Time of judgement/10
「うおぉぉぉぉっっっ!!」
邪神界で鬨の声が上がる。正神界が逃げ腰の今がチャンスと言わんばかりに、全軍で一斉にこっちへ向かって走り出してきた。
敵との距離を千里眼で測りながら、崇剛の頭脳は光の速さの如く動く。冷静な水色の瞳は、真剣な顔をしているラジュのダガーがしまわれているだろう、太腿の内側を見て、
0.18%――違う――
絶対不動で、さっき守護天使になったばかりの、カミエの腰元に差してある日本刀を横目うかがうが、
23.27%――違う――
ナールの向こう側に立っている、パピルスに夢中なクリュダのシャベル。崇剛は心の中で首を横に振る。
36.35%――違う――
錫杖を両手でつかんで、万歳するように伸びをしているアドス。この計画に乗ってくれそうな天使としては可能性は高いが、
76.89%――違う――
否定の一途をたどり、白いゴスパンクに身を包み、銀の長い前髪を不機嫌に揺らしているシズキ。今は影になって見えないが、太腿の外側にあるホルスターにしまわれた、拳銃――フロンティア シックス シューター。冷静な水色の瞳でターゲッティングした。
(彼であるという可能性が85.92%―― 一番高いでしょうね)
天使に心の声など筒抜けたが、崇剛は罠という舞台でシズキを踊らせようとした。
(どのようにしたら、動いていただけるでしょう? そうですね……?)
劣勢の割には、不思議と悔やんだり、悲鳴を上げもしない味方の兵たちを背にして、崇剛の罠は組み立てられてゆく。
みるみる迫ってくる敵の軍勢を前にして、シズキはラジュとダルレシアンのふたりを挟んだ向こう側に佇む、崇剛の神経質な横顔を見ようと、少しだけ後ろへ背をそらした。
シズキの鋭利なスミレ色の瞳が、崇剛の冷静な水色の瞳を見ることはなく、ちょうどすれ違いに、優雅な神父は戦場を真正面に見つめてしまった。
人となりを表すように、わざともたつかせて縛っている紺の長い髪を、鋭利なスミレ色の瞳で差し込むように、シズキは見た。
(快楽に溺れすぎだ、あの策士……)
味方の最後の部隊――殿が見えてきた頃、
(まずは、こちらのようにしましょう)
崇剛の優雅な笑みはいつもより深くなった。ロイヤルブルーサファイアのカフスボタンを従えた腕をあごからといた時、音しか聞こえていないダルレシアンの男性的な声が響いた。
「崇剛、いい案でも見つかった?」
旧聖堂の身廊で、肉体を持つ男ふたりきりの空間で、白いローブがゆらゆらと揺れた。
「えぇ」と、崇剛は短くうなずき返すと、
「ボクにできることある?」
可愛く小首を傾げて、漆黒の長い髪がダルレシアンの肩からサラサラと落ちた。
「それでは、私がこれから指示を出しますので、従っていただけますか?」
意思を問われている。罠ではなく、意思を。魔導師であり教祖であり、策略家のダルレシアンは当然のことを言った。
「成功する可能性が高いものにだけね」
「えぇ」と、もちろんだと言うように、崇剛はうなずいて、具体的な作戦の説明へと移った。
「メシア保有者同士で一緒にいることは、負ける可能性が高くなってしまいます。ですから、二手に分かれましょう。どちらかひとり生き残ったほうが、成功するという可能性が高いです」
「OK」
即答だった。
「それでは、瞬間移動を使ってお願いします。二十秒前」
我先に迫ってくる敵を、冷静な水色の瞳に映しながらカウントダウン開始。地鳴りのようなドドッと響く足音の大群を聴きながら、ダルレシアンは、
「崇剛はどうするの?」
「私は私で対処します」
そう言って、今回の戦闘が始まってから一度も使わなかった、聖なるダガーを鞘から取り出した。
策略的な教祖は物事をよく見ていた。素知らぬ振りをして。崇剛の視線の動き、今までの指示の出し方――言い換えれば、可能性の導き出し方。それらから考えると、崇剛が欲しがっている情報は、ダルレシアンにも少々気になることではあった。
「それじゃ、瑠璃姫、抱きしめるよ」
ダルレシアンは崇剛を挟んで反対側にいた、聖女に近寄り、大きな腕で巫女服ドレスを優しく手を差し伸べた。
