木偶の坊の幸福
春・花小説企画応援作品です。
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※語註
作中の『半兵衛顔』とは『知らん顔』のことです。また、同じく作中『珪砂』とは、『硝子のたぐいの鉱物の細かい粒、砂』などという意味です。
まろやかな風が駈けていく
今日も 硝子いろの大空の下で
疲れた顔の街が交錯する
わたしは
今日も 街に足を繰り出して
今日も 景色の底にいる
埋もれそうで
埋もれそうで
息継ぎしようと顔を上げても
仰ぎみる目は 乾いてしまった
空のいろさえ 分からない
背中を突き飛ばされて
並木を歩けば
のっぽの樹々がわたしを見下ろす
――そげな顔、するもんでねぇ。
じゃあどうすればいい、
わたしは爪先立って
叫びかける
樹々は応えないで
さわさわときらめいている
それでもなお半兵衛顔の樹々たちを
吸いつくように睨みつける
働き人は そばを怪訝そうに過ぎていく
鐘の声がする
午を刻む大音声が
摩天楼をふるえさせ
白鳩を空へ追いやり
たちどころにわたしにしみ入る
肋骨にひびきわたり
肺を割りくずす
心臓は砕け散って
細かく細かく砕け散って
一瞬が永遠になったその中で
一掴みの珪砂が
体の奥に落ちていく
わたしの体は空っぽで
木偶の坊
動きすぎてすりきれて
ついには中身をなくした
木偶の坊
あれもない
これもない
わたしは狼狽える
わたしはなくしてしまった
いつか目に映った景色を
ごたごたと散らかった部屋を
駈けずり回った砂利の空地を
胸にしまいこんだ宝物を
滅金のくすんだ金釦を
飽きるほど眺めたビー玉の奥の輝きを
時を
あの地を
あの人を
わたしは なくしてしまった
――そげな顔さ、するもんでねぇ。
気付いた
気付いた
何もない
わたしには何も ない
かくりと膝を折ると
最後の珪砂の一粒が
目の穴からすべり落ちる
いくら欲しても求めても
手がとどかない
もう とどかない
嗚呼、樹上のあえかなる花よ
それはふるさとの花
それはトパアズいろの杯
せめてこの砂粒をそれにくんで
誰かに飲み干させてやりたい
それは誰か
思いつかずに時が過ぎるほど
わたしはこうべをうなだれて
光る砂を さらさらとこぼす
――そんでええ。
そんで、ええ。
樹々たちは頭上をおおって
緑に澄んだ木洩れ日をそそぐ
木偶の坊は動きをやめてしまって
静けさに身を洗われる
こぼれて散らばった砂を
惚けたようにみつめる
泣くことだけしかできないけれど
わたしは泣いて生きればいい
瞳をこぼれた砂のしずくは
すくって陶土にしてみようか
それで心臓を作ったなら
透きとおった銀のいろに光るだろう
やがてぎこちなく手足を動かしだすと
樹々たちが笑いかけるその向こうに
きりのない青空がみえた
まろやかな風が駈けていく
今日も 硝子いろの大空の下で
疲れた顔の街が交錯する
それでも
大空はどこまでもつづいている
『ユリノキ』
花言葉は《見事な美しさ》《幸福》《早く私を幸福にして》《田園の幸福》
五月十八日の誕生花
web『花言葉・Flowerd』等より
作中に出て来る木――ユリノキ、と言うんですが、結構大きい木です。ビルの三階に届くぐらいだった気がします。それで、黄色というかトパーズ色の、可愛らしいチューリップの形の花が咲くんだそうです。高い所に咲くんで自分は直に見たことはないですが。
実を言えばこの場所にはモデルがありまして、そういうのっぽの木々が緑に茂ってわさわさいっている並木道の通りが実際にあります。地元なんですが。一時期本当に疲れていた自分は、そこへ行ってまるで心身洗われた気がしました。丁度夕方でしたね。ああ、明日も自分は生きて行くんだなぁ、と思った時の風は、とても涼しくて心地よかったことといったらありません。
昔とは全然違って、忙しさに駆られて回る今この日々。在りし日の思い出も薄れてしまって、でも思い出だけじゃ世渡りはできなくて、八方塞がり、泣きたくなる心地。
しかしそうなったらそうなったで、我慢せず泣けばいい。それを繰り返しながら、毎日を生きて行くしかない。日々これそんなもの……と柄にでもなく思ってみました。偉そうに講釈の真似事など、すみません。
それよりも、こんな一応援作品を読んで下すった読者諸賢の方々に、感謝感謝……。
なお、作中の『午』『木偶の坊』『滅金』『金釦』は各々『ひる』『でくのぼう』『メッキ』『きんぼたん』と読みます。
では長々とこんなとんちきな作品にお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
最後になりましたが、読者の皆々様、企画主催の文樹妃さん、参加者の皆さんに多大なる御礼を申し上げて、失礼致しましょう。
この春見事に咲き誇った、数々の花小説に彩られたこの企画の終曲に、ほんの拙作ではありますがお捧げ致します。