Before the battle/2
アドスはシズキに親しげに近ついていこうとしたが、俺様天使は迷惑顔で、せっかくの可愛らしい顔も台無しになった。
「貴様に通告してやる、ありがたく思え」
シズキは手のひらをアドスの前へ突き出し、それ以上近づくなというジェスチャーをした。
神経質な手と銀の前髪で隠されている瞳を、アドスは交互に見ながら、
「何すか? その手は」
「ひとつ、俺に勝手に近寄るな。ひとつ、俺にその汚れた手で触るな。ひとつ、宗教アイテムを俺にくれるな。以上だ。同じことを何度も言わせるな。貴様のその耳はただの飾りか?」
俺様なルールを押しつけられたが、アドスはまったく気にしなかった。
「今日は違うっすよ」
「どう違う?」
シズキは思いっきり疑いの眼差しで、アドスの手が近づいてくるのを警戒した。
「これは貴重なお守りっす!」
さっきのひねくれ言葉は、アドスの中では無効化されていた。シズキの形のいい眉は怒りでひくつく。
「お守りも宗教アイテムだ。貴様は何を聞いて――」
ゴスパンクの天使が話しているにも関わらず、彼のブレスレットをしている手を、アドスはガバッとつかんで、手のひらに小さなものを乗せた。
やけに冷たい感触が広がり、嫌な予感を覚えたシズキは聞きたくないと思いながらも、
「……な、んだ? これは……」
体の奥深くでぐつぐつと煮立っているマグマのような怒りを抑えながら、問いかけた。
乾いた泥がついた手をパンパンと叩きながら、アドスの天色の瞳は純粋に屈託なく輝く。
「トカゲのしっぽっす。これに俺っちの念を込めたっすから、勝利は確実っすよ!」
「わざわざ取ってきたとはの。殺生じゃな」
聖女はこんなことが、神の使いである天使に許されるのかと訝しんだ。
アドスは顔の前で手のひらを左右に振って、「瑠璃さん、違うっすよ」持ってくるのにどれだけ苦労したかを語ろうとした。
「ちょうど目の前で切れたっす。なかなかないんすよ? トカゲのしっぽ――」
「ひゃっ……!」
妙な声をもらしたシズキに、全員の視線が一斉に向けられた。
「?」
黒く紐状の冷たいものを、毒に侵されたように慌てて投げ捨て、
「ひっ、ひゃあああ〜〜っ!」
雑木林どころか天まで突き抜けるような、シズキの悲鳴が轟いた。
さっきからやり取りを黙って見ていたカミエが、あきれたようにため息をつく。
「アドスまた、シズキに渡すな」
「シズキ、昔から潔癖症だからね。汚れんのやなの」
ナールはしゃがみ込んで、トカゲのしっぽをあちこちから眺めた。
「それにしても、これ、マジですごいね。初めて見たよ、運命感じるね」
ラジュは人差し指をこめかみに突き立てて、顔を珍しくしかめる。
「困りましたね〜。人員がひとり減ってしまいます〜」
さっきまであんなに落ち着いていて、俺様で完璧だったシズキ。銀の髪を激しく揺らす、手のひらから全身に毒が回っていくことに耐えられないように。
「……が、我慢できない……」
スミレ色の両目があらわになったことなどどうでもよく、
「俺のこの神聖な手に動物の死骸が触れるなど!」
その場で左右に回って戻るを、忙しなく繰り返しながら、
「で、出直さないと……こ、このままじゃ……お、思い出したくもない、とてもじゃないが神の意志をまっとう出来ない……」
「一分で戻ってきてくださいね〜? 戦いに間に合わなくなります」
ラジュが忠告すると、シズキはすうっと消え去った。天界へ戻り、全身を綺麗に洗うために。
「面白い天使だちだね」
ダルレシアンは春風のようにふんわりと微笑んで、
「難儀な性格じゃの」
