表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
心霊探偵はエレガントに〜karma〜  作者: 明智 颯茄
60/110

Karma-因果応報-/1

 不浄な空気に包まれた、全体的に黄ばんだ治安省の墓場――聖霊寮。


 五月のさわやかな風に誘われるように、蝶々が窓から入り込もうとした。

 しかし、墓地から腐臭漂うゾンビが出てきたみたいに、椅子に座っている職員たちの吐く息で、春の象徴である蝶々はショックで死にそうになった。さっと方向転換して、近くの植え込みに咲いていた花へ避難する。

 墓場の一角で、ソンビを退治する墓守と言っても過言ではない、異彩を放っている男がいた。

 ひび割れた唇からはトレードマークの青白い煙は、今日は上がっていなかった。

 放置と忘却という名の資料の山が連なる、谷間といえる埃だらけの机の上で、刑事のごつい指にはめられた、シルバーリング三つが細い万年筆を握って、いかにも書きづらそうにしていた。

「月曜の朝からよ、崇剛の野郎。毎回毎回、あのクールな頭で次々に言ってきやがって……。メモするほうの身にもなりやがれ」

 ブルーグレーの鋭い眼光はいつにも増して鋭利。殴り書きしたメモを調書にカサカサと記入しながら、手を止めて思い出そうとする。

「あぁ〜っと……恩田が前世で殺したのが……百五十六人――」

「――兄貴!」

「あぁ?」

 顔を上げると、日に一度は自分のところへやってくる、二十代の若い男がこっちへ走ってくるところだった。 

「恩田 元が出頭してきたっす」

 容疑者から直々の訪問だったが、刑事の勘に優れている国立は驚きもせず、万年筆を埃でざらつくデスクに投げ置いた。

「そうか。こっちに来やがったか。予想した通り動きやがる」

 両手を頭の後ろへ回し、古い回転椅子にギギーッとのしかかった。

 証拠はほぼ出そろっていて、嵐はすでに過ぎ去ったあと。聖霊寮の事件は心霊的なもので、それを裁ける機関は国にはないのだ。

 若い男は心配げな顔をしていた。

「どうしやすか?」

 書いていた調書をトントンとまとめながら、国立は、

「通せ」

「おっす!」

 若い男は気合いを入れるようにうなずいて、聖霊寮から勢いよく出て行った。

 それを見送った国立は、まとめた紙を机の上に一休みというように置く。

「オレがすることはひとつだからよ」

 シガーケースから葉巻を取り出して、火をつける。それを吸い終わる頃に、元が連れてこられた。

 

 ウェスタンブーツのスパーを鳴らしながら、国立は胸を張って近づいてゆく。

 積み上げられた事件資料の谷間から、応接セットが見えるようになると、別人かと見間違うような、とても四十代とは思えない男がかろうじて座っていた。

 白髪だらけで、頬は痩せこけ目は落ち窪み、髑髏どくろと言っても過言ではないほどの有様だった。

 もともと猫背だったのがさらに前かがみになり、何の事情も知らない人が見たら、七十代ぐらいに見えるほど。

 国立が釈放してから四日しか経っていないのに、何十年も時が過ぎてしまったかのようだった。どれほどの罪を犯したのか如実に現れていた。

 心霊刑事は別に驚くわけでもなく、ソファーにどさっと腰を下ろした。

(ずいぶん、お化けさんにやられてんな、その顔。利用されてやがるって、今朝、崇剛から聞いたからよ。れって、死ぬ寸前までだったら、相手は何でもしてくるってことだぜ)

