天使が訪れる時/3
紅葉するにはまだ早い、樫の木や花々の景色が広がる窓と、崇剛の机にあるブックエンドに挟まれた本たちの間。
風がひと吹きすると――、
物理的な法則を無視して、聖なる光を放つ全身白の服装をした人が、そこへ静かにすうっと現れた。
純白のロングコートは足首まで隠す長さ。生地をわざとギザギザに切り取ってある、ファッション性重視。
第二ボタン――胸の位置までしかボタンはかけられていない。風が吹くたびコートがマントのようになびき、中に着ている服があらわになった。
シャツの裾はスパイダー模様のレース。足元はヒールつきの膝までのロングブーツ。ベルトのバックルのようなものがいくつも横並びについている――いわゆるゴスパンク系ファッションだった。
崇剛のように細い両腕は腰のあたりで組まれていた。人差し指には、第一関節から第二関節まで覆うような、先の尖ったアーマーリングが君臨する。
導きと落ち着きを意味する、グリーン グロシュラライト ガーネットをはめ込んだピアスが左耳につけられ、神聖さを引き立てていた。
シャツのフードを頭に被り、その隙間から垣間見える顔は、崇剛と同じように神経質な顔立ちで、中性的ではなく男性的。
どこから誰がどう見ても美形。顔は可愛らしい少年のようだが、銀色の前髪をわざと長くし、右目だけを隠していた。
唯一見えている左目は不機嫌極まりないもので、せっかくの可愛らしさが台無しだった。
鋭利なスミレ色の瞳は目尻が釣り上がっている。愛想という言葉など不必要と言わんばかりに超不機嫌。
絶対に笑ってやるものかという強情という名のこだわりがあちこちで見え隠れする。
ラジュよりも背が高く、最低限の筋肉しかついていない、すらっとした体躯。カミエのように重厚感があって、落ち着きもあるが、立ち姿はナルシストそのもの。
足をわざとクロスさせ、どの角度から見ても決まっているようにポーズを取っていた。
白い服に、神がかりに整った顔立ち。天使かと思うが、頭の上の輪っかも美しい立派な両翼もなかった。
神経質で綺麗な顔をわざと上げ、思いっきり上から目線。威圧感この上ない眼光で、あごに人差し指と親指を軽く当てる。
じっと黙ったまま、秋風が聖なる白い服を何度か揺らし、純白のロングコートがサラサラと動いた。
崇剛は窓に背を向けたまま、冷静な水色の瞳をついっと細めた。
「困りましたね。浄化をしたいのですが、どなたもいらっしゃらないみたいです」
心の中で問いかけられた瑠璃が、崇剛を見ようとすると、視界の端に全身白の服を着た誰かが映ったが、彼女は気にせず、
「我が結界を張っておいて、あとで浄化してもらうという手もあるがの?」
「そうですね……?」
崇剛の神経質な指はあごに当てられ、思考のポーズを取ったが、
(…………)
なぜか心の中は真っ白だった。
「――さっきから見ていたが、気づかないとはな。貴様の千里眼は節穴だな。所詮その程度でしか活かせないのか。神の名が廃る。今すぐ死して速やかに神に返上しろ!」
奥行きのある低い男の声で透き通っていたが、挑発的この上なかった。
優雅な笑みを絶やさない崇剛だったが、死ねと言われて、珍しく真顔にすうっと戻った。
「三百六十度見えています。降臨されていらっしゃったのは知っていましたよ。ですが、何もおっしゃってきませんでしたし、近くにも来られませんでしたので、考えが他におありなのかと思い、話しかけなかっただけです」
崇剛のすぐ隣へすっと瞬間移動してきて、男は鼻でバカにしたように笑う。
「減らず口を叩けるのも今のうちだ。魂を引き抜いて、神の元へすぐに返してやる」
「えぇ、構いませんよ」
命乞いをすると思っていたのに、崇剛が了承してきたので、フードをかぶった男の首はぎこちなく、ギギ、ギギっと傾いた。
「……ん?(う、うなずいた? ……おかしい)」
冷静な水色の瞳は今初めて、白いロングコートを着た男へ向けられた。
「お名前はうかがえますか?」
「人間の貴様に、天使の俺が名乗る必要がどこにある? 俺のほうが霊層は上だ、人間の分際で」
