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Beautiful Water Moon  作者: 悠鬼由宇
6/8

単車

平穏な生活が続く。

今では熾烈な受験勉強ですら、心の安らぎに組み込まれている。水月と一緒に下校し、予備校へ通い、予備校の帰りにファミレスに寄り。家まで送って行き、寝る前に二人で取り決めた『十五分電話』の後に布団に入り。

土日は予備校の模試や強化科目の補講に出てから、お互いの家で勉強会。初めて俺の家に連れてきた時の親父のキョドリ具合は死ぬまで言い続けてやる!

「き、君が、ミヅキちゃん! うわー、可愛いね、そこらのアイドルよりずっと素敵だよー、綺麗な髪だねー、ねね、彼氏いるのー?」

突如水月を口説き始める親父。そんな親父に一言。

「お父様、ケイくんそっくり、ですねニヤリ」

「そ、そうかなー、顔はあんまり似てないでしょー」

「いえ。その手の早そうな所が、ですニコリ」

三秒で顔が真っ赤になり、でへ、でへっと気味悪い呻き声をあげる親父に、

「でもそんなお父様も素敵ですよ。これからもよろしくお願いしますね。」

ガクガク頭を下げる親父。おい。軽くあしらわれてんじゃねえよ…


季節は移ろい、コートが必要な日が多くなってくる。ふとスマホのカレンダーを見ると、『洋輔、バイク』と書かれている事に気付く。

そうだ。今月末のいずれかの日、洋輔がバイクで左脚切断の大事故を起こすのだ。


「駿太さあ、洋輔って今でもバイクよく使ってんのかねー」

洋輔がいないのを見計らい、駿太に聞いてみる。

「んーーー、どーだろー、土日とかに乗ってんじゃね?」

この夏までは俺より遥かに成績が良かったのだが、夏以降俺の後塵を拝している駿太は最近俺をライバル視し、少し距離を置かれている気がする。

「そっか。あのさ、今度の日曜、みんなに声かけて勉強会しね?」

駿太が俺を一瞥し、

「ミヅキちゃんと勉強すんじゃねーの?」

「家族で墓参りだと。」

「ふーん。いーけど。色々教えてくれますか早乙女さん!」

「なんか… 棘が… いたっ!」

と胸をおさえると、駿太がプッと吹き出し

「はーー。やっぱ、オマエにはかなわねーわ。おっけ。勉強しよ勉強。共に励もうぞ!」

「洋輔も誘おうぜ。あとー」

「えーなになにー、勉強会―? いーじゃん、しよしよ。」

と言って、おかん吉村円佳が話に割り込んでくる。

「おーーー! やりますかー! ヤルかー!」

「は? 駿太エロい。キモい。バカじゃね?」

「まどかー、最近冷たくねー?」

「ウッザ。美月は来れないんかーちぇっ、ケイと美月、イジメ抜こうと思ったのに…」

怖えよ、おかん…


冷たい雨の降る日曜日。俺たちはいつものファミレスに集まり勉強半分、お喋り半分の時を過ごす。俺はなんとかして洋輔の事故を阻止したい。ので、最近の洋輔の行動形態を聞き出すのに集中する。

「バイク? そー言えば最近乗らないわー。寒くなってきたし。」

「そっか。もうすぐ受験だし、いっそ合格発表まで乗るのやめろよ。」

「へ? うーん、でもたまに気晴らしで乗りたくなるんだよなー」

その気晴らしがお前の人生を狂わすんだ。

「じゃさ、今度乗る時俺も乗っけてよ。俺も気晴らししたい時あるしー」

洋輔が首を傾げながら

「いいけど。なんで急に?」

慌てて言い訳を考えるー

「いや、バイクって、いいなって最近思ってさ。水月乗せて走りたいな、なんてー」

鼻で笑われる

「なんだよ。シミュレーションか。彼女持ちは余裕だねえー ま、いいけど。」

「ははは。まあ、そんなんだからー 連絡くれよ。バイク乗る時は! 事前に。出来れば前日に!」

「お、おお……」

イマイチ納得いかない顔で洋輔は頷く。


「それより、美月ちゃんとうまく行ってんのか?」

駿太、吉村円佳、菊池穂乃果、それに小宮卓、間旬らが一斉に食い付く。勉強しろよ……

「まあーなんとなくーこないだ両親紹介されたー」

おおおおおおーー

そ、そんなに驚く事、なのか…?

「そんでー最近はウチで一緒に勉強する事もー」

これはもうアレだな、そーねもうアレね、しかしあのケイがなあ、それな、あの子超真面目そうだからまだアレじゃない、うーんケイだけにーそこはビミョー、お互い親に会わせるって…超本格的やね、これはもう将来決まったも同じだなー

「で。お前大学入ったら一人暮らしするって言ってたけど。それは『二人暮らし』と捉えて良いのかね?」

「頼む…… 勉強しよーぜ…オマエら… もう、これ以上…」

「わかったわかった。じゃあ最後に一つだけ! 二人はー」

「まだしてません。以上。」

一同顔を見合わせながら納得しがたい顔でブツブツ言っているが。事実は事実だし。

「じゃあさ、ケイ、」

洋輔がニヤリと笑いながらー

「美月ちゃんとそうなったら、バイク乗せてやるっ お祝いに!」

洋輔、それは俺だってそうしたいのは山々だわ。でもな、相手の親のプレッシャーって凄えんだわこれが。二人暮らし? あり得ねえって。二人でお泊まり? 無理無理無理。どっちかの部屋で… いやいやいや、隠しカメラとか仕掛けられててこれからいざって時に『ただいまー』って帰ってくるに違いないって…

