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心霊探偵はエレガントに〜karma〜  作者: 明智 颯茄
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天使が訪れる時/2

 冷静な視線を新聞から上げ、鍵盤の弦が並ぶ縦の線たちへ移した。

「私の導き出した可能性は間違っていなかったみたいですね。ですが、ダルレはまだ姿を現していません。いつ、こちらへ――」

「――今日じゃ、重なったのじゃ」

 昼間にも関わらず、百年の重みを感じさせる少女の声が割って入った。崇剛が振り返ると、巫女服ドレスを着た聖女が宙に浮いていた。

「瑠璃さん、何と重なったのですか?」

じきにわかる」

 ツルペタな胸の前で小さな腕が組まれているのを見ていると、すぐにドアがノックされた。

「はい?」

 遊線が螺旋を描く優雅な声がピアノのボディーに共鳴し、さっきと同じ少し鼻にかかった執事の響きがドアの向こうから聞こえてきた。

「恩田さんが見えてるんだが……」

 カミエから事前に話を聞いている瑠璃。守護霊の彼女は人よりも少し先の未来も見える。聖女の言葉の意味は、明確になってすぐに運ばれてきた。

 捨て台詞を残して、必要がないと拒絶していった、元が再び屋敷を訪れた。それが何を意味しているか、崇剛にはよくわかった。

「診療室へ通してください」

 聖女の小さな唇は動かなかった。それは、崇剛が予測していることが合っているという意味だった。

 正直で素直な執事はドアの向こう側で「わかった」と応え、アーミーブーツのかかとの音が遠ざかり、神父と聖女だけが取り残された。

 全てを記憶し、正確な可能性を導き出す冷静な頭脳の持ち主は、ピアノを片付けながら可能性を導き出す。


 五月二日、月曜日、九時五十四分十一秒〜十時一分十二秒の間――

 ラジュ天使の言葉「あちらは囮みたいなものですから」

 シュトライツ王国の崩壊は事実として確定しました。

 次は、私たちに敵の目が向くという可能性が99.99%――


 崇剛よりも多くの情報を持っている聖女に、彼は神経質な顔を向けた。

「私と彼――ダルレが邪神界に狙われるのですね?」

「そうじゃ」そう言う聖女はどこか寂しげに微笑んだ。「お主とあの者は、我とともに今日で消滅するかも知れんの」

 もう二度と転生することも叶わない魂の消滅――本当の死。体をバラバラに引き裂くような恐怖が、崇剛に襲い掛かった。

 冷静な水色の瞳は閉じられ、シャツの上から肌身離さず、持っていたロザリオを握りしめる。

 神世の大きな出来事は、霊も人も巻き込まれる。それが運命――。

 三十二年間の記憶をデジタルな頭脳の中でひとつひとつ大切に思い浮かべる。闇に葬られる寸前までと、しっかり心に焼きつけた。

 冷静という名の盾で、死という恐怖の感情をただただ抑え込み、再びまぶたを開ける。

 気持ちを切り替え、崇剛はピアノの椅子から優雅に立ち上がった。

「さあ、仕事です」

 屋敷の主人が出ていくと、ピアノに乗せられていた号外の記事が風に煽られ、床の上へひらひらと落ちた。まるでもう二度と屋敷の主人に拾われることがないように。


    *


 天使が不在のまま、聖霊師と聖女は寝室のドアの前へやって来た。可能性は可能性だ。死ぬとは限らない。

 未来が続いて行くという可能性がゼロに近いことは間違いないが、それでも可能性は残っている。勝手に切り捨てて――あきらめてはいけない。

 崇剛はいつも通り、鈴色の幾何学模様の懐中時計を取り出して、インデックスをつけた。


 十月十九日、水曜日、十六時六分十二秒――


 崇剛の神経質な手でドアは開けられると、以前と変わらない元の後ろ姿があった。しかし、突然すがってくることもなく、椅子から立ち上がろうとしたが、

「あぁ、先生……」

 杖が傍に置いてるのが視界に入った。崇剛は瞬発力を発して、優雅に微笑んで見せる。

「お立ちにならなくても構いませんよ」

「あぁ、ありがとうございます」

 瑠璃色の貴族服は患者の横をスマートに通り過ぎ、診療室の座り心地のいい椅子に座った。

