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Beautiful Water Moon  作者: 悠鬼由宇
7/8

聖夜

師走も半ばを過ぎ、クリスマスが近づく。二年前はこれっぽっちも高揚感が沸かなかったクリスマスが来る。因みに去年もろくな思い出はない。フツーに塾で授業をした後、好きでもない女子と一緒に過ごし、ただ身も心も疲れた事だけしか思い出せない。

翻って、今年。予備校帰りに、水月の家で水月ファミリーと共に過ごすことが内定している。水月の親は泊まっていきなさい、と言ったそうだが即水月が却下したらしい。まあ妥当な判断だろう。ほんの少しの残念感は否めないが。


最近親父の帰宅が早い。あの上司に逆らいゴルフ旅行をキャンセルして以来、ずっとこんな感じだ。心配し、

「その上司に飛ばされたりしないだろうね?」

「ま、来年の人事異動でなんかあるかも、な。そん時にはー」

「そん時には?」

「命がけの土下座、かな。」

「はー。それでもダメなら?」

「知らん。なる様になる。どっかど田舎に飛ばされんなら、それが俺の人生って奴だ。どーだ、え? カッコいいだろ?」

「はいはいかっこいいですよーステキステキパチパチ…」

「なんじゃそれ。それより、美月チャンは今度いつウチ来るんだよ? こないだ美味しいって言ってくれたクッキー、また買ってこなきゃ〜」

「はいはいそのうちまたつれてきますわー」

お袋が口を押さえて笑いを堪えている。我が家にも二年前の様なヒリついた空気は流れていない。それは単に俺が余裕かましているだけなのかも知れないが。

「ケイちゃん、またA判定だったんでしょ。凄いじゃない!」

「いやまだまだだよ。この冬休みが勝負だよ。ここで気を抜いたらあっという間に抜かれていっちゃうから。気を引き締めないと、だね」

「はーーーーー、あんたホンっと変わったわねーー。アンタホントに夏までのケイちゃん? ねえお父さん… あーまた食べながら寝ちゃって。」

親父が涎を垂らしながら幸せそうに船を漕いでいる。お袋もそれを見て幸せそうに文句を垂れている。

あの当時の事を考えても、これ程穏やかな家庭生活は何年ぶりなのだろう。親父が例の上司に引き上げられたのが十年ほど前だったはずなので、少なくともこの間に親父が家で夕食を連日食べることは無かったはずだ。

来年以降、親父がどうなるのか流石に予想出来ない。だが少なくとも今年一杯は我が家に訪れたこのクリスマスプレゼントを三人で楽しもう。


二学期が終わり、冬休みに入る。

俺たち三年生はここからラストスパートに入る。朝から夕方まで予備校の授業、その後は夜まで自習室。夕食後は深夜まで自宅勉強。二年前はそんな過ごし方だった。

だが今年は夕方の授業が終わると俺と水月は洋輔の病室に向かう。洋輔は既に車椅子で院内を移動できる様になっており、三人で食堂に向かう。そこで夕食を取る頃には菊池穂乃果や駿太が合流し、時には吉村円佳、小宮、間らが加わり志望校対策の勉強を行なっている。

俺、水月、洋輔の三人とも志望校は同じ。志望学科はそれぞれ違うが高いモチベーションを持ちながら毎夜白熱した勉強会が続く。

時折、栗栖先生がフラっっとやってきては、

「但馬。睡眠時間これ以上削ったら意見書書かねえぞ。夜はしっかり寝ろ。お前らも同じ。夜はしっかり寝ろ。十分な睡眠をとることが翌日の脳の働きに関わるんだからな。後、免疫力向上にもなるからな。肝心の受験日にインフルとか洒落になんねーぞ!」