「な、急に何じゃ? なぜ、我を抱きしめるのじゃ!」
魔導師の腕の中で、少女はもがくが、漆黒の長い髪と白いローブがよれるように動くだけで、びくともしなかった。
崇剛の冷静な水色の瞳は、あと少しで、正神界の本陣を飲み込むような勢いで、突進してくる大群を見つめたままで、瑠璃に向けられることはなかった。
「瑠璃、ダルレシアンに捕まってください。あなたもともに彼と一緒に瞬間移動をして生き残ってください。十秒前」
ダルレシアンを逃して、崇剛が囮になると言い出したのだった。
戦場を吹き抜けてゆく風がやけに冷たい。紺の長い髪がそろそろと揺れるのを見つめる、百年の重みを感じさせる若草色の瞳は、珍しく焦りの色が出ていた。
「崇剛はどうするのじゃ?」
「私はこちらで囮になり、みなさんのためにこちらで消滅します」
犠牲になると言い出した、慈愛がありすぎる神父。
八歳で他界している少女には、大人たちの間で何が行われているのか知る術がなく、情報漏洩が起きるため、誰も教えられない状況。
瑠璃は言われた言葉をそのまま受け取ってしまい、悲痛な声で叫んだ。
「な、何を申しとるのじゃ!? 崇剛。何故、自ら進んで消滅するのじゃ!?」
その問いかけには答えず、千里眼の持ち主は敵勢を凝視したまま、浮かび上がってくる数字の羅列を、隣にいる魔導師へと事務的に伝える。
「ダルレシアン? 敵は前方、ほぼ一直線に並んでいます。距離にして五メートル。衝突まで、あと五秒」
振り向きもしない、顔も見せない守護する人の線の細い後ろ姿を見つめたまま、瑠璃はダルレシアンの白いローブを小さな手でしっかりとつかんだ。
「OK! 瑠璃姫、ボクと一緒に安全な場所に移るよ。しっかりつかんでて」
あんな大群にどうやって、崇剛ひとりで対処するつもりなのだ。ダガーを手にしたところで、焼け石に水だ。
三十二年の思い出が脳裏をよぎっていき、瑠璃の顔は悲しみで歪み、戦場に物悲しく、少女の悲鳴が突き刺さった。
「崇剛っっ!!」
間髪入れず、ダルレシアンの呪文が唱えられ、
「Teleportation!」
魔導師と聖女がすっと姿を消したのを確認すると、崇剛の冷静な水色の瞳はついっと細められた。
こちらの方法が勝つという可能性が99.99%――!
それでは、こうしましょう。
手に持ったままのダガーは、いつもと違って人差し指と中指で挟み持ちはしなかった。
旧聖堂にさっきから立ってはいるものの、幽体離脱はしていて、悪霊と戦った時のように瞬間移動ができるはずだった。しかし、その選択肢を、崇剛はわざとさけ、勝ち目のないダガーを逆手持ちする。
敵との距離、二メートル――
茶色いロングブーツのかかとは後ろ向きで下がっていき、紺の長い髪を縛っているターコイズブルーのリボンが、旧聖堂の聖なる結界にぶつかり、
距離、一メートル――
これ以上、下がることが霊的にできなくなった。その時、横一直線に並んでいた天地たちの姿も、危険回避で瞬間移動でいなくなり、突進してくる五十万近くの軍勢の前には、優雅な瑠璃色の貴族服がひとり居残った。
「今です!」
白く濁った大理石の上で、かかとを軸にして、体の向きを四十五度くるっと回して、体の右側が壁と沿うように立った。
旧聖堂の壁に聖なるダガーをズバッと大きな杭でも打つようにしっかりと差し込む。敵の手が触れるギリギリまで待ち、後ろへ半歩下がり、横へ逃げてゆくように勢いをつけて走り込み、床を後ろへ思いっきり蹴り上げた。
「っ!」
中性的な唇から力む吐息が思わずもれる。ダガーを軸にして、片手で鉄棒を逆上がりをする要領で、崇剛の体は時計の振り子が円を描くように浮き上がり始めた。
紺色の長い髪が一旦自分の背中から離れ、床へ向かって艶やかに落ちる。崇剛の体は今、ダガーを軸にして、逆立ちしていた。
自分へと向かってきていた敵軍が空振りに終わり、真下を左から右へ駆け抜けてゆくのを、冷静な水色の瞳で見送りながら、鞘にしまってあるオリジナルのダガーの柄に空いている手をかけ、霊界のものを引き抜いた。
