探偵は刑事を誘う/2
「それから、キミにまた聞きたいことがあってね」ダルレシアンはそう言って、崇剛の顔をのぞき込むように近づいた。
「どのようなことですか?」
優雅に微笑みながら、崇剛は可能性の数値を変化させる。
「ふふっ」ダルレシアンは柔らかな笑い声をもらし、
「その前に、また寂しくなったから、愛をわけて?」
聞いたことと違うことを言ってきた――。
昨夜、ベッドの上で聞いた、この言葉は嘘だったのかもしれない――。その可能性の数値が急激に跳ね上がった。しかし、嘘ではないかもしれない。どちらも拭い去れない。
さっきから、千里眼でダルレシアンの心の声を読み取ろうとするが、まったく聞こえてこないのだった。
怪しんでいると判断されれば、相手は策を強力にするだろう。それでは正確なデータが入りづらくなる。この辺でひとまず幕引きだ。
慈愛ある神父として、崇剛は、
「えぇ、構いませんよ」寂しい人を放っておくわけにはいかなかった。
瑠璃色をした貴族服の細い腕は白いローブへと伸びていき、元教祖の男性的な腕は崇剛の背中に回された。朝のさわやかな空気の中で、男ふたりで抱擁する。
背丈の差をダルレシアンが補正した。少しだけかがみ込み、崇剛の神経質なあごは、白いローブの肩に乗せられた。そっと目を閉じて、心にある聖堂の中で神に祈りを捧げる。
(主よ、どうか、彼の悲しみを取り除いてください)
背中をトントンと二度優しく叩く、子供を寝かしつけるように。色形の違うロザリオがシルクの生地一枚を挟んで、聖なる導き――慈しみの中で寄り添った。
執事の涼介が真っ先に反応した。思わず吹き出し、
「ぶっ! な、何で抱き合ってるんだ!」
また主人の罠なのかと、執事は勘ぐりながら、寝言事件を発端に、本当はもう一線超えたのではないかと疑惑を持った。
後ろに控えていた召使と使用人たちはにっこり微笑む。
「外国式のご挨拶でございますね」
昔から知っている坊っちゃまの言動を、彼らなりにきちんと理解していた。
「おにいちゃんとせんせい、なかよし!」
瞬のキラキラと輝く純真無垢な瞳を見つけて、涼介は頭の中にある妄念を追い払った。
「まぁ、よく取ればそうだな。でもな……」
だがしかし、主人の仕掛けてくる罠の大半と言ったらBL。執事は物思いに老ける。
今は少しだけ影が差すベビーブルーの瞳に映るのは、黒塗りのリムジンの前にたたずむ男ふたり――。線の細い瑠璃色の貴族服と、秋風に揺らめく白いローブ。
ふたりとも男性なのに、長い髪のせいで女性的に見える。千里眼と魔導師という特殊能力を持つ者同士。
遠くの山を背景に、庭の樫の木や花々に囲まれ、斜めに降り注ぐ陽光の中で、非現実的ではなく自然な光景に思えた。神羅万象が認める、大きな影響を相手に与え、切磋琢磨するような神秘的な関係のようだった。
崇剛はダルレシアンから離れ、執事へと振り返り、
「それでは、涼介、行ってきますよ。それから……」
長々と優雅に話している主人の声が、執事にはBGMのように聞こえていた。焦点の合わない目で、涼介はぶつぶつと独り言を言う。
「何かあったのか? さっきみたいなことしてるって。魔法の呪文で、崇剛がダルレシアンを襲った――」
その間に、遊線が螺旋を描く優雅な声は消え去り、石畳をロングブーツのかかとがカツカツと鳴らしながら近づいていた。
「――涼介、どうかしましたか?」
涼介の意識が現実へ戻ると、崇剛がすぐ正面に立っていた。
細い茶色のロングブーツに白い細身のパンツ。瑠璃色の八の字を描く貴族服の裾は、不意に吹いてきた風にはためき、腰元から聖なるダガーの柄がシルバー色で顔を出した。少しカーブのついた紺の髪を縛るターコイズブルーのリボン。
それらを順番に見つけた涼介は、ベルダージュ荘の玄関前に立っていることを思い出し、主人の神経質な顔を見つめ、戸惑い気味に返事をした。
「あ、あぁ、崇剛……気をつけて――」
「話を聞いていなかったのですか?」
途中で話をさえぎった崇剛の瞳は氷の刃のように鋭く、猛吹雪を感じさせるような声色だった。
「え……?」亮介はすっかり妄想から目が覚めたが、
「私が話しかけた内容の返事ではありませんよ、そちらは」主人の怒りは瞬間凍結させるような威力を持っていた。
「話?」
正直な執事は聞き返したが、それは主人にとっては情報漏洩をもたらした。
「困った人ですね、あなたは。やはり聞いていなかったのですね?」
懺悔していただきましょうか――?