思いっきり上から目線で、超不機嫌で鋭利なスミレ色の瞳が睨み返してきた。
冷静な崇剛が挑発に乗るはずもなく、俺様な天使から視線をはずして、どうとでも取れる相づちを打った。
「そうですか」
天使と反対側にいる聖女へ、崇剛は顔を向ける。
「瑠璃さんは知っていますか?」
百年の重みを感じさせる若草色の瞳は、背の高いゴスパンク天使をチラッと見やった。
「我も今初めて、合間見えたからの。こやつのことは知らぬ」
「そうですか」
崇剛はあごに手を当てたまま、優雅に足を組み換えただけだった。
妙な間が広がる――
秋風が三人の髪を何度かなでると、天使はさらに首を横へかしげた。
「……ん?」
右目にかかっていた髪が耳元へ落ち、綺麗な目があらわになったが、鋭利なのは変わりなかった。
「それでは、魂の浄化を――」
天使の名前を聞くという件はどこかへうっちゃって、合理的に仕事と進めようとした崇剛の言葉は、天使の咳払いによってさえぎられた。
「んんっ! お、俺の名前を聞くことを許す。俺からの慈愛だ、ありがたく思え」
冷静な水色の瞳は鋭利なスミレ色の瞳の前で、横へゆっくりと揺れる。
「許しは乞うていません」
絶妙に言い返されてしまった天使は、何とも言えぬ顔になったが、何とか体制を立て直して、もう一度咳払いをした。
「んんっ! お、教えてやってもいい」
「おっしゃっていただかなくても構いませんよ」
言葉の応酬――。
「貴様、そうやって意地を張っていられるのも今のうちだ」
鋭利なスミレ色の瞳は崇剛を今にも刺し殺しそうだった。天使の瞳を氷の刃で切るように見つめ返し、崇剛は首を横へゆっくり振った。
「意地など張っていませんよ」
天使は人間の男を真正面から見るために、すっと瞬間移動した。崇剛が座っている椅子の背もたれに、まるで壁ドンしているように、天使の神経質な手は聖霊師の顔を両側から拘束した。
「…………」
鋭利なスミレ色の瞳はぶつかるのではないかというくらい、冷静な水色の瞳に近づけられ、無遠慮に左右上下に見つめるを繰り返す。
「…………」
「…………」
瑠璃から見ると、キスをしそうな位置で、男ふたりがにらみ合っているシチュエーションだった。
それでも、崇剛の瞳は天使からはずされない。対する天使も品定めをするように、しばらく見ていたが、やがて、お互いの吐息がかかるほどの距離で、吐き捨てるように言った。
「貴様に俺の名を知る術などないだろう」
「そうかもしれませんね。実際、あなたがどなただか私には『わかりません』からね」
崇剛の声色は猛吹雪を感じさせるほど、どこまでも冷たかった。
天使はこれ以上ないくらいバカにしたように「はぁ〜っ!」と鼻で笑い、椅子から手を離して立ち上がった。
ロングブーツの足を交差させ、背筋をピンと伸ばす。腰のあたりで両腕を組み、挑発的なアーマーリングを完璧と言わんばかりに見せつけた。
「 貴様のその頭脳も所詮鉄くずだな。こんな簡単なことも当てられないとは、策士の名が聞いてあきれる」
そこまで聞いた崇剛の、冷静な水色の瞳は天使のスミレ色をした瞳を凝視したまま、微かに色づいた。
「情報提供――ありがとうございます」
聖霊師の神経質な顔に優雅な笑みが再び戻り、天使へ向かって礼儀正しく頭を下げると、紺の髪とターコイズブルーのリボンが肩からサラサラと前へ落ちた。
天使は首をかしげ、まぶたを落ち着きなくパチパチさせる。
「……な、んだと?」
策略家と呼ばれている心霊探偵は、落ちてきてしまった髪を神経質な手で背中へ払いのけ、今の会話が何だったのか長々と流暢に説明し始めた。
「先ほどから、私が心に何も思い浮かべなかったのは、天使のあなたから情報を引き出すためでした」
人間の心の声は天使には筒抜けだ。それをさけない限り、人間の崇剛には勝利はやってこない。
「言葉を返せば、情報は少なからず漏洩するのです。あなたには人に対して挑戦的な態度を取るという傾向があるみたいです。従って、知らないと言えば、情報を自ら提供してくるというわけです。ですから、今からふたつ前の言葉で『わかりませんからね』と、私はわざと言ったのです」
