Before the battle/1
何度も通い慣れた道を、今までとは違った気持ちで死と向き合いながら、崇剛はシズキと瑠璃とともに歩いてくると、蔦に拘束された古びた建物が見えてきた。
蝶番がはずれた古い木の扉がズレ開いている、崇剛の起源である場所――旧聖堂。
少しずつ近づいてくると、薄暗い入り口の前に白いものが落ちていた。いつもと違った風景に、崇剛は警戒心を抱く。
手元もろくに見えない視力では、少し離れた旧聖堂の扉前ははっきりとは見えない。
冷静な水色の瞳はシズキと瑠璃をうかがっていたが、彼らが特に驚く様子もなかった。
千里眼を使って、近づいてくる扉の前を見ると、白い服を着た誰かが横になって、肘枕をしていた。
緊迫した場面だというのに、縁側で日向ぼっこでもしているように、ずいぶんとのんびりしているようだった。
崇剛たちの靴音に気づいたようで、白い布は起き上がった。階段に腰掛け、膝の上に両肘をついて頬杖をつく。そうして、
「Are you Sugata Rahighyatt?/キミが崇剛 ラハイアット?」
春風のような穏やかで好青年の声が響き渡った。漆黒の長い髪は頭高くで結い上げられていて、凛々しい眉に、聡明な瑠璃紺色の瞳がとてつもなくクールだった。
崇剛の冷静な水色の瞳はついっと細められる。
(涼介が見た夢の中に出てきた人物と同じ――)
自身の名前が相手に情報漏洩していた可能性を探りながら、崇剛はポーカフェイスで優雅に微笑んだ。
「Yes, who are you?/えぇ、あなたはどなたですか?」
「Do you have Clairvoyance Messiah?/お前、千里眼のメシアを持ってるんだろう?」
名前どころか、世界でも知る人はほとんどいないメシアの情報まで、一体誰が。
「Why do you know that?/なぜ、ご存知なのですか?」
遊線が螺旋を描く声色は、今はどこまでも冷たかった。
氷河期のようなクールさが男には漂っていたが、紡ぐ言葉遣いは春風のように柔らかった。
「ナールって天使から聞いたよ」
「そうですか」
崇剛はただの相づちを打ちながら、ひどい違和感を抱いた。それは、耳から聞こえてくる響きは異国の言葉なのに、心の中は花冠語で聞き取れる。
Translation――翻訳――を密かに使った可能性が高いだろう。
そうしてもうひとつ。
ナールが誰なのか――だ。
可能性が一番高いのは、あの赤目でボブ髪の存在だ。
あの男は、今目の前にいる人間の守護天使だったのか――。
どうにも千里眼の感覚がねじれる――事実にずれが起きていると警告する。それでは……?
ポーカフェイスで思考している崇剛の前で、男はふと立ち上がる。すると、彼の背丈は崇剛をはるかに越していた。
それなのに、両手を腰の後ろへ回して、子供みたいに可愛く小首をかしげる。
「キミは神や天使を信じてるんでしょ?」
「えぇ」神父は優雅にうなずきながら、目の前にいる男をうかがう。
白いローブを着て、黒いロザリオを首から下げて、ラピスラズリの金の腕輪をしている――宗教関係者。
予測はそれが高いと判断したが、ミスをしたのか――。神を信じていないニュアンスを匂わせる質問を投げかけてくるとは。
毎日の祈りを欠かさない、ミストリル教の神父は、
「あなたは違うのですか?」
質問を意図的に重ねてゆく、情報を得たいがために。
「ボクは直接見たものしか信じない。間違ってるかもしれないからね」
悪びれた様子もなく、羞恥心もなく、男から返事はすんなりと返ってくる。
そうして、崇剛はまた質問する。
「声だけを聞くことはできるのですね?」
「今朝、初めて聞いた」
