刑事は探偵に告げる/3
薄暗い中を鋭いブルーグレーの眼光が右へ左へ動く。さっきまで、身廊で気を失ったダルレシアンを支え、涼介にテキパキと指示を出していた崇剛。彼の瑠璃色の貴族服はなぜか、参列席の最後列で、もたつかせ感のある紺の長い髪を背中に流したまま、祭壇に向いて座っていた。
「崇剛っ!」
白く濁った大理石の上を、長いジーパンとウェスタンブーツの足が勢いよく進み、振り返りもしない優雅な聖霊師の近くまで、心霊刑事は近づいた。
その時、線の細い崇剛の体は、国立の立つ身廊側へすうっと倒れて、心霊刑事は慌ててかがみ、
「っ!」
瑠璃色の貴族服を迷彩柄のシャツで男らしく受け止めた。鋭いブルーグレーの瞳を神経質な顔へやると、冷静な水色の瞳はまぶたの向こうに隠され、なぜか気を失っている崇剛がそこにいた。
ガバッと、国立は優雅な聖霊師の華奢な両肩をつかんで、
「おいっ! 起きやがれ、崇剛!」
大きく揺さぶったが、崇剛のまぶたが開くことはなく、正体不明のまま。ふたりのまわりには、何が起きたのかわかっている天使六人と守護霊ひとり。
だが、霊感がほとんどない国立。さらには今焦りが出ていて、感じることもできない状態だった。
今にも崩壊しそうな旧聖堂に、国立の吐き捨てるような声が響く。
「崇剛! くそっ!」
聖霊師と参列席の間に両手を入れ、瑠璃色の貴族服は迷彩柄とふたつのペンダントヘッドの前でお姫様抱っこされた。
「どうなっていやがる? 何があった?」
誰もいない聖堂に、国立のガサツな声が不安の色を持って突き刺さる。紺の長い髪から細いターコイズブルーのリボンがスルスルととけ、急に女性的になったしまった腕の中にいる人の重さを感じながら、霊界を見ることができない国立は必死で呼びかける。
「オレが救世主ってか? 瑠璃お嬢か、トラップ天使じゃねぇのか? 崇剛を守んのはよ」
感じる程度でもいいから霊感を使わせろ――。国立の心の声はみんなに届いていた。白と朱の巫女服ドレスを着た瑠璃は、心霊刑事の後頭部あたりに浮かんでいた。聞こえないのは百も承知で言う。
「お主、我はお主の守護霊ではないからの、申す義理はないがの。崇剛、何か罠を張っておったぞ。余計なことは申さぬほうがよいぞ」
霊感で悟った国立は、藤色の少し長めの短髪をさらっと揺らし、反射的に首を動かした。
「オレの背中攻めてくんなって。エスだな」
瑠璃は浮遊したまま、国立の真正面に瞬間移動した。
「お主、そろそろ、霊感を磨いたらどうじゃ?」
それでも、国立には聞き取ることはできなかった。この世の人間は崇剛とふたりだけ。霊的な存在がいるのはわかっているが、何が起きているのかが知れない。
ウェスタンブーツは左右に回るをして、何とか今の状況を理解しようとするが、
「誰か、通訳いねぇのか?」
霊感がないものはない。受け取るアンテナが発達していないのだから、いくら霊界から告げても伝わらない。
ラジュが最初に呼んだ――直感――天啓を与えたのは国立。焦りに焦っている心霊刑事をアドスは不憫に思う。
「どうするっすか? 国立さんまで呼んで、話通じないっすよ?」
「僕は今でよかったと思いもいますよ。これからのことを考えると」
クリュダがにっこり微笑むと、乙葉親子の守護天使をしているアドスとクリュダは仲良く以心伝心で、アドスはすぐに納得した。
「そうっすか。クリュダさんがそう言うなら、俺っちは涼介さんとこに戻るっす」
「僕も先に戻ります。瞬がお腹を空かせているかも知れませんからね」
聖戦争も終わり、通常モードへ戻る天使たち。アドスが先に瞬間移動でいなくなり、クリュダは国立の前に浮遊している漆黒の長い髪を持つ聖女に注意をした。