 聖なるダガーの柄が上着を間に挟んで、椅子の背に身を任せた。

 元の外見はそれほど変わっていなかったが、以前のようなギラギラとし、己優先という気配はどこにもなかった。

 杖が体の異変を大きく物語っていて、シャツはグシャグシャで汗で濡れており、額もびっしょりだった。

「歩いていらっしゃったのですか?」

「はい」元は静かにうなずいて、崇剛の冷静な水色の瞳を見つめ返し、「先日は、失礼なことを言って、大変申し訳ありませんでした」白髪頭を丁寧に深々と下げた。

 崇剛は優雅に首を横に振り、優しく言葉を告げた。

「いいのですよ。神の元へ戻る決心をされたのですね?」

 この男は神の御心に気つけるほどになったのだと、崇剛は思った。神はいつだって、手を差し伸べている。しかし、それをつかむかどうかは、本人次第なのだ。

「はい……あ、あの……」

 元の脳裏に半年前から今までの様々な出来事がよぎり始め、ボロボロと急に泣き出した。

「……う、うぅ……! あ、あの……ひっく!」

 それでも何とか聖霊師へ伝えたくて、賢明に話そうとする姿は、滑稽でも何でもなく、尊く美しいものだった。

「どうしても伝えたいのですね?」

 遊線が螺旋を描く優雅な声が優しければ優しいほど、元は泣くことを止めることができず、呼吸がひきつってしまう。

「は……い、っ!」

 自分で手を伸ばしたいのに感情に流され、伸ばせない患者へ、メシア保有者が救いの言葉を送った。

「それでは、私が千里眼を使って見ましょう」

「おっ……お願い……ひっく! しま……すっ!」

 元は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、やっとそれだけ伝えた。プライベートを見られる人へ、崇剛は一言断りを入れる。

「それでは、前回会った時――五月二日、月曜日から、本日――十月十九日、水曜日のこちらへ来るまでのみを見ます。よろしいですか?」

「は……はい」

 元が小さな声で返事を返すと、診療室はそれきり静かになった。

 金木犀の香りが紺の後れ毛をサラサラと揺らし、霊界でも同じ風が吹いて、瑠璃の漆黒の髪がするすると巫女服ドレスをなでた。

 崇剛の冷静な頭脳の中で、様々な出来事がまるで映画でも見ているように、次から次へと再生さてゆく。

 庭崎市の中心街で子供からクッキーをもらい、ベルダージュ荘のある丘を杖をついて、誰の力も借りずひとりで懸命に登ってくる元が屋敷の門までたどり着いた。

「――もう終わりましたよ」

 遊線が螺旋を描くようで、芯のある優雅な声が診療室に舞った。


 破産。

 左足の損傷。

 治すことのできない病気。

 まわりの人々の死……。


 座り心地のよい椅子の肘掛けにもたれて、ロイヤルブルーサファイアのカフスボタンを神経質な顔の前に寄せている崇剛。

 彼の象徴と言っても過言ではない青の前で、少し落ち着きてきた元はまだ言葉に突っかかりながらも懸命に訴えかけた。

「だっ、誰も自分のことに見向きもしなくなって、このまま死んでもいいと思ってたんです。でっ、ですが、小さな子供がクッキーをくれたんです。こんな自分でもまだ、誰かが見てくれるのだと気づいたんです。だっ、だから、もう一度やり直そうと思って、ここに来たんです」

 千里眼の向こうでは、元の数値がはっきりと浮かび上がったいた。


 霊層が三百八十段まで上がっています。

 四百九十五段から上がるには、相当辛い厄落としがあったはずです。


 人の人生を誰よりも多く見てきた、聖霊師でヒーラーで神父の崇剛は、労いの言葉をかけた。

「お辛い想いをたくさんされましたね」

「は……はい……っ!」

 自身の気持ちを理解してもらえたことに、元は感動してまた泣き出した。

 全てが今この時だった――。それを人は運命や偶然とも呼ぶ。しかしそれは、聖霊師で神父の崇剛は違う角度で捉えていた。

 茶色のロングブーツをスマートに組み替える。

「相手が話す言葉は、全て神がその人に言わせているのです。そちらの子供は神からの遣い――天使だったのかもしれませんね」

 

