新約シンデレラ〜似た者家族〜
とある王城の長階段は100段もする立派なものだった
大理石で作られたため、上品な白い輝きを放ちその上に真紅の絨毯が厳かに、敷かれていた
ここを毎日行き来する業者や家来の者たちは不便を影で訴えたが、やはり村娘や王子の寵愛を得ようとする貴族令嬢達にとっては憧れの場所であった
月下、そこを慌ただしく駆け下りる人影が二つ
一人はよく手入れされた腰丈の金髪を風にたなびかせながら走る女の子
厳かな情景に似合わない大胆な走り方でいかにも村娘然としていた
しかし、月の光に照らされた絹糸のような繊細な金髪を、頬を伝う汗で張り付かせそれでも、ドレスの裾を汚すまいとスカートをつまみ走る姿は美しかった
そして、女の子を追うのは金髪を短く切りそろえた青年
この国の王子だ
彼もまた舞踏会の余韻と、女の子との追いかけっこで額を汗に滲ませており、顔貌は普段の聡明なものから打ってかわり、情熱的な真剣なものへと変じていた
「お待ち下さい!!話を聞いていただきたい‥何かお気に触る事があったならおっしゃって下さい訳も言わず帰ると言うのは‥私は貴方ともっと話したいのです」
王子が女の子の背に言葉を投げかけると女の子は立ち止まり、上気した体を落ち着け振り返らず答えた
「理由を言う訳には参りません‥無礼をお許し下さい
ただ、夢のような時間だったと思っております。いつまでも続いて欲しい夢のような」
ならばと、王子が言いかけるのを女の子は振り向きざまに上目遣いで見つめ、その続きを制した
僅か肩を揺らして何かを言いかけるように、口を歪めスカートを摘む指に力が入る
が、やがてその力は抜け、諦めたように再び走り出そうとする
王子は最後に一つだけと叫び
「貴方の名前を教えて下さい!」
「‥…っシンデレラ‥です‥今日のことは忘れてください」
絞り出すように答えると女の子は走り出した
よほど慌てたのか、ピンヒールに慣れていないのかシンデレラと名乗った女の子の靴の片方が脱げる
しかし、構わず走り去り夜の帳にまぎれてしまった
残された王子の手には、月の光を灯して、碧色を揺らめかせるガラスの靴だけが大事そうに握られていた
目を覚ますと、そこには見慣れた天井が広がっていた
安物の硬い簡易ベットから起き上がると間違いなくじぶんの部屋だと気付かされる
部屋と言うには多少語弊がある空間だ
天井裏のスペースに無理やりベットを押し込んで雑巾がけした程度の、家畜よりは少しマシ程度のもの
それが私の部屋だった
クローゼットの中にはドレスがかかっていたが、魔法が解けたみたいに、その実魔法が解けたのだが私が繕ったものだ
昨日の王城で起きた事、見た事がまるで夢見たいね、と肩を落としため息を吐く
この世のものとは思えない贅沢な料理、自分とは比較にならない程綺麗な女の子達、聞いたこと無いけどうっとりしてしまう素敵な音楽、そして‥
「素敵だったなぁ、王子様‥はぁぁぅ」
昨日の思い出を反芻しながら身もだえる
だけど、いつまでもこうしていられない
王子には王子の生活、私には私の生活があるのだ
よし、と一声上げてテキパキと朝の支度を始める
シンデレラの朝は早い
家の誰よりも早く起きて、炊事、洗濯、掃除をこなす
洗濯を終える頃には姉2人、母が起き出しご飯を食べる
けれど、シンデレラは彼女達が食べ終わるまで決して食卓に着くことを許されない
そればかりか、掃除が終わるまで食べさせてはもらえないのだ
なのでいつも、朝食は遅めの昼食になる
姉や母がお茶や、社交界に出掛けるとシンデレラはすっかり冷めてしまったポトフを軽く温め、硬くなったパンを戻し手早く平らげる
「はぁ~美味しかったぁ!」
自分でも上手に出来たのだろう、幸せそうに破顔しほっと一息をつく
どうやら舌が肥える事はなかったようだと少し安心するシンデレラ
そんな家事の隙間にふと浮かんだ考えが漏れ出す
「今頃王子様はどうされてるかしら」
と、
彼女も年頃の女の子なのである
一方その頃
目を覚ますとやはりいつもの光景が広ごっていた
きらびやかな天蓋と、静謐な朝の匂い
パリッとしたシーツに羽毛の掛け布団
昨日の出来事がまるで夢のように思えて慌てて机の上を見やる
そこには、透き通る程美しいガラスの靴が置かれていた
