Time of judgement/6
武器が振り下ろされる寸前で、アドスは得意げに微笑んだ。
「罠っすよ!」
そう言うと、両足で地上を強く蹴り、バック転して、自分を包囲する敵の背後に両腕でバウンドし、そのあとも調子をつけて、またバック転で今度は足で着地。
まるで川面を飛び石がぴょんぴょんと跳ね上がるように、アドスはあっという間に離れ、運動神経抜群な天使だった。
「何っ!?」
敵たちがワンテンポ遅れて振り返ると、アドスは錫杖を地面に真っ直ぐと突き立て、器用なことに、その上に一本足で立っていた。
「頭も使うっす!」
敵は悔しそうに歯軋りしながら、怒りに任せ追いかけて来た。
アドスは一人、錫杖の上から邪神界を見下ろす。武器をそれぞれ携え、前かがみに構え、潰れた五重塔のような敵の姿勢を前にして、宗教バカは勝ち誇ったように言う。
「その腕の使い方は間違ってるっす!」
ハッとして、敵は自分の腕をぴんと伸ばしたり、持ち替えたりする。
「見た目の話じゃないっす。肩甲骨を使うっすよ?」
全員振り返って、自分の背中を見ようとした。
アドスの瞳がきらっと光った気がした。今が好機――。
器用にも、錫杖の丸みのある鉄部分からひょいと飛び上がった。槍のような武器が倒れる前に、アドスの体は横へ回転し始め、ボールをキックするように片足を前へ出し、足で錫杖を蹴ると、方位磁石の針が定まらずにくるくる回るようなスピードで、無防備に立っていた敵をなぎ倒し出した。
「うぎゃっ!」
「ぐふっ!」
次々に敵が遠くへ飛ばされてゆく。その姿を、天色の純粋な瞳に映しながら、紫の短髪が風力でサラサラと揺れる。
「己を最大限に活かして戦うっす! そうじゃないと、相手に失礼っすよ」
さっきまでのやんちゃな好青年の雰囲気は息を潜め、武者として真剣な眼差しを、アドスはしていた。
敵はゼイゼイと息を切らしながら、荒野の風に揺られている真っ白な法衣がはためくのをじっと見つめ、
「貴様、ただの修験者ではないな?」
「俺っちは武術好きな天使っす!」
にっこり微笑みながら、アドスは流れるような仕草で錫杖をつかみ、尖った先で今返事をした敵をひと差した。
「ぐふっ!」
浄化されて消えてゆく仲間とアドスを交互に見ながら、敵は後退りし始めた。
笑顔で人を刺し殺す。そんな型破りな天使がここにいる。悪魔も黙り込むような武者がアドスなのだ。
「コウモリの羽がここにあるっす」
気さくで明るいアドス。体が大きくバカ力しか脳のない大食漢かと思っていたが、どうも頭もいいし、武術の腕も立つ。自然と敵は警戒せざるを得ず、アドスを囲んでしんと静まり返った。
「これは地獄行きへのお守りっす。次は誰欲しいっすか?」
アドスがそう言うと、張り詰めていた空気が一気に崩れ、敵は我先にアドスの錫杖の刃の餌食になりに来て、もれなくコウモリの羽を土産に、浄化されてゆくのだった。
*
本陣前――。
ダルレシアンの魔法の力で体を持ち上げられては、味方の上にどさっと落とされる攻撃を受けていた敵は、そうそう無闇に近づいてこなくなっていた。
音だけしか聞こえないダルレシアンは耳をすまし、聡明な瑠璃紺色の瞳はくすみ切ったステンドグラスを遠くに見ていた。
「次は俺にやらせて?」
「構いませんよ。どのようにするのですか?」
崇剛は聞き返しながらも、この教祖のデータを収集するには時間を要すると感じた。『ボク』と言っていたのに『俺』と言うのだから。法則性が導き出せない。
ダルレシアンは白いローブのポケットから、大きな手のひらで四角いものを取り出した。
「タロットカードを使う」
手のひらを顔の前に持ってきて、魔導師の凛々しい眉は難しそうに歪められる。
「ん〜〜?」カードが光をあちこちに発しながら、ふわふわと手のひらから浮かび上がり、「これだ!」人差し指で上げる仕草をすると、カードが一枚面を向けて、頭上に飛び上がった。
「七番、戦車!」
ダルレシアンはカードをしっかりつかみ取り、聡明な瑠璃紺色の瞳いっぱいに映して、ぶつぶつと小さな声でつぶやき始める。
「ダジュリカ アジャンシー ルドルク ユラリネ カセルバ タンク!」
一瞬無音になると、あたりが真っ白な閃光に包まれた。そうして、崇剛が気がつくと、戦車が戦場に何台も横並びで現れていた。
