探偵は刑事を誘う/3
「そうですね……?」
時を戻す、二百五十年前へと。映画でも見ているように、屋敷の中を歩いてゆく。ふと物音がして、魂だけで時を超えた崇剛は振り返った。そこに立つ男は何か考え事をしているようで、こっちへ向かって歩いてきて、崇剛の体をすり抜けながら、独り言をつぶやいた。
「鏡を置くか……」
あれが、天都 レオン――。魂の名前が千里眼の力で浮かび上がった。そうして、今隣にいる漆黒の長い髪をした男と見比べてみると、二枚のトレースシートを重ねたようにピタリと合った。
「そういうことですか」
崇剛はそう言って、閉じていたまぶたをすうっと開くと、リムジンに揺られていた――現実へと戻ってきた。
車が走る振動で揺すぶられている体の感覚が蘇った。
「――どういうこと?」
聡明な瑠璃紺色の瞳がのぞき込むように見ていた。崇剛はあごに当てていた指をといて、優雅に足を組み替える。
「人の魂は輪廻転生をしていると言われています」
「そういう教えの宗教もあるね」ダルレシアンの精巧な頭脳の中で、関係する本のページや人から聞いた話が鮮やかに浮かび上がる。
「以前生きていた人生を過去世と呼びます。その内、ひとつ前の過去世を前世と呼びます」
つまり、一番高い可能性は――
「ボクの前世は天都 レオン――だった?」
気がつくと、崇剛のすぐ隣に、怪奇現象が起きたみたいにラジュが座っていた。ニコニコと微笑みながら、ハンドベルをチリチリ〜ンと鳴らす。
「正解で〜す! ダルレシアンは天都 レオンの生まれ変わりです〜」
「ラジュがいるの?」声だけ聞こえているダルレシアンは、いるだろうと思われるところをチラッと見たが、ただリアシートが広がるだけ。
「えぇ、私はあなたの守護天使ですから、いつでも必要な時は現れますよ〜?」そう言って、ラジュはまるで幽霊が消えるようにいなくなった。
昨日気絶してから一度も会っていなかった。崇剛がいるとも言っていなかった。千里眼の持ち主にはどんなふうに日常が映っているのか、ダルレシアンは気になった。
「審神者もできましたから、間違いありませんよ」
ここは結界も張っていない邪神界からはっきりと見える場所。間違った霊視をさせられる可能性は大だったが、天使が伝えきたので事実として確定だ。
「審神者をするんだね、キミはきちんと」
ダルレシアンは言いながら、シュトライツのネットで噂の占い師を思い浮かべた。彼らの無責任な発言に教祖としては警告を出したり、取り締まったりの業務も多々あった。
一流の聖霊師は「えぇ」と優雅に微笑み、
「ですから、名前にも屋敷にも覚えがあったというわけです。魂に記憶が刻まれていたのかもしれませんね」
「ってことは、ボクは元の場所へ戻ったのかな?」
ダルレシアンは後ろへ振り返り、遠ざかるベルダージュ荘を思い浮かべた。
「そうかもしれませんね」
神ならば、簡単にやってのけるだろうと、崇剛は納得した。運命的な出会いをしたふたりを乗せて、リムジンは山道を降ってゆく。
*
実りの秋である田園風景を抜けて、花冠国の首都にある中心街へとリムジンはやって来た。さっきまでは、順調に街頭の柱を見送っていたが、渋滞に巻き込まれ、進んでは止まりを繰り返している。
歩道を行き交う人を、聡明な瑠璃紺色の瞳はしばらく追いかけていたが、
「あ、着物だ!」他国から来たダルレシアンは物珍しそうに感激して、「可愛い」鮮やかな黄色の着物を着た女がリムジンの横を通り過ぎてゆく。
「女の子も可愛い。ふふっ」
崇剛の冷静な水色の瞳はついっと細められた。涼介の夢では男色家という話だったが、これは違っていたのかもしれない。そうすると、可能性の数値を変えなければ――
「あれは何ていう服?」
「どちらですか?」
ダルレシアンに呼ばれて、崇剛は車窓へと視線を移すと、交差点の歩道で、信号待ちをしている男を指差していた。
「あそこに立ってる男の人が着てる着物とちょっと違うもの」
シュトライツ国の人間にとっては、花冠国の独特の文化は興味がそそられるものばかり。
「あちらは、袴と言います」
「かっこいい」
精巧な頭脳に記録して、ダルレシアンはファッション雑誌でも眺めるようにしていたが、不意に信号が変わり、男が歩き出した。洋服とは違った布地の使い方で、特にスカートみたいに見えるところが、ダルレシアンの心を大きく揺すぶった。
「男の人もかっこいい」
国で一番大きな交差点を通過して、緩和された渋滞。ゆっくりと走り出すリムジンの外で、行き交う人々を瑠璃紺色の瞳は追いかけてを繰り返す。
「素敵な人がいっぱいいる」
