魔導師と迎える朝/4
すると、ダルレシアンの口から、科学技術の差がどれほどあるのか思い知らされるのだった。
「十年前までは電気で充電して使ってたけど、空気中の水素をエネルギー源に変えて充電するものに変わった。だから、空気がある限り、使い続けられるよ」
教祖として暮らした日常には、自身の持ち物などほとんどなかった。信者のために、予算は使い、己の好きなものを買うとしたら、消費してなくなってしまう――食べ物くらいだ。携帯電話は唯一の持ち物だった。
「ボク、携帯でゲームするのが好きで、いろいろ中に入ってるから、これだけは持ってきちゃった」いつもゲームをしているからこそ、罠を仕掛ける時には、素知らぬ顔でゲームをしているフリというカモフラージュを、よく使ったものだ。
昨日は忙しくて、携帯をいじる暇もなかったが、今日は晴れて、教祖という堅苦しい立場から解放されて、思う存分ゲームができると思うと、食事をしながらでも、プレイしたくなるものだ。
「どなたかから、連絡がくるのではないのですか?」
崇剛から当然の質問が投げかけられたが、シュトライツの科学技術の高さは群を抜いていた。
「ボクの意識下でこの携帯はつながってる。だから、ボクが出たいと思わない限り、つながらないし、探すこともできない。あの国とは一切関わり合いはないんだ。出る必要もない」
王政はクーデターによって廃止されて、世界中を賑わしている最中に、行方不明となったミズリー教の長。いまだに見つからないと、新聞記事には載っている。
残してきた信者のためにも、姿を現すつもりもない。ダルレシアンの気持ちを考えると、涼介と崇剛は複雑な心境にならざるを得なかった。
「そうか……」
「そうですか」
昨夜の青白い明かりの正体を突き止めた崇剛は、
「昨夜言っていた『携帯のライト』とは、携帯電話についていたライトを使っていたのですか?」
「そう」ダルレシアンはそう言って、意識下でつながっている電話を操作することなく、電気がついた。朝の光に負けて、威力はなかったが、ベルダージュ荘の人間――ろうそくとガス灯の暮らしをしている人々にとっては、画期的なものだった。
そんな出来事が、まるで手品のように思えて、瞬は目を輝かせた。
「おにいちゃん、ピアノひける?」
知らないものを持っている。それだけで、可能性は無限大に広がっていて、期待に胸躍らせた。
「パイプオルガンなら習ったけど……」ダルレシアンはポケットに携帯電話をしまいながら、少し鈍い返事をした。
「パイプ……?」小さな首をかしげると、ひまわり色のウェーブ髪は、瞬の柔らかい頬から離れた。
「教会にある大きな楽器ですよ」
と、崇剛が手を差し伸べると、瞬は表情を明るくさせた。
「あぁっ! おにいちゃん、あれひけるんだ。すごいね」
大きな音で響く、綺麗な旋律は、小さな芸術家に存分な幸福を与えていた。
「瞬はピアノを弾くのが好きなの?」
「うん! だいすき。だから、おしえて?」可愛いおねだりだった。
「少し弾き方は違うけど、鍵盤楽器だから、教えられるところがあるかも?」
子供の澄んだ心の前で、嘘はつきたくない。ピアニストのような技術があれば、自信を持って答えられるが、経典の教えの延長上で、四苦八苦しながら学んだ技術では、小さな芸術家を満足させられるかわからない。だから、不確定になるのだ。
「ありがとう」瞬はとびきりの笑顔を見せ、椅子の下でパタパタしていた足は速度を増した。
瞬の当面のピアノ講師は、どうやらダルレシアンになったようだった。
「それではいただきましょうか?」ひと段落した食卓に、主人の優雅な声が舞った。
給仕係が崇剛とダルレシアンのグラスに水を注ぎ始めた。ふたりは両肘をテーブルについて、そっと目を閉じる。
(主よ、こちらの食事を祝福してください。体の糧が心の糧となりますように。今日、食べ物に事欠く人にも必要な助けを与えてください)
涼介は食事に手をつけず、ふたりをそっとうかがう。主人に仕掛けられてきたBL罠は、執事の心を禍々(まがまが)しく侵食していた。
(どうして、あんなことになってたんだ?)