なので、ここは妥協案としてー

「いやいや、乗せてくれたら、善処する。」

洋輔は腕を組み

「んーーー。てか、なんでお前そんなに俺のバイクにこだわんの? 今まで乗っけろなんて一度も言わなかったよな。」

「だ、だから、いつか水月とツーリング…」

「んーーー。なんだかなー。ま、いいけど。」


脇汗がすごい。親しい奴にウソやごまかしはしたくない。故に体が拒否反応を起こすのだ。頭では洋輔の為、と考えているのだが魂レベルでこの方法論としての虚偽を否定しているのだ。

なんとか洋輔の事故を防ぎたい。だがその為にウソやごまかしをしたくない。

では、どうすれば誠実でいられつつ事故を防げるだろうか?

水月に相談したい。きっといい考えを思いついてくれるだろう。

親父に相談したい。アホくさいが意外にイケそうな案を授けてくれそうだ。

駿太に、仲間に相談したい。きっとみんなで洋輔がバイクに乗るのを止めるよう説得してくれそうだ。


どれも叶わぬ想いだ。俺は一人でなんとかしなければならない。すでに洋輔は俺に不信感を抱いている。今頃何故急にバイクに乗せろなんて…

それにだ。もし洋輔が渋々バイクに乗せてくれたとしよう。それが事故防止につながるのだろうか? 俺を送迎する前後に事故る可能性もある。なんなら俺を乗せたまま…

一番手っ取り早いのは、友情を捨てて洋輔のバイクを走行不能にする! 鍵を隠す、単純に破壊工作をする、そして盗む、など。

これは俺の洋輔を守りたい気持ちと良心との戦いだ。この葛藤に悩んでいるうちに事故は起きてしまうだろう。

クソ…事故の日をしっかりと思いだせればー その日を特定出来れば、やりようは色々あるのだがー

ダメもとで洋輔に

「しつこいけどー 気分転換以外で、今月バイクに乗る用事ってあるのか?」

洋輔は苦笑いしつつ

「まーじ、しつこいね。」

「……だよな…」

「ケイ、らしくないよ。逆にどうしたのよ。マジで?」

「今度さ、ゆっくり話すわ。それっきゃ言えねえわ。」

「……そか。じゃ、そん時に。」


     *     *     *     *     *     *


それからの俺は『その日』を思い出すことに没頭している。もう二年前の事なので記憶は大分あやふやになっている。それでもノートに記憶の短冊を一枚一枚丁寧に書き出していく。

『その話を聞いたのは予備校から帰った時』

ここからスタートだ。

予備校があった、イコール平日の月水金、模試があれば土日。ノートに作った十一月のカレンダーの火木と模試の無い土日に赤で斜線を引く。

『十一月の終わり頃だった』

気がする。特に根拠はない。なんとなくだ。そしてそれは最後の週という意味ではなく、あくまで『下旬』だ。中旬までの日々に赤の射線を引く。

その日の翌日、学校帰りに病院にお見舞いに行った事を思い出す。駿太らサッカー部員らと面会謝絶の病室の前で泣き崩れたのを思い出したのだ。

従って土曜日では無い。

ここまでで候補となる日は二十二、二十四、二十五、二十七、二十九日の五日間に絞れる。ここからは推測と推理でなんとか特定しなければならない。


洋輔の行動形態を吟味する。

バイクの免許を取りバイクを手に入れて以来、洋輔はどんな時にバイクに乗っていただろう。

学校の行き帰り? あり得ない。塾や予備校の行き帰り? 学校から直行するのであり得ない。買い物の時? バイクでは買い物に行かんだろフツー。となると……

アイツが言ってた様に、『気晴らし』でフラッと…

となると、平日では難しい。夜になってしまうからだ。更に、最近寒くなってきたので乗っていないと言っていた。わざわざ寒い夜に気晴らしに出る事はないだろう。

消去法を重ねていくとー 祝日、または日曜日に辿り着く。 

二十四日の日曜日。

この日に辿り着く。あとは祈るだけだ、この日であります様に… は? 何を俺は祈っているのだ… この日に事故ります様に? 違う違う!

この日に洋輔がバイクに乗りません様に。てか、乗せない。乗らせない。


日にちを特定したので次に手法を捻り出さねばならない。いかに洋輔をバイクから遠ざけるか。そう。乗らせないには、洋輔をバイクから遠ざける状況を作り出せば良い。例えば今日の様な勉強会を開くのもいいし気晴らしに皆で電車で東京にでも遊びにいくのも良いー予備校をサボって。


こんな事を毎日考えているうちに中旬になってしまう。未だ具体的な考えは纏まっていない。と言うのは何か思い付くと、果たして本当に二十四日なのだろうか。別の日なのではないか?  と疑心暗鬼になってしまうのだ。

それにそもそも元の世界での『その日』が二十四日だったとして、この世界でも『その日』が二十四日なのだろうか? 数日ズレているのではないか? などと不信不安のループに入ってしまっている。

これまでにー俺がこの世界に来て以来―元の世界では無かったイベントが多数あった。水月との鎌倉デート、文化祭の対外試合、里奈宅や水月宅での出来事。

そして元の世界ではあったのだがこの世界では無いイベント…

あれ… ちょっと待て… 無いぞ! この世界で無いイベントなんて、無いぞ!