「瑠璃さん、早く体を休めたほうがいいです。寝不足はお肌の『天敵』です」
アドスがスッと戻ってきて、
「合ってる気もするっすけど、微妙にズレてるっす。それを言うなら、『大敵』っす」
「そうとも言います。おやすみなさい」
クリュダは気にした様子もなく、ボケ倒したまま消え去っていった。
「何じゃ? 何かあるのかの? 知っておる素ぶりじゃの。 守護霊が知らぬことかの?」
瑠璃がキョロキョロしていると、ラジュがゆるゆる〜っと言葉をつけ加えた。
「風通しが良くなりますよ〜」
「何のことじゃ?」
八歳の聖女は何が起きているのか――いや、大人の話についていけず、不思議そうな顔をするばかり。
ナールは山吹色のボブ髪をけだるくかき上げ「やっぱり疲れるね。これもちょっと考えないとダメね」今回の戦闘にダメ出しをして、すうっと天へと帰っていった。
「何を考えるのじゃ?」
知りたがっている聖女に向かって、トラップ天使はいつものお遊び言葉を口にした。
「今日はベッドドンで、瑠璃さんを手中に納めようかと思いましてね?」
「お主のことなど、我の眼中にないわ!」
聖女の憤慨した声が、旧聖堂に響き渡った。
「ベッドドンとは何じゃ?」
こうして、瑠璃はラジュの思惑通り、話を巻かれてしまった。
国立と正体不明になっている崇剛を、百年の重みを感じさせる若草色の瞳で交互に見ながら、
「とにかく、我は眠るぞ。また寝不足じゃ」
昼夜逆転している眠り姫は大きなあくびをして、旧聖堂から姿をすうっと消した。
トラップ天使と聖女が遊んでいる間に、国立は崇剛を抱きかかえて、雑木林の中を早足で歩き出していた。
子供がいなくなったのを確認して、さっきから怒りで形のいい眉をピクつかせていたシズキの鋭利なスミレ色の瞳が射殺しそうに、サファイアブルーの瞳をにらみつけた。
「貴様、ロリコンだろう。あんなクソガキを口説くとはな。あっちは八歳だ」
「おや〜? いけませんか〜?」
ラジュは正々堂々と認め、無感情、無動のカーキ色の瞳へ視線を向けた。
「カミエも瑠璃さん狙いですよ〜。私とは理由は違いますが……」
恋のトライアングルどころか、瑠璃は瞬を好きで、瞬は瑠璃が好き。両想いのふたり。そこへ天使ふたりが横入りしようとしている。複雑化している人間関係。
だったが、カミエは藁人形でも日本刀で切り捨てるように、地鳴りのように低い声で言った。
「行く」
瑠璃に構っている暇はない。守護の仕事が山積みなのだから。そうして、天使三人が消え去った旧聖堂は、魔除けのローズマリーの香りを少しだけ残しながら、いつも通り悪霊が集う夜を迎えた。
*
――――ベルダージュ荘の二階で、ひと段落というように部屋のドアを閉めて、涼介が廊下へ出てくると、右手からドカドカとかちゃかちゃという金属音が同時に聞こえてきた。
何かと思って、そっちを見ると、正体のない主人をお姫様抱っこしている国立が視界に入った。
「え……?」
執事は違和感を強く抱き、しばらく固まっていた。無事だったはずだ、旧聖堂に行った時には、主人はピンピンとまでは言わないが、倒れてはいなかった。それとも、自分がいなくなったあと、緊張の糸でも切れて倒れたのか。
ずいぶん焦っているようで、国立は長いジーパンで足早に近づいてきて、
「涼介! 崇剛の部屋どこだ?」
「えっ?」
涼介は起きていることが理解できず、珍しく大きく目を見開いた。
まぶたを固く閉じて動かない主人。正体をなくしている神経質な顔。この男と二年もの間、同じ屋根の下で過ごしてきた日々を思い返すと、何だかおかしな気がする――と涼介は思った。
