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心霊探偵はエレガントに〜karma〜  作者: 明智 颯茄
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春雷の嵐/3

 事故四回目――

 四月十八日、月曜日、十二時二十九分十四秒。


 旧聖堂で、ラジュの悪霊を浄化する余波に耐えられず、崇剛は気を失い、涼介によって、ベルダージュ荘のベッドへと運ばれる少し前のこと。

 母親は険しい顔をして、声を荒げた。

「あなたは私の『もの』です。だから、こっちへ来なさい」


 神父の冷静な瞳はふと伏せられ、シャツの下に隠されたロザリオをキツく握りしめて、神の御前おまえで祈りを捧げる。


 人の心の弱さを、どうかお救いください――


 人となりというものは、言葉の端々に出てしまうものだ。こんな当たり前に言われる言葉も、崇剛は心に対する冒涜だと思った。


 『もの』……人を物扱いしています。


 自身という存在を確かめるために、他の何かを所有物にして、それを自分の価値だと思い、誰かの心を縛ろうとする。

 晴れ渡る交差点で、今はもうここにいない、無残にも生まれる前に殺されてしまった小さな子供の、無邪気な横顔を、大人としてどう守るべきなのだろうか。

 激情の渦に足元をすくわれないように、冷静という名の盾は強く押さえ込み、水色の瞳はもう吹雪のように冷たくなった。


 己の子供であっても、人それぞれ人生があります。

 長い輪廻転生の中で、次は親子になるとは限りません。

 価値観も違って当然です、ひとつの確立した魂なのですから。

 己の思い通りにすることはできません。

 人を物というのはおかしいです。

 従って、女が邪神界であるという可能性が89.56%から上がり、99.99%――


 大人の憎しみ合いに巻き込まれ、純真な子供は何を信じて、何を疑えばいいのかわからないまま、不思議そうな顔をした。

「え……?」


 事故五回目――

 四月二十一日、金曜日。十二時十四分十七秒。


 女の邪気にあてられ、双方で信号が『進む』を示している幻覚が発生した。混乱し始める交差点を尻目に、女の霊は目を釣り上げ、金切り声を上げた。

「いいから来なさい!」

「え、でも……」

 防御反応が警告する。子供は両手を胸の前で不安げに、左右につかんでさするを繰り返す。

 輪廻転生――。長い人生の連鎖の中で、死んでしまった親子。その関係はもう成立しない。それでも、女は子供に執着心を持ち、物として持っていこうとしていた。

 茶色のロングブーツはまた優雅に組み替えられ、土砂降りの中で、綺麗に晴れ渡る交差点を千里眼で見続ける。


 子供は戸惑っているように見える。

 正神界であるという可能性が89.98%――


 プツリと映像が途切れ、事故六回目――

 四月二十八日、金曜日。十二時十三分八秒。

 治安省へ行くよりも少し前。事故が起きた時刻。今度もまた、女の邪気の影響で信号が幻想へと陥れられた。しかし女の態度はまったく違っていた。

 しゃがみ込んで、子供に優しく微笑みかけた。

「ずっとひとりで寂しかったでしょ? だから、一緒に行きましょう」


 冷静な水色の瞳はついっと細められた。


 女が作戦を変えてきたという可能性が99.99%――

 以下の可能性が出てくる。

 他の人に助言を受けた。

 すなわち、他にも関係している者がいる――


 氷山の一角でしかないかもしれない、交差点での事故。あれほど警戒していた子供は嬉しそうに微笑んで、

「あぁ、うんっ!」

 何の疑いもなく女の手を取り、地縛から解放され、天へ登っていった。しかしそれは、喜ばしいものではなく、瑠璃は向かいのリアシートをぼんやり見つめたまま、ボソボソとつぶやいた。