思わず顔を上げる。

「まさかー、そんな間抜けいませんよー」

……いや。その間抜けがお前なのだが、駿太。

「そーゆー先生こそ、ちゃんと寝てます? 目の下真っ黒っすよ!」

なんてオカン吉村円佳が口を挟むと、

「オメーらガキとはチゲーんだよ!」

…意外に、ガキなんだこの先生。J Kにガチで言い返してるし。

「クスリ先生。勉強と夕食の邪魔なのですが。」

と相変わらず人の名前を覚えるのが苦手な水月の一撃を喰らい、先生はブツブツ言いながら退散していく。


そんなある日。水月と病室に行くのと洋輔がリハビリから戻るのが同時だった。相当疲れた表情だったので、

「どうするこの後。少し休んでからやるか?」

「大丈夫。着替えたら降りて行くから。先行っててよ。」

「わかった。そーする。」

そう答えたが、何となく洋輔の表情が暗く感じる。リハビリ上手くいってないのか、と考えていると

「洋輔くん… 大丈夫かな?」

「水月…?」

「うん、ちょっと表情暗かったよね。今日は大勢で押し掛けない方がいいのかも。」

「うーん… 逆に大勢の方が気が紛れるんじゃねえかな?」

「気は紛れるかも。でもそれは問題の解決にはならないのじゃ?」

「お、おう… そりゃそうだ… って、洋輔の問題って、何だろうな…」

「親友の貴方になら話すのでは? ねえ、今日は私はこれで帰るから、洋輔くんの話聞いてあげて?」

「そっかなあ。でも。うん。お前がそー言うなら。そーするか。」


水月を見送り、俺はいつもの食堂に行かずに洋輔の個室に向かう。ちょうど駿太と下で会う。洋輔の事を話すと、

「じゃ今日は俺とお前だけにすっか。円佳達にそー言っとくわ。」

とグループに送信してくれる。

二人で病室の前に立つと、中から呻き声が聞こえてくるー 

良く聞くと、洋輔の泣き声だ…

洋輔の慟哭なんてこれまで一度も見たことは無い。人前では決して取り乱すことのない奴だった。誰よりも人に優しく誰よりも自分に厳しい奴だった。

そんな洋輔が、おそらく枕に顔を押し当て呻く様に泣いている様だ。

俺と駿太は立ち尽くす、こんな時一体どうしたら…

「アイツ… 俺らの前では一回も泣いた事ねえよな…」

「ああ。」

「プライドなんかな? 俺らには弱ってるとこ見せたくねえ、みたいな…」

「そんな奴じゃねえよ。そんなちっちぇー奴じゃない。多分―」

「多分?」

「…わからん。だって、俺は洋輔じゃねえから。」

「……ああ。」

「駿太。同情するな。出来るな?」

「……ああ。お前こそ…」

「…ああ。よし。入るぞ!」

「っしゃー」

「「ウイーす。」」

呻き声がピタリと止む。布団に包まった洋輔の体の膨らみが小刻みに震えていた。


「ダセーよな。情けねーよな。こんなんじゃ…」

洋輔が自虐的に呟く。そんなことはねえ、と大声で言いたくなるのをグッと堪える。

「体言うこと聞かねーんだよ。痛くて思った通りに動かせねーんだわ。」

震えた声で洋輔が呟く。

「…なあ、なんで俺、なの? 俺、なんか悪い事した?」

駿太の肩が震えだす。それを抑えようと手を乗せるのだが俺の手も震えている。

「どうして… 俺、なの!」

洋輔が怒鳴る。

「お前らじゃなく、何で、オレ、なのっ!」

洋輔が憤怒を俺と駿太にぶつける。

「オレ、なの… どうして…」

洋輔の両目から大粒の涙が溢れ出す。

「辛いよ… 痛えよ… 苦しいよ… ケイ… 駿太… 助けて、よ…」

洋輔の体に抱きつく。溢れる涙が洋輔のパジャマに染みていく。

「泣け。喚け。全部聞いてやる。」

駿太も俺の横から洋輔にしがみ付く。

「それしか出来ねえ。だから、いくらでも聞いてやる。恨め。うめけ。」

駿太がヒックヒックと声にならない声を上げながら何度も頷く。

「だから。話せ。俺と駿太に。何でも。」

洋輔が俺と駿太を交互に見ながらー 何度か軽く頷きー また嗚咽し始める。

試合でゴールを決めた時よりも強く抱きしめる。三人の啜り泣く音が病室に木霊する。

後ろから鼻を啜る音がしたので振り返ると、姿はなく遠ざかって行く足音が聞こえた。


     *     *     *     *     *     *


洋輔の情緒不安定はどうやら先生にも親にも見せないらしい。あの日から一週間後、再度俺と駿太の前だけで己に降りかかった不幸を思う存分呪い怒り喚く。

病室を駿太と出ると、栗栖先生が待っていた。親指でこっちに来い、と合図され俺らは先生に続く。

「あれで、いい。とにかく話を聞いてやる。それだけでいい。」

珍しく先生が褒めてくれる。