 ジーパンのポケットからシガーケースを取り出し、ジェットライターで火をつけた。

 口に葉巻をくわえ、男らしく長い足を直角に組む。ソファーの背もたれへ両腕をけだるそうに広げてかけたが、心霊刑事から容疑者に話しかけることはなかった。


 国立の刺し殺すような威圧感この上ない、ブルーグレーの眼光。元は聖霊寮へ来たのはいいものの、蛇に睨まれたカエルだった。怖くて言葉を言い出せない。

 訪ねてきたのは元だ。話を切り出すのも元。それが礼儀というものだ。国立は青白い煙をただ吐き出した。

 不浄な聖霊寮の一角で、元は黙りこくった。気にかけてくれたって、いいじゃないか。見ればわかるだろ、大変なのはと。

 視線で訴えかけていたが、帽子のつばギリギリから向けられるブルーグレーの鋭い眼光を見ると、元は怖くなって視線をはずした。

 そんなことが数分間繰り返され、心霊刑事が灰皿にミニシガリロを三度なすりつけると、元がやっと話しかけてきた。

「あ、あの……」

 崇剛と違って、情けのある心霊刑事はこれだけで許してやった。元がなぜ今頃になって、出頭してきたのか、国立にはよくわかっていた。葉巻の青白い煙を吐くと同時に、

「牢屋に入れろってか?」

「え、え……?」

「結界の中で守ってもらおうってか?」

「あ、あ……はい」

 戸惑い気味に返事をした元は、国立がどうして、自分の考えていることがわかったのだろうと不思議に思った。

 シルバーリングのはめられた指で、ジェットライターが弄ばれると、カチャカチャと金属がすれ合う音が響いた。

「入れてやってもいいけどよ」

 国立と対して年齢は変わらないのに、白髪ばかりになってしまった、この男は邪神界だ。牢屋に入れられない理由はどこにもない。

「は、はい……」

 元は両手を膝の上で行儀よくそろえて、グーに握った。心霊刑事はローテーブルの上に、ウェスタンブーツの両足をどさっと乗せた。

「逃げ切れねぇぜ?」

「え、え……?」

 退路をたたれそうになっている元は急に慌て出した。

「死ぬまで入ってても意味がねぇんだよ」

 事件という傷が刻み込まれた靴底を見ていた元は、心霊刑事にすがるような視線を送った。

「あ、あの……どういうことですか?」

 国立はミニシガリロを挟んだ指を、元に見せるけるように、ドアをノックするみたいに押し出した。

「お前さんの罪状は肉体じゃなくて、ソウルのほうだろ?」

「魂……?」

「まだわかってねぇのか?」

「は、はい……」

 元にはさっぱりわからない話だったが、適当にうなずいてごまかした。視線を気まずそうにそらし、顔には戸惑いという文字が書いてあった。

 明らかに話を理解していない容疑者。国立はローテーブルの上に乗せてあった足を、あきれが思いっきり入ったようにどさっと乱暴に床へ落とした。

 両肘を膝の上に乗せて、容疑者に身を乗り出す。チェーンの長さが違うふたつのペンダントヘッドが、カチャカチャと音を生み出しながら、元へと近づいた。

「れって、てめぇで反省しねぇ限り、死んでも続くってことだぜ。生まれ変わっても続く」

 元は憤慨してかぶりをプルプルと振り、力の限り叫んだ!

「し、しました!」

 頭を抱え、いかにも哀れみをくださいと言わんばかりに、言葉を続ける。

「もう、あんな怖い想いはしたくない。だから、こうやって、治安省に自分で来たんだ!」

 猿芝居だ――。容疑者の言動がバカバカしくなってしまって、国立は鼻で笑った。

「お前さん、前世で何をしたのか知らねぇのに、反省ってか?」

 葉巻の青白い煙を吐き出すと、ドスの効いた声で、

逃亡ラナウェイするために嘘つくんじゃねぇ」

 一昨日の夜に、崇剛が瑠璃に審神者をしてもらった。事件の全貌は明らかになっていない。捜査情報を途中で犯人にもらすなど、聖霊師がするはずがない。

 途中経過として、週明けの今日――月曜日に、国立に連絡をしてきただけだった。

 いい想いをしたいが、努力はしたくない。そんな人間が元だ。

「え、え……?」

 自分で話を支離滅裂にしておいて、元は落ち着きなく視線をあちこちに飛ばした。

(言ってる意味がわからない……)