王子は安息のため息を吐く
「今まで出会ったどんな女性よりも魅力的で美しい人だった…また、会えるだろうか…」
王子の頭から昨日一度だけ踊った女性のことが離れてくれなかった
このままでは、仕事や商談も手につかない
着替えを終えると王子は執事長を呼び出しこう、申し付けた
「とある女性を探したい、そのものは私の運命の人なのだ必ず見つけ出し、この想いを伝えたい」
「おぉ、王子、昨日の舞踏会に参加された方ですな。やはりシャロン嬢ですかなその可憐さは隣国にも聞こえるほどですし、分かりましたコルベール嬢ですね高潔という言葉は彼女のためのものでしょう」
長年の付き合いである好々爺の推測をことごとく、否定する王子
しびれを切らして、ではどちらのお嬢さんなのです、と執事長が聞くと
「名前はシンデレラ、透き通る程美しい金髪と、柔らかくも情熱的それでいて淑やかさも持つ素晴らしい女性だ」
目を輝かせてシンデレラがどんなに美しい女性であるかを、シェイクスピアもかくやという、調子で捲し上げ続けると
「分かりました、王子がシンデレラ嬢を思う心は充分に分かりましたとも
それでは、その方を勅命にて王城に招かれては良いではないですか?」
簡単に言ってくれると、王子は息をつき執事長に事情を説明した
月の光の下、あの長階段で起こったこと自分から逃げるように立ち去っていったシンデレラそして、あのガラスの靴の事を
執事長は何と無礼な女なのだと、一瞬不快に思ったが記憶を語る王子の幻に囚われたような、顔を見やるとシンデレラのことを悪くも言えなくなった
(それほどまでに、魅力的な女性だったのだろうや)
「そうなると、こちらから呼びかけても応じるとは限りませんな」
「そうなのだ…じいや、私はどうすればいい
もう二度と会えないと考えただけで目の前が暗くなる…もういちど、どうしても会いたいのだ」
長年王子に仕え、我が子同然に可愛がっていた執事長でさえ滅多に見たことのない王子の感情的な反応に彼は一計を案じた
「ガラスの靴…というのはどうでしょうか」
「何?ガラスの靴がどうかしたのか」
「ですから、このガラスの靴をお返しに行くのですよ
この靴にピッタリと合う金髪の娘を街中探すのです
どういう事情であれ、王子が直接探されてるとあらばきっとまた、現れてくれるでしょう」
王子は朝日を浴びた向日葵のようにゆっくりと、顔をあげ執事長の名案を喜んだ
「そうだな…そうに違いない!そうと決まれば今日からだ、市街へこの事を貼り出せ
分かっているな、名前は伏せておくのだぞ
政務を片付け次第馬を出す滞りなく準備してくれ」
王子は忙しなく支度を始めた
執事長は、破顔しゆっくりと部屋を後にした
夕刻、かしましく何事かを話し合いながら姉と母が帰宅してきた
シンデレラは晩ご飯のお皿を並べて料理を器に乗せていた
料理の準備が終わる頃には、家族全員が食卓を囲んでいた
いつもなら、外されるシンデレラを同席させているのが不思議だったがとても久しぶりに家族揃ってご飯を食べられることをシンデレラはとっても喜んだ
神様に感謝したあと直ぐに姉達は話しだした
「でも、例の子も馬鹿よね」
「そうそう、なんて勿体ないことしたのかしら」
母はそれを聞くと不機嫌に件の娘を、嘲笑うように詰った
「所詮はネズミのように紛れ込んだ田舎娘だったのですよ。どうせ、悪知恵を働かせて王子を騙しているに違いありません。なんて下品なことでしょう。王子が余りにも可愛そうです」
王子という単語に、シンデレラは、はっと息を呑んだように固まってしまった
それを目ざとく姉達は見つけシンデレラに笑いながら言葉を投げかけた
「あら、世間知らずの貴方でもやっぱり王子様の事は気になるのかしら」
「生意気ね。身の程を知りなさいよまぁ夢を見るのは自由だけど」
姉達の言葉は、シンデレラにはよく分からなかった
(この人達は自分らにしか分からないことを、嫌らしげに相手にひた隠しながらそれをネタに攻撃することを得意とする陰険シスターズです。そんな邪悪姉の意地悪に耐える私は健気可愛いシンデレラ、神様良きに計らって下さいませ)
と、シンデレラは心の中で唱えた
図太くなければ、いつの時代も生き残れないのだ
