Time of judgement/3
軽薄的に言うと、大鎌を横向きに構え、何と手裏剣と同じように横滑りさせて敵陣へ放り投げた。
いきなり迫ってきた大鎌の鋭い刃に、敵はひとたまりもなかった。
「うぎゃぁ〜!」
「うわ〜!」
次々と体が切断され、魂が浄化されてゆく。
ナールの空っぽになった手のひらを見つめて、シズキはバカにしたように鼻で笑った。
「貴様、どういうつもりだ? 武器を敵に投げるとは戻ってこないだろう」
もっともな心配事だったが、ナールは気にした様子もなく、
「そう?」
今度は左手を高々とかかげた。
「こうすると……」
手のひらで何かを引くような仕草をすると、敵を切り裂きながら大鎌に帰巣本能があるように、ナールに向かって猛スピードで近寄ってきた。
鉄同士がすれ合う音が響くと、ナールの手のひらに無事に戻ってきていた。
「ほら、ね?」
これみよがしに、大鎌を見せつけられたシズキは不思議そうな顔をする。
「貴様の武器はどうなっている?」
ナールは武器を持ち上げたり下ろしたりする。
「大鎌って重たいし大きから、持ちっぱなしじゃ疲れちゃうじゃん? だから、いっつも神界に隠してあんの。で、手上げて引き寄せると、こうやって、持ち主の俺んとこに飛んでくんの」
究極の合理主義だった。
シズキは初めて聞く話だと思った。カミエの腰元に挿してある日本刀。アドスが手に持つ錫杖。あれが武器と言えるかどうかは、また別の問題だが。さらには、未だシャベルで敵陣を突っ切っているクリュダが持つ、本来の武器はやはり腰元に挿してある。
そうして、隣でニコニコとしている女性的な男にだって、武器はあるので――
「ナールならできるかもしれませんね〜?」
凛とした澄んだ声が響いて、シズキは我に返らずを得なかった。なぜなら、その声色はいつもと違って、地をはうほど低いものだったからだ。
誘迷で邪悪なヴァイオレットの瞳は珍しくまぶたから解放され、ナールをどんな隙も見逃さないと言ったように見つめていた。
シズキはあきれたため息をつく。
「策士どもは、罠を張らないと会話ができないとは、何とも滑稽だな」
霊的に盲目なダルレシアンは、遠くで巻き起こる戦いの音を聞きながら、そばで話されていた内容が気になった。
「神界って、神様のいる場所のこと?」
「えぇ」優雅にうなずいた崇剛の中で、可能性の針が大きく触れる。
滝のように流れている今までのデータと照らし合わせると、やはりナールは敵ではないという可能性が非常に高くなる。
立派な両翼を広げ、頭に光る輪っかを載せている男が、大鎌を手裏剣のように投げている姿を目で追う。
同じ天使をうかがっていたダルレシアンは、手に持っているカードの山と交互に見つめた。
「ボクのもナールと同じってことかな?」
独り言をぶつぶつと言っているダルレシアン。彼よりも何よりも、崇剛は気になった。ナール自身が言った言葉が。
「武器を神界に……」
正直な存在だと、ラジュにも言ったが、戯言天使は否定はしなかった。そうなると、ナールが言ったことは本当のことになる。
だからこそ、崇剛の中でこの可能性が浮かび上がったのだ。
ナールは天使でもない――
立派な両翼と光る輪っかが頭に載っているが、今までのデータからすると、あれは仮の姿ということになってしまうのだった。
だがしかし、それを確定させるのは難しいだろう。それならば、崇剛はどうしても手に入れたい他の情報を優先させる。それは、
味方の武器は味方に効果があるのだろうか――だ。
ラジュは武器の使用をさけているようで、他の天使から情報を得るのが賢明。今この戦いで手に入れるのが、もっとも合理的で迅速だ。
だが、命がけの戦場。そうそう機会がめぐってくるはずもなかったが、崇剛はひとまず待つことにした。
邪神界の軍勢は我先に、メシア保有者へどっと押し寄せ、相手の顔が微かに見える位置まで進軍してきていた。
*
その頃、土煙ひとつ上げずに、走り続けていたカミエが敵陣とぶつかる寸前へと迫っていた。
(縮地――正中線、腸腰筋、腸骨筋、足裏の意識を高める)
そればかりがさっきから、カミエの頭の中で繰り返されていたが、流れるような仕草で日本刀の柄へと右手を伸ばす。
氷上を滑るが如く、白い袴姿の天使は武術の技を美しいまでに駆使し走り続ける。
間合いゼロになるまで迫っても、カミエは刀を抜く気配を見せなかった。敵にしてみれば、隙だらけの恰好の餌食といったところだった。