いつまでたっても返事を返してこない。国立はガサツな声で催促した。
「早く言いやがれ」
「あぁ……奥から二番目です」
振り返って場所を教えた。
「そうか」国立はそのまま涼介を通り過ぎ、長い廊下を進んでゆく。
ベルダージュ荘の居住スペースに外部の人間――心霊刑事がいるという起きるはずのないシチュエーションが展開していた。
涼介は不思議そうに眺める。国立の大きな背中と、その脇から下へもつれ落ちている主人の長い髪を。
「何がどうなってるんだ? 国立さんがここにいて、崇剛が倒れてる……。何だか変だな?」
しばらく考えていたが、答えは出てこなかった。
「と、とにかく、医者を呼ばないとな。崇剛にまた叱られる」
ドアの向こう側で倒れているダルレシアンを思い出し、執事は主人にまた叱られる――罠を仕掛けられないように、階段を降り始めた。
崇剛の寝室前まで、ウェスタンブーツがやって来ると、誰かさんが意図的に開けておいたドアは、そのまま一センチほどの隙間を作っていた。
「ナイス、開いてやがる」
国立は男らしく乱暴にドアを蹴り開け、崇剛が横向きでぶつからないように寝室へサッと入ると、ウェスタンブーツはドアを後ろ蹴りして、バタンとしっかり扉が閉まった。
男ふたりきりの部屋。通常ではあり得ない組み合わせと場所。
国立がベッドに崇剛を下ろそうとすると、カウボーイハットが床へと落ちた。策略的な聖霊師の前で、心霊刑事の藤色をした少し長めの短髪が、今初めてあらわになり、心の内を透かすような予感だった。
「んっ!」
線は細いが男は男で体重はそれなりにある。国立は力んだ声を出して、瑠璃色の貴族服をまとった崇剛を、白いシーツの上に置いた。ベッドと男の隙間から手を抜き取るやいなや、「崇剛! 崇剛っ!!」華奢な男の両肩を大きな手でつかみ、強く揺さぶる。「起きろ!」何度かしてみたが、冷静な水色の瞳が姿をあらわすことなく、代わりに線の細い体は向こう側へ寝返りを打った。
「ん……」
死んだのかと思った。生きていた。国立は崇剛の肩から手を離し、思わず安堵のため息をついた。
「はぁ〜、驚かせるんじゃねぇ」
床に落ちてしまった帽子を乱雑につかんだが被らず、手に握りしめたまま、ベッドの隅に国立は軽く腰掛けた。
「無防備に寝やがって」
霊感がほとんどない国立の横にある窓の外には、守護をする天使三人――ラジュ、カミエ、シズキが宙に浮いたまま、ことの成り行きを見守っていた。
傷がついているが召使たちのお陰で輝きを保っている床を、意思の強いブルーグレーの瞳は焦点が合わないながら見つめ、崇剛に背を向けたまま、しばらく男らしい唇は動くことはなかった。
鋭いブルーグレーの瞳は閉じられ、息を深く吸っては吐き出すを何度か繰り返すたび、迷彩柄のシャツが厚い胸板については離れてをしていた。
やがて、瞳が再び現れると、いつも自信たっぷりで話す国立なのに、今はガサツな声はさらに枯れ気味で、勢いも感じられなかった。
「なぁ? 神父様ってのはよ、懺悔聞いてくれんだろ?」
優雅な聖霊師と会うのは、いつも聖霊寮の不浄な空気に包まれた応接セット。他の人が常にいて、ふたりきりになったことはなかった。
町から離れた高台にある屋敷では、騒音も人の話し声も聞こえない。静かなことがやけに心を前へと躍動させた。
「たらよ、気絶したまま聞きやがれ、オレの懺悔をよ」
澄んだ綺麗な秋空が向こう側に広がるレースのカーテンを今は影のあるブルーグレーの瞳で見つめ、国立は自分のことを語り出した。