しかし、母親の言葉だけは彼女の心をいつも薄暗く、凍えるような心地にさせる
「貴方はいいわよね、気楽で、呑気で…あの逃げた娘と同じに不愉快だわ」
諦めたように、他人のようにこちらを見もせずに吐く母の言葉はまるで冷気でも帯びているようにシンデレラの心と顔を氷つかせた
「…ど、どういうことでしょう、何か王子様の身にあったのですか」
ようやく、絞り出すように質問すると
「昼頃に国から張り紙が出されたのよ、中央の広場にね」
「街中に配られてるみたい。王子様自らお探しになられるのよ。また、お会いできるのね」
要領を得ない姉達と違い母は端的に言い放つ
「昨日の舞踏会の途中、王子は何者かと一緒に抜け出しその者に心を奪われた。
王子はその者が落としたガラスの靴にピッタリと合う金髪の娘を探してます」
ゔっ、…私やそれ。
「明日の昼頃には、この辺りにも王子が来ます。ですから、あなた達決して粗相の無いようにしなさい」
「はーい!大丈夫だよ、お母さん」
「そうそう、それにもしかしたら私金髪だし靴入っちゃうかもしれないわよ。そしたら、王子様のお嫁さんになれるってことよね」
幸せそうに、話し合う姉達を尻目にシンデレラは少し嬉しかった。
自分を覚えてくれていたこと
諦めてしまった私を探してくれること
タンスの引出しの奥に隠したもう一つのガラスの靴を思い出して、シンデレラの心を暖かくさせる。
「いいなあ、お姉ちゃんは金髪で。私は赤髪だから選考外だ」
ふてくされている、二番目の姉の言葉に母は当たり前のように言い放った
「何を言っているの?今晩中に貴方は髪を染めなさい」
「え?」
「え!」
「え?」
三人の娘は初めてと言っていいほどに、完璧に息を揃えて驚愕した
「当たり前です。王子と婚姻出来たなら、夢のような豪華な暮らしが出来るのですよ。幸せになれるのですよ。昨夜の舞踏会へ貴方達を参加させるためにどれだけ苦労したと思っているの」
母は少し疲れたような面持ちで話した
「もうあの人はいないのですから…それでも私達は幸せにならなければならないのです」
そういうと、母は立ち上がり自室に入っていった
姉たちも母が本気であると知り、明日の準備の為自室へと引き上げた
残るは、食器と量からしたら僅かばかり減った料理、そしてシンデレラだった
私達のお父さんは、2年前に死んでしまった
癌にかかり闘病も虚しく苦痛の内に、死んでしまった
それからというもの、家族は少しずつ変わっていった
前までは食卓は楽しいものだった、旅行に行ったりもした
お父さんが冗談を言って私達が笑って、お母さんがたしなめる
そんな流れだった
それがいつしか、お父さんはベッドから立ち上がれなくなり、私達は笑う事も無くなり、お母さんは疲れていった
とても高いお薬を飲ませ続けたけど、みんな頑張ったけど結果は変わらなかった
最後には、疲れた家族と火のついた家計が残ったのだった
それでも、幸せになる事を諦めなかったのだ
その幸せの中に「私」がいないという事が寂しくて堪らなくなる
私は母には幸せになって欲しい
あの姉たちでさえ、ついでに幸せになればいいじゃないって風には思ってる
だから、一度は夢と諦めたけど
過度な幸せに怯えてしまったけど
だけど、どうしてもこんなふうに思ってしまう
(私が王子様と一緒になれば、お母さんは幸せになれるかな…私を見てくれるかな…おめでとうっていって…くれるかな)と
シンデレラは、よし!と一声立ち上がり
後片付けを手早く済ませ自室へと戻り外出の支度をした
今宵とある人に会いに行く約束だったのだ
満月の夜、街外れの森の中に小屋が一つだけ建っている
街の人は魔女の家と呼び、怖れ近寄らない場所だ
確かにここにはおばあさんが一人住んでいる。それに人からしたら怪しい魔法の研究をしている
しかし、それで誰かに迷惑を掛けたりましてや傷つけたりした事は一度としてなかった。むしろ、医者でも治せなかった病を治したり腰痛に効く薬を調合したり、一部の人からは感謝されていた。
それでも、大半の人からは不気味に映り、避けられていた。
そんな具合なので滅多に来客の無い魔女の家に訪問者が現れたことは、家主を少なからず喜ばせた。
「お入りや、開いてるから」