「ふたりとも邪神界へ行ってしまったの。幼子のほうが霊層が上じゃ。連れて行っては下がってしまうであろう。それは、まことの愛ではあらぬ……」

 守護霊仲間ではよく聞く話だったが、いつの時代になれば、人は人をきちんと愛せるようになるのだろうかと、百年も生きてきた聖女は物思いにふける。

 魂の連れ去り事件。起きてしまったものは変えられない。怒りに狂いそうな激情の獣を、冷静な頭脳で押さえ込み、水色の瞳はそっと閉じられた。


 何の罪も分別もつかない子供が、本人の知らないところで、悪に魂を売り飛ばしてしまった――

 霊界は非常に厳しいところです。

 どのような理由があろうとも、例外は認められません。

 従って、邪神界から正神界へ戻った時、先ほどの子供は地獄行きになるのです。

 すなわち、霊層が一番下へ下がってしまう。


 神経質な指の関節で車窓をなぞる。にじんだ交差点を肉眼ではっきりと見ようとするように。


 昨日、私がこちらを通る前に全ては終わってしまった。

 ですから、私がこちらの場所を通った時は、何も見えなかったみたいです。


 ガラス窓に叩きつける土砂降りの雨が、まるで自身の心の内のようで、崇剛は目頭がふと熱くなった。

「間に合わなかった……」遊線が螺旋を描く声は、激しい雨音にかき消された。

 それでも、今の仕事は終了した。これ以上ここにいる必要などない。冷静な頭脳で、後悔という激情を押さえ、崇剛は運転手へ声をかけた。

「屋敷へ戻ってください」

「かしこまりました」

 滝のように流れ続ける雨の中、リムジンは滑るように走り出した。

 瑠璃が自身にしか見えない霊界へ意識を傾けると、今はもう現世と同じように土砂降りだった。

 どこにも悪霊の姿はなく、白い服を着た赤目の男もいなかった。何がどうなったのかは知らないが、とりあえずことは終息したようだった。

 稲妻で夜の街並みが一瞬だけ、昼間ように明るくなるを繰り返す。崇剛はぼやけている窓から、消えかかっているような街灯と通り過ぎてゆく景色を見送る。


 ですが、なぜ、三月二十五日からなのでしょう?

 三百五十一年前から、地縛霊として、あちらに先ほどの子供はいました。

 以前から、母親が連れに来てもおかしくありません。

 しかしながら、そちら以前に事故の記録は残っていません。


 事実のズレ。出てきてしまった、新たな疑問。紺の後れ毛を神経質な手でかき上げた。


 そうですね……?

 千里眼を使っても、三月二十五日以前には……。

 事故は起きていないみたいです。

 そうなると、先ほどの可能性は変わります。

 邪神界の動きが活発になったのは、三月二十五日からという可能性が32.82%――

 なぜ、三月二十五日なのでしょう?

 どのようなことが、そちらの日にあったのでしょう?


 また疑問だらけになった。神経質な手をあごに当てたまま、冷静な思考回路に没頭し始めた聖霊師の隣で、さっきから黙っていた瑠璃は大きなあくびをした。

「崇剛の申す通りじゃ。先より前には、幼子に迎えは来ておらぬ」

「眠くなったのですね?」

 崇剛は手を解いて、聖女に優雅な笑みを見せる。無理をさせてしまったのかもしれないと思った。

 生前の病気のせいで昼夜逆転してしまっている聖女は間延びした声で言う。

「夜中に起きて、明け方少し眠っただけのようなものじゃからの。ラジュの策のお陰で寝不足になりおったわ」

 物質化していない幽霊。律儀にリムジンに乗って屋敷まで帰る必要もない。百年の重みを感じさせる若草色の瞳は、今は微睡まどろみで満たされている。崇剛をチラッと見て、

「お主、屋敷に戻ったら事件のこと考えるであろう。それにも付き合わなければいかんからの。我の部屋で少し寝んとの。先に戻るの」

「ええ、お休みなさい」

 守護霊と守護される人。それ以上でもそれ以下でもない。引き止める理由もなく、権利もない。崇剛が短くうなずくと、瑠璃は瞬間移動ですうっと姿を消した。

 ひとりきりになってしまったリアシート。当然襲いかかる寂しさに、崇剛は身構えた。春雷の激しい音の中、静かに待ってみたが、いつまで経ってもやってこなかった。

 三十二歳の神父は違和感を抱いた。


 おかしいみたいです――。


 よく磨かれた車窓には、崇剛の神経質な頬と紺の長い髪を映り込んでいた。ロイヤルブルーサファイアのカフスボタンをともない、包帯を巻いた右手があごに当てられ、思考時のポーズを取る。


