魔導師と迎える朝/3
「たくさんの方のために、あなたはわざと捕まったのですね?」
「そう。それが、本来のボクを理解してくれた人々への恩返しだったんだ」
崇剛の神経質な手は、ダルレシアンの漆黒の髪を優しく何度もなでた。誰にも言えなかったのだろう。王族に偽の情報が簡単に渡るような教団内部だ。どこにスパイが潜んでいるかわからない。
たくさんの人の明暗がかかっている。だから、失敗は許されない。プレッシャーは相当なものだっただろう。何度も何度も、可能性の数値をあらゆる面から見て、導き出して導き出して、をひとりでしてきたのだろう。神父は教祖を労いたかった。
窓の外を月が西へと少しかたむき、火照った体が秋風に覚まされてゆく。
やがて、崇剛の中性的な唇が動いた。
「拘束されていた間、なぜ無事でいられたのですか?」
病気どころか、傷ひとつもついていない。敵地へとひとりで囚われの身。何もないという可能性はゼロに近かったが、策略的な教祖はそこもきちんと計算の上だった。
「人は自分のことを理解されたがってる。それが根本的な心理でしょ?」
「そうかもしれませんね。不平不満などを聞くふり、もしくは聞いて、身の安全を守っていた――」
言い当てられて、ダルレシアンは春風みたいな笑い声をもらした。
「ふふっ。体罰は回避できたし、お菓子が好きだから、食事の他にそれももらってた」
拘束でも軟禁でもなく、少し不自由な滞在である――。この男は冷静な頭脳で感情を見事なまでに抑え、駆け引きをして欲しいものは手に入れるのだ。
崇剛は手の甲を中性的な唇に当てくすりと笑った。
「おかしな人ですね、あなたは」
「ふふっ。ただ部屋から出られなかったのは、少し大変だったかな? ボクに落ち着きはないから、冷静であっても」
「そうですか」
崇剛は自分と重ねた。瞬を生霊から守るために、庭の樫の木に飛び移ったことと。革命を起こすような情熱の持ち主だ。この教祖も瞬発力は相当あるのだろう。
「シュトライツへは戻るのですか?」
「ううん、戻らない」ダルレシアンが首を横に振ると、サラサラと髪が毛布にこすられた。
「ナールに言われた通りに、みんなには言ったんだ」
あのミラクル風雲児の策――崇剛は是非とも聞いてみたかった。
「どのような言葉を言ったのですか?」
ダルレシアンは教団の中庭を見下ろせる、謁見の席から立ち上がり、人々へ告げた時と同じように、ただただクールさを持って言葉を紡いだ。
「私は神の元へ行く。だが、神からのお告げがあり、そなたたちはこの国へ残り、神の教えを忠実に守り、生きていくがよい」
泣いている人がたくさんいた。ダルレシアンは残るわけにはいかない。みんなが努力をして、豊かな暮らしを築いていくのだから。魔導師のメシアに頼ってはいけないのだ。
「そうして、ボクは後継者の名前を言い残して、キミのところへ瞬間移動してきたんだ。だって、そうじゃなかったら……」
「自殺する方が大勢出たかもしれませんね」
「そう。宗教の集団心理っていうのは、ある意味難しくてね。ボクが突然いなくなったら、みんな死んだと――神の元へ行ったんだと信じきる。そうしたら、ボクの後に続くために、後追い自殺をする人間が出る可能性は大」
過去にもそんな過ちがあった。繰り返さずに、みんなの幸せを教祖は強く願ったのだった。
「国王を暗殺するつもりだったのですか?」
いかなる理由があろうとも、人は人を裁けない――殺すことは赦されない。薄闇の中で、ダルレシアンの瞳は何の感情も持っていなかった。
「国王が死ぬ可能性は非常に高かった。でも、百パーセントじゃない。だから、ボクは考えていないと言い訳もできる……。そうでしょ?」
とけている紺の髪が楽しげに、毛布の上で揺れた。
「強かな人ですね、あなたは」
この男の大胆さには脱帽する。ダルレシアンの体を抱きしめている崇剛の細い腕は、笑いの衝撃でカタカタと震えていた。