白いローブの下で組んでいた足を、ダルレシアンはパタパタとリズムでも取るようにしながら、過ぎてゆく景色を堪能する。
「ふふ〜♪」
ゴセック ガヴォット。
どこまでも続くお花畑。柔らかで暖かな風。妖精とともにスキップするような演奏記号――スタッカートが次々に紡がれる軽い曲調。
を鼻歌で歌い始めた元教祖の隣で、崇剛はあごに手を当て、男色家でもなくストレートでもなく、別の可能性があるのではとにらむ。そんなふたりを乗せて、リムジンは治安省へと向かっていった。
*
相変わらずの不浄な空気に包まれた聖霊寮。窓の外は秋のさわやかな風が、哀愁を含みながら日差しの下で舞い踊っているのに、この部屋に入り込んだ途端、ゾンビのような死んだ目をした人々が吐くやる気ゼロの息で、汚染されて濁りに濁る空間。
その一角にある応接セットのローテーブル。カフェラテの小さな缶と、向かい側には微糖の紅茶が置かれていた。そうしてもうひとつ、初めてローテーブルに乗せられたジャスミン茶の缶があった。
太いシルバーリングのはめられたゴツい手には、細い万年筆がいかにも書きづらそうに調書の上に降りては、次の行へ移っている。人の名前をさっきから一時間以上も書き続けていた。
同じ作業の連続が苦痛をもたらして、耐えられなくなる。カウボーイハットを被った国立は、万年筆を埃だらけのローテーブルへ放り投げた。
「メニー過ぎて、今日一日じゃ終わらねぇな。手が痛くなってきやがってんだよ」
転がった万年筆がカフェラテの缶にカツンとあたり、一旦休戦した。
ラジュから聞き及んだ、昨日の聖戦争に関わった人の名前を、ずっと言っていた遊線が螺旋を描く声は一度やんで、崇剛は紅茶を一口飲んだ。
「また、来ますよ。五十万三千四百五十七人、全ての名前を記録しなくてはいけませんからね」
当初の目的はかなり少なかったが、ナールが魔法(?)を使って、陣地を入れ替えてしまったため、敵陣は全員浄化されたのだった。あの攻撃が自分たちへ向かってきていたら、消滅はまぬがれなかっただろう。
それにしても、さすがミラクル風雲児とみんなに言わせただけはあった。
恩田 元の事件と聖戦争は少なからずとも関係している。調書に書き記す必要があり、膨大な量の関係者たち。気が遠くなりそうな作業だった。
ざらつくローテーブルから、銀のシガーケースを手前へジャリジャリと寄せ、慣れた感じでロックを外し、縦に規則正しく並ぶ茶色のミニシガリロを、国立は一本取り出した。
「にしても、バカでけぇ事件だったな」
「えぇ」
崇剛は神経質な指先で、後れ毛を耳にかけた。国立はジェットライターでミニシガリロをまんべんなく炎色に染め上げ、反対側を口の中へ放り込んだ。青白い煙が上がる。
「で、その地獄はどうニューになりやがったんだ?」
調書がテーブルの上でトントンとされながら、整ってゆくのを冷静な水色の瞳で見つめながら、崇剛は、
「一畳ほどの小さなボックス型の空間に、浄化もしくは成仏したと同時に自動的に送られ、罪を償うまで出てくることはできないそうです。声どころか、念さえももれ出ない構造になっているそうです」
意思の強い鋭いブルーグレーの眼光は上げられ、
「独房ってか?」
「そうかもしれませんね」
いくら千里眼の持ち主でも、地獄を勝手に見に行くことはできなかった。
「恩田の野郎みてぇに脱獄するやつは、もう出てこねぇってことか」
「えぇ」と、崇剛はうなずいて、
「地獄の苦しみから抜け出すために、邪神界へ下る者はもういません。今までは改心させてからでないと、浄化することはできず、時間が非常にかかっていましたが、これからは事件解決が合理的に進みます」
その時、さっきまで姿を表さなかった、天使三人が現れた。崇剛の背後にはラジュ。ダルレシアンにはカミエ。国立にはシズキ。三人の視線はローテブルの上で交わるが、
「…………」
誰も何も言わなかった。
そばで、崇剛たちの話を聞いていたダルレシアンは天使たちが見えないながらも、異変を感じ取った。顔は動かさずに、聡明な瑠璃紺色の瞳はあちこちに向けられる。
魔導師の心の中で浮かび上がる。何かがあるかもしれない――
心を読み取れる天使の前で、神父である崇剛は跪くように敬意を払った。
(私があちらのことを、国立氏に言うことは間違ってはいないみたいです。ですが、その前にしなくてはいけないことがあります)
ピンと張り詰めた空気にあたりは包まれた――。
「先日……」
「あぁ?」
刑事の勘に優れている国立も異変を感じ取り、言葉を途中で止めた崇剛を凝視した。