「お前らも辛いだろう。サンドバッグ状態だもんな。だろ?」

俺と駿太は素直に頷く。

「安心しろ。永遠に続くわけじゃない。これから徐々にこの間隔が開いてくるはずだ。今は週イチ。そのうち月イチ。三ヶ月毎、半年毎、ってな感じでな。」

俺と駿太は素直にウンザリとした顔をする。

「でも、な。但馬にとって、この世でお前ら二人しかいねえから。」

俺と駿太はハッとなる。同時にゴクリと喉を鳴らす。

「アイツを救えるのは、お前ら二人だ、って言ってんだ。家族でもねえ。恋人でもねえ。ましてや俺ら医者でもねえ。アイツの心を救えるのは、本物の友。俺はそう信じてる。」

「先生。昔なんかあったんすか?」

「昔? 今も、ずっとだよ。大怪我や大病で入院して、見舞いに来るのは最初のうち。そのうち誰も来なくなり、孤独の中で心を閉ざしそして壊れていくー 今まで嫌って言うほど見てきたんだよ。それに… ま、兎も角、お前らだけは俺は信じてるからな。」

「「ウッス」」

栗栖先生の後ろ姿を眺めながらふと思う。

「あの先生。絶対そんだけじゃねえな。もっと身近な人でそんな事あったのかもな…」

「そーかもな。でもあの人の言う通り。俺は絶対洋輔はズッ友だし。俺の出来る事なら何でもしてえし。お前もだろケイ?」

「バーカ。洋輔だけじゃねーよ。オマエもだよ。」

「ホント。オマエマジ変わったよ。前のオマエはさ、」

「お、おう…」

「正直イマイチ信用できなかったわ。」

「…そう、だったのか…」

「でも今のオマエ、サイコー。オマエの言う事、今なら何でも聞ける!」

「そんなら、これからの季節、インフルエンザに気を付けろよ。手洗いにマスク。受験終わるまで、しっかり。いいな?」

「? お、おう…」


先生はああは言ったが、『親友』の力にも劣らず、『恋人』の力も大きい、俺と駿太はそう思っている。自分の勉強もあるのに菊池穂乃果は毎日― そう、あの日から一日も欠かさず、洋輔に寄り添っている。

最近なぞ二人で病室でいる姿は長年連れ添った夫婦―知らんけど、の如しだ。ひょっとしたら俺や駿太がいなくても、十分洋輔は立ち直るのでは、なんて思うくらい仲睦まじく二人の時間は流れているのだ。

「んー。ま、いないよりマシかな。」

「は? そんななの?」

最近は先生に対し、タメ口。兄弟のいない俺には彼は歳のちょっと離れた兄貴の様な存在になりつつある。

「いやー。うん。あの子はよくやってるわ。実によく。」

「…おい… こないだ俺らに言ったアレは、何だったのー」

「バーカ。あの子がここまでとは思ってなかったんだよ! オマエといい但馬といい… 近頃のガキは生意気な…」

「へへっ そーいえば栗栖さんは、いないの? ウチの水月みたいなっ」

「いねーよ。女なんてな、どーでもいーんだよっ ちっ」


     *     *     *     *     *     *


「まあ、彼は色々辛い事があったのよ。仕方ないわ…」

夕食を兼ねた恒例の食堂での勉強会に婦長の和田さんがフツーに居座っている為、皆勉強どころでなくなっている。

「色々って?」

水月が目を大きくして尋ねる

「彼ね。ここに来る前に婚約してたのよ。それはモデルさんみたいに綺麗な人と。性格も優しくて控えめで。だけどね…」

「「「「「「ゴクリ」」」」」」

「結婚式の一月前。そう、丁度二年前かな… クリスマス前。その彼女が…」

和田婦長が深い溜息を吐く。俺たちの何人かが下を向く、俺も…

「結婚詐欺で警察に捕まったの。」


ずっこけた勢いでテーブルのコップを溢した吉村円佳が水を拭きながら呆れ顔で、

「な、な、何すかそれ?」

「これは聞いた話よ。結婚式は全部彼女が仕切っていて、その総額が五〇〇万円。」

全員が唖然とする。

「新居の東京のマンションの頭金―これも彼女が仕切っていてー 一五〇〇万円。」

吉村円佳が手に持っていた台拭きを落とす。

「今、その返済の為の公判中。どーなることやら…」

「そ、それはかなり…」

「うん… それはショックでかいわ…」

和田婦長が俺らに向き直り、

「そんな時に彼を慰めた優しい子がいたのよ。膵臓がんの患者さんだったんだけれど。」

落ちた台拭きを拾う手が止まる。

「膵臓がんって… それって、あの?」

「去年だっけ、映画になったわよね。そう、もう残り少ない命の女子高生の話だっけ…」

皆がゴクリと喉を鳴らす。何という…

「彼女に慰められ、一時は立ち直ったみたい、彼。でもね…」

「もーいー。聞きたくないっ」

吉村円佳が耳を塞ぐ。その様子仕草に、何かを感じてしまう。吉村、オマエ…?