それならば、洋輔がバイク事故に遭うというイベントは間違いなく二十四日にこの世界で起きる。そう断定しなければ頭がおかしくなりそうだ。


人知れず悩んでいたつもりだったのだが、

「ケイくん。最近何か悩んでいる、よね…」

水月には見抜かれていた様だ。

「わかるんだ?」

無言で彼女は深く頷く。予備校の帰り道。秋の深まりが木枯らしを更に冷たくしていく。

「ゴメン、今はお前に話せない。いつか話せる日が来ると思うーその時には、ちゃんと話す。だから今はーゴメン。」

「ひとつだけ聞いていい?」

「うん。なに?」

「それって…私の事? 私達のこと?」

「違う。友達のー洋輔の事。」

「洋輔くんのこと… うんわかった。いつか話してね。それとー」

「ん?」

「もしー人に話したくなったらー真っ先に私に話してね。相当変な話でも受け入れるよ。」

相当、どころか信じられぬ程に、変な話なんだが…


「例えばー 実はケイくんは未来から来た人だったー とか。」


「はあーーー?」

「冗談。冗談だって。きゃは。」

おい。冗談にも程があるぞ。心臓が止まるかと思った。水月は相当感の鋭い女なんだ。意外な一面に少し驚きが隠せない。

「ったく、妄想力ありすぎ、水月は。さ、行くぞ。」

自然に左手を差し出す。えっ、と一瞬戸惑うがすぐに顔を綻ばせ右手を絡ませる。後日水月に指摘されるのだが、俺たちが公式に初めて手を繋いだのが、この時だったらしい。


     *     *     *     *     *     *


十一月も中旬を過ぎ、間も無く下旬が近づいてくる。俺は確実な日にちの特定もできず、そして有効と思える対策も思いつかず、悶々と過ごしている。

今日も予備校を終え、すっかり吐く息が白くなった夜の駅までの道を水月と歩いている。彼女と一緒にいても洋輔のことがどうしても頭から離れず、勘のいい水月はとっくに気付いていてそれでも俺に気を使いその事には何も触れないでいてくれる。

しかしそれが数週間にもなると、水月のその気遣いが俺にとって却って重荷となってくる。いっそのこと全てを彼女に話してしまいたい誘惑に何度駆られたことだろう。

だがそうなるとーここまで培った二人の関係がどうなるか? その恐怖に身動きが取れなく、悶々とする日が過ぎていく。

そんなある夜。我慢の臨界点を超えたのであろう、水月が急に、

「洋輔くんのこと、どうなったのかな…」

俺の目をしっかりと見据えて聞いてくる。


「実はさ… 理由は言いたくない、聞かれたくないんだ、それでも良い?」

キョトンとした顔で水月の眉が顰められる。しばらくして、

「…わかった。で?」

俺は全てを話す勇気がなく。それでも縋る思いでポツリポツリ話し始める。

「どうしても… 洋輔を月末の… おそらく二十四日に… 絶対バイクに乗せたくない、んだ」

水月は大きく息を吸い込み、天を仰ぐ。やがてゆっくりと息を吐き出しながら、

「……わかった。理由は聞かない。じゃあ、その日、みんなで遊びに行こ!」

「へ?」

「だってみんなで遊びに行けば、洋輔くんバイクに乗らなくて済むでしょ?」

な、成る程。それはそうだ。確かに。しかし受験勉強の佳境の最中に…? しかもその日は俺と水月は予備校の模試が…

「サボろ。いいじゃん、一日くらい。」

「わかった。でも俺らはそれでいいとして、洋輔たちは…」

「だから、息抜きにみんなで行こうっ、て言えば、どうかな?」

「いい。それ、いい。そうしよう。うん、流石水月!」

「そーゆーのいいから。で、どこに行こうか?」

俺は綺麗な月を見上げながら考える。みんなで、遊びに。どこがいいか…

「あのさ、遊園地とか、どうかな? 東京ドームシティーとか…」

「……なんか、そんなアニメあったな。川越の中学生がみんなでそこに行って遊ぶ、みたいな」

「そうなの? よく知らないけど。」

ああそうだよ、水月。ああ、月が綺麗だ……


「いーーじゃん! 行く! マジ行く!」

吉村円佳が大賛成してくれる。

「どーゆー風の吹き回しだかー でも、悪くない。いやむしろそれしか無い!」

駿太も即決。

「んーー、俺その日、久しぶりに遠乗りしようかと思ってたんだよなー」

洋輔の一言に心臓が口から飛び出るほどビックリする。そうだ。やはりこの日に間違い無いんだ。慌てて翻意させようと口を開きかけた瞬間、

「みんなで遊園地、行こうよ! 洋輔くん」

洋輔が水月を驚いた表情で見て、

「みんなで、遊園地、か。うーん。」

水月が洋輔の腕を取り、

「ね、行こ!」

余りの水月のしつこさに洋輔は苦笑いしながら、

「はは、なんか珍しいじゃん、みづきちゃん。でも。うん。みんなではしゃげるのって、受験終わるまでそんなに無いし、な。うん。行こうか。みんなで!」

皆が声をあげて喜ぶ。俺は一人ホッと胸をなで下ろす。

これでいい。いいはずだ。


     *     *     *     *     *     *


秋も終わりに近づき、間も無く冬の訪れだ。令和元年は夏が酷暑で冬は確か暖冬だったはずだ。雪が殆ど降らず、そう言えば思い出した! 中国で発生したコロナウイルスで年明け後の日本も世界も大騒ぎになったのだ。受験シーズンにはインフルエンザの流行も加わり、外出時にはマスクが欠かせなかった。