「ごめんくださいおばあさん!」
訪問者は、早く言いたくてしょうがない子供のように、騒がし気な様子で入り込んで来た。
おばあさんは、微笑みながら予め用意していた紅茶を二人分淹れて最近出来た友人であるシンデレラを迎えた。
「昨日は本当にありがとう。とても素敵な夜だったわ。人生で一番幸せだったわ」
「そうかい。それはよかったよ」
「魔法というのは凄いのね、舞踏会へ走ってくれたかぼちゃの馬車も、素晴らしい生地のドレスも本当に0時を超えたら無くなっちゃって。ガラスの靴が無かったら本当に夢かと思いましたよ」
「ふっふっふ、それが魔法の良いところでもあり悪いところさ」
おばあさんは、紅茶を何とも上品に一口頂いた。その様子はどんな貴族でも真似できない優雅なものだった。
もしかしたら、昔はどこかのお嬢様だったりしてと、シンデレラの頭をよぎった。
「でも、何で私なんかにこんな良くしてくれるの?私なんかじゃ、何もお返しできないわ。せめて、今日はお菓子を焼いてくる事しか」
シンデレラが、おずおずと小ぶりのバスケットからクッキーを見せると、おばあさんは目を輝かせて柔らかく喜んだ。
「充分だよ。素敵なお土産もくれたし、友達になってくれたじゃないの。私は心の綺麗な話し相手がずっと欲しかったのさ。だけど、これからもっと幸せになっちまう娘っ子はこんな老いぼれをかまってくれないかな?」
と、愚痴をこぼすようにおばあさんが、にまにまと問うと
シンデレラは茹でだこのように赤面し、恨めしげにおばあさんを見やった。
「そんなことありません。王子様もガラスの靴を返しに来るだけですよきっと!それに、ここにはまた来ます。来ないでくれと言われても来ますから!覚悟してください」
「ふっふっふ。そうかいそうかいw」
王子がそんな暇なことするわけあるかいと、思いながらも口にはせずクッキーを噛りご満悦なおばあさん
すると、シンデレラは声のトーンを一段下げ告白した。
「それに、私は心が綺麗なんかじゃないです…本当は一日だけで良かった。一回だけで良かったんです。毎日家事だけを繰り返していた人生に、一瞬だけあんな幸せがあってもばちはあたらないって」
「うむ」
「…でも、私は悪い子です。王子様の顔を思い出すたびにもう一度、私を呼ぶ声を思い出すたびにもう一度お会いしたいって。あの手に触れたいって思ってしまうんです」
「うむ」
「それに、お母さんも…楽させてあげれるかなって。私が王子様とその、けっ、結婚す、することにな、なったら」
壊れたおもちゃのように急にかくついたシンデレラをあざと可愛いなと吃驚したおばあさんは、あまりの甘ったるさにノンシュガーで紅茶をあおった。
「そ、それでおばあさんに最後のお願いがあるんです!」
「魔女に最後のお願いなんてして良いのかい」
「大丈夫です。どうなろうとも、魔法に頼るのはこの一度だけです」
「分かったよ、魔女として約束は絶対だ。その願いは叶えてやろう。さぁ言ってみな」
シンデレラは最後の願いをおばあさんにに託し、明日の朝にまたこの場所で落ち合うことを約束した。
「それじゃあ、おばあさん今日はありがとう。また明日ね」
「ああ、気を付けて帰るんだよ」
シンデレラは、年の離れた友人に紅茶のお礼を言うと、自宅へと急いだ。
「子供ってのは難儀で、健気なもんだね。いい娘を持ったじゃないのさ。あの子も、そろそろ素直にならなきゃね」
おばあさんは、シンデレラを見送ると一人窓から見える月に向かってひとりごちた。
そして、とある町娘の家でも一人の母親が窓の外を厳しい瞳で見つめていた。
その先はちょうど魔女の家がある方角だった。
翌朝
ついに、シンデレラの家の近くに王子様がいらっしゃる日。
シンデレラは、いつもより早く起きて家事をこなしていった。いつもの手順で手際よく行われていくそれは、熟練の域まで達していて、シンデレラにとっては目を瞑っても出来ることだった。
体内時計でそろそろ約束の時間ねと自室に戻り支度を始める。
すると、ガチャりと後ろで音がした。
「へ?」
間抜けな声を発してしまったが、注意深く音の方向を眺めても何も変わったことは無かった。
しかし、ドアの向こうから古い足場の木材が軋む音が聞こえて初めてそこに誰かいる事が分かった。
