Time of judgement/2
が、すぐに明かりが戻ってきた。ラジュのニコニコの笑みが現れて、不気味な含み笑いをもらす。
「というのは、冗談です〜。神にまた叱られてしまいますからね〜」
命がかかっているというのに、まったくシリアスにならない戦場。横並びの列から頭だけはみ出して、ラジュは守護する人をうかがったが、紺の長い髪は小刻みにまだ揺れていた。
「未だに崇剛は笑っています〜。ダルレシアンには敵の動きは見えませんからね〜。ふたりが死ぬのは困ります。せっかく出会わせたんですから〜」
自分で笑いの渦へ蹴落としておいて、ラジュは涼しい顔をしてあたりを見渡した。
(次、どなたか行っていただけますか?)
わざとらしく困った振りをしていると、隣から、地鳴りのような低い声が最低限を言い残して、
「俺が行く」
「カミエ〜、お願いしましたよ〜」
(行ってくれると思っていましたよ)
トラップ天使の罠にいつも通りはまった、カミエは立派な両翼がついているというのに、地面の上を走り出した。
その走りは人に出せるスピードではなく、氷上を滑るが如し突き進んでゆく。そんな武道家の心の中は専門用語でいっぱいだった。
(正中線、腸腰筋、腸骨筋、足裏の意識を高める――縮地!)
左右に傾くとこどか、前後上下にもブレずに腕は振らず、足だけが猛スピードで動いている。荒野の乾き切った大地なのに、土煙ひとつ上がらないどころか、足音もしない。神がかりな走りだった。
見送っているラジュに、シズキが問いかける。
「貴様、なぜ、自ら行かない? 貴様の守護する人間どもだろう。カミエとともに守護するという神への誓いを忘れるとは、どういうつもりだ?」
「私の武器は策略ですからね〜。従って、参謀は後方にて待機です〜。みなさんが消滅したのを確認してから、私は逃走ということです」
「俺っちのほうにも来たっすね! 日頃の修業の成果を見せる時っす!」
アドスが錫杖を地面に叩きつけると、武器の頭についていた鈴がシャンシャ〜ンと空気を清めるように鳴り響いた。
基本的には槍のように扱い、敵を次々に倒してゆく。
「うわっ!」
「ぎゃあっ!」
崇剛はまだ笑っていて、頼りにならない。ダルレシアンは自分の耳を信じて、誰が残っていて、誰が戦場に出て行ったのかを、正確に記録していた。
天使は残り三人。それなのに、ラジュは真正面を見つめたまま、
「私とあなただけになりましたが、シズキはどうするんですか〜?」
「毎回同じこと言わせるな。誰が貴様を守る?」
「運でしょうか〜? 勝つためには大切な要素のひとつです」
シズキは大量の敵が突進してくるのを見据える。
「戦いたくないなら、俺が貴様を守り抜いてやる。ありがたく思え」
シズキはラジュのことをよくわかっていた。この男は戦いたくないのだ。
ヒーローがお姫様に言うような言葉を聞いて、ラジュは恋に落ちてしまったように吐息まじりに言う。
「シズキ、私のことを……」
ラジュの手がシズキの頬に伸び、シズキはその手をしっかりとつかんで、
「ラジュ、貴様のことを……」
見つめ合うふたり――。シズキはラジュに顔をゆっくりと近づけてゆく。キスができそうな位置まで迫って、シズキはラジュに吐き捨てるように、
「貴様なぜ、そこで恋愛ものバリに俺を見つめてくる? ふざけるのもいい加減にしろ、きちんと戦え!」
それだけでは収まらず。
「普通に守ってやる。さっきから、笑いばかり取ってくるとはどういうつもりだ?」
「うふふふっ。真面目でふざけていないと、体にも思考にも力が入り固まってしまって、上手く戦えないとカミエが以前言っていましたよ。武術の基本だそうです〜」
シズキは敵陣で戦っているカミエを射抜くように凝視する。
「あの修業バカ。余計なことをラジュに吹き込んで。他にも興味を少しは持て。あとで、フロンティアでぶち抜いてやる!」
ラジュの罠のお陰で、戦いに参戦できないでいた崇剛とダルレシアン。
「崇剛、落ち着いてきた?」
前屈みの姿勢を崇剛は直し、何とか笑いと止め、目の淵にたまった涙を細い指先でなぞった
「……えぇ」
「キミの武器は何?」
さっき会ったばかり。お互いのことはまだまだ知らない。興味津々のダルレシアンの前に、鋭いシルバー色の光を放つ聖なるダガーが出された。