唯一女性である瑠璃の声が響くと、旧聖堂の中へ全員入っていった。
*
昼間なのに異様なほど薄暗い旧聖堂。
壁掛けの燭台は全て壊れ、埃の妖精があたりをうろついていた。
いつもはひとりやふたり浮遊霊がいるのに、まるで何か大きな力に怯えるようにひっそりと息を潜めていた。
白く濁った大理石の上で参列席たちは、崩れ落ちた天井であちこち行き止まりになっている。身廊の奥にある祭壇もステンドグラスも、長い年月の放置の末に神聖も荘厳も死語だった。
そこに、八名の様々な人々が、それぞれの出立で顔をそろえていた。
崇剛 ラハイアット。
壊れかけた古い扉のすぐ前にある身廊に、細身をさらに強調させるように、足を左右にクロスさせる寸前のポーズで佇んでいた。
優雅に微笑んでいたが、冷静な水色の瞳はいつにも増して、瞬間凍結させるような猛吹雪のように冷たい。
その隣には、ダルレシアン ラハイアット。
漆黒の長い髪を頭高くで結い上げ、縄状の金の髪飾りが勇しくありながら、クール。
聡明な瑠璃紺色の瞳は、崇剛と同じように世界の果てまでも凍らせそうだが、春風のようにふんわりとした微笑みが、策士らしくつかみどころがない。
人がふたり――。
瑠璃 ラハイアット。
白と朱を基調にした巫女服ドレス。白いブーツのかかとをそろえ、片足にだけ体重をかける。漆黒の長い髪は、霊界を時折り吹いてくる風に静かに揺れていた。
あどけなさを感じさせる少し丸みの帯びた頬だが、百年の重みがより一層深い。
幽霊がひとり――。
そうして、彼らの上空に天使が六人――。
カミエ。
深緑の短髪。無感情、無動のカーキ色の切れ長な瞳を持つカミエ。上から吊るされているようにすうっと立ち、風にはためいている真っ白な袴姿だけが唯一動いている――絶対不動。
シズキ。
綺麗に整え直してきた銀の長い前髪に、右目だけがいつも通り隠れていた。重厚感があるが、白いロングコートの裾が風で揺れるたび、見え隠れするロングブーツ。
完璧と言わんばかりに、足を左右にクロスさせ、腹のあたりで組んでいる細い両腕。
ナール。
山吹色のボブ髪の隙間から見える、印象的な赤い目。白いジャケットに細身のズボン。フラットシューズ。
生命というものが感じられない、無機質な天使はナルシスト的に微笑む。それなのに、全ての人々を平伏させるような威圧感が、神羅万象の皇帝みたいだった。
アドス。
紫の短髪に、純粋な天色の瞳。無料で宗教アイテムを配るような人のよさが、モロに出ていて、これから戦闘を繰り広げるような緊張感はからっきしなかった。
ただこの中では一番体が大きく、敵を抑え込めるような圧倒感があった。
クリュダ。
優しさの満ちあふれた蒼色の瞳は、優男という言葉が一番似合うと言うのに、態度は堂々たるものだった。
長い月日を生きている天使にとっては、戦場など数え切れないほどくぐり抜けてきたのだろう。
そうして最後、ラジュ。
金の長い髪が女性的な雰囲気を醸し出す。戦場に勝利の女神が降臨したような白いローブ。誘迷というサファイアブルーの瞳は相変わらず、何を考えているのかわからないニコニコのまぶたに隠れていた。
彼らの他にも霊や天使が数え切れないほど集まっていたが、怖いほど静まり返っていた。
そこへ、ラジュの女性的で凛とした澄んだ声が、霊力を使いスピーカーがなくても遠くまで聞こえるように響いた。
「今現在、神によって、こちらには結界が張られています。ですから、何を思い浮かべても、敵には情報は漏洩しません」
全員の緊張がほぐれた。そこで、誰が鳴らしたのか、
ジャンッ!
