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心霊探偵はエレガントに〜karma〜  作者: 明智 颯茄
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天使が訪れる時/1

 和洋折衷の服が右に左に行き来する。靴音と楽しげな会話の雑路が広がる。

 庭崎市の中心街――

 秋風が吹き抜けるたび、サラサラと舞い落ちる。ふたつの裂片の異名を持つイチョウの葉が。

 綺麗に整えられた植え込みの角へ腰掛けている男がひとりいた。

 髪は真っ白。骸骨のような顔をして、視線は石畳へと注がれているが、さらに遠くを見ているように焦点は合っていなかった。

 手に持っているバッグはブランドもの。それなのに、シャツはヨレ、あちこち汚れていて、履いているズボンもところどころ破れ、膝がテカテカに光っていた。

 ひどくくたびれた男をより一層際立たせたのは、傍に置いてある杖だった。

 乾いた土埃が馬車が通った勢いで舞い上がるが、動く気はなかった。人混みでひとり取り残されたように、まわりの景色に同化してしまうようにじっと座っている。

 人が奇異な視線を向けるが、それさえももうどうでもいい。

 息を吸っているのも辛いほど落ち込み、地面を見つめたまま微動だにしない、そんな男が中心街にひとりいた。

 肌寒い秋風に不意に吹かれ、男は肩を震わせる。

 アリの行列がせっせと小さな食べ物の屑を足元で運んでいるのが、やけに躍動的で生命に満ちあふれているように思えた。

 それに比べ、自分はこんなところで何をしているのだろう、男は惨めな気持ちで一杯になった。


 あれから……他の聖霊師にあたった。

 だが、ていよく断られて、誰も浄化してくれなかった……。

 その帰りに近道するため、舗装のされてない山道を車で通った時……。

 車が崖下に落ちて、左足が座席とドアの間に挟まれ、不自由になった。


 フラッシュバック――強烈に蘇る激痛。

 骨と皮だけの正気のない手で、足の根元――大腿骨を薬でもすり込むように何度も何度もなでる。


 運転手は死んで、相手の遺族から慰謝料を請求された。

 俺は一円だって渡したくなかった。

 勝手に死んだんだろう。

 だから、裁判になった。

 だが、俺の指示で山道を通ったと承認されて、敗訴した。

 今までの保険金は、それで全てなくなった。


 風向きがふと変わり、肉を焼いた香ばしい匂いが漂ってきた。男の臭覚を刺激するが、飢餓が惨めさをより一層煽った。

 地上で生きる人々を素知らぬ顔をして、綺麗に晴れ渡る秋空を呪う気力も男にはない。


 シュトライツ王国にかけた五千万の保険金は……。

 間を介していた会社と連絡がつかず、一円も入って来なかった。


 様々な靴音が、男の視線を石畳へ引きずり下ろした。西洋ドレスや女らしい赤や黄色の着物を着た通行人が男を見ると、自然と距離を取って前を通り過ぎてゆくを繰り返す。


 女にはあのあとさっぱり見向きもされなくなって……。

 今までは、すぐに次の女が見つかってたのに……。


 自身を惨めにさせるものが視界に入らないように、石畳へ深くうなだれた。何もかもを、人や物事のせいにしてきた男。

 両手を膝の上に置いて、握ろうとするがもう何日もろくに食べていない体では、それさえも自由にできなかった。


 それでも、一ヶ月もしないうちに、優しくしてくれた女がいた。

 とても綺麗で気立てがよく、初めて人を好きになった。

 だが、俺のまわりに幽霊がいると言って、気が触れてしまい……。

 まるで、何かに取りかれたように自殺――した。

 相変わらず、あの人を殺す夢は繰り返し見て、女の笑い声が響く。


 灰色の石畳が涙で揺れ始めた。真っ白な髪が自分の目に入り込むように風が吹きつけるが、それさえも払う元気はなかった。


 それからまたすぐに、俺に優しくしてくれた女がいた。

 その女も綺麗で、俺のことをよく理解してくれて、いい女だった。

 ある日、女が悲しそうな顔をしてたから聞いた。

 そうしたら、女の父親が経営する会社が倒産寸前だと言った。

 金がなくて困っていると。

 金がなかった俺は借金をして、あちこち集めて、女に渡した。