しかし、魔導師は真面目な顔で、首を横に振り、
「違う。ボクは小さい頃は泣いてばっかりだった。喜怒哀楽が激しくてね」
「そちらを制御するために、冷静な判断――理論を取り入れた」
笑いの渦から戻ってきて、崇剛は優雅に微笑んだ。この男とは共通点が多い。
「そう」いつどんな失敗をして学んだかまで記憶している精巧な頭脳。ダルレシアンは思い出して嫌悪感に襲われるのをさけた。
「ところで、崇剛?」
「えぇ」
「クリュダの発掘が好きってことなんだけど……」
「えぇ」
ふたりの脳裏に、聖戦争で戦わずして、勝利をしていた天使をそれぞれの角度から思い出したが、どう考えてもおかしいと踏んでいた。
「あれは嘘だよね?」漆黒の髪を指に巻きつけて、ダルレシアンは弄ぶ。
崇剛はまた笑いそうになったが、何とか堪えた。「なぜ、そのように思うのですか?」
神父の腕の中で、教祖は顔を上げて、甘ったるい口調で、「だって、そうでしょ?」と言って、戦いが始まる前のある言葉を口にした。
「作戦Bってラジュが言ってた。そのあと、プロファイリングって言った。シズキが反対してた。戦いが終わったあとのクリュダは、『いい演技の練習になりました』って言ってたよね? だから、クリュダの発掘好きは嘘の可能性が高いよね?」
「そうかもしれませんね」
崇剛も同じ場面を何ひとつ順番を違えずに思い出して、またくすくす笑い出した。
「何がおかしいの?」
「シズキ天使がそちらの作戦に乗ったことが、おかしいではありませんか?」
あの俺様天使が、笑いに参加したという事実が何よりも、爆笑の渦に陥れることだった。
「確かにそうかも? どうやって、ラジュはシズキにも仲間に加わるように、話をつけたんだろう?」
「謎のままかもしれませんね」
聞いたとして――可能性を導き出す。
俺様天使が怒るのは89.78%――
ラジュがのらりくらりと交わすのは99.98%――
よくできた策だ――、崇剛とダルレシアンは同じ結論にたどり着いた。
青白い明かりがほのかに照らす寝室に、虫の音がツーツーと忍び込む。風もない穏やかな夜で、微睡へと自然と誘われる。ダルレシアンは大きなあくびをして、間延びした声を出した。
「ん〜……眠くなっちゃったなあ」
「今日はいろいろありましたからね」
「おやすみ、崇剛」まぶたの重みに耐えられず、聡明な瑠璃紺色の瞳は閉じられた。
「こちらで眠るのですか?」崇剛は体を少し離して、顔をのぞき込んだが、ダルレシアン から返ってくる返事は、「ZZZ……」だけだった。
「眠ってしまったみたいです。困りましたね」
崇剛の片腕をしっかりと下敷きにして眠ってしまった、男色家の疑いが張れないダルレシアン。ひとつのベッドに男ふたりで寝転がる静かな夜。そこを照らし出すのは、青白い得体の知れない明かり。
不意に吹いてきた風で窓がカタカタと震えると、崇剛にぞくっと寒気が襲った。空いている手で毛布を足元へ下ろし、風邪をひかないよう、ふたりで一緒にかぶる。
「ですが、私も……今日はくたびれたのです。たくさんの天使や霊の言葉や行動を見て、メシアを使いすぎたのかもしれません。ダルレシアンを……運ぶことはできな――」
崇剛は言えたのはそこまでで、冷静な水色の瞳もまぶたの裏に静かに隠れた。
*
そうして、翌日の朝――
執事のアーミーブーツは二階の廊下を、早足で歩いていた。いつも時間に厳しい主人だが、もうすぐ朝食の時刻だと言うのに姿を現さない。違うことが起きている。涼介は主人の寝室までやって来て、部屋のドアをノックしたが、
「ん? 返事がない……。もしかして、昨日、夕食のあと、また気を失ったとか?」
心配である。昨日は元気だったかと言われれば、若干そうではなかった。しかし、食の細い主人でも、サングリアを飲んで、食事にも手をつけていた。おやすみの挨拶もした。