「ダメよ。ちゃんと聞きなさい、最後まで。で、彼女の病態がちょっと落ち着いて一時帰宅することになったんだって。」

俺らは息をするのを忘れて聞き入る。

「その時にー彼は車持ってなかったのね、彼の親友に車を出してもらったの。そうしたら…」

吉村円佳がグッと目を瞑る。俺も握る手に汗を感じるー

「その親友と彼女、付き合い始めちゃって。去年結婚したそうよー え? 余命一年の新婦? 何言ってんの。彼女ステージ1だったから、手術で完治したのよおー」

全員がテーブルに頭をぶつけた。何だよそれ。

「結論から言うとー 栗栖先生は、相対的に女性を見る目が無い。そう言う話ですね?」

「その通り、星野さん! 大正解――」

「でも、ま、一応― 女に裏切られ、親友に裏切られ? 大変だったと言えば、まあ大変だったんじゃね?」

洋輔が素早くフォローするが皆は爆笑する。

「いやいやいや。マジ女見る目ねーわ、あのセンセ。」

吉村がバッサリ切り落とす。

「栗栖先生、見た目は佐藤健みたいでかっこいいし。背も高いし。それなりに優秀だし。でもねーあの性格じゃねー。デートのドタキャンは茶飯事。ラインしても既読スルー一週間はフツーらしいわよ。バレンタインに貰った生チョコは全て放置されたままで廃棄処分。人間的にダメ男くんなのよねえ。」

和田婦長がニヤニヤしながら楽しそうに語ると、

「うわーー 引くわー。それはアカンわー」

駿太が苦虫を潰した表情で呟く。

「なるほど、なるほど。」

そんな中、一人何度も頷く吉村円佳の目がキラリと光るのを見た気がした?


     *     *     *     *     *     *


洋輔のリハビリは順調に進んでいる様だ。心理状態も多少の不安定さは否めないが、大分落ち着いてきている様に思える。やはり俺たちのフォローに加え、菊池穂乃果の存在が大きい様だ。

予備校で受けた模試を病院に持って行き、洋輔に解かせる。解けなかった所を皆で復習する。これは俺や水月にとっても良い勉強法だ。人に教えるには自分が完全に理解していなければならないから。

元塾講の俺から見ても、洋輔は当然ながら、俺を含めたサポートメンバーの学力が確実にこの冬休みで上がっているのが分かる。この調子ならば、本当に洋輔は二月の受験に学力的には問題なく挑めそうである。

問題なのは… 吉村円佳なのだ… こいつは最近、勉強そっちのけで栗栖さんに纏わり付き、

「ほら先生! また寝癖がついたまま! ちゃんと無精髭剃ってこないと!」

「…いいだろ別に。うるせーな」

「は? 煩くされたくなかったら、ちゃんとすれば? ったくいい大人がだらしない。ウザ。」


「早乙女、何なんだアイツ、一々うるせーな。」

「自分で考えなよ。」

「は? んだよ、冷てーな最近オマエ。」

「あのさ。そろそろ三十路でしょ? もう少しさ、女心ってわかんないとさ。」

「…何様だ、オマエ…」

「じゃあ栗栖さんさ、水月や菊池みたいな女子、周りにいるの?」

「んぐっ…」

「もーすぐクリスマスじゃん。今年も一人で過ごすの?」

「ば、バーカ、仕事だ仕事っ ク、クリスマスなんて、カンケーねーよ…」

「ねえ声が震えてるよ。」

「だ、黙れリア充め。勝ち組め。え、えらそーに…」

「誰が悪いの? 自分でしょ? 女見る目の無い、自分が悪いんでしょ?」

「ウッセーな。高校生のガキに言われたかn― は? 見る目無い? 何だよ。オマエ、何なんだよ。何知ってんだよ俺の…」

「さーて。そろそろ帰ろっかなー。愛する水月とー。楽しみだなー、美月の家族とのクリスマスパーティー!」


酸欠の金魚のように口をパクパクさせる栗栖さんに背を向け、水月が待つ病院の玄関に急ぐ。そうなのだ。星野家のクリスマスパーティーはもう明後日なのだ。

本当は受験も控えているし洋輔の事故もあったので、断ろうかと思っていたのだが、ご両親が勉強に差し支えない程度で夕食だけでも、と熱心に誘ってくれたそうなので(水月曰く)予備校の後にお邪魔することにしている。