感覚的な執事のお陰で、ルールはルール、順番は順番の几帳面な主人には、0.01%のズレが生じて、こうやっていつも罠へとたどり着いてしまうのだった。
「す、すまない」
亮介はうなだれながら、恐怖で震え上がった。
また叱れる――!
時間のロス――そう思いながら、崇剛はもう一度同じことを告げた。
「客室をひとつ整えていただけませんか?」
(こちらが必要になるという可能性は37.56%――)
勘の鋭い涼介は何を意味しているかすぐに気づいた。
「ん? 誰かまた来るってことか?」
「そうかもしれませんね」
曖昧な言い方をしたが、崇剛は今は嘘はついていなかった。低い可能性でしかないのだから。
「あぁ、わかった」
主人からの言いつけでは守るしかない涼介は、素直に受け入れた。屋敷の者全員に、崇剛は優雅な笑みを向ける。
「それでは、行ってきます」
崇剛の後ろから、ダルレシアンが片手を上げて横に軽く揺らす。
「瞬、バイバイ!」
大人だらけの屋敷で、子供の居場所は自然と狭くなるが、気にかけてもらえたことが、瞬にはとても嬉しくて、
「おにいちゃん、バイバイ!」小さな人は大きく手を振った。
崇剛がリムジンのそばまで歩いてくると、運転手が慣れた感じでドアを開け、深々を頭を下げた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「ありがとう」
崇剛が優雅に言って乗り込むと、先進国家の教祖であったダルレシアンは何の躊躇いもなしにあとに続いた。
車のドアが閉められ、運転手が乗り込む。石畳からリムジンはすうっと遠ざかり始め、門を抜け坂道を斜めに降り出した。
テールランプが見えなくなると、見送りに出ていた召使や使用人は仕事に戻るために、それぞれの持ち場へと戻ってゆく。
執事とその子供だけが玄関前に居残り、涼介は霞の海の下に広がる花冠国の中心街を眺めながら、
「ダルレシアン……どうしてついて行ったんだ?」
国立のところへ仕事で行く主人。それなのに、昨日来たばかりの魔導師を連れてゆくとは、どんな事情があるのだろうか――。難しい顔をしていたが、涼介はすぐにやめた。
「まあ、考えてもしょうがないか。とにかく客室を掃除しないとな」
ホワイトジーンズが瞬の小さな手で引っ張られ、
「ピアノ〜、ピアノ〜♪」
ご機嫌な歌で、涼介は完全に現実へと戻って、息子の頭を軽くなでた。
「飽きたら、崇剛の寝室から前にふたつ目の部屋にいるから戻ってこい」
「せんせいのねむるところ? まえ……ふたつ?」
五歳の能力ではすぐにはわからず、瞬は指で数える仕草をして、
「うん、わかった!」
素直にうなずいて、小さな人は石畳の上をスキップしながら去っていった。
涼介が玄関のドアを閉めると、霊界でずっと見ていたアドスとクリュダが姿を現した。
「いよいよ、始まるっすね」
秋のさやかな朝にぴったりだというように言って、アドスは天色の瞳で三沢岳の景気を眺めた。
「賑やかになりますね」
クリュダも同じものを見渡し、にっこり微笑んだ。
「あぁ、そうっす」アドスはそう言いながら、袂へ手を入れ、「これ、火炎山の麓で取れた緑茶っす」茶色い布の袋に入ったものを差し出した。
クリュダの目の色が変わり、「本当ですか!」羽布団のような柔らかな声が天まで轟いた。
「ほしかったんです。あの五百年に一度しか収穫できないという幻の茶葉。この甘みと苦味に――」
話が長くなりそうだったので、アドスは強引に割って入った。
「守護の仕事はいいんすか?」
クリュダは照れたように、オレンジ色の髪に手をやり、おかしなことを言う。
「あぁ、そうでした。僕としたことが、つい『びっくり』してました」
「それを言うなら、『うっかり』っす!」
「んんっ! そうとも言います」
クリュダが気まずそうな咳払いをすると、ふたりはそれぞれの守護をする人の元へと瞬間移動で飛んでいった。
昼夜逆転している眠り姫が席をはずしている間に、ベルダージュ荘には新たなスタートを迎える予感が漂っていた。
*
――穏やかな鳥のさえずりを聞きながら、車窓から生い茂る木々の隙間からこぼれ落ちる陽光が、キラキラと宝石のように輝いていた。
移動時間に話すのならばロスはない。座り心地のよいリアシートに身を預けながら、崇剛は冷静な水色の瞳で、斜め向かいにいるダルレシアンをじっと見つめた。
「話とは何ですか?」
「千里眼でわかるかな?」
ダルレシアンが瑠璃紺色の瞳で見つめ返すと、漆黒の長い髪がローブの肩からさらっと落ちた。