「こちらですよ」
「ふ〜ん」
聡明な瑠璃紺色の瞳に短剣をちらっと見て、ダルレシアンは自分の爪を眺める癖をした。
「それって、誰かにもらったの?」
「神からいただいたものだと信じています」
「Why do you think so?/どうして、そう思うの?」
「幼い頃、私はこちらの旧聖堂で、今は亡きラハイアット夫妻に拾われました。その時、私の傍に置いてあったものだそうです」
物心がつき、ある日打ち明けられた、実の子供ではないという事実。
初めはショックをずいぶん受けたものだが、自身の起源を知りたくて、ラハイアット夫妻にしつこく聞いたが、身分を証明するものはなく、このダガーだけがやけに神聖なる存在を放っていたようだった。
「そう。じゃあ、ボクのもやっぱりそうなのかな?」
爪を見るのはやめて、ダルレシアンは今度は漆黒の長い髪を指先でつまんで、すくようにつうっと引っ張り出した。
「あなたは何を持っているのですか?」
「ボクのは武器じゃないかも?」
指先から最後の髪がスルッと離れると、ダルレシアンは小首を可愛くかしげた。
質問をしたのに、疑問形が返ってきた。しかも、不確定要素。
策なのか。それとも、何とも表現し難いものなのか。
「ですが、先ほど、ラジュ天使が瑠璃は私たちの後方へ逃げるようにおっしゃっていましたが?」
言い逃れをしようとも、証拠は出ている。崇剛は興味をそそられた。
「Come?」
ダルレシアンはそう言って、手のひらを体の前に差し出した。淡い光を放って、手のひらサイズの長方形のものが現れる。
「来た。こ〜れ〜!」
それは、シュトライツ王国で拘束される前夜に、天国へと送り飛ばしたものだった。
崇剛は異国の香りがするアイテムを、今までの本の中から該当するものから見つけてきた。
「タロットカード? 占いで使うと本には載っていましたが……」
「そう」と、ダルレシアンはうなずきて、手のひらでカードを切った。
「大アルカナの二十二枚だけね。召喚魔法ってとこかな?」
ひとつにまとめると、魔導師の視線につられるように、カードたちは空中へ持ち上がり、くるくると光の尾を引きながら回り出した。
「小さい時から、ボクのそばにあったらしい。普段は使わないんだけど、試しにこっそり使ったりしてた。魔導師のメシアの力を増幅するものかも?」
メシア保有者のほとんどは、自身の能力について知らない。千里眼を持つ崇剛のように、霊的な存在と話ができれば別だが。
カードが放つ光が、ダルレシアンの凛々しい眉を照らすのが、崇剛の冷静な水色の瞳には映っていた。
「いつも持ち歩いてはいないのですか?」
生命がなくなったように、カードはダルレシアンの手のひらにおとなしく整列して戻った。
「ううん。持ってるけど、なくす心配がある時とか、誰かに使われそうな時は、どこか違う場所に隠しておくの」
「どちらへですか?」
「ん〜? 天国かも?」
ダルレシアンは本当に不思議そうに首をかしげた。
「不明瞭なのですね?」
「そう」
確かに、天国へと送っているが、それが本当にその場所なのかは確信がなかった。
教祖という立場で、タロットカードがそばに置いてあっても、誰も疑問に思わない。かと言って、紛失したとしても、他の誰かが探し出すこともなく、気づくと目の前にある。手品みたいな存在のタロットカード。
同じメシア保有者の崇剛なら、何か理論的な答えを持っているかと思って、ダルレシアンは聞いてみた。
「ボクの手元に来たり、急になくなったりするのって、理論的に説明がつかないよね?」
「えぇ、ですが……」
崇剛を返事を濁しながら、赤目の天使をうかがった。ラジュは別として、ナールも武器を所持している感じはしなかった。
同じ原理が働いているのならば、どこかに隠して置ける場所があるのもおかしくはなかった。
見えるものしか信じない教祖は、漆黒の髪を指先でつうっと伸ばしながら、小首をかしげ、聖堂の崩れ落ちそうな天井を見上げた。
「う〜ん? でも、神様の持ち物をボクが借りてるって考えるのが、一番しっくりくるかも?」
「神を信じるのですか?」