崇剛の優勢で会話は進んでいるように見えたが、男は春風みたいな柔らかで、好青年の笑みを見せた。
「それより、ボクが二番目にした質問――はどうしちゃったのかな?」
罠を仕掛けていたつもりが、罠にはめられていたのだ。不意を鋭く突かれた。
会話履歴を記憶している。この男はやはり興味深い――。
冷静な水色の瞳はかすかに色づき、聡明な瑠璃紺色の瞳を見返した。
デジタルに直前の会話は切り離し、二番目の質問を呼び出したものだから、崇剛の回答は少しおかしくなった。
「えぇ、持っていますよ。ダルレシアン ラハイアット」
千里眼のメシアを持っているのだろうとだけ聞かれたが、罠にはまるばかりでは面白くない。霊視した男の名をおまけで返してやった。
「ふ〜ん、正解(せ〜か〜い)!」
ダルレシアンはそう言って、崇剛にがばっと抱きついた。
外国式の挨拶なのか、男色家なのか。判断するにはまだ情報は少なすぎる。
崇剛はすぐに体を離して、さっきから心の中で、シズキに審神者をしてもらっていた、確定事項を流暢に告げ始めた。
「ミズリー教の教祖であり、ラハイアット家の末裔。魔導師のメシア保有者。そうして、シュトライツ王家滅亡の首謀者――」
そこで、崇剛は言葉をいったん止め、氷の刃と言われる冷静な瞳で、ダルレシアンを凝視した。
彼の雰囲気は相変わらずで、春風みたいにふんわりと微笑む。
「それも、千里眼で見たの?」
「そうかもしれませんね」
曖昧な返事を返しはしたが、話の流れは今は、ダルレシアンに持っていかれている。その点を気をつけつつ、崇剛は教祖の反応を待った。
「首謀者――。誰もボクのことはそう言わなかったけれど、キミはそう言うんだね」
とぼけるつもりか――。
「あなたの策はそれほど完璧に近かったのかもしれませんね」
この男は確信がない限り、憶測で物を言う人間ではない。
そうして、ダルレシアンが何度も夢の中で口にしていた言葉が、湿った春の空気ににじんだ。
「Why do you think so?/どうして、そう思うの?」
崇剛は導き出した可能性を使って、ダルレシアンをチェックメイトしようとする。
自身が同じ立場で、目的がシュトライツ王族の滅亡なら、こうしていたと――
「――お前たち、そこまでよ? お互い探んないの」
あらゆる矛盾を含んだマダラ模様の男の声が突如響いた。崇剛とダルレシアンとの間に、人影がふと立った。
冷静な水色の瞳と聡明な瑠璃紺色の瞳に映ったのは、すらっと背が高く、彫りの深い顔立ちをした男――いや、正確には天使だった。
赤い目はこっちへは向かず、銀の長い前髪へとやられる。
「お前、時間ないって説明しなかったの?」
「そのセリフ、そのままそっくり貴様に返してやる」
超不機嫌がで答えたシズキだったが、山吹色のボブ髪をした天使はナルシスト的に微笑んだ。
「何? お前。今日、機嫌いいじゃん?」
他の人間には、かなり不機嫌に映っていたが、どうやら違うようだった。
シズキはロングブーツの足をクロスさせ、鼻でバカにしたように笑う。
「ふんっ! いつもと一緒だ」
そこへ、聖女が割って入ってきて、
「さっき、崇剛と夫婦みたいに仲睦まじくやっておったからの」
ナールは驚くわけでもなく、無機質に短くうなずいて、
「そう。いいんじゃん? お前らしいよ。人間の男好きになるなんてさ」
性別関係なくスルーしようとした。
しかし、当の本人――シズキは表情どころか、指先ひとつも動かさず、終始無言――いや、ノーリアクションで、
「…………」
シズキが今何を思っているのか、誰にも判断しかねていたが、ナールがナンパするように軽薄に通訳した。
「男だって気にしてなかった?」
自分の性癖を、感性という名のボケで軽く追い越していった、シズキだった。