 だが、それっきり女は俺に会いに来ず、探しても見つからず、多額の借金だけが残った。


 今まで自分は絶対的な勝者だと信じて生きてきたのに、敗者になったのだ。悔しかった。認めたくなかった。自分がだまされたなどと。

 汚れたズボンの膝に、とうとう涙がボロボロと落ち、大人気ないシミができ上がり始めた。


 ショックで俺は酒に溺れ、気づいた時には……。

 現代医学では治せない精神病を患ってた。

 ストレスがかると、息苦しくなって、立っていられなくなった。

 借金のカタに、家は差し押さえられて、住む場所ももうない。

 仕事も見つからない……。


 両手で顔を覆い、もう何も見たくない聞きたくないというように、男は頭を抱えた。のどがしめつけられるように痛い。

「これ以上、生きていても……死んだほうがマシだ」

 閉じてしまったまぶた――闇にこのまま溶け込んで、何もかもが取り消しになって、無になって消えてなくなってしまえばいい。男はあきらめの境地でひとりうずくまる。

「――ないてるの?」

 幼い子供の声が響いた。

 秋風がさっきとは違って優しく頬を通り過ぎる。ふと目を開けると、ひまわり色のウェーブ髪をした男の子が立っていた。

 白い長袖シャツに小さなズボン。手には何かの紙袋を大切そうに握っていた。

「せんせいがいってた」

 久しく人がそばに来たことがないのに、男の子は男を純粋に見上げて、にっこり微笑んで勝手に話し出した。

「?」

「だれかがしあわせになることをすると、じぶんもしあわせになるって」

「……幸せになる」

 そんな言葉しばらく聞きも、思いもしなかった。

「あくができても、こころは……んー?」

 途中で話が露頭に迷いそうになった。小首を可愛くかしげると、地面へ向かってウェーブ髪は落ちた。

 すぐに元に戻って、男の子はちょっと難しそうな顔をする。

「さいしょから? そういうふうにできてるから、かわらないって」

「……悪が入っても、人の幸せが自分の幸せになる……」

 丸みのある小さな手は、持っていた袋から丸い茶色のものを取り出した。

「これ、パパがつくったの」

「ん?」

 バニラの甘い香りがする丸いものを見つめていると、男の子はもう一枚取り出した。

「クッキー、おいしいよ!」

 一緒に食べよう、それが幸せな気持ちを連れてくると、子供に教えられ、男は菓子を受け取った。

「……あぁ」

 お礼も言わずにいたが、他の人の幸せが自分の願いである子供は気にせず、自分のクッキーをもぐもぐと食べる。

「だから、なかないで」

 とびきりの笑顔を、子供が見せると同時に、

「――まどか! どこに行ったんだ?」

 はつらつとした少し鼻にかかる男の声が響き、男の子はぱっと振り返って、「あっ、パパ!」さっと走り出した。

 男からあっという間に子供は離れていった。手に持つクッキーが感動の涙で歪む。子供と父親の声が風に乗って運ばれてきた。

「どこに行ってたんだ? 迷子になったら、大変だろう」

「クッキー、あげてた」

「そうか」

 いつから食べていないのか思い出せないほど。涙をこぼしながら、白髪の男はむさぶるようにクッキを口の中に入れた。

「甘い……」

 心も体も飢餓という鎖から解放されてゆく。悲しみも苦しみも溶け出してゆく。

「おいしい……」

 涙と混じって、甘じょっぱくなった口を無心で動かす。生きようという気力が、自分の意思とは関係なく、身体が求めていた。

 子供と父親の会話がまだ耳に入り込んでくる。

「おわったの?」

「終わった。早く帰るぞ。崇剛に叱られるからな」

「いたずらだよ」

「それは、大人の罠だな……」

「ん?」

 少し離れたところで、純潔のホワイトジーンズのすぐそばで、子供の小さな頭が不思議そうに傾げられた。

 その時、威勢のいい別の男の声が突如人混みに浮きだった。

「号外だよ〜! 号外っ!!」

 どよめきが上がり、人混みが一気に動き出して、一枚の新聞紙が次々に取られてゆく。

 誰かが取り損ねた記事が、男の怪我をした足元へすっと舞い込んできた。涙でにじむ目で見出しを見ると、


 十月十九日、水曜日。シュトライツ王国、ついに崩壊――


 男は唇を強くかみしめた。

 天から一筋の光がすうっと差してきて、男を優しく包み込む。街並みも行き交う人も何もかもがさっきから変わらずだったが、男から街の喧騒が消え去った。