涼介はドアに耳を当てて中をうかがうが、物音がまったくしない。
「変だ。こんなこと今までなかった。ダ、ダル……も起きてこないし、どうなってるんだ?」
客人は気を失って、夕食にもこなかった。秋のさわやかな朝日が、窓たちから差し込むというのに、執事の心の中は暗雲が垂れ込めそうな予感がしていた。
「崇剛、開けるぞ」廊下に立ったまま、涼介はひとこと断り、スペアキーを使って回したが、引っかかる感覚がなかった。「ん?」手元を見るため、少しかがみ込んで、
「右じゃなかったか。いちいち覚えてないからな」
感覚的な執事は反対に鍵を回すと、かちゃんと鉄が木に当たる音が、朝の廊下に響き渡った。もう一度、ドアを開けようと試みるが、うんともすんともいわない。
「ん、閉めた? 開いてたってことか。崇剛が鍵を閉めないなんて……。やっぱり変だ。何があったんだ?」
開け直して、ドアを中へ押し入れた。顔だけでのぞこうとすると、
「崇剛? どうかした――!」
目に飛び込んできた風景に、思わず息を飲み込み、
「ど、どんな罠だっっ!?!?」少し鼻にかかる声が屋敷中に轟いた。
開けっぱなしになっているドアの向こうでは、主人のベッドの上で、ダルレシアンが崇剛を抱きしめて、ふたり一緒に眠っている。BL苦手な涼介にとって、前代未聞な風景が広がっていた。
*
ひと騒動あった、ベルダージュ荘の朝食――。
昼夜逆転している聖女にとっては、寝る前の食事――夕食となる朝食。だったが、瑠璃は昨日の寝不足が響き、今朝は欠席。彼女がいつも座っている瞬の隣には、涼介がいた。
瞬は向いの席に座っている、凛々しい眉を持つ、知らない大人を前にして、純真無垢なベビーブルーの丸い瞳をパチパチと不思議そうに瞬かせていた。
「おにいちゃん、だれ?」
興味津々で、瞬の小さな足は椅子の下でパタパタと動いていた。子供と話すこともよくあった教祖は、春風みたいな柔らかな笑みを見せる。
「ダルレシアン ラハイアットだよ」
崇剛は思う。昨日は花冠語を話したことは一度もなかった。それなのに、今日は話している。やはり夢の中と同じように話せるようだ。執事の予知夢も貴重な情報源かもしれない。
「キミの名前は?」
「ぼく、まどか!」
「素敵な名前だね。いくつ?」
「ごさい!」
「ボクは二十九歳。友達になってくれるかな?」
「うん、いいよ」
ダルレシアンは白いローブのポケットから、何かを取り出そうとした。
「じゃあ、『携帯』の番号教えて?」そう知って、四角い薄っぺらいものを、大きな手のひらで持ち、聡明な瑠璃紺色の瞳でじっと見つめた。
「けいたい……?」チンプンカンプン――という呪文でも聞いたように、瞬は不思議そうに首をかしげた。
「あれ? 子供だから持ってないの?」
ダルレシアンは罠を張っているようにも見えず、崇剛がふたりの間に割って入った。
「『ケイタイ』とは持ち歩くという意味で使っていますか?」
言葉は話せるが、言い間違いか。
「そう」ダルレシアンは短くうなずいて、「携帯電話のこと」間違ってはいないことを知ると、花冠国で暮らす人々は、壁の一角に視線を集中させた。
「――持ち歩く電話?」
そこには、丸が三つついた、埴輪みたいな顔をした、木の箱が壁にかけてあった。
あんな大きなものが、ダルレシアンの手のひらに乗っているものと同じだと言う。崇剛は冷静な水色の瞳を、電話だと言うものへ戻した。
「持ち運べる電話ですか?」
「そうだよ」ダルレシアンはそう言って、数字が九まで表示された画面を、崇剛に見せた。
「電気は必要ないのですか?」
新聞で読んだ、何か大きなものを動かすには電力がいると。惑星の反対側にある先進国から、発展途上国へと瞬間移動という斬新な方法で輸入されたが、エネルギー源がない国では、すぐに使えなくなるのではないかと、崇剛は心配した。