カミエの草履が一歩とうとう敵軍へ入り込む。
(無住心剣流――重力に逆らわず、刀を上げる)
カミエの刀は鞘から抜きざまに、敵を押し切りするように斬りつけられた。
「うぎゃぁ〜」
抜いてから一旦、頭上で構えてから剣を下ろしてくるものだと思った敵勢は、完全に意表をつかれて、綺麗に真っ二つに縦に斬れ、浄化して消え去った。
ほんの数コンマの出来事。
上げたまま構えた剣では、脇に隙ができてしまうが、
(刀の重さだけで降ろす)
鞘に戻すような仕草で、もう一度日本刀の刃先は敵に鋭く襲いかかった。
「ひゃぁ〜!」
煙がゆらゆらと揺れるように、浄化されて敵はまた一人消え去った。
カミエの刀は、振り上げて叩き下ろすという通常の動きとはまったく違った。刃物は刃に触れされすれば、相手を切れるという武術の理論から、尖ったほうを地面に向けたまま、上下に動かすだけで次々と敵を切ってゆく。
短時間で長距離を移動する縮地を、走りに応用したスピードには敵の誰もがついていけないどころか、目にも止まらぬ速さで、敵陣のあちこちに悲鳴と鋭い鉛色の線が描かれ続ける。
カミエの攻撃があまりにも早く、敵は切られたことも気づかず、武道家の重厚感のある体だけが前へ進む。そうして、数秒遅れてから背後で、
「うわぁっ!」
「うぎゃ〜っ!」
攻撃の衝撃で、モーセが海を割いたが如く、敵がカミエを中心にして宙を反り返り吹き飛ぶ。まるで、水面に落ちた水滴が跳ね上がるかのように。
カミエの呼吸は乱れず、深緑の短髪が走る風圧に揺れ、頬にかかる横顔は男らしいシャープな面差しだった。
*
一方、先遣隊にされたクリュダはシャベルだけで、敵陣を縦に突っ切り終えていた。邪神界軍の背後の荒野で、存在し得ないナスカの地上へをあちこち探し回っている。
「こちらでしょうか?」
戦争中であることはなどすっかり忘れて、発掘作業に精を出す。長身を生かして、あたりを見渡す。
「ありません。それでは、あちらでしょうか?」
砂埃だらけのひび割れた真っ平らな大地がどこまでも続くだけ。両翼を羽ばたかせて、敵軍の背後を横へ悠々と飛んでゆく。
「こちらにもありませんね。どちらにあるんでしょう?」
ずいぶん長い間探し回ったが、どうにも見つからなかった。クリュダはあごに握り拳を当てて、難しそうな顔をしていたが、ふと背後――邪神界軍が背を向けている方向へ振り返った。
「一度戻って、ラジュさんに詳しい場所を――」
敵陣の背後で、トントンと背中を何者かに叩かれた。
「はい?」
ふと振り返ると、そこには誰かの手のひらに乗っている、茶色をした雪だるまのような曲線を描くものがあった。
それが何だかわかると、クリュダの蒼色の瞳はみるみる輝いてゆく。「こちらはっ!」研究バカはガバッとそれを、衝動的に両腕で抱きしめた。
*
悪霊たちの戦闘は数あれど、陣を組んでの戦争は初めの崇剛。敵の狙いは自分と隣に立っている教祖のダルレシアン。
ただ守られるためだけにここにいるわけではない。戦うためにここにいる。
しかし、策士の性分で、さっきからデータ収集をすることに時間を費やしていた。 崇剛は風で乱れた後れ毛を、神経質な指先で耳にかけた。戦場を見つめたまま、ダルレシアンに問いかける。
「どのような魔法が使えるのですか?」
遊線が螺旋を描く優雅な声は、ふと吹いてきた強風に煽られ、宙へ飛んでいった。
邪神界の敵陣はあと数十メーターまでと迫っている。ダルレシアンは大きな手に持っていたタロットカードをローブのポケットに無造作に入れた。
「ん〜?」
聡明な瑠璃紺色の瞳には、秋の日差しが入り込む旧聖堂だけが映っていた。吹いてくる風と枝から飛び立つ鳥の鳴き声しか聞こえない。
ただそれだけだが、メシア保有者として、霊界の荒野で繰り広げられている武器がぶつかり合う音や、地鳴りのような靴音、悲鳴がさっきからひっきりなしに耳に入り込んでいた。
人間である自身が思い浮かべれば、結界の張っていない今では敵に情報漏洩しかねない。それは命取りになるかもしれない。
ダルレシアンは脳裏に鮮明に浮かべもせず、ただ曖昧な言い方をした。
「大抵のことはできるよ」
「そうですか」崇剛はどうとでも取れる相づちを打ち、あごに指を当てて思案し始めたが、
(そうですね……? あちらで……こちらのようにしましょうか?)