もし俺に山っ気があるなら、今からマスクを買い占めて置くところなのだが。そんな事より、受験と水月と、仲間たちの事で頭がいっぱいなのだ。

洋輔がバイクで事故ったであろう令和元年十一月二十四日。朝からグズついた天気でお世辞にも遊園地日和では無い。それでも俺たちは十時に川越駅で待ち合わせる。

東上線で池袋まで行き、丸ノ内線で後楽園駅で降りる。約一時間で小雨交じりの東京ドームに到着する。


「ったく、誰だ雨男! 乃至は雨女!」

「すまん。俺だわきっと…」

洋輔が苦笑いしながら即答する。そう言えばサッカーの試合も今思うと雨の日が多かった気が……

「大丈夫よ洋輔くん。私、晴れ女だから。ね、ケイくん!」

水月が胸を張って主張する。ま、確かにこいつと出かける時に雨が降った記憶は、無い。

「ってことは〜、昼からは晴れ! ってことじゃん?」

何の根拠も脈絡も無く吉村円佳が吼える。この熱血おかんが雨雲を追いやるのではないだろうか?

「じゃあさ、雨止むまでゲーセン行こ、ゲーセン!」

駿太が満面の笑みで問いかける。

「私、ボーリングがいいなあ。あとボルダリングとかもー」

菊池穂乃果が穏やかに提案する。

「いえ。それは後回しにして、折角ここに来たのだから、水戸徳川家の『後楽園』を散策しましょう。」

俺を含む全員が「ないない」と首を振ると水月は肩を落とし凹む。

「洋輔、どうしたい?」

「うーん、ちょっと早いけどさ、昼ごはん食べちゃわない? 食べ終わる頃には雨上がっているかも?」

俺を含む全員が「いーね」。遊園地に隣接するイタリアンレストランに六人で入る。


ちょいとお高めだがそれぞれが注文し、食後の行動について議論が再開されるー

「ミヅキ。あんた自分でウチら遊びに誘っておいて、遊園地に誘っておいて、アンタ勉強しよーとしたっしょ。何が水戸徳川家だっつーの。マジウケるわアンタ。」

「だって。ここの庭園は水戸光圀が……」

「みづきチャーン… 庭園は無いわー。俺ら高校生だしー そーゆーの還暦過ぎたらみんなで行こーよー」

「そ、そんな… 庭園の紅葉を眺めながら、造園の美を…」

「みづき。それはケイくんと二人きりで今度行っといで。」

皆から集中砲火を受け落ち込む水月を笑いながら眺める。

「そ、それは遊園地も楽しみよ。ジェットコースターも早く乗りたいし。そう、早くね…」

皆がニヤリとほくそ笑む。

「絶対、苦手だな?」

「間違いない。」

「えー、実はうちもー」

「そーゆーのいいからオカン。それよりさー、やっぱ最初ゲーセン…」

「んだよオカンって。タヒね!」

ちっとも纏まらない。でもなんだかそれも楽しい。結局、デザートを食べ終わる頃になんとか今後のスケジュールが確定する。


洋輔の読み通り、レストランを出ると雲の切れ間から薄っすらと日が差してきた。雨はすっかりあがっている。皆のテンションは急激に上昇する。

食後すぐなので、ジェットコースター系は後回しにし、シューティング、お化け屋敷などの定番をじっくりと楽しんだ後、一旦隣接するビルに入りバッティングセンターで軽く汗を流す。俺らは子供の頃からサッカー一筋なので野球はまるでダメダメだ。誰一人快音を響かせるものがいない。そんな中、意外性の女が約二名―

「穂乃果……何故、当たる? 何故?」

男子のダメダメを他所に、菊池穂乃果が快音を連発し、俺たちは度肝を抜かれる。

「えーー、来た球をエイって打つだけじゃん!」

彼女の知られざる一面を目の当たりにし、男子一同深く感嘆する。そしてもう一人、別次元の意外性を見せる女子がそこに居た。

彼女は打席に入るや、奇声を発する!

「サーーー、一本行くよーーー」

初球。高めのボールを余裕で見逃す。二球目。外角高めのボールをピクリともせず見逃す。三球目、四球目、五球目……

身長が百六十センチそこそこの彼女にはこのマシンのボールが概ね高めの『ボール』球なのはわかる。だがバッセンでこうも余裕で見送る人間は中々いない。皆が呆然と彼女の見送りを見ていたその六球目、ボールは低め、即ち彼女の絶好のストライクゾーンに来る。そしてー


パカーン

カラカラカラー


俺たちが見たものは、ボールと共に前方に飛ぶ金属バットであったー


バットがマシンの手前に凄まじい音を立てて落下するのを満足げに頷いた後、すかさず打席の後ろからバットを取り、再度打席に入る。そして数球見逃しの後、


パッカーン

グワッシャーン


俺たちが見たものは、ボールと共にHRと書かれた看板に当たったバットであった……


「腹が… 腹が痛え… 苦しい… ケイ、お前は凄い男だ。こ、こんな人間と…」

「みづきちゃんが、新しいスポーツを作り出したね、ぎゃははは」

「アンタ野球観たこと無いんかー この天然モノ!」

「私の、打球より、バットが飛んでたー、ありえなーい、きゃははははは」

係員に散々叱られ、逃げるようにビルを後にしながら皆、大爆笑だ。


     *     *     *     *     *     *


外はすっかり日差しが眩しく、ガラガラだったアトラクションに多くの待ちの列が出来ている。俺たちもその列に加わり、新たに目の当たりにした『都市伝説』を面白おかしく批評し合う。半刻後に更なる伝説が生まれようとしている事も知らずに……