 犯罪履歴を都合よく抹消しようとしている容疑者。心霊刑事はいつもより声のトーンを落として、逃げられない袋小路に追い込むように、もう一度同じ問題を突きつけた。

「何を反省したんだよ?」

「助けてくれても――」

 憤慨しようとした元を、国立は鋭い眼光だけで抑え切った。

「オレはアドバイスはできっけどよ。本当に改心するかどうかは、お前さんと神さん次第なんだよ」

「え、えっと、それは……?」

 元は自分の手元を見つめて、答えを見つけようとする振りをするが、怒りが不意に込み上げてきて、ソファーから勢いよく立ち上がった。

「こんなに苦しんてるんだ! もう十分だろう!」

「今のお前さんは、例えて言うならこうだ」

 国立は座ったまま、相変わらず声のトーンを落として、努めて平常心を保った。

「てめぇで落ちた谷底で、ただほざいてるだけだろ? はい上がる努力もしねぇでよ? 無責任だろ」

 怒りでプルプル震えている元は、何も言わずに唇をきつく噛みしめた。それに構わず、国立は言葉を続ける。

「夢の中で誰か殺してんだろ?」

「っ……」

 元は思わず目を見張った。まるで自分の心をのぞかれたようで、気味が悪かった。

「そいつにだって、家族、想い人がいただろ? 人さまひとり殺したら、何人が傷つくんだよ?」

「そんなの……!」

「それを、てめぇがオール償うんだろ? 誰にも頼れることじゃねぇだろ。てめぇで引き起こしたんだからよ」

 国立はミニシガリロを灰皿ですり消した。頼みの綱がなくなってしまうような予感が漂い出て、元は焦った。

(逃げられない。他に方法は……?)

 この後に及んで、往生際が悪い――。感じる程度の霊感しかない、聖霊寮の職員――国立にはこれ以上何の手立てもなかった

 それでも、情のある刑事は、自分よりは救ってくれるであろう、別の人の名を親切にも教えてやった。

「崇剛 ラハイアットのところに行きやがれ」

「え……?」

 元は藁にもすがるような想いで、ブルーグレーの鋭い瞳を見つめ返した。

「説教受けて、少しは反省しやがれ。やっこさん、神父さまだからよ、きっちりしてくれんぜ。てめぇの手助けになるんじゃねぇのか?」

「説教!?」

 元は急に慌て出した。ありがたくもない話を聞かされるなんて、まっぴらごめんだと言うように。そこへ、国立からとどめの一言がお見舞いされた。

「がよ、オレとディファレントで容赦はねぇぜ。覚悟して行けよ」

 あの猛吹雪を感じさせる、冷たい水色の瞳。ルールはルールで絶対に引かない性格。少し考えれば、元に対して、あの優雅な男がどんな態度で接するか、容易に想像ができた。

 これ以上話すことはないと言うように、国立はソファーから立ち上がった。

「じゃあな」

 無情にも、元を残して、刑事は自分の席へと戻っていきながら、ひとりごちる。

「聖霊寮じゃ、どうしようもねぇんだ。邪さんの絡んでる事件を見つけるだけだからよ、刑事のオレがやることは。ここは裁くとこじゃねぇ。最後は、聖霊師――っつうか神さんがやんだよ」

 どんどん離れてゆく、国立の大きな背中を、すがりつくような目で元は眺めながら、ヘナヘナとソファーに崩れ落ちた。

「そ、そんな……」

 犯罪を取り締まる国の機関から門前払いされてしまった。悪霊に次々に襲撃されている容疑者は、ソファーの上にひとり取り残された。


 国立は気にかけることもなく、ウェスタンブーツのスパーをカチャカチャ鳴らしながら、自分の席へ戻った。

「調書が書き終わんなくなんだろ。オレは残業しねぇ主義なんだっつうの」

 古い回転椅子にどさっと腰掛けると、ザバーっと未解決事件という雪山で雪崩が発生した。国立は手際よく現場検証をして、口の端でふっと笑う。

「これは、誘拐だな……」

 絶妙にズレされた言葉のチョイスに、いくら墓場の職員であろうとも、刑事である以上、死んだような目をしていた同僚たちは一斉に、国立に視線を集中させた。

 心霊刑事は気にすることなく事件一直線で、捜索隊という六つのシルバーリングをした両手で捜査に手をかけた。

「調書とメモ紙、どこに行きやがった? 行方不明になってやがる」

 ぶちまけられた紙の山をごつい手でわしづかみし、右へ左へ適当に積み上げてゆく。やっと一番下から、ふたりの被害者――調書とメモ紙を刑事は見つけ出した。

「無事保護ってか?」

 ミニシガリロをくわえた口の端で、国立はニヤリと笑った。


 デスクの上を元どおりにし終えた頃、元の姿は聖霊寮のどこにもなかった。

 それを見て取った国立は、椅子からけだるそうに立ち上がり、「はずす」同僚たちに言い残すと、廊下へ出て行った。

(崇剛に連絡しねぇとな。恩田の野郎、ベルダージュ荘に行ったからよ。墓場に電話はねぇから、罪科寮のどっかで借りっか)

 他の職員とすれ違いながら、国立は綺麗に晴れ渡る空を窓から眺め、長い足で進んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