「どのようなことですか?」
「ボクが花冠語を話せる理由――」
「どのような経緯で、話せるようになったのですか?」
崇剛がバックミラーを見ると、運転手の姿は見えなかった。完全なる死角で会話が続いてゆく。
*
いつの間にか――ダルレシアンと崇剛はミズリー教の施設にある中庭に立っていた。防音効果の技術はとても優れていて、近くにあるメイン通りの騒音も、嘘のように聞こえない。
大きな池のまわりを、ふたりで散歩する。緑豊かな芝生を踏み、チャポンと魚が飛び跳ねが音がした。
「神童として五歳で教団に迎え入れられたボクは、ほとんどを教団の施設内で過ごした。外国に行くのは夢のまた夢だった」
神の化身と崇められていた教祖には、自由はほどんどなかったのだ。ダルレシアンは大きく息を吐きながら、四角く切り取られた青空を見上げた。
「だから、毎日毎日、窓から見える空を眺めて、飛行機を見てた」
「飛行機とは、空を飛ぶ乗り物ですか?」
凛々しい眉をしたダルレシアンの横顔を、崇剛は見つめた。ふたりの頭上に広がる青空を、銀の尾を引いて飛行機が悠々と飛んでゆく。
「そう。それに乗って、みんな外国へ旅行に行ったりするんだ。ボクもいつか遠い国に行ってみたいって思ってた」
ラピスラズリをはめこんだ金色の腕輪は、長い時間を持て余していたというように、プラプラと体の脇で前後させられ、聡明な瑠璃紺色の瞳は陰った。
「でも、行ける日は来なかった。お陰で、飛行機の飛ぶ方向で時刻がわかるくらいにはなったよ」
教祖が気ままに、街を徘徊することはできない。護衛がたくさんついてくる。他の国へ行くなどもっての他だった。
あれだけの高度技術を持っている国の宗教機関だ。変装して抜け出そうとしても、個人識別の壁に阻まれて、重鎮の世話役にこってり叱られるがオチな日々だった。
ダルレシアンは木陰にあるベンチに腰掛けた。崇剛もその隣に同じように座る。晴れ渡る青空を、銀色がまた一直線に描かれてゆく。
傍に置いてあった本を大きな手で取り上げ、元教祖は差し出した。
「だから、書庫で外国の本を読むことにしたんだ。そうして、ある時、『世界の建築物』っていう本に出会った――」
パラパラとページをめくると、何度も読んだのか、自然とあるところで本は開きっぱなしになった。
「そこで、ベルダージュ荘を初めて見たんだ」
花冠国という独自の文化で、外国の建築様式を積極的に取り入れた、非常に珍しい建物として紹介されていた。
よく撮れていた。高台に立つ赤煉瓦の建物。まわりの山々は控えめなのに、屋敷は洋風で存在感を強く持っていた。
「でも、前にも見た感じがした。不思議な体験だった。見たこともなのに知ってたから」
全てを記憶している頭脳を持つ人間の言う言葉ではなかった。
崇剛は本から視線を上げ、
「既視感ではないのですか?」
それが妥当な判断だ。ダルレシアンはシュトライツから出たことがない。似たような建物を国内で見たものが、脳の中で合成した可能性が高いだろう。
ダルレシアンは両肘を膝の上に落としたまま、どこか遠くを見ていた。
「最初そう思ったんだけど、違うんだ。外観しか本には載ってなかったけど、中がどうなってるかまで思い浮かんだ」
「そうですか」
崇剛は神経質な指先で後れ毛を耳にかけた。風が吹いてくると、白いローブに木漏れ日がマダラ模様をゆらゆらと描く。
「さっき、屋敷の中を歩いてたら、教会に続くドアの前で、大きな鏡がここにあったって思い出したんだ」
幽霊だと執事が騒いでいたのは、こういう思惑があったからなのだ。
「そちらの話は先ほど、涼介から聞きました。鏡があったことだけですか? 気づいたことは」
「ん〜? その鏡を置いた理由って、屋敷を広く見せる効果で置いたんだって思った」
ずいぶん専門的な話が出てきた。そうなると、可能性は自ずと絞られてくる。ダルレシアンは本当は予測がついているのだ。だがしかし、確信を得られないのだ。だから、千里眼を持っている崇剛に聞きたいのだった。
「これって、説明がつく?」
噴水の水が一斉に空へ向かって勢いよく上り、涼しげな音を醸し出す。
「他に何か情報はありませんか?」
「ん〜? あの屋敷を建てた、Leon Amatsuって名前を見た時、どうしてだかわからないけど、懐かしい感じがした」
「天都 レオンですね。私の先祖です」
水辺に小鳥たちがやって来て、楽しそうなさえずりが耳をくすぐる。穏やかな日差しの中で、崇剛は千里眼の瞳を開いた。