この遊園地のジェットコースターは捻り、回転、急降下有りの所謂『絶叫マシーン』である。乗った誰もが『絶叫』する。間違いない。だが彼女はこの『絶叫』の概念を粉々に打ち砕いて見せたのだ。

一時間近く並んでようやく順番が来る。前方から駿太と吉村円佳。MFに洋輔と菊池穂乃果。そして最後方に俺と水月。俺ら五人の予想では水月は絶叫系が苦手。キャーキャー叫び続けるか恐怖で無言となるか、密かに賭けていた、俺は後者に。

だが、この『賭け』に勝者は誰もいなかった……


「行っけーーー、オラーー、まだまだーーーー、んーーー、こんなもんかーーーー、もっと来いよオラーー、これが限界かーーー?、こんなもんなのかオマエはーー、もっと来いもっと来い、もっと自分を出せーーーー、まっだまだーーーーー」


絶叫マシンを叱咤激励するなどと、俺たちの誰が想定したであろうかー

そのひととなりを知りたければ、一緒に絶叫マシンに乗れば良い。俺たちの今日一番の学びであった。


「この方の奥の深さに……俺ごときはついて行けねえ…」

「な、何よ駿河くん。何が言いたいのよ!」

「アンタ… なんでこのキャラ隠してたかなあ。なんでもっと早く出さなかったのかなあ。ウチは悔しいよ。アンタともっと早く知り合いたかったー」

「円佳ちゃん、どういう意味?」

「凡人ではないと思ってたけど、ここまでとは…」

「穂乃果ちゃんまで…」

「いや、サイコー。ほんと、超楽しかったー。ありがとみづきちゃん、誘ってくれて。なあケイ、お前、こんな凄い子に、ぷっ、ちゃんとついていけよー、ギャハハハハ」

「洋輔くん… そんな笑わなくても…」

帰りの電車の中は周囲の客に構わず、俺たちはあれこれ思い出しては爆笑していた。何より洋輔が心の底から楽しそうにしている、良かった。

「遠乗り行かなくて、良かったろ?」

俺は洋輔にだけ聞こえるようにそっと呟く。

「ああ。お前らと遊びに来てマジ良かったわ。腹の底から笑ったわ。なあケイ?」

「ん?」

「ホント、大事にしろよこの子。絶対手放すなよ。お前には必要な子だから、な」

「わかってる。うん。」

「これまでの子みたいな扱いすんじゃねーぞ。約束しろ。」

「わかった、約束する。その、代わり……」

「その代わり?」

「…頼む。受験終わるまで…バイクに乗らないでくれ!」

洋輔が俺を見つめる。俺も目を離さず見つめ返す。洋輔はしばらく俺を眺めた後、ふっと微笑んで

「実はさ、さっきもみづきちゃんに同じ事言われたんだわ。なんだかよくわかんねーけど…お前ら二人がそう言うなら… そうするかな。」

俺は思わず洋輔に抱きついていたー

「いやいや、これは俺とじゃなく、みづきちゃんとー」


変えられた。歴史を改善できた。俺と、水月の力で……


筈だった……


     *     *     *     *     *     *


「ケイ、ケイ、ヤバイ、ヤバイ、洋輔がバイクにはねられた!」


風呂上がりの俺の手からスマホが滑り落ちていく……


     *     *     *     *     *     *


髪を乾かしたかも、どんな服を着たのかも覚えていない。ラインに記された病院にタクシーで到着する。夜間出入り口から病院に入る。緊急外来の受付のベンチに、駿太が頭を抱えて座っている。

その向かい側に洋輔のご両親と思しき中年の夫婦が呆然と座っている。誰もが現実を直視できず、夢なら早く覚めてくれ、と祈っているようだ、当然俺も…

「家の、すぐ近くで… 横断歩道を、渡っている途中に… バイクが、突っ込んできて…」

途切れ途切れながら状況を説明してくれる洋輔の父親は真っ白な顔で無精髭が顎に疎らに見える。暗い夜の病院の薄明かりに照らされたその顔は、洋輔にそっくりな理知的な顔立ちだ。