頂上でほんの少し止まったと思うと、今度は向こう側へ向かって体は重力に引っ張られ始めた。ブランコが前へカーブを描いて動いていくような感覚を持ったまま、バック転をした崇剛の茶色いロングブーツは床に無事に着地。
紺の髪は背中と並行に流れ落ち、素通りした敵勢の背中に向かって、次々とダガーを投げた。
背後から狙うと、敵を確実に倒せるという可能性が98.97%――
だが、敵の軍勢は留まることを知らず、そのまま次の一派がやってきてしまった。あっという間に崇剛は邪神界の兵に囲まれ、自軍の総大将のひとりは――崇剛。
当然のことながら、待っていたと言わんばかりに、敵の手があちこちから伸びてきて、ガッチリつかまれたと同時に、相手の瞬間移動で、瑠璃色の貴族服は陣地から敵地へと連れ去られてしまった。
地面には解けてしまったターコイズブルーのリボンと聖なるダガーのオリジナルだけが残されていた。
上空へ避難していた天使たちは、誘拐されてしまった策略家神父の未来を読み取り、ラジュは困った顔でこめかみに人差し指を当てた。
「おや? 崇剛の死期が迫っています〜。100%に急に近くなってしまいました〜」
シズキの鋭利なスミレ色の瞳は、敵の軍勢真っ只中に射殺すように向けられた。天使の目には、ガラス細工みたいな綺麗で儚げな崇剛が、慰み者を見るように、敵の蔑みの視線に晒されているのが見えた。
地底深くで密かに活火山がぐつぐつと煮えたぎっていたが、シズキはとうとう天へ抜けるようにスカーンと火山噴火させ、戦場中に轟くような大声を上げた。
「あの策士がっ! 本当にするとはな。余計な仕事を増やして、ありがたく思え」
そうして、崇剛が罠を張った通り、聖なる白いロングコートをはおった、ゴスパンク天使は上空からシュッと素早く消えた。
*
崇剛の意識が戻ってくると、すでに邪神界の者に囲まれているところだった。持っていたダガーは旧聖堂の床に転がったまま。丸腰で、助けてくれる味方は誰もいない。
(武器がない……。困りましたね)
策略家は心の中で、優雅に降参のポーズを取った。
重力十五分の一で生み出した、ダガーひと差しで上に回りのぼり、敵との衝突をさけるという策。一度見送ったとしても、敵が続いてやってくるのは、冷静な頭脳を持っていなくても、誰にでも予測がつくことだった。
崇剛の策はまだ生きている――
体のあちこちに腕が伸びてきて、消滅――二度と生まれ変われもしない死の拘束が、優雅な聖霊師にやってきてしまった。
「っ!」
ひどい力でつかまれ、崇剛は思わず唇から苦痛の吐息をもらす。もしも、自身が導き出した可能性が間違っていたら、ここで滅びるのもまた現実で、死に向かってカントダウンを始めるのだ。
魂底へ向かって、敵の手が霊体の境界線を破壊するように伸びてくる。
「それが欲しい……」
「死ねばいい……」
次々と浴びせられる言葉の暴力を、冷静という名の盾で激情という獣を押さえ込み、崇剛のクールな水色の瞳は何の感情も持たず、平静さを持っていたが、
(…………)
心の中はとうとう真っ白になった。その時、頭上から、
ズババババッ!!
聖なる光を放つ鉛色の豪雨が降り注ぎ始めた。
「うぎゃ〜!」
「うわー!」
「ぎゃあ〜!」
悲鳴の嵐を巻き起こしながら、崇剛の細い腕をつかんでいた、敵の手がどんどん減ってゆく。
導き出した――思惑通り動いた人物が助けにきたと思い、崇剛は優雅に微笑んだ。
「来てくださったみたいです」
瑠璃色の貴族服を、まるで冒すように群がっていた敵は、ドーナツ化現象を起こした。
冷静な水色の瞳で上空を見上げると、真っ逆さまに銀の長い前髪が重力に逆えず落ちて、鋭利なスミレ色の両目があらわになっていた。
白いロングコートは落下速度で下に落ちる暇がないほど、猛スピードで地面へ真っ逆さまに落ちてきているというよりは、追突するような速さだった。
このままではぶつかるというところで、不意に白いロングコートは消え、気づいた時には、崇剛と背中合わせで荒野に立っていた。
リボンが解け、紺の長い髪が女性的な雰囲気に変えてしまった線の細い崇剛の背中。
と、
同じような体格だが、背丈が三十八センチ差のゴスパンク天使。