そして、音の正体も何となく察しがついてしまった。
「誰?」
「……」
シンデレラは、昨日の夜こっそり家に帰ってきた時お母さんの部屋だけ電気が着いていたのを思い出した。
「お母さん?」
「…シンデレラ、昼からの家事はしなくて構いません。今日はそこでゆっくり休みなさい」
淡々と言い含めるように言った。
「どうして、鍵なんかかけるんですか?私は行かなければならない所があるんです」
「駄目です。なりません」
「っどうして!」
「貴方が王子が探してる女の子なんでしょう?」
「っうぅ!」
心臓を掴まれたように、苦しくなる。お母さんは知っていたんだ。
「森の魔女に頼んで怪しい薬でも貰いに行くつもりでしょう?ネズミのようにはしたなく下品ですね。あの老婆を信用するなといつも言っているでしょう」
「そんな事しません!それにおばあさんは私のお友達です。…悪く言わないでください」
シンデレラは、懸命に伝えようとするが母の心には届かなかった。
まるで何もかもを閉ざしてしまっているみたいだった。
「貴方がなんと言おうと、あの老婆は人殺しです。あの人を殺した人殺しです!絶対に許せません!……それなのに何故
貴方は…あの人のことを…父親の事を忘れてしまったと言うの…」
珍しく感情的に言い放った。シンデレラはあまりの剣幕に小さく「そんなことないよ」と、消え入りそうな声で言いました。
「とにかく、あの魔女には合わせません。魔女の手を借りずとも幸せになれるんですから。あの日からずっと頑張って来たんです。きっと、神様は私達を応援してくださるわ。そこに、魔法なんてものはいらない」
狂信的で、排他的で、固執的だった。
ある種の意地で、意地悪だった。
シンデレラは、静かに泣いた。
友人を侮辱されたこと、何も言えなかった事、王子様に二度と会えないかもしれない事、約束を守れそうにない事…そして、お母さんにとって私は…
暗い部屋で閉じ込められると、人間はどうしても悪い事ばかり考えてしまうらしかった。
扉の近くの柱を背もたれに現代で言うところの、体育座りの体制でうなだれるシンデレラはもうどうにでもなれという、投げやりな気持ちになった。
私はやれる事はやったのだ。
王子様ももしかしたら、私の顔を見て後で思い出してくれるかもしれない。でも、お姉さん性格悪い上にこズルいからなぁ。そんな事になったら、どんな手を使うか分からないわ。
「はぁ、姉さんが羨ましいわ」
「あんたがそんなこと言うなんて、珍しいわね?」
「私もあんな風に図太く、こずるく生きられたらなぁって思うわ」
「そうね、私みたいに図太く、こずるく……ってあんたそんなこと思ってたの!」
「え?」
見ると、二番目の姉が扉を開けて目の前に仁王立ちしていた。
普段の燃えるような赤髪から、上品な金髪へと変わっていて一瞬誰だか分からなかったがつり上がった瞳と、口ぶりは姉のものだった。
「扉の鍵はどうしたの?」
「え?邪魔だったから外したわよ。そんなことより、この髪の色に合う髪留めが無いのよ。あんた、前使ってた髪留め貸しなさいよ」
「あっそういうことか⤵」
一瞬助けてくれたのかなという淡い期待は、まさに一瞬の内に砕かれた。
はいはい、と髪留めを探すシンデレラ。
「多分あれより、姉さんだったらこっちのほうが…」
やはり根は真面目なシンデレラは姉に似合う髪飾りを割と真剣に探し始める。
それを二番目の姉は苛立たしげに見つめ、貧乏揺すりを始めた。
「遅い、ほんとあんたはグズね!いいから、私が見るからどいてなさい」
「あ、うん」
乱暴にシンデレラを、どかすと髪留めを物色し始める。あーでもないこーでもないとためつすがめつしていると、振り返り呆れ気味にシンデレラに言った。
「あんたが後ろにいられたら、気が散るでしょ、どっか言ってなさいよ」
「え、でも」と口ごもるシンデレラをしっしっとジェスチャーで追いやる姉。
一人シンデレラの部屋に残った姉は、ひとりごちた。
「今までいっぱい苦労してきたんだから、あの子にもこれくらいはね。でも、まさか王子様を射止めるとはやるじゃない。流石私の妹ね」
二番目の姉はタンスの奥にしまってある片方のガラスの靴を大事そうに抱えて、優しく撫でてからそっと戻した。