母親と思しき女性は頭を抱え込み、時折壁の時計を見ては深く目を瞑り何事か呟いている。

駿太の横に何も言わず座り込む。

歴史は、変わらなかった。その事実に俺は打ちのめされている。

時折聞こえる駿太の溜息を聞きながら、時間だけがゆっくりと過ぎていくー


看護師がこちらにやって来る足音で皆一斉に顔を上げる。物音一つ聞こえなかった暗い廊下に看護師の靴音が近づいて来る。

「但馬洋輔さん、のご家族でいらっしゃいますね?」

ご両親が同時に立ち上がる。

「手術は終了しました。これから先生が洋輔さんの容体について説明いたします、どうぞこちらに…」

父親がこちらをチラリと伺う。俺が軽く頷く。ご両親が看護師に続いてカンファレンスルームに入って行く。


「こんな事って… ケイ、俺信じられねえよ…」

「ああ。それより、真っ先に連絡くれてありがとう。」

「俺一人じゃどうしていいかわかんなくて… なあ、アイツ大丈夫だよな… すっかり元に戻るよな…」

俺は目を瞑りながら

「俺は、そう、信じている」

と答えるのが精一杯だった。


時計を見ると、二時過ぎだ。先ほどの看護師がこちらにやって来て、

「但馬さんのご両親が、あなた方も一緒に話を聞いて欲しい、と」

俺たちは重い足を引きずりながら看護師の後を追う。

カンファレンスルームの扉を開けると、母親の啜り泣く声が部屋に響いている。顔面蒼白の父親が、

「君たちにも… 洋輔の親友の君たちにも、是非知っておいて欲しくて… すまない…」

俺たちは黙って頭を下げ、看護師に薦められ椅子に座る。

ホワイトボードには、左脚の膝下の状況が簡単に描かれていた。やはり複雑骨折の様だ。

「担当医の栗栖です。こんな時にアレなんだけど、君たちの先輩なんだ、川越中央のー」

俺らは顔を上げ、栗栖医師の顔を見る。色白でシャープな感じの若い男性だ。眼鏡の奥の表情が冷たく感じる。患者の前では絶対笑わないタイプの先生だろう。

「事故の状況から話すな。洋輔くんが横断歩道を渡ろうとした時― 信号は青だったみたいだー、よそ見運転のオートバイが突っ込んできて、洋輔くんと激突したんだ。その際、洋輔くんの左脚にバイクがぶつかって、この絵の状態になってしまったんだー」

どこか他人行儀な話口調に苛立ちが募る。

「骨と筋肉がズタズタになって。緊急手術で膝下を切断せざるを得なかった。」

俺は無意識の内に立ち上がっていた。

「何とか、何とかならなかったんですかっ 切断なんてっ しかも左あー」

ちょっと待て。

「左? 先生、切断したのは、左脚、なんですか?」

急に立ち上がり喚き始めた俺をその冷たい視線で見ていた栗栖先生が、

「そう言った筈だが。」


ちょっと待て。左? 元の世界では洋輔は右脚の切断だった。右利きの洋輔がこれでもうフリーキック蹴れねえよ、と苦笑いしながら俺たちに話していたのを思い出す。

どういうことなんだろう、バイクに乗って転倒しての右脚切断。バイクに轢かれての左脚切断。脚の切断までは歴史通りなのだが、そのプロセスと結果がズレている。

これはひょっとしたら、元の世界とは違う別の将来が洋輔を待っているのではないだろうか、俺と水月の様な…

「今後のことだが。義足をつけることとなる。家庭での生活についてはご両親にお話しした。家庭外での生活なんだが、お前らに伝えておく。サッカー部の仲間なんだってな?」

「はい…」

「四六時中一緒にいたんだってな?」

「です、ね…」

「ずっとサッカーやってた奴が脚切断で二度と蹴れなくなる。その辛さは洋輔君にとって地獄の苦しみになるだろう。」

「……」

先生が身を乗り出し、俺たちに近寄る。

「絶対、同情するな。」

「は?」

「失くなった脚をあれこれ言うな。可哀想だなんて絶対思うな。」

「……」

「それより、義足でこれから生きてく洋輔君をー叱咤激励しろ。失くした脚の事でメソメソしてたらぶん殴ってやれ!」

再び俺は立ち上がる、今度は駿太も同時に。

「同情して、共感して、痛みや苦しみを分かち合うのが、何でいけないんすかっ?」

「それが友達じゃないっすかっ」

冷たい視線が俺たちを蔑みの目で見下す

「馬鹿かお前ら。お前らは『友達ごっこ』してたのかこれまで?」

「な、何言ってるんすか! 冗談じゃないっすよ! 俺らはガチ友っすよ!」

「じゃあ聞くが。お前らは洋輔君の事故の時の痛みを知っているのか?」

「そ、それは…」

「所詮、同情だの共感なんてのは、本当のその痛みを知らない奴がやることなんだよ。バイクと事故った事あるかお前ら?」

俺と駿太は黙り込む。

「逆に聞くぞ。もしお前らが洋輔君の立場だったらー お前らに何をして欲しいよ? そんな軽い同情か? 義足になった苦しみを分かち合って欲しいか? どうだよ?」

俺らは椅子にしゃがみ込む。


二年前を思い出す。

そうだった。俺たちは洋輔の病室に行ってはしきりに事故の不幸を悲しみ、二度と蹴れない洋輔にひたすら同情の意を示し続けていた。退院してからも義足の洋輔を特別扱いし、やれ飲み物だ、やれテキストだと世話を焼き続けた、洋輔が楽になる様に…

その結果、この春―いや、二年後の春には俺たちと顔を合わせるのを拒否する様になり、自宅の部屋から出てこなくなってしまったのだ。

栗栖先生は言う、同情するな、と。叱咤激励しろと言う、時にはブン殴れと。もし俺が洋輔の立場だったら… 

大変だったな。辛いよな。バイクは怖いな。困ったことがあれば何でもするから。行きたいとこ、連れてくよ。何食べたい?買って来るよーーー

確かに。

俺たちが二年前していた事は、逆の立場ならその場だけの辛さは楽になるだろうが、これから義足で生きていく上では、正直邪魔だ。そんな慰めや手助けなんて要らない。欲しいのはー