そこには、聖霊寮の窓へ冷静な水色の瞳をやり、神経質な横顔とターコイズブルーの細いリボンでわざともたつかせて縛った紺の長い髪で、相変わらず中性的で貴族的な男が座っていた。
優雅な笑みはいつも通りだったが、瞬間凍結させるような冷たさが、やけに印象的で、平時ではないことが国立にはよくわかった。
崇剛の背中を見るようになったダルレシアンは、何を神父が言い出すのか予測できた。それは長い年月に、たくさんの人から懺悔を聞いて手にしたデータからだ。教祖は何気ない振りで、懐中時計も持っていない自分の爪を見る癖を始めた。
猛吹雪を感じさせるような、感情のない声色で、崇剛は話し出した。
「先日、こちらのようなことを、ある方から聞きましたよ。火のメシアを持つ者が、次々と転生する隣国――紅璃庵。そちらの国で昔から受け継がれている陰陽易の術式のひとつで、人型に切った紙に自身の息を吹きかけ、一種の呪詛のようなものを込め、遠く離れたところにある物事を知る、式神――という方法があると。そちらをできる方が、花冠国にもいらっしゃると」
策略家らしく遠回しな言い方をしてきた――。国立の鋭い眼光は崇剛を射るように見据え、吐き捨てるようにうなった。
「てめぇ……」
死んだような目をしていても、同僚にはここでの会話は筒抜けだ。国立は言葉の続きを心の中で語る。
罠を張りやがったな。
昨日、どっから聞いてた――?
式神の話は帰り間際にした。その前は――
頬で視線を受け止めている崇剛は、デジタルに感情を切り捨てた。
前回会った時、あなたは自身の気持ちで悩んでいるように見えました。
面と向かって聞いても、答えていただけない可能性が高いです。
ですから、気を失ったふりをして、情報をいただきましたよ――
慈愛がありすぎる神父は、今は氷河期のようにどこまでもクールだった。
「それから、私の元へ同性を愛してしまったと、懺悔をしに来られた方がいました。ですから、私はこちらのように言いました」
少しの間のあと、中性的な唇が動いた。
「性別に関係なく、人を愛することは非常に尊いものであり、素敵なことです――と」
神の元で生きている神父は差別などしなかった。
私はあなたの気持ちを尊重します。
素直に自身の気持ちを想えない……。
そちらはとても辛いことであったと思います。ですが――
「さらに、そちらの方は相手の心を知りたいともおっしゃっていました。ですから、千里眼を使って聞き出し、こちらのように伝えました」
国立の心臓がドクンと大きく波打った。
「残念ながら、今のところは、私はあなたの気持ちに応えられません――と」
私が瑠璃を愛している――そちらの気持ちは厄落としでした。
すなわち、私が瑠璃を愛しているという気持ちは嘘だったのです。
ですが、あなたの気持ちを理解するためであったのかもしれません。
しかしながら、私は性的にどなたかを今まで愛したことはありません。
ですから、情報がありません。
従って、可能性が導き出せないのです。
私があなたを愛するという可能性はゼロではありません。
しかしながら、私は今あなたを愛していません。
ですから、私はあなたにきちんと断りましたよ――
下手に期待を持たせることは、結局のところ相手を傷つけるだけなのだ。それは決してしてはいけないこと。神父はよく心得ていた。
*
時は昨日の戦闘終了後、ダルレシアンが涼介によって運ばれた時刻へと巻戻った。
ひとり旧聖堂へ残った崇剛は、くすみ切ったステンドグラスを見上げ、神の畏敬を感じた。
そうですね……?
国立氏がこちらへ来るという可能性が96.56%――
彼から情報を得る機会がめぐってきているという可能性が68.98%――
寝室のドアが今も開いているという可能性が92.85%――
ですから、こうしましょう。
茶色のロングブーツは白く濁った大理石の上を歩き、入り口に一番近い参列席へ入り込んだ。優雅に腰を下ろし、祭壇を視力の衰えている瞳でぼんやり眺めていると、背後で、
バターン!
と破壊音が響いた。冷静な水色の瞳はついっと細められる。
いらしゃったみたいです――。
誰かの靴音が近づいてくる。聖霊寮でよく聞いたかちゃかちゃと金属のぶつかる音が押し寄せる波のように響き渡った。
国立氏であるという可能性が98.78%――
それでは、こうしましょう。
水色の瞳は策略的に閉じられた。
「崇剛っ!」
右側から、ガサツな男の声が響く。
次はこうしましょう――。
身廊にいる男のほうへ、横向きにわざと崇剛は倒れ、
「っ!」
体が受け止められるのを感じると、鉄っぽい男の香りが強く広がった。