 瑠璃が今、私の前から消えました。

 寂しいと感じる……という可能性が高いです。

 ですが、感じません。

 なぜなのでしょう?


 ロリコンではなく、スピコンだと執事に言われた主人は、聖書を熟読する神父でもあり、可能性のひとつを拾い上げた。激しい雨音に声をにじませる。

「出エジプト記――。エジプト王がかたくなに奴隷を解放しなかったのは――本当はどなたの力だったのか?」

 神父はその答えを当然知っている。鋭い眼光で国立が、自分の気持ちも変えられないほど人は弱いと、崇剛が説教していったと言った。

 それはこうも取れると。エジプト王は奴隷に執着したのではなく、神の導きで、自身の気持ちを変えられなかったのだ。

 聖女を愛するという事件に、この法則が当てはまっていたとしたら……。


 瑠璃の夢へすり替わったのが、

 三月二十四日、木曜日、十一時三十六分二十七秒前――

 すなわち、交差点の事故が起きる前日。

 一日近くのずれ。

 偶然でしょうか?

 それとも、必然――


 そうして、月が冴え渡る屋敷の庭で首を切られた時を思い出した。薄れてゆく意識の中で、赤い目がふたつが真正面からのぞき込む。あらゆる矛盾を含むマダラ模様の声が心に響いてくる。

「――お前これで終わりね」

 銀のロザリオをシャツの中から抜き取って、神に身を捧げるように中性的な唇につけると、鉄の冷たさが微熱を奪うように広がった。

「終わりね――の意味は……The Escape from evil may be over」

 異国の言葉が流暢に出てくると、瑠璃とのことは『厄落とし』という可能性になる。つまりは神に操られた嘘。精巧な頭脳の中で全ての数値が夜空の星がめぐるように一斉に動いた。

「そうだとしたら、どのような目的で起こしたのでしょう? いいえ、どなたが起こした出来事なのでしょう?」


 二十四日に見た夢は、神が起こした厄落とし。

 二十五日に邪神界の動きが活発になった。

 そうなると、引き金を引いたのは、神か大魔王か――。どちらなのだ?


 何もかもが宙ぶらりんのままの情報。だが、ひとつだけは兆しが見えてきたようだった。あの赤目の男が何者か可能性が出てきた。


 彼は正神界の者であるという可能性が78.27%――


 いつひっくり返るかもわからない、不確定要素。崇剛はそれを抱えて、リムジンのタイヤが水しぶきを派手に上げる中、天文学的数字の膨大な情報を脳裏に流し始めたが、今のところ、どうにも情報が少なく憶測の域を出なかった。

 春雷はとどまることなく、線の細い男をリムジンに乗せ、丘の上にある屋敷を目指して、夜道を走り抜けてゆく。

 その間、ロングブーツの足は優雅に組み替えられ、紺の後れ毛は神経質な手で耳に何度もかけられた。

 そうしてまた、あごに指の節は当てられ、頬に髪が艶やかに落ちて、さらに耳にかける。

 崇剛の癖が何度となく重ね続けられながら、車は闇色の水たまりたちを勢いよく跳ね上げていった。

 千里眼を持とうが、どんなに冷静な頭脳を持とうが、神の元で生かされている人間。瑠璃を愛するという事件がどこへどうつながり、未来に何が起きるのかを、崇剛はまだ知る由もなかった。

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