「なるべく普通に接しろ。いいか、義足はそいつの『個性』と思え。ハゲやデブと同じ、そいつの個性なんだ。その洋輔君の後天的な『個性』と上手に付き合っていけ。」

いつの間にか冷徹と思っていたメガネの奥に熱い小さな炎を見た。先生は俺と駿太に、洋輔の親友としての『覚悟』を決めろ、と言っている。親友にしか出来ない、ひょっとしたら隣のご両親にも出来ないことをしろ、と言っている。

「数年後。洋輔君と一緒にフットサルコートに立つこと。これ目標な。やれるか、お前ら?」

前二回とは別の勢いで俺と駿太は立ち上がる

「やります! 絶対立ちます! 先生、もっと話聞かせてください! もっと教えてください!」

先生が凍てつく表情を崩し口角を上げた。

「ああ、それでこそ俺の後輩だ。ところで山寺のクソ和尚は元気か?」

「…もしかして、サッカー部、だったんですか?」

「だから言ったろ。大先輩だって。俺の大事な後輩、しっかり面倒見てくれよ。いいな!」

部活の一年生の如く大声で、ハイッと二人で声を揃えた。


     *     *     *     *     *     *


「これで俺の華麗な左脚トラップ、見せれなくなったわー」

洋輔が笑いながら話す。洋輔は他人の気持ちがわかる本当に優しい奴だ。俺たちに少しでも心配させたくないのだ。元の世界ではそんな洋輔の優しさに俺たちは甘えていたのだ。

「は? 何言ってんだよ。やるぞ、義足でもサッカー。」

「え…?」

「今日からオマエ、利き足変更な。」

駿太がやや目を潤ませながら、声を上擦らせながら言う。

事故から一週間。I C Uを出た洋輔は一般病棟に移されている。大先輩の口添えか何かのお陰で、四人部屋ではなく個室をあてがわれている。

窓の外は師走だ。五階の病室からは冬支度を済ませつつある川越の街が一望出来る。ふと下を見下ろすと見慣れた一人の女子がこちらを見上げている。

俺は窓を開け、彼女に手招きする。菊池穂乃果はしばらく逡巡した後、俯きながら病院の入り口に向かう。それから十分後部屋をノックする音がする。


「…その… 洋輔くん… なんて言っていいか…」

洋菓子店の紙パックを胸に抱え、菊池穂乃果が小さい声で呟く。俺は駿太の腕を取り、

「飲み物買って来るわー。あとは、若いお二人でー(」

「は? え? ちょ、ちょっと…」

戸惑う菊池を部屋に放置して、俺らは部屋を出る。少し目が赤い駿太が

「へー、気が効く様になったなあケイ。これは穂乃果ちゃん大ちゃんす!」

「ははー。洋輔は菊池のことどう思ってんだろうな」

「んー、それな。ま、今はただの女子友、なんじゃね? でも、これからー」

確か元の世界ではあの二人に色っぽい話は無かったはずだ。俺が知らなかっただけなのかも知れないが。だがこの世界ではどうも菊池が洋輔に気があるらしい。駿太に聞いてみても、んーかもな、なのだが。今度、吉村円佳に聞いてみることにしよう。


「そうよ。穂乃果は洋輔くんが大好きよ。」

その夜の予備校帰り、それとなく水月に聞いてみると、

「男子ってホント鈍いのね。そんな事も知らなくて遊園地行ったんだ。」

寒空の下で頭を搔く。白いマフラーが水月によく似合っている。

「私がケイのこと好きだった事も全然だったしねー」

寒空の下で額に汗が滲んでくる。

「洋輔くん、大丈夫かしら…」

「それなんだけどさ。医者の、前話した俺らの先輩の、栗栖さんが同情や慰めはするなって。なるべく今まで通り接しろって。まあそれが難しいんだよなー」

「そうね。事故の恐怖や脚切断の絶望感は本人じゃないとわからないよね。」

俺は立ち止まり、息を呑む。

「…驚いた。先生もそんな事言ってたわ…」

「それはそうでしょ。本当の苦しみも、逆に本当の喜びも、その当事者のみが知り得る事であり、周りは想像でしか知り得ないのは明白よ。そう思わない?」

「その通り。だからー」

「だから、周りはハンデキャップをその人の一個性として受け止めるべきなのよ。」

俺は美月の肩に手を乗せ、

「……お前、凄えな… 栗栖さんと同じ事言ってるわ…」

「その先生こそ、流石私の先輩って感じかしら。」

お前何様だ、と言おうとしてそうかこいつは水月観音様だ、と気付き俺の口元が緩む。


学校の、クラスの話題は洋輔の事故話一辺倒であり、それでも俺と駿太が毅然としているので周りも変に憐む様な雰囲気では無い。それよりも実は私但馬君推しだった、と言う女子が少なく無かった様で、その辺りから洋輔の容態をしつこく聞かれたりするのが少々ウザかった。

菊池はあれ以来学校が終わると毎日洋輔の見舞いに行っている様だ。俺たちは平日よりもむしろ土日に昼から洋輔の病室に屯している。所謂ワークシェアと言う奴だ。ん、本当にそうなのか?

