Time of judgement/11
崇剛の頭上から、超不機嫌で俺様の奥深く澄んだ男の声が響き渡った。
「貴様、そんなに死にたいのか? 殺してやってもいい、ありがたく思え」
ぴったりとくっついている背中からシズキの響きからくる振動が、伝わるのを感じながら、神父はくすりと笑った。
「可能性の導き出し方を間違っただけですよ」
どいつもこいつもあきれてものが言えない――。シズキはそう思って、バカにしたように鼻で笑い、減らず口を叩いた。
「貴様の口もラジュと一緒で嘘をつくためについているんだな」
人間の策士が考えそうなことなど、わかっている――。崇剛の神経質な横顔に、シズキが頬を寄せるように近づいた。
お互い首だけで相手に振り返り、水色とスミレ色の瞳が混じり合って、青みがかった紫になりそうなほど見つめ合った。
「そうかもしれませんね」
曖昧に返しながら、崇剛の心の内は、
(シズキ天使に殺していただきたかったのです)
神に使える天使に、人間を殺せと願う。策士の戯れ――。
きちんと聞こえているシズキは、どうしようもないほどの数の敵に囲まれたのを超不機嫌顔で見渡す。
「俺ももう囲まれている。貴様と一緒に死んでやってもいい」
(これが、貴様の望みだろう)
この愚かな人間と天使が心中してやろうというのだ。慈悲深いというものだろう。
運命をともにしてくれるという背後にいるガーディアンへ、崇剛は優雅に言葉を送る。
「えぇ、構いませんよ。あなたとなら、どこへ行こうとも。私は幸せです」
ベルダージュ荘の診療室でさっき、結婚すると言っていた話も、あながち間違いではなかったのかと思うほど、何だかいい雰囲気なっていた。
敵地の真ん中で、ラブシーンがいきなり展開され始め、邪神界は毒気を抜かれた顔で、みなただただ立ち尽くした。
(何してるんだ? このふたりは)
ふたりきりの世界――敵兵はアウトオブ眼中。俺様天使はなぜか、拳銃を一旦レッグホルスターへしまい、肩を流れるような仕草で斜めに落とし、崇剛の耳元へ形のいい唇をそっと近づけささやいた。
「こっちに向け。俺の気持ちを教えてやる」
「えぇ、私の気持ちを受け取っていただけますか?」
崇剛は神経質なあごをできるだけ上げて、シズキの唇に自分のそれを近づけようとした。
誰がどう見ても、キスをするようなシチュエーション。これから戦地で死というものを迎える最期の誓いという接吻の予感。
敵兵は戦意も削がれ、ただただ映画のラストシーンを見守るような気持ちでふたりに注目していた。
茶色と白のロングブーツがかかとを合わせたまま、お互いの上半身だけをさらにひねる。シズキの腕に右手でしがみつきそうな崇剛を、鋭利なスミレ色の瞳でじっと見つめながら、俺様天使の綺麗な右手が、相手を求めるように伸びてゆく。
そうして、シズキは崇剛のあごを人差し指と親指でつかみ、自分のほうへ少し乱暴に引き寄せた。爪先立ちになった崇剛は苦痛の声が思わずもれる。
「ぁっ……」
シズキと崇剛の唇があと一ミリで触れてしまう位置で、動きが止まった。彼らを囲んでいる敵兵はゴクリなまつばを飲む。
そこで、シズキは崇剛のあごを手荒く後ろへ放り投げた――神父の真正面へ戻した。
「っ!」
天使に投げ捨てられた崇剛は思わずうめいた。紺の髪が衝撃であたりの空気をかき乱す。
他人の顔を無遠慮に見る癖があるシズキは、吐き捨てるように言った。
「どいつもこいつも、策士の頭はいかれているな。貴様もなぜ、ラジュと同じことをする? なぜ、恋愛モノみたいな言葉を俺に聞かせる? 貴様のその左腰もフロンティアでぶち抜いてやる」
「えぇ、構いませんよ。カミエ天使と国立氏がおっしゃっていました。人生において、笑いは大切だと……」
今ここにいない自分が守護をしている国立を思い浮かべ、シズキの綺麗な顔が怒りで歪んだ。
「あのウェスタン、余計なことを崇剛に教えて。今度、厄落としで、俺の前に跪かせてやる」
敵も何とか、このおかしなラブシーンもどきから戦力を持ち直した。拳銃という飛び道具を持っているシズキを前にして、邪神界側は警戒心マックス。
だが、丸腰の崇剛はまた両腕をしっかりつかまれてしまった。シズキが瞬間移動をしても、入り込めるスペースがないほど敵は密集している。
ゴスパンク天使の白いロンクコートと瑠璃色の貴族服は、さあっと横殴りの風が吹いて煽られる。
危機は依然として去っていない――。それなのに、敵に拘束されている冷静な頭脳の持ち主は、策略家らしいツッコミを俺様天使に送った。
「攻撃の続きはよろしいのですか? 私たちは今、敵に囲まれています」
「んんっ! 話を元に戻したこと、認めてやってもいい」
気まずそうに返事をしながら、シズキはレッグホルスターからフロンティア シックス シューターをさっと抜き取った。
天使である自分までもを飲み込みそうな勢いのある敵勢。動こうにも動けないほどの密集地帯。
最後の手段としては、味方――崇剛を倒し、霊体を消滅させることで隙を作り、間合いを取って、シズキだけ生き残るという選択肢しかもうなかった。
群がる敵どもに上から思いっきり目線で、バカにしたように鼻で笑った。
「はぁっ! それで、崇剛も俺の動きも抑えたつもりか? 所詮、ゴミクズはゴミクズだな、蛆虫ほどの頭しかないとはな。何をどう勘違いしているのか知らないが、崇剛の頭ごと貴様らをぶち抜いてやる!」
銃を持ったシズキの細い腕は肩越しに、銃口を紺色をした後頭部――崇剛の頭へ向けられた。
拳銃が横向きになる形で、天使の武器は神父の頭に突きつけられる。即死に容易にたどり着く後頭部炸裂という暗示を前にした、崇剛は優雅に微笑んだ。
「シズキ天使、どうぞ私を殺してください」
「貴様の性癖はマゾだな」
シズキは引き金――トリガーを何の躊躇もなく引き、
スバーンッッッ!!!!