 彼の脳裏に浮かぶ。紺の長い髪と冷静な水色の瞳を持つ、優雅な人が言った、数々の言葉が、今頃神の導きのように降り注いだ。


「シュトライツ王国は崩壊します」

「神はたとえあなたが悪に下ったという過去を持っていても、正神界へ戻った時には何も言わず、喜んで両手を広げ暖かく迎えてくださるでしょう」

「あなたを救うのはあなた自身であり、次は神なのです。私たち人間はその次なのです」


 安堵と後悔の涙が、男の頬をボロボロとこぼれ落ちてゆく。

 本来の自分を知ることは恐怖がともなう。一歩踏み出せる勇気は自身にしかないのだ。

 弱い人間だった。偽りの道を歩んでいた。自分はなんて身勝手に生きてきたのだろう。

 誰からも見放されたのだと思った。誰も自分の苦悩の日々を知る存在はないのだと思った。

 それでも、こうやって、心に手を差し伸べてくれる存在がいた。それが神と言うのだろう。それを教えてくれたのは、

「先生……」

 財産を全てなくし、水も飲むこともできない貧困。カラカラに乾いたのどの奥から、男はかすれた声で言った。

「人のためになること……神様……」

 涙の筋がついた頬を上げ、後ろへ振り返ると、小高い丘の上に、赤煉瓦の美しい二階が建物が佇んでいた。

 男は杖に手をかけ、不自由な足でもう一度立ち上がった――


    *


 今日も平和なベルダージュ荘。

 一階にある部屋から、ピアノの音が癒しの香りのように広がり漂い、さわやかで穏やかな屋敷の空気と混じり合う。


 ドビュッシュー アラベスク。


 八分音符の三連符。絶え間なく滑らかに紡がれるメロディーが、金木犀の香りを乗せた風とめぐり合う。

 お互いのこうべを垂れて、上品に挨拶をすると、手を重ね合いくるくると舞い踊る。風の強さが変わると変調して、美しき旋律が違った顔を見せる。

 冷静な頭脳の持ち主には、ピアノの弦を背景にして、アラベスクの楽譜が鮮明に浮かんでいた。

 白と黒が規則正しく並ぶ鍵盤の上を、神経質な指が流れるように動くと、わざともたつかせて束ねられていた長い髪が背中でゆらゆらと揺れる。

 崇剛は歓喜に酔いしれるように浸り、後れ毛が窓から入り込む秋風に艶やかに舞う。

 ピアニッシモでささやきだすと、瑠璃色の貴族服を着た崇剛の細い体は、ピアノへそうっと忍び寄る。

 冷静な水色の瞳は時折りまぶたの裏に隠され、咲き乱れる花の絨毯に仰向けに寝転がり、見上げた空に雲が流れてゆくのを愉悦に堪能するように忘我する。

 部屋の中で心地よく舞っていたピアノの音は、最後の余韻がふわっと消え去った。

 鍵盤からロイヤルブルーサファイアのカフスボタンが、軽く跳ね上がるように離れると、待っていたかのようにドアがノックされた。

「はい?」

 ピアノの椅子に座ったまま、崇剛が返事を返すと、ピアノの音符という妖精が消え去った部屋に、

「崇剛、渡したいものがあるんだが……」

 はつらつとした執事の声がドアの向こうから響き渡った。

「入ってきて構いませんよ」

 ひまわり色の髪をした涼介が顔をのぞかせる。

「街で新聞の号外を配ってたから持ってきた。お前に何か役立つ情報が載ってるかもしれないからな」

 気の効く執事はアーミーブーツのかかとを鳴らしながら、崇剛に近づいて目の前に紙面を差し出した。

「ありがとうございます」

 策略的な主人がお礼をする姿が、綺麗に磨かれたピアノに映り込んでいた。涼介が部屋から出てゆくのを視界の端で捉えながら、崇剛は記事に視線を落とそうとした。


 あちらの記事であるという可能性が89.78%――


 いつもの癖で、懐中時計をポケットから取り出し、


 十月十九日、水曜日、十五時五十七分五十二秒――


 ピアノの鍵盤の上で紙面を細く神経質な手で広げ、冷静という名の頭脳に文字の羅列を記憶し始めた。


 シュトライツ王国、ついに崩壊。ミズリー教徒により、国王を含め、王族全員が暗殺された。

 拘束されていた教祖は無事に解放され、教徒たちをすぐに集め、民主主義国家にするという方針を打ち立てた。

 最後に後継者の名を残し、教祖は大勢の人々の前から忽然と姿を消した。現在、行方を探しているが、まだ発見されていない――

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