「しっかりやんなさいよ、バカ妹め」
「姉さん、今朝は寒いからコーヒー入れといたから選び終わったら飲んでね」
呑気にコーヒーを淹れてきた妹を、二番目の姉はそれはもう怒髪天に怒って部屋の外にほっぽり出した。
後にも先にも、シンデレラはあそこまで怒った姉を見た事が無かったという。
「ったくあの子は、本当にグズなんだから!さっさとしないとハイライトに間に合わないわよ」
そう、窓の外を一心不乱に走るシンデレラを尻目に照れ隠しのように悪態をつく姉の顔は、しっかりと笑っていたのだった。
王国の政務は多忙を極めるが、想いは力であった。
王子は次々と、商談、取決め、法整備の段取りを済ませ昼過ぎには食事も取らずに馬に跨がっていた。
「王子、またですかな。いい加減食事をお取りになってください」
「じい、王室の食事など食べるのに時間がかかってたまらん。メイドにサンドイッチを作らせたから問題ない」
「まったく、夕方には帰ってくるんですよ」
「お前は私の母上か!」
執事長はふぉっふぉっと、快活に笑うと王子を見送った。
城を飛び出て早々、王子の馬は次の街へ向けて森の中を爆走していた。
「待っていてくれ、シンデレラ。必ず迎えに行く」
お付きの者も精一杯追いつこうと馬を走らせるが、差がつくばかりだった。
しかし、馬の上というのは意外と揺れるものなのだ。
風を切り、スピードの出し過ぎで揺れに揺れた馬上では王子の髪はボサボサに崩れていて…
追いついたメイドに半目で見られながら、髪を整えられたのには「どれだけ私は浮かれているのだ」と、王子を悶絶させた。
そんなこんなありながら、王子は無事?
シンデレラの家がある街へ辿り着いたのだった。
お付きのものに街の広場に案内させると、すでに広場には長大な列が出来ていた。私こそがガラスの靴にピッタリと合う娘だと疑わない顔で、夢心地で並んでいた。中には、面白がって並んでいるだけの娘もいるだろう。
しかし、これまでの街のどんな娘の足もガラスの靴は入らなかった。
サイズだけではなく、中の構造が本人の足にかなり忠実に作られているようなのだ。
いつものように、即席の椅子に腰掛け目の前に赤い絨毯を敷く。
その上で娘達に履いてもらうのだ。お付きのメイドが大事そうにシルクの布に包まれたガラスの靴を持って来て王子の前に広げた。
まず一人目の娘が、足を通した。
母親は焦っていた。二人の娘を連れて広場に来たのは良いものの。とても長い列にもしかしたら、この中にピッタリと合う子がたまたまいるかもしれないと、思ったからだ。
娘達は気楽なもので、暑いねえなんて話をしている。
やっと今日、報われるのだ。あの日から耐えてきたあらゆるものから解放される。
そうでなければ、なんのために私は…
きっとそうですよね、神様…
母親は静かな祈りを、まだ見ぬ神に捧げた。どうか、私達を幸せにしてくださいと。
順番は意外にも早くに回ってきた。
目の前の娘がかかとだけ上手く入らなかっただけで、ずいぶん惜しかったので驚いたが無事娘達の番になった。
「王子様、今日は遠い所足を運んでいただきありがとうございます。私の自慢の娘達です、きっとガラスの靴を履いて見せるでしょう。よろしくお願い致します」
「期待しています」
すると、一番上の姉が靴の前にやってきた。
おおぅ、と後ろの兵士が声を上げた。姉は黙っていたら上流貴族にも引けを取らない上品な女性なのだ。
優美にスカートを摘み、すっと右足をガラスの靴に通す。
王子も期待の眼差しで見つめる。
しかし、姉の足は細かったが長かった前の娘同様かかとがどうしても入らなかった。
「どうやら、入らないようですね。とても残念です」
仕方ありませんねと、微笑みながらいうと
「とても気品のある方ですね。どなたから作法を教わったのですか?城の中にもそこまで上品な方はそうはいませんよ」
姉は、謙虚にそれでいて誇らしい気持ちが漏れ出た様子で答えた。
「私はすべて、母から教わりました。自慢の母です」
「そうですか…大事にしてあげなさい」
微笑みながら王子は言った。
姉は恭しく下がり、二番目の姉の番だ。
元気よく靴を脱ぐと、勢いよく挨拶をした。
「王子様初めまして!姉さんは駄目だったけど私はきっと大丈夫です!待っていてくださいね」