本人にしか理解できない思考回路で、作戦を組み立てた。
しかしこれでは、さっき会ったばかりのダルレシアンに意思表示ができない。優雅な策略家は最低限な言葉で伝えた。
「ものを移動させる魔法は使えますか?」
魔法攻撃――
崇剛とダルレシアンの最初の一手だ。
教祖はまた自分の爪を見つめて、気のない振りをして、話が混乱しないように罠は仕掛けず今は正直に問われたことに応える。
「できるよ。瞬間移動でボクはここに来たからね」
「そうですか」
「それで、何を動かしたいの?」
ダルレシアンのクールな視線を受けて、崇剛は戦場へと冷静な水色の瞳を向けた。
「あちらを持ち上げて欲しいのですが、お願いできますか?」
ダルレシアンの視界には、ひびわれたステンドグラスと倒れかけた祭壇があるだけで、
「ん〜? あれ?」
これ以上は具体的に何をとは言えない。
意思の疎通がスムーズにいかない間にも、崇剛の千里眼では敵勢が濁流のように押し寄せてくる様が映っていた。
「えぇ、できますか?」
「OK〜」
ダルレシアンの中で土砂降りのように降り続いていた可能性の数値はピタリと、たったひとつのことに照準が定められた――崇剛の作戦を読み切った。
さっきよりも近づいている敵から、崇剛は視線をそらさないまま、猛吹雪を感じさせる冷たい笑みで、作戦を遂行する。
「それでは、前方百八十度にかけてください」
「All right〜!」
ダルレシアンは春風のようにふんわりと微笑んだ。
「タイミングを合わせてください」
自然と緊張感がふたりに張り詰める。敵を直視できる崇剛はカウントダウンを始めた。
「三、二、一、お願いします」
「Up!」
ダルレシアンが人差し指を上へ上げる仕草をすると、突進してきた敵が一斉に空中へ持ち上がった。
「うわぁっ!」
後方から続々とやって来ていた敵兵は、味方の異変に一瞬ひるんだが、失った勢いを奮い立たせ、崇剛とダルレシアンを目指して走り込んできた。
千里眼の能力が発揮される。持ち上がった敵の縦の距離――十メートルという数値がはっきりと浮かぶ。
ダルレシアンの漆黒の長い髪が横から吹いてきた風に吹かれ、少し遅れて崇剛の紺のそれも揺れて、十メートルという距離を敵が詰めてくるのを、冷静に待ち続ける。
あと五メートル……。崇剛の脳裏でカウントダウンが始まる。あと二メートル、一メートル。持ち上がっている敵の最前線へと、後ろから来た軍が完全に重なった。
崇剛の中性的な唇が動いた。
「解いてください」
「OK!」
ダルレシアンが言われた通り魔法の効力をなくすと、持ち上がっていた敵は、後からきた軍勢の上に、砂袋でも落ちるように重くどさっと落下した。
「うわぁぁっっ!」
「うぎゃあぁぁっっ!」
人が上からいきなり降ってくる。何も知らずに走り込んできた地面にいる敵はもちろん、落とされた敵もひとたまりもなかった。
ダルレシアンにはその光景を見ることはできなかったが、何が起きたのか手に取るように――彼が予測した通りのことが実現していた。
旧聖堂の崩れ落ちた壁の隙間から吹いてくる秋風に、白いローブが揺れ、ラピスラズリをはめ込んだ金色の腕輪が、勝利を祝うようにきらめく。
「いい戦い方だね」
「ありがとうございます」
大量の敵が倒れ込んだ戦場は、土煙が激しく上がっていた。魔導師に衝突させられた敵が石垣となり、後から進軍しようとしていた軍勢がどよめきの声を上げながら、右往左往する様が崇剛にはよく見えていた。