崇剛はナールから視線をダルレシアンへ戻し、くすりと笑う。信念が修正の必要性があるのなら、デジタルに切り替える。何とも柔軟性のある面白い男だと、崇剛は思った。
ダルレシアンは納得がいかないながらも、
「ん〜? 信じるしかないのかも?」
確定はしなかったが、神が存在するという可能性が高いと認めざるを負えなかった。
崇剛とダルレシアンが大将。彼らが落とされれば、この戦いは負けとなる。ふたりを守ように控えていたナールが、ふと右手を大きくかかげた。
荒野の果てから黒い塊が猛スピードで向かってくる。ナールにみるみる近づいてきて、その正体が明らかになる――大鎌だ。
二メートル越えをしている天使の背丈よりも大きい武器。
崇剛はあごに神経質な手を当てて、水色の瞳をついっと細めた。あの夜が鮮明に蘇る。情報を得たいばかりに、瑠璃を守りたいばかりに、奮闘した苦い夜――。
朦朧とする意識の中だったが、自身の首を切ったのは大鎌だった。あの重い鉄が地面を引きずられてくる、ズーズーと不気味な音が耳にこびりついている。
首が切られたあとに見た、ナールの赤い目ふたつ。
カミエが倒したのも大鎌を持った敵だった。同じ人物だと、彼は言わなかった。
そこから考えると、ナールがあの夜にいた大鎌の敵という可能性は消え去らない。彼は一体何者なのだ――。
崇剛が疑問に思っている隣で、大鎌を肩にかかげたナールに、シズキが催促する。
「貴様も戦え」
ナールは大鎌を体の前に立てて、街でナンパするように軽薄的に話し出した。
「これさ、扱いが難しいんだよね」
「大鎌など振ればいいだけだろう」
シズキの不機嫌顔にさらに磨きがかかる。何を寝ぼけたことを言っているのだ。これだけ大きな刃物だ。数打ちゃ当たるではないが、数振りゃ当たるだろう。拳銃よりも格段に簡単な武器ではないか。
「カミエがさ」
白い袴姿の男の名が、ナールの綺麗な唇から出てきて、シズキの鋭利なスミレ色の瞳は戦場で戦うカミエを捉えた。またあの男のことだ。
「修業バカがどうした?」
「前に教わったの。あいつ武術得意だからさ」
指導を直々に賜ったという。修業のために生きているような、あの男に。
「その通りに使えばいいだろう」
ナールの彫刻像のように彫りの深い横顔を、シズキは少しだけにらんだ。
「それがさ」
器用さが目立つ手で、ナールは大鎌を真っ直ぐ持ち上げて、自分と並行になるようにするが、急に専門用語だらけになった。
「武器の正中線と俺の正中線を合わせて、重力に逆らわずに持ち上げろって」
その通り、発泡スチロールのように軽々と大鎌を後ろへ倒し、「で、武器の重みだけでおろすって」腕の力は極力抜くと、落下速度だけでも地面にガシャんと刃がめり込んだ。
「?」
シズキは首をかしげる。ただ振り下ろせば、敵は倒せるだろうに。そんな難しいウンチクが必要か。あの修業バカは車の普通免許じゃ飽き足らず、F1レーサー並みの技術を要求するとは。
ノーリアクションのシズキの代わりに、すぐ隣で聞いていたラジュが言葉を添えた。
「そちらは、無住心剣流の教えです〜」
三沢岳の山頂で、艶やかな刀さばきで敵を倒した技を、ナールに伝授していたカミエだった。
カミエは武道家で修業をすることが人生の全てだが、ナールはどちらかというと、体育会系ではなく頭脳派。
大鎌を自分の体と並行に立てようとしながら、赤い目ふたつでじっと見つめる。
「考えちゃうんだよね? こう武器と自分を合わせるって? ってさ」
カミエは修業という名の感覚で、武器を扱ってはいるが、理論で物事を考えるナールには、感覚という曖昧なものを体感できるセンスは持ち合わせていないのだ。
さっきから思っていたいたが、シズキの腹の中ではぐつぐつとマグマが沸騰するほどイライラとしていて、とうとう言ってしまった。
「理論はいいから、敵の中へ行って振るえば、それだけ大きな刃だ、誰かには絶対に当たるだろう」
それなのに、ナールは赤い目で、乱戦している戦場をただただ眺める。
「もっと効率いい戦い方したいんだよね」
おかしなことを言う。というか、この男らしい発想だと、シズキは思った。完璧なまでに合理主義者で無機質。それがナールを作る要素だ。
「そうね……? こうしちゃう?」――