おおぅ、とさっきとは違う意味で後ろの兵士が声を上げた。
上品さは無いが、快活で人懐っこい笑顔に彼女の性格を知らないものは好感を抱いた。
要するに可愛かったのだ。
王子も例外ではなく、彼女の砕けた態度にも悪い気はしなかった。
「ああ、是非やってくれ。君なら履けるかもしれないな」
「では、失礼して」
二番目のは腰に手を当てながら、がっと靴の中に足を通した。
しかし、途中でどうしてもつっかえてしまった。恐らくサイズは問題ないのだが、足の形が違うのだ。途中で狭くなるポイントがありそこから先が進まない。
(無理したら行けるかもしれないけど、めちゃくちゃ怖いなぁ。ガラスだし、そろそろあの子も来るでしょう)
「王子様、やっぱりだめで」
「少々お待ちください」
二番目の姉が諦めかけたその時、母がすすと、前に進んできた。
護衛の者も訝しげにどうされましたと、止めようとするが、王子は片手でそれを諌めた。
「彼女達の母君ですよね、いかがされましたか?」
母はその手に包まれた、風呂敷を王子の目の前で恭しく広げながら言った。
「足の形等日々変わるものです。それよりも、私の娘が王子様が探してらっしゃる女性である証拠がございます。こちらを、ご覧ください」
そこには、ガラスの靴が燦然と輝いていた。
後ろの兵士は絶句していた。
王子は、あまりの驚きに流石に困惑してしまった。
「それを…何故貴方が…」
王子達だけでは無い。姉達もそれ以上に驚いた。まさか、母がここまでやるなんて思わなかったからだ。
「それは、今朝二番目の姉の部屋で見つけました。きっとこの子なりの事情があるのでしょう。黙っていてごめんなさい。見ていられなかったものですから」
母が淡々と告げた。彼女こそが王子の想い人であると…
「ちょっと待ってよ!だって私靴入らなかったし、それにあの子にわるぅ…」
母にきつく見つめられ、余計なことを言うなと言外に伝えて来る。
(で、でも…)
アイコンタクトをしていると、王子はゆっくり立ち上がり姉の前にひざまずいた。
「探しましたよ、貴方のことを。あなたを想わない日はありませんでした。でもようやく伝える事が出来ます」
王子が情熱的な瞳で、彼女に想いを打ち上げようとしてくれる。
そんな姿に、不覚にも本気になってしまいそうだった。
(ヤバイ!恥ずか死にそうだわ!あの子遅すぎよ、早く来なさい。王子も王子で好きな子の顔くらい覚えてなさいよ〜)
「良かったら貴方に、私の城に来てほし」
「待ってください!!」
広場に凛とした声が響き渡る。
皆が振り返ると、そこには見事な生地で作られた蒼色のドレスに身を包んだ女性が、老婆と伴に立っていた。
ここまで、よほど急いで来たのか肩を上下させている。息を落ち着けると、驚きに目を見開かれた王子の前へとゆっくりと歩いていく。
(ったく、遅いわよ)
二番目の姉はやれやれと、道をあけた。
「ありがとう」
「しっかりやんなさい」
短いやり取りだったが、それで十分だった。しかし、母はその手を震わせてシンデレラを睨みつけた。
「何故貴方がここにいるのです?それになんですか、その格好は直ぐに帰りなさい!」
シンデレラは、以前とは違いしっかりと母の瞳を見据えて答えた。
「お母様、どうか見守っていてください。ガラスの靴は街のすべての女性が履くことが出来るのですから…私も履かせていただきます」
「いけません、なりません、許しません!今すぐ」
「そこまでに、しときなよリーシャや。この子はあんたの為にもここへ来たのだから。それに、王子様達も驚いてらっしゃるよ」
はっと、母は周りを見るとすっかり自分が注目されている事に気付いた。
魔女のおばあさんは、ふぉっふぉっと優しく笑うとシンデレラの背を押した。
「いってきな」
シンデレラと王子の瞳が重なる。
王子は自ら二足のガラスの靴を彼女の前に揃えた。
シンデレラは、早る気持ちを抑えてしずしずと足を通した。
すると、寸分の違いなくピッタリとガラスの靴に収まった。静寂が辺りを支配している。
王子は彼女を抱きかかえると(現代で言うところのお姫様抱っこで)高らかに宣言した。
「今この瞬間新たな姫が生まれる。この国の、そして私の大切な妻だ!」