 いつの間にか――屋敷の主人は一階の廊下に立っていた。食堂から涼介がぶつぶつと言いながら出てくる。

「どこにいったんだ? 本当に。買い物のメモ、キッチンに置いたままにしてたと思ったが……」

「パパ? 見つからないの」

 外出用の服に着替えた瞬が、涼介の足元をうろつく。

「ん〜? 時間のロスだな」

「どこかにかみさまがかくしたのかも」

「神様が?」

「せんせいがいってた。いみ? があるって」

 そっと見守っていた崇剛だったが、瞬に見つかってしまった。

「せんせい、そうだよね?」

「えぇ、そうかもしれませんね。予定していた時刻より遅く出かけたほうが、いいことが起きるのかもしれませんよ」

「ね? パパ」

 いつも通りの主人と子供にのんびりとしろと提案されたが、涼介は下から火で炙られるような焦燥感から逃れることはできなかった。

「いや、遅くなると……」

 執事はその後もあちこち探していたが、千里眼の持ち主に、金色の流れ星のようなものが屋敷に入ってくるのが見えた。すると、

「あった! レピシノートの下に隠れてた」

「よかった」

「よし、瞬行くぞ」

「うんっ!」

 崇剛に見送られて、乙葉親子はベルダージュ荘から出ていった。


 ――崇剛の意識は診療室の秋風の中へ戻ってきた。


 恩田さんと出会うために、涼介と瞬は出発の時刻が遅れたのかもしれませんね。

 瞬は霊層が十段です。

 子供の澄んだ心に出会い、改心する方はたくさんいらっしゃいます。


 元はまだ少し口の中に残っていたクッキーの甘さを噛みしめながら、なおも続けた。

「それから、こう言ってました。先生が誰かの幸せになることをすると、自分も幸せになれると」

「そうですか」

 崇剛は優雅に相づちを打ち、今度は夏の蝉時雨を思い浮かべた。


 去年の七月十九日、日曜日、十五時二十七分十六秒に、私が瞬に伝えたものです。

 今へとつながるように、神が私を通して彼に伝えさせたのかもしれませんね。

 私たちは全員、神の元でつながっているのかもしれません。


 見た目は相変わらず七十代のようだったが、傲慢という言葉は息を潜めていた。

 聖霊師はすぐそばの宙に浮かんでいる聖女に、心の中で問いかける。

「瑠璃さん、いかがですか? 私はよいと判断しますが……」

「浄化しても、もう邪神界には戻らぬ」

「そうですか」

 優雅な声が霊界で響くと、今度は診療室にはっきりと漂った。

「恩田さん、それでは、魂を浄化しましょうか」

「お願いします」

 元が丁寧に頭を下げると、

「その前に少しお話があります」

 浄化の仕組みについて、千里眼の持ち主はきちんと説明し始めた。

「私たち人間にはひとりにつき必ず、守護霊、守護天使、守護神の三人が正式についています」

「はい」

 見えない存在の話を、元は素直に受け入られるようになっていた。茶色のロングブーツはスマートに組み替えられる。

「魂の浄化をするのは、天使以上の存在でないとできません。人間である私は引き剥がすことしかできないのです」

「霊感とは違うんですか?」

「私の霊感は神から与えられた千里眼です。そちらは見聞きすることはできますが、魂の浄化の力はありません」

「俺――じゃなくて、私には誰かがついてるんですか?」

 聖霊師の視界には、元のすぐ隣に白い人影が映っていたが、崇剛は首を横へゆっくり振った。

「残念ながら、正式な方はどなたもついていません」

「そうですか」

 元は心細さを覚えたが、悪へ降った結果だと、真正面からしっかりと受け止めた。

 千里眼の持ち主はさっきから、診療室のあちこち、さらには屋敷の隅々まで、天使がいないが探していたが、

「今現在、天使以上の存在が降臨されていません」

 混乱が起きているだろう、シュトライツ王国に出払っていて、来れないのかもしれなかった。

 物事が大きく動いていて、しかも囮となると、敵の目を惹きつけるために、天使がシュトライツから動けないのだろう。

「それじゃ、今日は……?」

 元は出直しかと思い、落胆した。

 聖霊師は膨大な量の情報を冷静な頭脳に流しながら、


 ラジュ天使が降臨するという可能性は0.12%――

 ですが、恩田 元が改心することになると、瑠璃も知っていました。

 従って、天使以上の存在も知っているという可能性が99.99%――

 ですから、何らかの対処がされているという可能性が99.99%です。


 崇剛はこの言葉を選び取った。

「少し待ってみましょう」

「わかりました」

 元がうなずくと、診療室はそれきり静かになった。

 人間がふたり。

 幽霊がひとり。

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