元の世界ではこの日、水月からクリスマスプレゼントに手袋を貰うだけだった。次の日に慌てて買ったマフラーを渡し、ようやく彼女の気持ちに気付いたのだった。まあそう考えると、俺も女子の気持ちなぞ栗栖さん並みにわかってなんかいなかったのだがー

あれから何回か水月の家にお邪魔し、勉強会がてらお茶を共にしたりしている。が、今回初めて水月の兄を紹介されるらしい。

俺らよりも八歳上で既に社会人、それも警察関係の仕事だと言う。既に家を出ているとのこと。水月から為人は何となく聞いてはいるが、実際はどんな感じの人なんだろう。写真では水月の父親によく似た穏やかそうな人なのだが…


     *     *     *     *     *     *


思えばクリスマスに自宅でキリストの生誕を祝う、など初めてである。我が家は子供の頃はクリスマスツリーを飾ったりした記憶はあるものの、浄土宗系の家系でありキリスト教の行事としてクリスマスを過ごした事はない。

かと言って星野家が純然たるクリスチャンな訳でも無いらしい。口の悪い奴は西洋かぶれ、なんて言うかも知れないのだが。

とにもかくも、母親に持たされた洋菓子を持ち予備校へ向かう。二年前もそうだったが今年の冬は暖冬で、少し歩くと汗ばんでしまう程の陽気である。しかしながらインフルエンザは既に流行り始めており、外出時のマスクは欠かせない。

二年前の経験から、既に我が家にはマスクのストックが潤沢にある。仲の良い友人たちにはそれとなく買い溜めしておくよう伝えてある。特に駿太には、

「マスク。薬用ハンドソープ。出来ればアルコール消毒液。絶対春までの分買っとけ。洋輔の見舞いは春まで、だろ?」

「おおお。そーだな、うむ。備えあれば憂いなし。敵を知り己を知れば百戦百勝♫ なんてな」


授業が終わり、水月と予備校を出る。スマホを弄りながら浮かない顔をしている。

「どうした。なんかあったか?」

「それがね… 兄が仕事終わらなくて、今夜は帰宅が深夜になるって…」

「あれま。残念。」

少しホッとする自分。

「兄もケイに会いたがっていたのだけれど。またの機会に、ね。」

そんな話をしながら水月の家に向かう。


水月の家は川越の高級住宅地にあり、それが当たり前のようにどの家もライトアップされている。水月の家も御多分にもれず、かわいいサンタの人形が淡い光をたたえて俺を迎えてくれる。

リビングに入るとかなり大きめのクリスマスツリーが飾ってあり、L E Dのライトが綺麗に点滅している。この時期にツリーを間近で見るのは何年ぶりだろうーそんなことを考えていると

「Merry Christmas,Boy & Girl!」

と流暢な英語で… サンタが部屋に入ってくるーマジかよ…


「いやー、これやらないと、美月がうるさくて。この子が子供の時からのウチの、僕の習慣なんだ。本当はそろそろ光陽にやらせたかったんだけどね。」

星野光陽、さん。水月の兄であろう。月に太陽か。それにしてもお父さん、サンタコスプレが満更でもなさそうですが…

「でも、本当に仲の良い家族ですね。僕は一人っ子なので、何だか羨ましいですよ。」

「そう言ってもらえると嬉しいな。」

「星野さん、今日平日ですよね… こんなに早く会社から帰って、大丈夫なんですか?」

今夜に限らず、水月の父親は夜は大抵家にいる。うちの親父とは大違いだ。あ、でもあれ以来、大体家にいるか… 食品会社の重役は接待などで夜は忙しそうなのだが…

「僕はね、あと僕の部署はね、基本夜の接待など行かないししない。夜は家族との大事な時間だからね。光陽の会社、いや組織はそうもいかないのだろうけど。」

「お兄さん、警察関係だって聞きましたが?」

「うん。大学出てキャリア採用で、ね。まさか自分の息子が警察官になるなんて。子育てって本当に面白い。」

キャリア警察官― エリート中のエリートじゃないか! 水月のやつ、ちゃんと話さないから… 父親が重役。兄がエリート官僚。絵に描いたような高級国民一家、というやつだな…