ダルレシアンは夢の中に出てきて、あの衝撃なベッドに押し倒されるという事件で、男色家であるのは否めない。主人は悪戯をするくらいだから、同性愛者ではないのかもしれないが、今朝の様子からすると、昨夜で変わったのではないか(涼介だけの勝手な見解)
主人の神経質な手はグラスを一度かたむけただけで、その後まったく動いていなかった。熱があるように額に手を当て、珍しくため息をつき、「はぁ……」ひとり自問自答する。
(あのようなことになるとは思いませんでしたよ)
らしくない主人。ため息をつくようなことは今までなかった。悪戯はするが、慈悲深い主人のことだ。心配していると悟られては、かえって気を遣わせる。涼介はグラスに手を伸ばし水を飲もうとした。
「崇剛、どうしたんだ? 体調がよくないみたいだが……」
「朝方までほとんど眠れなかったのです」
涼介は飲んでいた水でのどをつまらせた。
「うっ! ゴホッ、ゴホッ!」
眠れなかったとは、朝まで何か――大人の情事を楽しんでいたのか。よからぬ想像をさせる、BL罠を仕掛けてくる主人。今日こそは、やられるてなるものかと、ヒリヒリするのどを感じながら咳き込む執事。
「パパ、だいじょうぶ?」パンをかじっていた瞬は手を止めて、純真無垢な心で心配した。
「こほっ! 大丈夫……だ」涼介は何とか平常へと戻ってきた。
「よかった」
ナプキンで濡れたテーブルを拭きながら、「どうしてだ?」と執事が問いかけると、主人の冷静な水色の瞳がこっちへ向いた。
「昨夜、ダルレシアンとベッドをともにしたのですが……」
語尾を濁したのが、涼介の直感という警報機を鳴らし、少々イラつかせた。
「…………」
(それはさっき見たからわかってる。お前、また罠を仕掛けようとして……)
落ち着け、自分――涼介は深呼吸をさりげなくしながら、結果はダルレシアンが崇剛を抱きしめて寝ている現場だったが、それだけで何かあったと判断するには、だいぶ短絡すぎやしないか――と言い聞かせる。
「一生忘れられない夜になるかもしれませんね」
主人の中性的な唇から出てきた、意味深な発言に、
「どんなことをしたんだ……!?」
とうとうやられてしまい、涼介は思わず椅子から立ち上がり、勢い余ってバタンと椅子が床に倒れた。
目玉焼きを口に運ぼうとしていた瞬は、本当に不思議そうな顔を父に向けた。
「パパ、どうしたの?」
五歳の純粋な世界を、大人の汚れた価値観で踏みにじってはいけない。
「あ、いや……何でもない」涼介は椅子を起こしながら、「素晴らしくさわやかな朝だ。うん」策略的な主人を見ないようにして、窓から入り込む日差しに目を細めた。
「パパ、パン、お代わり」
息子が差し出したカラの皿を、父は素早く受け取って、「あぁ、わかった」カゴに入った山積みの焼き立てパンからひとつトングでつかみ、息子の成長を喜ぶ。
「たくさん食べられるようになったな」
「うん! ありがとう」
平和な親子の会話が展開していると真正面で、ダルレシアンは珍しく真摯な眼差しで、小さく頭を下げた。
「ごめんよ、崇剛」
「やはり、あなたの仕業だったのですね? 私に何をしたのですか?」
部屋へ招き入れたのは、自身の失態だった――。崇剛はそう後悔しながら、原因を知りたがった。自分より先に寝たはずの、ダルレシアンが何かをしたと認めたのだから。
「あれは……たぶん、俺の寝言が魔法の呪文だったから。前に朝起きたら、まわりの出来事が変わってた時がよくあったから……。それと同じじゃないかな?」
寝言を言う魔導師。危険な香りが思いっきりする――。
被害に遭っていない涼介は、片肘をついたまま、ベーコンエッグにフォークを刺した。
「どんな魔法をかけたんだ?」