天使の可愛らしく綺麗な顔は、怒りという引きつりを起こし始めた。
「…………」
そんなことにはお構いなしで、崇剛は理論をスラスラと口述する。
「先ほどのあなたの言葉、『こんな簡単なことも当てられないとは、策士の名が聞いてあきれる』は、こちらの意味にもなります。『私が情報を既に持っているのに、可能性を導き出せないとはな』です。従って、私が既に会ったことがある人物の守護天使であるという可能性が99.99%――です」
「…………」
天使は悔しそうに唇を噛みしめながら、形のいい眉が怒りでピクついていた。今にも崇剛の襟首をつかみそうなポーズを取る。
そこへ、容赦なく、策略的な聖霊師から言葉の続きが浴びせられた。
「否定しない、何も言わないということは、肯定しているということです。従って先ほどの可能性の数値は変わり、私の知っている人物の守護天使であるという不確定であるという可能性から、事実であるという可能性に変わり、そちらが99.99%――です」
何とか怒りを収めた天使は一旦視線をはずし、まわりの景色を乱暴に眺めると、フードがはずれた。
銀の髪が全貌を現す。襟首までの長さで、前髪は真ん中で分けられている。ワックスを使って左側だけ、耳の上へ綺麗な曲線を描く。
思わず吐息をもらすほど見た目は綺麗なのに、天使の口からこんな減らず口が出てきた。
「貴様が生まれてから会ってきた人間など、星の数ほどいる。どうやって、見つけるつもりだ? 判明する頃には貴様の肉体は滅び腐り切って、見るも無残な姿だろうな」
ひねくれで俺様な天使――。
聖霊師は優雅に足を組み替え、すでにそこも計算済みだったと正鵠を射る。
「特定するのは簡単です。なぜなら、今、恩田 元の魂を浄化しようとしています。まったく関係のない天使が関わることは、神によって赦されていないという可能性が99.99%――です」
崇剛は後れ毛を耳にかけ、まだまだ先を続ける。
「通常ならば、浄化のために降臨されるという可能性が一番高いのはラジュ天使です。ですが、ラジュ天使は戻って来ていません。従って、次に可能性が高いのはカミエ天使です。なぜなら、旧聖堂の悪霊の浄化はカミエ天使がしてくださいました。ですが、今も降臨されていません。そうなると、残るはふたり――です」
まるで探偵が犯人を探すように、崇剛は神経質な指をあごに当てて、エレガントに茶色のロングブーツを組み替えた。
「恩田 元と私の双方に関わっている人間――涼介。ですが、彼の守護天使、アドス天使には昨日会っています。従って――」
崇剛は天使に顔をやって、事実と可能性から導き出した天使の正体を口にした。
「国立氏――の守護天使――でありませんか?」
「…………」
天使の唇も鋭利なスミレ色の瞳も微動だにしなかったが、それが答えだった。
「瑠璃が先ほど会ったことがないと言っていました。私が国立氏に会うのは、彼女が眠っている昼間だけです。彼女が会ったことのない守護天使は、国立氏しか残らないのです」
天使は崇剛と反対方向へさっと顔を向け、思いっきり悔しそうにうなった。
「……くそっ! いや、怒ったら負けだ」
聖霊師の圧勝という形で会話がひと段落すると、中性的で少し柔らかい唇から聖なる名前が出てきた。
「ラジュ天使に以前、お名前はうかがったことがあります。ですから、あなたのお名前は、シズキ天使――ではありませんか?」
あっちへ行けみたいに手の甲を崇剛のほうへ押し出すようにして何度か払うと、天使の手首についていたバングルのチェーンがかちゃかちゃと鳴った。
「話はもういい。いいから早くダガーを使え。俺が浄化してやる、ありがたく思え」
「えぇ、よろしくお願いします」
一悶着あったが、物事が正常に動き出した。
崇剛はこの世で、浄化にあたる注意事項を患者に伝えようとする。
「恩田さん、今、天使が降臨されました」
「は、はい……」
元は前代未聞の出来事に身を引き締めた。