崇剛は素早く手の甲を唇に当てて、くすくす笑い出した。今となっては、以心伝心だったのかさえも、疑問である。
瑠璃は何とも言えぬ、奇妙な表情で、崇剛の肩が小刻みに揺れているのを眺めた。
「確かに、崇剛は男の子らしくはないがの、女と間違えるとはの……」
声しか聞こえないダルレシアンは、上品に笑っている崇剛へかがみ込む。
「ナールの他に誰がいるの?」
「シズキ天使と私を守護している霊の瑠璃です」
「瑠璃ちゃんは女の子?」
声色だけで判断するとなると、やはり少女のものは際立つのだった。
「えぇ、生前八歳で亡くなりましたが、百年生きていますので、実際は――」
「百八じゃ。見た目は幼子のままじゃがの」
聖女自身が言葉を引き継いだが、ダルレシアンはさっきまでとは違って、甘ったるい声でちょっとふざけた風に言った。
「残念(ざ〜んね〜ん)! ボク、大人にしか興味ないんだよなぁ〜」
やけに浮き彫りになった、ダルレシアンの言葉――。
涼介の夢は所詮は夢で、現実とはかけ離れているのかもしれない。だがしかし、千里眼の感覚がねじれをおこてして――
「ボクは基本的に平和主義者だからさ。無駄な戦いに協力するつもりはなかったんだ。でも、崇剛となら勝算が見込める」
「そちらが理由で、質問をし続けていたのですか?」
「そう。ボクは優しい性格じゃないからね。試させてもらったよ」
「そうですか」
それはお互い様だ。策士は情報がなければ動けないのだから、探るのが最初の手段になるのだ。
それよりも、平和主義者――。
ダルレシアンはそう言う。シュトライツ王家滅亡の首謀者。肯定もしていないが、否定もしていない。
民衆による暴動が平和主義から生まれる――とは、少々考え堅く、崇剛はますますダルレシアンの革命とも呼ぶべき言動の、本当の理由を知りたがった。
氷が張りつくような緊迫感は消え失せ、距離が縮まったダルレシアンは、急に真剣な顔つきになって、
「これだけは伝えておくよ」
「えぇ」
罠を成功させるための笑みは、お互い今はやめにした。
「ボクの魔法は地上ではボクが解かない限り、永遠に続くけど、霊界では五分しか持たないらしい」
「――人間に与えているメシアは物質界用であって、霊界用ではありませんからね〜」
凛とした澄んだ女性的な、男性の声がゆるゆる〜と割って入ってきた。
瑠璃の若草色の瞳は、そばににわかに立った天使をちらっと見やる。
「ラジュ、無事だったのかの?」
「えぇ、本日は瑠璃さんをバックハグで手中に納めようかと思いましてね?」
この緊迫した場面だと言うのに、戯言天使は聖女を口説こうとした。瑠璃は地団駄を踏んで憤慨する。
「お主など、我の眼中にないわ! バックハグとはなんじゃ?」
横文字に弱い八歳の少女だった。
金の髪がサラサラと霊界の風に揺れる。ニコニコのまぶたに隠された、邪悪なヴァイオレットの瞳が天使の本性。
いつも通りに、他の人たちを撒こうとしたが、崇剛はだまされなかった。
「ラジュ天使、ひとつうかがいたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」
「何でしょうか〜?」
月のように美しい顔立ちなのに、腹黒天使はのんびりを聞き返した。
「四月二十九日、金曜日。十時四十三分十五秒から十時五十七分十一秒間――ラジュ天使が私におっしゃったことです」
やっと捕まえたのだ、崇剛は逃してやるものかと、言い訳ができないように問い詰めた。