というクイズ番組でよく聞くような音が鳴り響いた。それに合わせたように、女性的で儚げな声がゆるゆる〜と話し出した。
「それでは、ここで崇剛に問題です〜」
戦い前に、今までの事件の真相を一度整理しようと、ラジュがクイズ形式にした。
天界に浮かんでいる守護天使を、崇剛は冷静な水色の瞳で見上げ、優雅な声で短くうなずいた。
「えぇ」
「今回の計画はいつから始まったでしょうか?」
「私が瑠璃の夢を最初に見た時――三月二十四日、木曜日、十一時三十六分二十七秒以前ではありませんか?」
「なぜですか?」
同じ理論派のラジュから、理由が問われた。
「そちらの日に見た夢から、瑠璃さんが出てくるものに変わりました。四月三十日、土曜日、二十二時九分二十八秒以降に瑠璃さんが厄落としだったと認めています。ですから、そちらの日であるという可能性が一番高いです」
「正確には、同日、十一時五分です〜」
聖なる白いローブの前で、ラジュの両手は組まれ、一度前屈みになり、次の質問へを移った。
「邪神界へ情報が漏洩したのはいつでしょうか?」
今は秋だが、春雷の嵐に見舞われたリムジンのリアシートの座り心地を、崇剛は鮮明に思い出した。
「翌日の三月二十五日、金曜日。十一時五十分八秒以前です」
「なぜですか?」
「夜見二丁目の交差点で、子供の地縛霊を母親の霊が迎えにくるようになり、邪神界に動きが出たからです。ですが――」
この程度は策士でなくてもたどり着ける。一旦言葉を止めた崇剛を待つように、ラジュは短くうなずいた。
「えぇ」
「情報が漏洩するのが早過ぎます。一日で邪神界側へもれています。従って、わざと情報を漏洩させたという可能性が出てきます」
「正解です〜」
ラジュの右手にはいつの間にかハンドベルが握られていて、
チリチリ〜ン!
と鳴らされ、さらなる次の問題へ。
「それでは、情報を漏洩させたのはどなたでしょうか?」
主に考えたことはなかったが、今までのデータを滝のように流しながら、必要な記憶を取り出し、崇剛は余裕の笑みで、金髪天使をじっと見つめた。
「ラジュ天使――です」
冷静な水色の瞳と誘迷なサファイアブルーの瞳は一直線に交わった。
ラジュの儚げな女性らしい声のトーンは低くなる。敵のスパイだと、守護する人間に言われて。
「なぜ、私なのですか?」
下手に答えようものならば、天使に地獄の底へと突き落とされ、それでもまだ足らず、地面を掘って生き埋めにされそうな、凄みが漂っていた。
崇剛は恐怖心をデジタルに切り捨て、長々と流暢に説明し始めた。
「五月二日、月曜日。十時一分十二秒以降に、ラジュ天使はこちらのようにおっしゃいました――」
遊線が螺旋を描く優雅で芯のある声は、凛とした澄んだ女性的なものに変わった。
「そろそろ私は行かないと、相手に怪しまれますね〜」
すぐさま、崇剛の瞳は冷静なものに戻って、
「正神界には結界が張ってあります。ですから、相手――邪神界に怪しまれるという可能性は出てきません」
今も守られている旧聖堂で、水色の瞳はついっと細められた。
「しかしながら、事実として出てきています。こちらが発生するためには、ラジュ天使は邪神界側にいたという可能性が非常に高くなります。従って、ラジュ天使は邪神界の者になった振りをしていた――」
味方ではあったものの、ラジュはやはりスパイ役だった。
「そのため、長い間不在にせざるを負えなかったのです。私たちの元へ来ている時は、邪神界側へ正神界をスパイしているように見せかけて、こちらへ来ていたのではありませんか?」
優雅な微笑みを受けて、ラジュは手に持っていたハンドベルをチリチリ〜ンと鳴らした。
「正解です〜」
今もニコニコの笑みは健在だった。崇剛とは以心伝心の守護天使は、さっき同行することになったダルレシアンの様子をうかがう。