でも何となく分かったことがある。水月が友達が少なく学校でボッチでも平気な顔をしていた理由― 愛に包まれた家族があるから。

「水月がね。中学生くらいから全然友達を作らなくて、僕らはすごく心配していたんだよ。でもやっと最近、仲間が出来たようで。それも学園一の色男を彼氏にしてさ。この夏からあの子は本当に変わったんだ。学校のことをよく話すようになったし、友人のことも。勿論、君のことも。そのお陰でね、我が家が本当に明るくなったんだ。受験間近だというのにね。」

星野さんの問わず語りが続く。サンタの格好のままで。


水月は母親と二人でキッチンで大奮闘している。星野さんは殆ど料理をしないそうだ。俺は元の世界の時に一人暮らしをしていたので基本的な料理は何とか作れる。が今見ているようなかなり本格的な料理は作った経験がない。

七時を過ぎ、ダイニングのテーブルには未だかつて見たことのないクリスマス家庭料理が並べられていた。

「早く君たちも飲めるようになればいいのに。…ホントは飲めるんだろう?」

「ちょっとお父さん! 冗談にもほどがあるわ。酒気帯びで帰ったら早乙女くんのご両親なんて思うのよ!」

「…そうだった… スマンスマン… あ。泊まっていくかい、今夜?」

「受験が無事終わったら……」

「あはは、そうだそうだ。その通りだ。」


その殆どを水月が作ったディナーを食べながら会話が弾む。両親はお酒が入り、更に陽気になる。

「もうこの人ったら、美月が生まれてから『ウチの会社の食品は絶対食べるなっ』って、自然食品しか食べさせなかったのよお。」

「え、光陽さんには…?」

「男の子はどーでもいいんですって。ほっといてもその内勝手に育つって。」

正に箱入り娘だ…

水月のスマホが鳴動する。相手はどうやら兄のようだ。

「うんそう。今皆で食事中なの。え… 今? それは… うん、分かった。ちょっと待って…」

水月がすまなそうに俺に、

「兄が、今なら少し外せるから、ケイと話をしたいって。」

両親が苦笑する。俺も苦笑いしながら水月のスマホを受け取る。

「早乙女君ですか? 初めまして、兄の光陽です。」

「あ、初めまして。水月さんにはお世話になっています…」

「いえいえこちらこそ。それより今夜は失礼しました、どうしても片付けねばならない案件が出てしまい…」

何でも都内の某署に副署長!として勤務しており、何か事件の対応に追われているらしい。この若さで副署長とは… やはりエリートコースにいる人間は違う。素直に凄いと感じていると、

「早乙女君は女子に相当人気があるんですってね?」

「いや、そんな事は…」

「はは、謙遜しないで。美月は男慣れしてないので、よろしくお願いしますよ。」

「はい、それは勿論―」

「もし、美月を泣かせるようなことになったらー」

「……」

「国家権力を君は敵に回すことになるんだからね。よく覚えておいてください。あ、そろそろ仕事に戻ります。いつかゆっくりお会いしましょうー」

水月にスマホを返す時、手がブルブル震えていた……


食事があらかた終わり、クリスマスケーキ、流石にそれは自作ではなく、星野さんが仕事関係の伝で超有名パティシエ作の実に豪華なもの、をゆっくりと味わう。俺は案外甘いものが好きなので、素直に感動する。

ご両親は既にシャンパンと赤ワインを一本ずつ空け(!)いい感じに微睡んでいる。水月と俺で食器を片付け、食洗機に放り込むだけだったのだが、ダイニングに戻ると夫婦はソファーで仲良く転寝中であった。

「いつもこうなの。食べるだけ食べて、飲むだけ飲んだら、こう。さ、上に上がらない?

プレゼント渡したいし。」

水月が呆れるように溜息をつきながら俺に言う。クスリと笑いながら俺は肯く。

俺は鞄を持ち、水月に続いて階段を上がる。クリスマスにプレゼント交換なんて初めてである。二年前の例からきっと彼女は俺に手袋をくれると推測している。俺は本来明日渡すはずだったマフラーを用意している。


「これ… 気に入ってくれると嬉しいんだけど…」

水月が机の上から綺麗にラッピングされた紙袋を俺に差し出す。ゆっくりと上手にラッピングを解いて袋を覗くと… 案の定、この二年間俺が愛用した青いニットの手袋が出てくる。

元の世界ではこの手袋が唯一の星野美月の思い出であったのだ。受験発表の帰り道のことは忘れられない。志望校に合格してメチャクチャ嬉しいはずなのに、あの時俺は喪失感に呆然としていた、この手袋を眺めながら。