(5857……。十七時八分五十七秒。五分後に、こちらの魔法の効力は切れます)
時間に几帳面な千里眼の持ち主は、ポケットに懐中時計をしまうと、心の内で音楽を奏で始めた。戦車が攻撃をする前触れにふさわしい曲を。
ヴェルディ レクイエム 怒りの日。
弦を弓で強く弾き捨て、激しく跳ね上がるように音が高まる楽器たち。ティンパニーがまるで、投下された爆弾のように聞こえる力強い曲調。
フォルティッシモのソプラノが幾重にも広がる。
Dies irae, dies illa/怒りの日、まさにあの日に。
Solvet saeclum in favilla/解き砕くだろう、この世を灰に。
我先に逃げようとして、邪神界軍は大混乱になった。慌てて将棋倒しになり、何の武器を使うことも、攻撃もしていないのに傷を負う人々。
大砲が大きく揺れ、ズドーンと世界の果てまで響く爆音で、ミサイルがあちこちに発射された。そこら中で爆発が起こり、悲鳴が上がる。
冷静な水色の瞳は、消滅するように消え去ってゆく魂を遠くで見つけた。
「ダルレシアン、時は止められますか?」
「止められるよ、どうして?」
「止めていただけませんか?」
「何かあったの?」
敵を見る必要のないダルレシアンは、自分の爪を眺めたまま、特に気にした様子もなく聞き返した。
真剣味の感じられない魔導師を前にして、崇剛は優雅さは含むがいつもと違って、激情をあらわにした声色ではっきりと叫んだ。
「Please stop!」
「Stop」
ダルレシアンの魔法で、味方の軍を残して、敵全体の動きがピタリと止まった。急に静かになった戦場の中で、さっきから流れていたクラシック曲は、ピアニッシモの聖なる声とストリングスをひっそりと刻み始めた。
Quantus tremor est futurus/どれほど震えがあるだろう。
Quando judex est venturus/そのとき裁き手が来るだろう。
Cuncta stricte discussurus!/すべてを厳しく打ち砕くだろう!
時を止めた魔法の効力を測るため、崇剛はポケットの上から懐中時計に手を当て、迫ってきた数字を読み取った。
(51017……。十七時十分十七秒。召喚魔法を発動させてから、一分二十秒経過。残り、三分四十秒)
敵の動きが止まってしまっては、戦っている意味もない。戦場で勇姿を見せていたカミエとアドスが本陣へと戻ってきた。
「何があった?」
地鳴りのような低い声で、カミエが聞くと、
「予想した通りになっちゃった?」
少し離れた場所で、大鎌を手裏剣のように投げていたナールがいつの間にかそばにいて、人間ふたりを横から眺めた。
「えぇ、そうみたいです〜」
ラジュがニコニコしながら言うと、アドスがポジティブに大きくうなずいた。
「いい休憩になるっすね」
もめそうなのに――。シズキは射殺すようなスミレ色の瞳でやって、吐き捨てるようにうなった。
「貴様、ことの重大さをわかって――」
「しー! お前のひねくれ言葉あとにして」
ナールのナンパするみたいな軽薄な口調で、天使のざわつきは強制終了した。
まわりの反応などどうでもよく、崇剛の水色の瞳は氷の刃の異名を持って、ダルレシアンの聡明な瑠璃紺色のそれをじっと見つめ、いつもより声のトーンを落とした。
「なぜ、魂を消滅させたのですか?」
激情という獣が咆哮するのを、冷静な頭脳でかろうじて食止めている――問い詰める口調だった。それなのに、ダルレシアンは自分の爪を見つめたまま、平然と言葉を口にする。
「『正義』という名の元において……」
神聖なる戦場に置いて、不釣り合い――いや、許しておけない言葉だった。
聖霊師で神父で千里眼の持ち主である、神に選ばれし崇剛は味方全員の視線が集まる中、教祖に向かって長々と説教し始めた。
「『正義』という言葉は『悪に属する言葉』です。なぜなら、邪神界ができる前は世界は『普通』だったのです。正しいという言葉さえ存在していなかったのです。ですから、正義という名の元に何をしてもいいということにはなりません」
シズキは傍で聴きながら、皮肉な笑みを浮かべる。