だがしかし、
情報収集の途中で、彼が意見をしてくる気配はなく、それが話を理解しているという無言の合図でもあった。
「他にはありますか〜?」
崇剛は話し足りないというように、「えぇ」と短くうなずいて、「相手に情報を漏洩させる役目は、ラジュ天使が一番の適任者なのです――」
不浄なる聖堂の空気を浄化するように、崇剛を囲む天使たちも黙って続きを聞いた。
「なぜなら、負ける――失敗する可能性の高いものを選ぶという傾向が非常に高いです。他の方が情報を漏洩させても、邪神界側が怪しむという可能性が高くなってしまいます。ですが、ラジュ天使が情報を漏洩させても、敵に作戦だと気づかれる心配が減るというわけです。ですから、ラジュ天使だったのです」
何もかもが事実と可能性で、崇剛の中では明確になっていた。
今回の計画の該当者は、今ここにいる天使六人――。
その中でもスパイに適任だったのがラジュだった。
ただ、ナールがここにいる理由を、崇剛は見つけ出せずにいた。その疑問は置き去りのままで、確定されず繰り越される。
「それでは、次の問題です。私は何の情報を漏洩させたのでしょうか?」
不確定要素が確定へと近づく予感を覚え、崇剛の心が震える。後れ毛を神経質な指で耳にかけながら、優雅に微笑んだ。
「私とダルレシアン――メシア保有者同士が地上で出会うという情報『だけ』です」
「なぜ、わざと漏洩させたでしょうか?」
デジタルな頭脳の中で、この世界の情勢が必要なデータとして、一番前に浮かびあった。
「敵の数はこちらの十倍です。従って、まともに当たっては勝てるという可能性が非常に低いです」
これは文字通り聖戦争で、敵をよく知らなければ、無駄死にをするだけだ。
崇剛の脳裏に今度は、聖霊寮の応接セットで、国立が言ってきた言葉が蘇った。
「邪神界の一番上――大魔王――ヤン ダリルバッハは聡明な方です。ですから、メシア保有者同士が出会うという出来事のためだけに、全軍を投入してくるという可能性は非常に低いです。従って、邪神界側を小出しに誘き出し、そちらを叩くという作戦です」
瑠璃色の貴族服を着た線の細い人間の頭上に、白いローブを着た金髪の天使がニコニコの笑みで浮かんでいる。
「しかしながら……」
人間の崇剛でさえ、同時にいくつもの策を平然と張りめぐらせる。神はそのはるか上をいっているのだ。それが当たり前だ。
作戦の全貌はまだ明らかになっておらず、ラジュは「えぇ」と先を促した。
「それさえも囮でした。ラジュ天使がおっしゃっていました。五月二日、月曜日。九時五十四分十一秒から十時一分十二秒の間――」
遊線が螺旋を描く優雅で芯のある声はまた、凛とした澄んだ女性的なものへ変わった。
「あちらは囮みたいなものですからね、うふふふっ」
最後が少々うまくいかなかったが、
「――です。従って、私とダルレシアンに邪神界の目を引きつけておいて、別の大きなことが正神界で動いているという可能性が98.98%です」
「全問正解です〜」
パンパカパ〜ン!
というファンファーレが鳴り、いつの間にかくす玉が用意されていて、ラジュが紐を引っ張ると、金銀の細長い紙がスルスルと落ちてきて、
『大当たり!』
と赤で書かれた白い半紙と同時に紙吹雪がヒラヒラと舞い降りてきた。
これ以上は霊の瑠璃も教えられていない。極秘にされたまま、七ヶ月近くの時が過ぎ、国がひとつ滅び、新しい政治形態となった。
死ぬ可能性がある場所へと連れてこられた崇剛は、のどの渇きをまるで潤すかのように手を伸ばした。
「本来の目的はどちらなのか教えていただけますか?」
「えぇ、構いませんよ〜」
ラジュがうなずくと、無感情、無動のカーキ色の瞳を持つ、カミエの地鳴りのような低い声が事実を告げた。
「地獄のシステムを総入れ替えしている」