合格して、こうして得たものよりも、掌から滑り落ちていったものの大切さ。今更気付いた時には全てが遅過ぎた…

何であの時、自分に余裕を持てなかったのだろう。自分の事ばかり、自分の成績ばかりに固執して周りが何で見えなかったのだろう。

どうして星野の気持ちに応えてやれなかったのだろう。どうして二人手を取り目標へ進もうとしなかったのだろう。

大学生になり、何度この手袋を握り締めながら、後悔したことだろう。

それが、今……


俺も鞄からプレゼントを取り出し、彼女に渡す。

「はいこれ… おま…お前に似合う… と… っく…」

不覚にも、涙が止まらなくなっていた。

水月が唖然として俺を、俺の涙を見ている。この涙の意味を必死で考えている。だが決して彼女がその意味を知ることはないだろう。それでいい。

「あの… ありがとう… ケイ、大丈夫?」

ソファーでなくベットにふたり腰掛けている。両手を俺の頬に伸ばし、不思議そうに両親指で俺の止め処もない涙を拭い続けてくれる。

愛おしさが止められない。そっと抱き寄せる。涙を水月の右肩で拭う。水月の両手が俺の背中に回される。俺の膝の上で水月と向かい合う。

カーテンの隙間から月の光が水月の顔にかかる。あの鎌倉で見た慈悲深い優しい微笑みが目の前にある。


水月が目を閉じる。唇を近づける。唇に触れる。閉じた目蓋の裏に金色の光を感じる。

未だかつて感じたことのない幸福感が押し寄せてくる。

生まれてきてよかった。出会えてよかった。一緒になれて本当によかった。

舌を絡める。有名パティシエの最高傑作よりも甘い味に脳が痺れる。


プルッ プルッ プルッ

水月のスマホの着信音だ。100パーセント、あの人からだろう。

「お兄さん… 何?」

「ちょっと、長過ぎないか?」

思わず部屋の四方に視線を張り巡らすー 恐えよこの兄貴… なんなんだよっ 妹の部屋に何てことを…


     *     *     *     *     *     *


師走の終わりも二年前同様、とても穏やかな陽気だ。予備校は三十日で終了、再開は四日からだ。受験まで丁度二ヶ月である。

二年前と違うのは。

あの時は水月の気持ちを疎ましく思い、予備校から一人で帰るようになり、帰宅後も親と口も聞かず部屋に篭りひたすら勉強していた。年末年始も殆どリビングに降りず、自室に籠もっていた。

「ケイちゃん、あんた勉強大丈夫? 大掃除なんて手伝わなくっていいわよ、勉強したら?」

「息抜き、息抜き。だってあの親父ですらちゃんとやってんだし。」

「ホントよねー、絶対明日の大晦日、大雪が降るわー」

「親父… 会社の方、大丈夫なのか?」

「仕事自体は今まで通りみたいだけどー 人間関係が大分変わったみたいよ。でも前ほどガツガツしてなくて、いいんじゃない今のままで。」

「そっか。それならいいんだけど。」

「洋輔君、調子はどうなの?」

「リハビリは大変そうだけど。勉強頑張ってるよ。入学式は車椅子じゃなく義足で歩いて出席するってさ。」

「…なんとか、なんとか合格させてあげたいねー」

「ああ。だからずっと毎日勉強会。受験日終わるまで。」

「美月ちゃんも一緒なのね?」

「うん。最近ウチに来れなくて寂しがってるよー。話したっけ? アイツの兄貴がとんでもねえシスコンでさ、こないだもー」


突如、お袋が俺にしがみついてくる。

「ケイちゃん… あんた変わったんじゃない… 別のケイちゃん、なんだよね?」


俺は一瞬で頭が真っ白になる。

「は…… 何、言ってんだよ…」

「ケイちゃんはケイちゃんなんだけど… あなたは別のケイちゃん。どっかから来た、他のケイちゃん。そうよね。だって、顔も声も匂いもそのままだよ、でも全然違うから。変わったんじゃない。替わったのね。どうして、ねえどうして? 夏までのケイちゃんは何処行っちゃったの? あなたは何処から来たの?」

俺はお袋をギュッと抱きしめながら

「何… 言ってんだよ。俺は、俺。たとえ俺がどっかから来たとしてもさ、お袋の息子には変わりねえだろ。」

「そうだけど。そうだけどさ、夏までのさ、自分の事で精一杯で周りが何も見えなかったケイちゃんはさ、何処に… 何処に行って… 何してて…」

「…俺も、よくわかんねえんだよ… よくわかんねえから、ありのままを受け入れてやってるだけなんだよ… ダメかなこのままじゃ?」

震えながら訴える俺をお袋が更に力を込めて抱きしめる

「いいのよ、いいの。うん、あんたはこのままで。このままでいなさい。いいわね。今まで通りに。」

「うん…」


どうして… お袋は気づいたのだろう、俺が別の俺であることを…

そしてどうしてお袋はすんなりそれを受け入れてくれるのだろう。俺は外見は同じだが中身が別の息子を受け入れられるだろうか。こればかりは自分が親になってみないとわからない。