「聖なるダガーで己自身を傷つける……。メシア保有のあなたには、そちらのような行いは赦されません。大きな力を持つということは、多くの人を救える可能性があなたにはあります。怪我をしている間に、ダガーの使用が必要となった時、どのように対処するつもりだったのかは知りませんが、人並外れた冷静な頭脳を持つあなただからこそ、神はメシアをあなたに授けたのだと思いますよ。従って、冷静な判断を欠くような考え方は決して赦されません。ですが、これだけは伝えておきます。心で想うことは自由です。私があなたを敵から守ります。ですから、どなたかを想ってもよいのではありませんか?」
これだけ長い話だったのに、崇剛は一字一句間違えていなかった。ニコニコのまぶたに隠されている、邪悪なヴァイオレットの瞳を、崇剛は想像しながら氷の刃でしっかりと差し込んだ。
「どちらが本当で、どちらが嘘だったのでしょうか?」
ラジュの両眼が珍しく開かれ、真顔に戻った。凛とした澄んだ女性的な声で言ってのけて、
「『八割』が本当で、『九割』が嘘です〜」すぐにニコニコの笑みに戻り、「カミエ〜、出番が来ましたよ〜?」少しだけ声を張り上げた。
「しかと受け取った!」対照的な地鳴りのように低い声があたりに響くと、
「過・剰・計・算・だ! どんな足し算をすれば、そうなる?」
真っ白な袴姿の天使が現れて、真っ直ぐ突っ込んだ。
戯言天使と修業バカ天使の普段のやり取りが垣間見えて、崇剛はくすりと笑った。
「全て足したら、170%になってしまいます。最大でも十割ではありませんか」
ラジュから情報を得るのは、やはり難しいと改めて思い知らされたのだった。
人がふたりに、天使が三人、そうして守護霊がひとり。
だったが、不意にもうひとり、立派な両翼を広げた天使が現れた。崇剛の水色の瞳はついっと細められる。
(どなたでしょう?)
カミエに勝る背丈。ガッチリとした体躯なのに、優しさと穏やかさに満ちあふれている。肩につかないほどの、オレンジ色の細かいウェーブ髪が湿った秋風にゆったりと揺れる。
崇剛の中で誰かの面影と重なった――。その守護天使であるという可能性が高いと踏んだ。
透き通るほどの蒼色の瞳。優しさがこぼれ落ちるほど、にっこり微笑んで、崇剛の前まで歩み出てきた。
「初めまして。乙葉 瞬の守護天使をしています。クリュダと申します」
白いカンフースタイルのチャイナワンピースにスボン。足元は歩きやすそうなフラットなシューズ姿の天使だった。
天使に頭を深々と下げられた、人間の崇剛も同様に深く首を垂れる。
「こちらこそ、初めまして。崇剛 ラハイアットと申します。よろしくお願いいたします」
瞬本人とは毎日顔を合わせていたが、天使から姿を見せない以上、崇剛にとっては今日が初顔合わせだった。
笑いの渦から一転して、和やかな雰囲気にあたりは包まれた。
物腰が丁寧なクリュダの瞳は、今度は不機嫌極まりないシズキへ向けられる。
「お久しぶりです。瞬がいつもお世話になっています」
パパ同士が授業参観で挨拶をしているような温和な空気だったが、俺様天使に一気に破壊された。
「貴様の頭はなぜ、そんなに壊れている?」
シズキは鼻でバカにしたように笑い、
「国立 彰彦と乙葉 瞬は、会っても話を交わしたことがない。俺は世話になってもいないし、してもいない」
そうして、吐き捨てるように聞き返した。
「貴様になぜ、世話になっていると言われる義理がある?」
引いてしまいそうな物言いだったが、クリュダはマイペースでにっこり微笑んだ。
「君はいつでも例えが上手です。元気でいらっしゃいましたか?」
「俺を誰だと思って、貴様は口を効いている? 俺はいつでもどこまでも完璧だ。それを改めて聞くとは笑止千万だな。相変わらず、貴様の頭の中はお花畑だ」
ひねくれな言葉が響くと、もうひとり現れた。背丈がバカに高く、白い修験者の格好をしたアドス天使だった。
「いや〜、久しぶりっすね。シズキさん!」