戦場の空にまで轟くような爆音を上げた。
しかし、銃弾は崇剛の頭をすり抜けて、敵勢にぶつかり始めた。至近距離での発砲。五十人ほとが衝撃で吹き飛ばされた。
「うわぁぁぁぁっっっ!!!!」
凄まじい断末魔を残して、次々に浄化――地獄へと落ちてゆくのを、悠々と見物しながら、シズキの鋭利なスミレ色の瞳は、いつにも増して鋭くなっていた。
「俺の武器が何でできて、何の目的で持っているのか考える頭もないとはな。存在する価値もない。今すぐ地獄に落ちて、神の前に跪くがいい!」
装填式ではなく、霊力で銃弾が自動的に入る拳銃。横向きに構えたフロンティアから、線を描くような、物質界ではありえない速さで打ち込まれ続けてゆく。
ズダダダダダン!!!!
線の細い瑠璃色の貴族服と、聖なるゴスファッションから、敵は猛スピードで離れ吹き飛ばされてゆく。
浄化されてゆく敵を冷静な水色の瞳に映しながら、崇剛は千里眼を使って、遠く離れた本陣の上空に浮かぶ、赤目の天使――ナールをうかがう。
物質界よりも、霊界のほうが科学技術は発展しています。
守護をされる天使が持っていらっしゃる武器は、神から与えられたものという可能性が非常に高いです。
従って、私たち人の想像をはるかに超える構造をしているという可能性が99.99%――
何らかの方法で、安全装置がついているという可能性が99.99%――
ですから、正神界の私には、シズキ天使の銃弾は間違っても当たらないのです。
私のダガーと同じなのかもしれませんね。
ですから、ナール天使の大鎌では私は倒せない。
そうなると、以下の可能性が99.99%――で出てくる。
彼はあの晩、私を守るためにそばにいた――。
まわりの敵を蹴散らしとところで、
「貴様ら邪神界のために、この武器はある」
シズキが捨てゼリフを吐くと、天使の神経質な手が崇剛のよく似たそれをつかみすっと消え、自分の陣地へ無事に戻ってきた。
だが、俺様天使の怒りはひどく、人の扱いもひどかった。
「貴様、情報収集を優先して、少しは自分の身も心配もしろっ! 天使の武器が貴様に効かないことを知るために、わざと敵に捕まって。貴様、余計な仕事を増やすな!」
崇剛を突き飛ばすように、手を乱暴に離し、
「っ!」
神父は息をつまらせて、紺の長い髪が衝動で全て胸の前へ落ち、茶色のロングブーツはつんのめりそうになりながら何歩か歩んでいき、倒れそうになったが、何とか踏ん張って、優雅さを取り戻した。
情報収集をしている間に、戦場はまた激変しており、正神界の群奥深くへ入り込んでいた邪神界勢は一斉に引き始めていた。
そんなことは気にせず、ラジュはニコニコの笑みで、
「それでは、さっき間違えてしまいましたので、直感――天啓をもう一度投げましょうか〜?」
空へ向かって投げる仕草をすると、金色の光がすうっと登っていき、ベルダージュ荘を目指して飛んでいった。
人よりも遠くが見える天使の瞳で、光の行方を追い、
「今度はきちんと届きましたよ〜」
俺様天使にしっかり叱られた優雅な策略家は、トラップ天使の言動に違和感を強く持ち、冷静な水色の瞳をついっと細めた。
おかしい……。
なぜでしょう?
先ほど一度飛ばしています。
なぜ、もう一度飛ばすのでしょう――?