「オレはガキの頃から同性からよく好かれた。それは、ありがてぇことだと思ってるぜ」
ジーパンの足を男らしく直角に組み、肩肘をそこへついて頬杖をつく。
「色恋沙汰なんざ、興味なかった。結婚もだ。アラフォー前にして、未だにシングル」
国立のガサツな声が、湧き上がってくる感情で少しだけ揺れ始め、「どよ……」ブルーグレーの瞳があちこち落ち着きなく、崇剛の寝室をさまよっていたが、
「どよ、気づいちまってな。てめぇの性癖に」
罪科寮から左遷され、聖霊寮へ移ってきた国立。そこで、運命的な出会いをし、それが何なのかわかってしまった心霊刑事。
「崇剛、てめぇにオレはそそられっぱなしだ。お前さんの写真と名前を知ってからよ」
男ふたりきりの寝室でベッドの上で、後ろめたい告白が小さく儚げに舞った。
「……惚れてんぜ――」
国立はとうとう、自分の正体を口にした、寂しそうなしゃがれた声で、
「オレは同性愛者なんだ……ってな」
左手で髪を無造作にかき上げるが、国立は崇剛へは振り返らなかった。
「アブノーマルってことだ。れによ、てめぇの心は瑠璃お嬢。千里眼のメシア持ってるてめぇの前で想い浮かべたら、バレちまうだろ。たら、崇剛が困んだろ? からよ、ずっと隠してきたんだ」
瑠璃を愛するという事件が、崇剛の厄落としだったとまだ知らない国立。苦しみが心の中でねじ切れそうに渦を巻く。
野郎どもに兄貴と慕われる日々。弱さなど誰にも見せられなかった。一年半以上誰にも相談できないながらも、普通に生活をし、仕事もバリバリこなしてきた。
男目に涙――だが、意地でも流してやるものかと、大きく息を吸って吐く。しばらくして、未だ正体のない崇剛へ国立は振り返ったが、もういつもの心霊刑事だった。
乱れた紺の長い髪がベッドへ誘惑するように侵食していた。女性的な横顔を見せている崇剛。国立は体をよじらせ、想い人の顔の両脇に節々のはっきりした両手を置いて、身を乗り出すと白いシーツがグッと沈み込んだ。
「キスしてから帰っか?」
国立の男らしい大きな背中が前かがみになり、崇剛の綺麗な顔へと近づいてゆく。聖霊寮にある応接セットのローテーブルを挟んだ距離感だった、心霊探偵と心霊刑事。だが、その距離が今一気に崩れ、相手の匂いが自身のうちへ強く入り込んでくる。唇があと少しで触れるところで、国立は口の端でニヤリと笑った。
「……ジョークだ。てめぇの反応見れねぇんじゃ、そそられねぇだろ」
襲うような格好になっていた両手をベッドから離し、首だけで振り返って、崇剛を視界の端に映しながら、国立はカウボーイハットをかぶり直した。
「許されんのか? これでよ」
ジーパンはベッドからさっと立ち上がり、部屋のドアへ歩いて行こうとしたが、ふと思い出したように立ち止まり、国立の男らしい大きな手はズボンのポケットに入れられ、
「とよ、お前さんの欲しがってる情報、ここにあんぜ」
中から小さな人形をした紙を、人差し指と中指で挟んだまま取り出す。背を向けている崇剛に、肩越しでそれを見せびらかすようにひらひらと揺らした。
「式神……てか」
国立はやけに黄昏ていた。霊感がないなら、他でカバーしてやる。必死で覚えた心霊刑事の意地だった。
「じゃあな」
そう言い残して、国立は部屋から出ていった。かちゃんと扉が閉まると、静かな部屋に、
「ん……」
スースーと気持ちよさそうな寝息が、崇剛の中性的な唇からもれ出ていた。
さっきからふたりの様子を、窓の外から見ていたラジュ、カミエ、シズキ。未来は予測ずみだからこそ、お互い視線も合わせず何も言わなかった――いや言えなかった。