「Flothing! Restraent! Aphorodisiac! Maybe?」流暢な英語がもたらされると、
「そちらをかけたのですか……」英語の辞書を丸覚えてしている崇剛は、さすがにゲンナリした。
ダルレシアンと一緒に眠るのは危険であるという可能性が99.99%――
主人の心の中で、警報が強く鳴っていたが、感覚的な執事は知る由もなく、またイラッときた。
「何で、そこだけ花冠語で言わないんだ? 気になるだろう、そういうことされると……」
あの衝撃的な朝の光景を見せられた挙句、ふたりにしかわからない言葉で話している。主人が千里眼を使って、瑠璃と話しているのと何ら変わらない。
「翻訳してほしいのですか?」崇剛はそう聞き返しながら、心の内はしっかり策略的だった。
涼介が困るという可能性が78.98%――
今から四番目の会話で、瞬が質問するという可能性が78.98%――
ふたつの数値は同じです。
すなわち、瞬が涼介に質問することによって、涼介が困るということです。
半年前に、この食堂で仕掛けられた罠とほぼ同じ。それなのに、イラつきという感情に煽られ、涼介は売り言葉に買い言葉で、
「当たり前だろう。どうして、一回確認して――ん?」直感というセンサーに微かに何かがかすり、「前にも同じことがあった気がする……。何の時だ?」
と考えようとしたが、瞬発力のある主人が先に動いた。
「こちらの意味です。浮遊、拘束……そして――媚薬です」
崇剛は頭が痛かった。寝不足もあるが、魔導師と一緒に過ごした夜の悩みとして。
(媚薬で体が辛い状態のまま動かせないのですから、眠れませんでしたよ)
中性的で優雅に見える崇剛だが、男であることには変わりはないのだった。
「媚薬……!」涼介は息をつまらせた。
あんなに気をつけていたが、BL妄想世界へととうとう飛ばされてしまった――
*
――月明かりも差さないベッドの上に、ダルレシアンは崇剛を押し倒した。紺の長い髪が淫らにシーツの海へ広がり、それを侵食するように、魔導師の漆黒の髪はとかれ、崇剛の上に覆いかぶさるように落ちる。
「なぜ、このようなことをするのですか?」
火照った体のままで、崇剛の息遣いは抑えようとしても、激しかった。媚薬のせい――。ダルレシアンは色のついた夜風を身に纏って、妖艶に微笑みかける。
「What we do on the bed ……how’s your father?/ベッドですることっていったら、あれしかないでしょ?」
あの衝撃的な夢が現実となって、主人に襲い掛かろうとしていた――
*
ふとそこで、涼介は窓の外から差し込んでいる、秋のさわやかな朝陽を見つけて、執事のBL妄想は強制終了した。
「パパ、『びやく』ってなに?」
瞬の幼い声に、涼介は息をつまらせた。
「そ、それは……!」
今自分がした大人の妄想を話すわけにもいかず、息子に父はチェックメイトされた。だが、だがしかし、元はと言えば、これは――
「だから、ふたりで俺を罠にはめるな!」
吠えるように言って、いつも通り、執事は暴言を吐いた。
「この、ワンチャン神父、魔導師!」
昨日会ったばかりで、一夜をともにするな――息子が同席していなければ、そう叫んでやりたい涼介であった。
「親子の平和を守るために、ボクわざと言わなかったんだけどなあ」
ダルレシアンは春風みたいにふんわり微笑むが、悪戯が成功したみたいにぺろっと舌を出した。
崇剛は中性的な唇に手を当て、くすくすと上品に笑い「…………」それ以上何も言えなくなって、彼なりの大爆笑を始めた。
いつまで経っても返事が返ってこない。大人三人がそれぞれの反応をしているのが不思議で、瞬はあどけない丸い瞳をパチパチと瞬かせていた。