、勝浦さんと一ノ瀬さんはそれを無視した。

「その6年前に何があったかって言うと、えー……あーめんどくせぇ。マッチ、説明してくれ」

「えー何で僕が?」

「お前のせいでこうなってんだろうがっ!」

 勝浦さんに真っ当なお叱りを受け、先生は「あっ、そうでしたそうでした」と頭を掻いた。

「きっかけを作ったのは僕なんだ。6年前、僕は大学受験に失敗して浪人しようとしてた。でも親に反対されて、浪人するなら家を出ろって言われた」

「それで本当に出ていったの?」

「うん。僕すっごい世間知らずだったから、ひとりでも何とかなるだろうって思ってたんだ」

「世間知らずというより、頭が足りないわね」

「それは酷いよぉ」

 先生はけらけらと笑った。何がおかしいんだろう。

「でね、しばらくは家から持ち出したお小遣いで、マン喫に泊まってたんだ。でも、少ないお金だったからすぐなくなっちゃって。仕方なく公園で野宿したら寒くってさぁ」

 私は、この男が医者だという認識が薄らいでいくのを感じた。間抜けな浪人生の近況を聞いている感覚だった。

「自暴自棄になって、未成年なのに居酒屋でお酒呑んでぐでんぐでんに酔っ払ったんだ。で、その居酒屋にたまたま居合わせたのが、ヨシゾウさんとモッチーだった」

「こいつ、俺の目の前で床にぶっ倒れやがったんだよ」と勝浦さんが口を挟んだ。

「で、俺が声掛けたり肩揺すったりしてたら、この色男が黙って近付いてきてな。いきなりコップの水を奴の顔にぶっかけたんだ」

 一ノ瀬さんは小さく肩をすくめた。

「酔っ払いの扱いには慣れてたんでね」

「それで目を覚ましたマッチが、俺に泣きついたんだ。“僕を家に置いてくれ、一晩だけでもいいから”ってな。

とりあえず事情を話せっつって、俺とモッチーが話を聴いてやって。まだ餓鬼なのに追い出されたっつうから可哀想だと思ってな」

「それで一緒に住もうと?」

「うーん。まぁ俺ぁ可哀想だからってぇより、自分が寂しかったからそうしてやったんだろうな」

「え? ああ……離婚、したからですか」

「ま、そういうこった。離婚してすぐは子供に会いに行ったりもしてたんだが、丁度その頃、向こうが“もう会いに来るな”って言ってな」

「グッドタイミングだったって訳さ」

 先生はこちらにウインクしてみせた。その頭を勝浦さんが小突く。

「いてっ」

「口を慎め。で、とりあえずその夜は俺んちに泊める事にしたんだが、ずっと男ふたりじゃ気持ち悪いだろ。だから、ゆくゆくはモッチーも一緒に住む様に頼んだんだ」

「一ノ瀬さんは、何故それを許可したんですか?」

「んー……特に理由は無い。その時住んでたボロアパートにもうんざりしてたし、まぁいいかなって」

「お人好しなんだよ、こいつぁ。そうでなけりゃここまで女まみれの生活してねーよ」

「はぁ、成程ね」

 モテる男は往々にして人間も出来ていたりするものなのだ。道理で競争倍率一倍だったうちの夫がああなる訳だ。

「さっきから俺の事好き勝手言いすぎだ、おっさん」

「事実だろうがよ。で、何はともあれ3人は一緒に暮らす事になった。最初はここより手狭なマンションを借りたんだが、次の年にマッチが大学に受かってから引っ越した」

「でも、学費とかはどうしたんです?」

「学費は親が払ってくれる事になったんだよ。大学受かったって連絡したら、父さんも母さんも結構喜んでてさ」

「ついでに生活費も多少はくれる様になったんだから、まぁ甘い親だよな。浪人するなら出てけって大見得切った割には」

 勝浦さんは憂いを帯びた声で言った。そう言う自分も、子供にはさぞかし甘かったのだろう。

「んな訳で、マッチは親とよりを戻したんだから、もう俺達が面倒見る必要も無かったんだが。何となくこの生活が心地良くなって、今日までずるずると続いてるって寸法だ」

「歳も性格もバラバラなのに、今まで大した喧嘩も無くやってこれたんだから不思議だよねぇ」

「小競り合いはあったがな。主にお前のせいで」

 じろりと斉藤先生を睨む勝浦さん。先生は曇りひとつ無い笑みで視線を返す。かなり年季の入ったやり取りの様に感じた。

「あ、そうそう。僕らこの通り仲良しだから、お互いの事あだ名で呼ぶ時もあるんだ。勝浦さんはそのまんまヨシゾウさん、元也がモッチー、健吾郎がゴロー、そして僕がマッチね」

「その説明要らないです」

 冷たく返す。また斉藤先生はニコニコしていた。人の笑顔を見て反吐が出そうになったのは初めてだ。


 兎も角、種類の異なる4人の男達と私との共同生活が、こうして幕を開けたのだった。




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