崇剛は思う。自身がひとり倒れるのなら、戦いの序盤で飛ばした天啓だけで間に合うはずだ。
膨大なデータを精巧な頭脳にザーッと流して、出てきた答え――水色の瞳は、隣に立つ漆黒の髪を頭高くで縛っている白いローブを着たダルレシアンを捉えた。
(そちらの可能性が出てきた……)
そうこうしているうちに、戦場は戦いが始まる前のように、双方の群が整列した状態に戻り、何かが起きる予感が強く漂っていた。
そこへ、神から送られてくる情報を聞き取り続けていた、ラジュがおどけた感じで凛とした澄んだ女性的な声をゆるゆる〜と鳴り響かせた。
「おや? みなさ〜ん、朗報です〜」
正神界の軍勢が一斉に、金髪天使へ視線を集中させる。
「何だ?」
誘迷なサファイアブルーの瞳は楽しげに微笑んで、こんなことを平然と告げた。
「敵の総大将自ら、私たちへ向かって攻撃を仕掛けてきたそうです〜。神と同じ力を持つ者です。ですから、私たち天使を含め、全員が消滅です〜」
カミエの地鳴りのような低い声が真っ直ぐツッコミ。
「それは悲報だ」
「うふふふっ。火属性の攻撃が来ますよ〜?」
ざわついている味方勢を尻目に、ラジュはいつも通りニコニコしていた。
崇剛は優雅にただの相づちを打つ。
「そうですか」
(魂が消滅するという可能性が高くなり、99.99%――)
冷静な水色の瞳で頭上を見上げると、自分たちを押しつぶし、一瞬にして焼き尽くすような大きな赤オレンジ色の塊――いや、ちょっとした惑星ほどの大きさがある火の玉が落ちてくるところだった。
Time of judgement――審判の時。
囮のまま、自分たちは死んでいく。それが神の出した戦略だったのだ。
ラジュは少し寂しげに微笑んで、いつもと違いおどけた感じはなく、女性的で凛とし澄んだ声で問いかけた。
「崇剛、何か言い残すことはありますか?」
優雅な崇剛もいつものような余裕はなくなり、それでも少しだけ微笑む。
「ラジュ天使、瑠璃さん、三十二年間でしたが、色々ありがとうございました。一緒に過ごせたこととても嬉しかったですよ」
百年の重みを感じさせる瞳にも悲しみ色が混じった。
「我もじゃ」
ラジュは崇剛の隣へ瞬間移動して来て、まるで教師が教え子の卒業を見守るような顔で、誇り高く人間を見つめた。
「私もです」
次々と崇剛のそばへ、天使やダルレシアンが近づいて、今は少し影のある水色の瞳はつかの間だったが、一緒に戦った彼らを見渡した。
「それから、他のみなさんに出会えたことを神に感謝するとともに、みなさんにもお礼を申し上げます」
そうして、崇剛はもう一度、ベルダージュ荘で何も知らずに過ごしている人たちに心の中で静かに伝えた。
(涼介、瞬、楽しい日々でしたよ。さようなら……)
崇剛が優雅に頭を下げると、紺の長い髪は前へサラサラと落ちた。
「短い間でしたが、お会いできてよかったです」
クリュダが優しく穏やかに微笑み、アドスは紫の髪をさらっとかき上げて、
「俺っちの骨はここに埋まるってことっすか。それを灰にして、みんなに配って、頭からかぶるとご利益が――」
こんな時まで宗教バカが幅を利かせているアドスに、シズキが超不機嫌な顔をした。
「貴様、最後まで宗教アイテムを作ろうとするとはな。死んでも治らないだろうな」
器用さが目立つ手の甲で、ナールはシズキの腕をトントンと軽く叩いた。
「お前、何間違ってんの? 俺たちに骨はないの。だから、配れないじゃん? そこでしょ? 突っ込むところって」
気まずそうな顔になって、咳払いをし、
「んんっ! とにかくいい」
シズキは気を取り直して、相変わらずの減らず口を叩いた。
「崇剛、死して神に返上しろ、そのメシアをな」
「いい修業になった」
カミエが言うと、味方全員が不思議そうな顔をした。
「何か間違ってない?」
声だけしか聞こえない中で、精一杯戦ってきたダルレシアン。拘束されたのちに、花冠国までやって来て、その結果が死。それでも彼は、春風が吹いたように柔らかに微笑んだ。
「崇剛、キミに会えて本当によかったよ」
「それでは、来ま――」
ラジュが最後まで言い終える前に、
パチン!
と、世界中に響き渡るような音が聞こえた。崇剛の水色をした瞳は、偶然にもナールの指先が動いた瞬間を捉えた。
グラっと体が大きく揺れる。外側へ円を描くような強烈な力――遠心力。
(何が起きたのでしょう?)
理解する間もなく、髪が横に流れ、自分たちへ向かってきていた火の玉が、なぜか敵陣へ落ちてゆくのが見た。
ドガン、ゴォォォォォー!
凄まじい轟音が鳴り響き、衝撃で強風を巻き起こし、砂埃であたりが一瞬にして濁流のように茶色く濁った。
小石がぶつかり、頬を切るような痛みが襲って、崇剛は両腕で顔を覆うが、風圧に耐えられず、崩れるように地面に倒れ込んだ。
そうして、全員の意識がプツリと途切れ、本当の闇と静寂がやって来た――――