親父は全く気付いてないようだけど。やはり母親って凄い。今の俺よりも、夏までの自己中の俺はどうなったのかを心配している。出来の悪い子ほど可愛い、のだろうか。

二年前から来たことは知らないが、俺が俺と入れ替わったことをハッキリと認識された。だが母の言う通り、変に意識することなくやって行こうと思う。

但しー

「あのさ。マスク、とトイレットペーパー。買い置きしておこうよ。午後買い物付き合うからさー」

「……わかったよ。ふふ。ふふふ。」

何がわかったのか。ニヤニヤ笑い出す母の心は読めないが、母の瞳に映る優しさは今の俺なら難なく分かる。


     *     *     *     *     *     *


親父とお袋と三人で買い出しなんて何年振りだろう。そもそも三人で車で出かけること自体、今年初かも知れない。あと一日なんだけど今年。

こんなに使わねえだろ、とブツブツ言いながら両手にトイレットペーパーとティッシュを抱える親父を宥めすかし、更にマスクを二パック購入するべくお袋と先へ進む。

「ねえケイちゃん。もっと買っておいてさー」

「はあ?」

「いざっていう時―メルカリで売りに出しちゃう? へへへー」

「頼むからーそれだけは、やめておこう…」

「えーー、なんかお小銭稼げそうじゃんっ あとは。何買っとけばいい?」

なんだかドラえもんを見つめるのび太のような視線で俺を伺うお袋。ま、それならそれで俺はいいけどさ…

「手洗いソープ。消毒用アルコール。生理用品。とかかな?」

「…ねえよ。もう上がっちゃったわよ…」

「???」

「!!!」

上がった、とは? 何だろう。今度水月に聞いてみよう。


久しぶりにー本当に何年振りだろうー買い出しの帰りに国道沿いのファミリーレストランに入る。小学生の頃までは毎週のように行っていた。週末のサッカーの試合の帰りに。

「そう言えば三人で年末の買い出しなんて… 随分久しぶりだよな。な、ケイ。」

「俺が物心ついてからは、初なんだが。」

「そうよー。いつも私一人でえっちらおっちらやってたんだからっ」

「いやー。なんか色々あったけどな、いい年を越せそうだな。」

「それな。ホントそう思うよ」

「お前もいよいよあと二ヶ月か。風邪とか、特にインフルエンザには気をつけろよ。」

「わかってるって。父さんも手洗いだけはちゃんと頼むよ。」

「ば、ばか言ってんじゃねえよ。『川越のラスカル』になんて偉そうなことを言うかな?」

「…ラスカル? 何それ?」

「さあ。もう行くわよー。帰ってからもうひと掃除しなくちゃ! ケイちゃんは勉強しなさいよ。」

「「はーい」」


こうして俺にとって激動の一年が終わろうとしている。明日のことはもはや何も予測できない。年明けて、二年前の様にコロナウイルスが世界を席巻するのだろうか。駿太はインフルエンザに罹患するのだろうか。そして水月は、俺は、志望校に合格できるのだろうか…

窓の外は大晦日の寒空だ。間もなく除夜の鐘の音が聞こえてくるだろう。二年前の除夜の鐘の音の記憶は全くない。それどころでなく勉強に没頭していたのだろう。

シャーペンを机の上に置く。窓を少し開ける。冷たい冷気が熱を帯びた頭を冷やしてくれる。スマホを開き、水月に年末年始の挨拶を入力する。

鐘の音が遠くに聞こえてきた。送信をタップすると同時に水月からの長文のラインが届く。それをベッドに寝転びながら何度も読み返す。

読んでいると怒涛のように新年の挨拶が届く。その中に里奈からの挨拶があった気がする…


今から始まるこの令和二年が、俺にとって、水月にとって、そして俺を取りまく全ての人にとって最高の年になりますようにー

スマホの電源を切り、部屋の電気を消す。目を閉じる。寝つきは良い方なのだが、今夜に限っていろいろな想いが脳裏を交差し、何度もキッチンの冷蔵庫を開くことになった…


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