そういうと、大衆の面前でシンデレラに接吻した。すると、地響きのような歓声が辺りを包んだ。
「もう、決して離さない。いいね?」
「はい、私は一生貴方の側に居ります。ずっと…」
二人はとても長い抱擁を交わした。
こちらが照れてしまうような、何とも幸せそうな二人だった。
見学に来ていた街の、調子の良い男衆は祝いだめでたい話だと、即席の屋台や祝祭の準備を始めた。
お祭りモードで祝祭ムードだった。
離れた所で母と老婆は向かい合っていた。
「貴方は、今度はあの子を使ってこんな仕打ちをするなんて…よっぽど私に恨みでもあるのかしら」
「リーシャや、私を許さなくていい。あんたの旦那を助けてやれなかったのは、私の力不足だよ。けどね、あの子は自分でここまで来たんだよ」
「違うでしょ。魔法何て卑劣なやり方であの人を…今は王子を騙してる。そんな事を神様がお許しになる筈がないわ」
「…確かに魔法で何でも上手く物事運んだらそれは、ずるかもしれないね。けど私はあの子を舞踏会に出るのに当たり前の格好をさせただけだよ。後は、王子様の心を射止めたのはあの子の力だ。あんたも本当は分かってたんじゃないのかい?」
母はその事には触れずに、伏せ目がちに呟いた。
「私はこれから、牢獄に囚われるでしょう。王子を騙そうとしたんだものね。厄介者は立ち去ります、良かったですね…でも、あの子達は悪くありません。あの子達まで不幸にしたくありません。口裏くらい合わせてもらいますよ」
「その、必要は…ないみたいだよ」
数人の兵士が母の前までやってきた。
「覚悟は出来ています…何処へでも連れて行ってください」
「そうですか、では明日王子とシンデレラ殿との結婚式が開かれます。是非王家が用意する特等席へご参席下さいませ」
「……へ!?まって、牢獄じゃないの?」
「とんでもありません。シンデレラ殿のご希望です。貴方が参加されないのでしたら、結婚もしないといって聴かないので必ずご参席下さいませ。では」
兵士たちは馬へと戻っていった。
どういうことなの、とシンデレラの方を向くと柔らかく微笑みかけて来た。
それは、何処までも呑気で人の気もしれない彼女が大嫌いな笑顔だったが、彼女の両目からは熱い雫が音もなく溢れていた。
「あんたは、娘達に幸せになってほしかったんだろ。それだけだったんだろ。今日まで、頑張ってきたんだろう?でもそれは、あの子達も同じなんじゃ無いのかい。胸を張って幸せにしてもらいなよ」
ずっと恨んできた。でも、分かってた。あの人を失ったのは、誰のせいでもないってことも、薬でも魔法でもどうしようもなかったのだ。それを、誰かの仕業と考えることでしか自分を保てなかったのだ。魔法を憎み、それにすがったあの子を憎んだ。
それでも…
「幸せになりなさい」
あの人との、最後の約束だけは守りたかった。魔法なんかに頼らなくても幸せになれるって証明したかったのだ。
だけど、不思議なものだった。願いは叶わなかった、策謀は失敗して、あんなに忌避していた魔法の力に助けられ娘は結婚する。何一つ思い通りに行かなかったけど、どうしてあの子の顔を見るだけでこんなに嬉しいのだろう。温かいのだろう。これが、幸せなのだろうか。
「魔法ってのは手段なんだよ。世の中幸せになる奴はなるし、ならない奴はならない。そいつにとっての幸せの形ってのは皆違うからね。でも、母親の幸せってのは大概子供の笑顔なんだよ。何とも、簡単だけど意外と難しいものさ」
ああ、と長年の重荷が解けたように破顔した。
あちらでは、王子と娘達が談笑している。
「聞いてよ、さっきねあんたが来る前に王子様ったら私に求婚仕掛けたのよ笑」
「い、いやそれは違うのですお姉さん」
「え?何それ…は・つ・み・み♥」
笑顔がとても恐ろしかった。
「私もそういえば、ガラスの靴に足を入れるとき胸を凝視されたわね」
「そ、そ、そんなことは」
「お・の・れ(怒髪天)」
シンデレラは鬼のような形相で王子に食って掛かる。
二人の姉は腹を抱えて、大笑いだ。
「あの子も、私の娘ね。きっと、王子を尻に敷くでしょうね。まったく…」
森の魔女は、今からそんなだと、明日の結婚式が思いやられるわよ、とそっとハンケチを差し出した。
終