「人間同士で争うとはな、何とも無様だな。そうしている間に、死してメシアを神に返上するがいい。レベルの低い貴様らにメシアを持つ資格などない」
爪を見るのをやめて、崇剛に顔を向けたダルレシアンの瞳はどこまでも暖かさに満ちあふれていた。
「ボクもそう思うよ。だけど、ミズリー教は絶対に悪を許さない教えだった。教祖のボクは嘘をつくしかない日々だった。経典を覆すのはボクにもできないからね」
崇剛は今初めて見つけた、ダルレシアンの瞳に影を差しているのを。
ほぼ無意識で千里眼を使い、白いローブを着た教祖は二十九年を生きていた。崇剛とは三つ違い。この男はどんな人生を送ってきたのだろうか。どんな想いで生きてきたのだろうか。
「――キミと意見があって嬉しいよ」
そこまでは、いい感じで和解が進んでいたのに、ダルレシアンは可愛く小首をかしげ、「じゃあ、ぎゅーって抱きしめていい?」
やはり、男色家か――。崇剛はあごに曲げた指を当て笑いもせず、ダルレシアンの聡明な瑠璃紺色の瞳じっと見つめ返した。
「どのような意味ですか?」
「ふふっ、なーんちゃって!」ダルレシアンは肩をすくめて笑い、すぐに真摯な眼差しに戻った。
「人の気持ちは機械じゃない。良い悪いのふたつで分類することは無理があるんじゃないかな? だから、改心する可能性がゼロではない限り、その人が存在している意義はある」
ダルレシアンの白いローブは、右に左に行ったり来たりする。
「たくさんの人からいらないと言われていても、見る角度が変わったら、必要とされてる。人ってそうでしょ?」
「えぇ」
「失敗したからダメだから、全部を無にして最初からやり直す――って考え方自体が悪なんだと、俺は思うよ。今ある状況をどう改善してゆくかが、普通なんじゃないかな? 崇剛はどう思う?」
歩みを止めると、ダルレシアンの漆黒の髪がゆらゆらと背中で大きく揺れた。
以心伝心ではないが、崇剛は似たような信念を持つ人物に出会えたことを、神に感謝しつつ、ダルレシアンの話に巻かれないように意見しようとした。
「えぇ、私もそのように思いますよ。でしたら――」
崇剛の遊線が螺旋を描く優雅な声が戦場に響くと、
「――戻りました」
いたことさえ忘れるほど、戦線から離脱していたクリュダが、にっこりと微笑んだまま帰還してきた。
アドスは人懐っこそうに近寄り、
「早かったすね」
「えぇ、帰りはお得意の瞬間移動で、脱兎の如くです」
得意げに答えたクリュダだったが、ラジュの凛とした澄んだ声が、よっこらしょっと腰を上げるようにけだるく響いた。
「それを言うなら、光の如くです〜」
クリュダは気まずそうに咳払いをして、
「こほんっ! そうとも言います」
どこかボケている感が否めない天使を横目で見ながら、ナールはまだ止まっている敵の姿を眺めていた。
「で、ナスカの地上絵見つかったの?」
「途中であきらめて、手ぶらで帰ってきたのか?」
見つかるはずがないと、シズキは思った。というより、先に気づかないようがどうかしているとしか思えなかった。
クリュダはあごに手を当てて、オレンジ色をした髪を風に揺らした。
「それが、不思議なことに、ナスカの地上絵はどちらにもなかったのですが、こちらを代わりに見つけてきました」
男ばかりの天使五人の前に、茶色い雪だるまみたいなフォルムのものが差し出された。
全員の視線がそれに集中したが、見せられたものがものだけに、みんな突っ込むことも忘れて、頭の中ではてなマークがパレードを始めた。
「土偶……何で、こんなものが戦場に落ちてるんだ――?」
ひとりだけ反応を見せない男がいた。しれっと、ニコニコの笑みを見せている天使だった。
それに気づいたシズキは、超不機嫌顔で、密かに地底深くで活動をしていたマグマが火山噴火を起こし、天へ向かってスカーンと抜けるような声で言い放った。
「ラジュ、貴様! また、女をたぶらかしたな? 貴様の仕業だとわかっている!」
そうして、ラジュはシリアスシーンを清々(すがすが)しいくらいなぎ倒してゆくのだった。
「たぶらかしてなどいませんよ。土偶をどのように置こうか考えていたら、是非、やりたいとおっしゃってくださった女性がいたので、お願いしただけです〜」