元の世界では洋輔は翌年の受験は控え、一浪で俺の後輩となる。が、

「何とか受けたいんだよな、ダメかな?」

「え… リハビリとか大変だr―いてっ」

駿太の頭を叩く。

「洋輔。どうして受けたい?」

「リハビリとか、義肢とかの事から少し離れたい、正直。自分の将来を見据えたい。再来年でなく、来年。お前らと一緒に」

洋輔は曇りない瞳で答える。洋輔がこういった自己主張をするのを初めて聞く。多分親にも先生にも一笑に付されたのだろう。

「ちょっと待てー。サイトで調べてみるわ。」

調べると昨今の障害者社会適応の波はこの大学にもしっかりと届いていた。


栗栖さんを探す。土日なので外来はないはずだ。看護師に聞くとすぐに連絡をとってくれる。どうやら仮眠室で寝ていたらしい。寝込みを起こししどろもどろの看護師からスマホを奪い取り、

「栗栖先輩。洋輔のことで聞きたいことがあるんです。お時間をください!」

と言って通話終了する。看護師が唖然とする。俺はウインクして、

「いいんです。先生の大事な後輩のことなんですから。」

スマホを返して洋輔の部屋に戻る。十五分後にノックもされず扉が勢いよく開かれ

「早乙女。いい度胸してるな。俺は徹夜明けなんだよ。緊急オペ二本したんだよ。くだらねえ用事なら、殺す。」

たまたま洋輔の検温をしていた看護師は驚愕の表情だ。

「先輩。こいつ二月の受験、受けれますかね?」

「は? ばか言ってんじゃねえ。こいつはこれからリハビリ地獄なんだぞ。義肢も作んなきゃいけねえし。お前ら受験生みたいに暇じゃねえんだよ!」

「それがこいつの真剣な願いでも?」

「ん?」

「リハビリとかならこいつは受験勉強と一緒に平気でこなしますよ。受ければ通りますよコイツの頭なら。現実的に、受験会場に行くこと、出来ますかね?」

「……どこ受けんだ?」

「高田馬場のー」

栗栖先生は口を閉じ、洋輔をじっと睨みつける。洋輔は目を逸らさず軽く頷く。しばらくその状態が続き、やがてフッと息を吐きながら栗栖先生が、

「…受験課に聞いてみたか? 車椅子で受験できんのかって。会場に車椅子用のトイレは? バリアフリーになっているか。付き添いはアリか無しか。無しなら対応できるスタッフがいるかどうか。」

「これのことですかね?」

と先程調べたものを栗栖先生に見せる。

先生はスマホを奪い取り、何度も目を往復させる。そして徐に俺のスマホから何処かに電話をかけ始める。口を覆い、病室を出て廊下で何事か話し込み、しばらくして部屋に戻る。

「俺の診断書と意見書が必要だとよ。」

「先生!」

洋輔が顔を綻ばす。

「これからのリハビリ。泣き言一つ言うな。勉強はコイツらと一緒にやれ。それとー夜、布団に包まってピーピー泣くの、もうヤメろ。以上が出来るならー 書いてやる。」

俺は一瞬拳を握りしめるーが、思い直し、

「何だ洋輔。夜一人で泣いてんじゃねーよ。ガキかお前は!」

駿太が俺に目を剥く。俺は駿太に目で訴える。駿太はちょっとして小さく頷く。

「うわー、イター。穂乃果に言いつけよっと。」

栗栖先生がポカンと口を開ける。

「オマエら… 鬼か? なんて酷いことを親友に…」

洋輔が腹を抱えて笑い出す

「先生… 先生からですよ、今の流れ。酷いわー」

「あとオマエ、病室で可愛い女子とベロチューも、禁止な!」

「「おいっ」」

俺と駿太が真顔でハモる。


     *     *     *     *     *     *


栗栖先生が病室から出て行った後、不思議そうに首を振りながら看護師が俺たちに話しかけてくる。

「あの先生、こんなに喋るの初めてみたわよ… 高校の後輩だからって、あなた達と面識あった訳じゃないんでしょ?」

「はあ。この病院来て、初対面ですね。」

「ほんっとに無口で目つき悪くて態度悪くて。腕は優秀なんだけどねー」

「腕? って、先生は内科が専門じゃないんですか?」

「ううん。外科の先生なのよ。駿河君を手術したのも、栗栖先生。当初予想された時間よりずっと早く終わらせたのよ。」

「へえ。そうなんですか…」

「ま。腕のいい外科医にまともな人はいないって言われてるからー なんちゃって」

「…面倒見もいいですよね、何気に。ま、コミュニケーション能力が伴えば、名医と呼ばれる様になるかも、ですか?」

「うわ… キミ本当に高校生?」

これ以上喋るのはやめておこう。そう誓う。


しつこく菊池穂乃果とのことを聞き出している駿太を引き摺って病室から出る。駿太は不貞腐れながら、

「お前はいいよな。ミヅキちゃんいるし。んだよ洋輔… いつの間に穂乃果と…」

「そーゆーお前は、狙ってる子いないのか?」

「んー、いねえわ。もーすぐ受験だし。いーわ俺、大学デビューで。」

ドキッとする。そういえばこの駿太も受験日前にインフルエンザに罹り一浪を余儀なくされ、その後の人生は惨憺たるものとなるのだった。コイツのインフルエンザは防げるのだろうか…

「駿太。手だけはしっかり洗え。学校でも、予備校でも。いいな!」

「は? なんでいきなり…」

「え… いや… 風邪流行ってるだろ、洋輔にうつすわけいかねーだろ?」

「あーなる。そーな。うん。風邪引いたら洋輔の見舞い来れなくなっかんな。よし。今日から俺は手洗い王になる。川越一の手洗い王に!」

その王位はどうでもよいが、その意識が受験日まで続くことを祈ると同時に、今後しつこく言い続けていく事を決心する。


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