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心霊探偵はエレガントに〜karma〜  作者: 明智 颯茄
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春雷の嵐/2

「そ、そうじゃの? …………」聖女は話し出したが、沈黙を作ってしまった。

 妙な間が流れる。

 崇剛は心配した。聖女はまたもや誰かに言うなと言われ、辛い立場に立たされているのではないかと。

 予想外のことが起きている雰囲気が色濃く漂っているのを前にして、八歳で死んだ幼い少女は臨機応変にとはうまくいかなかった。

 マダラ模様の男の声で指示が飛んできて、少し遅れて瑠璃が崇剛に聞こえるように、自分の言い回しに訳した。

「……お主が見えぬとはちと、何か意味がありそうじゃの」

 今現在ではなく、前のデータを欲しがっている聖霊師。聖女は両腕を組んで、そっと目を閉じた。神経を集中させる。戦うことにではなく、霊視をするために。

 リムジンが止まっている場所からすぐそばで、瞬よりも小さな人影がゆらゆらと、聖女の脳裏の中で立った。

「今はおらぬが、幼子じゃ。の子じゃの」

 崇剛も懸命に時刻を、事故が起きてしまったところへ戻すが、どうにもブレてしまって、子供の姿は見えない。

 数字が迫ってくる感覚はするが、風が通り過ぎるように読み取れない。それでも、今までの天文学的なデータを脳裏に流し、事実と可能性、そして、霊感が交差するものを探し出して、何とか数字を手繰り寄せた。

「……三。三ヶ月。三歳。どちらでしょう? あちらの可能性がある。従って……」

 三十二年の経験と、数々の事件を参考にして、非常に低いながらも、可能性から答えを、崇剛は選び取った。

「歳は……三つでしょうか?」

 立ち込めるモヤのせいで、未だ霊視できない聖霊師の隣で、彼よりも断然霊力の強い聖女は短くうなずいた。

「あっておる」

 国立に渡された連続事故の調書から手に入れた情報を鮮やかに呼び出して、

「三百五十一年前……」

 この交差点がまだ石畳でなく土の道で、藁葺き屋根の家々が点々と並ぶ時代へと、意識を持っていくため、冷静な水色の瞳は珍しく、この世での焦点を完全に失った。

「……夜道」

 雨は降っていなかったが、青白い月がちょうど雲に隠れ、街灯もないあたりに突如、

「きゃあぁああっっっ!!!!」

 女の悲鳴が上がった。崇剛は血生臭い風に吹かれながら、霊界の古い時代にひとり立ち尽くす。


 女の悲鳴だけしか聞こえてこない。

 子供の姿は見えない。

 従って――


 激しい雨音が再び戻り、リムジンのバックミラーで崇剛の瞳のピントはすっと合った。

 悲劇としか言いようのない、人の最期を心の中で審神者する人へ静かに告げた。

「身ごもった女性が殺された」

「合っておる。よくある話じゃ」

 宙を物憂げに見つめたまま、瑠璃はうなずいた。崇剛はあごに手を当て、スマートに足を組み替える。


 胎児のまま亡くなった。

 死んだ子は、死を理解できる状態ではなかった。

 ですから、地縛霊となった。


 しかし、時折り静止画のように部分だけが印象的に見える子供の霊は、自分の足で地面に立っている。さっきの瑠璃の言葉からも三歳だと証明されている。年齢の不一致は、聖女によってつじつまが合わせられた。

「霊界の習わしじゃ。親子でも離れ離れになるからの。己ひとりで生き抜くために、神の力で三つまでに育ったんじゃ」

 大人の理不尽な理由で、小さな命はひとり取り残されたのだ。地上へと。

 崇剛は感傷的にもならず、ただデジタルに脳に記憶した。

「事実として確定、100%です。母子ともに、三百五十一年前、こちらの場所で一生を終えた」

 最大の疑問点。もう子供の幽霊はここにいない。いつどうやっていなくなったのか。

 三歳の子供がひとり、地上に縛りつけられている。母親とははぐれた。そうなると、出て来る可能性は自ずと絞られてくる。

 ひとりでいなくなったのなら、追いかけて行って、本来行くべきところへ送り出せるものだが、それは叶わない。その可能性が非常に高かった。

 しかしそれは、事実ではなく、あくまでも可能性だ。負の連鎖が待っているかもしれないと思いながらも、崇剛は神経を研ぎ澄ました。

 聖女の力を借りたとしても、千里眼を使っていても、たどろうとすると途中で見失うを繰り返す。

 崇剛は神経質な指をあごに当てたまま、何度も足を優雅に組み替えた。必要な情報が迫ってきては通り過ぎてゆく。

 ザーッと絶え間ない雨音と、時折り青白い閃光を放ちながら、近くの建物へと落雷する。地鳴りを引き起こす雷の中、交わされる言葉はなかった。

 三十二年間ずっと一緒の聖女は、崇剛の仕草が何を意味しているのかわかっていた。

 瑠璃だけが見えている、次元の高い霊界で、大きな鉄の塊が空中を横滑りしてゆくのがさっきから何度も起きていた。

 赤目をした男のすらっとした体が動くたび、白い服の裾が激しく揺れる。立派な両翼はどこにもなく、ボブ髪の上で光る輪が救済の一筋に見えた。

 不思議と敵はそばへ不意打ちをかけてはこず、瑠璃はあの天使に見える男の言葉通り、守護霊としてできることを精一杯しようとする。

 ラジュもいない。カミエも助けにこない。それでも、聖女は心を沈めて、大きく深く息を吸う。

 白いブーツのかかとをきちんとそろえ、背筋を伸ばした。

「願主、瑠璃!」

 小さな両手を胸の前でパンと鳴らすと、さっきと同じようにパチンと世界中に響くようなかすかな音がして、邪気が消えてゆくが、いつもとは規模が違うことに気づいた。

 赤い目がふたつこっちを見ていた。瑠璃はそれをチラッと横目で見やり、寒気を覚える。

(あやつ、ラジュより上じゃ。本に何者じゃ?)

 次の瞬間、雷鳴も雨音も一瞬にしてかき消え、静寂と安寧があたり一帯に広がった。少女の聖なる低い声が祝詞を唱え始める。

「掛けまくもかしこき、伊耶那岐大神いざなぎのおおかみ筑紫つくし日向ひむかたちばな小戸おど阿波岐原あわぎはらに、みそはらえ。たまいし時にりませる祓戸大神はらえどのおおかみたち、諸々の禍事まがごと、罪、けがれらんをば、祓え給い、清め給えと、もうすことをこしめせとかしこみ恐み白す」

 蛍火のような緑色の光が、聖女の体からゆらゆらと燃え上がり、リムジンという小さな空間に聖なる結界が張られると、若草色の瞳からは男の姿も悪霊たちも見えなくなった。

 瑠璃の険しい表情が少しだけ緩んだ。

(ラジュとあやつは正反対かもしれんの)

 危険は去ったと聖女は勝手に判断した。

 自分を愛していると寝言を言ってきた、三十二歳の神父を、八歳の聖女はできるだけ気にしないように、普通に振る舞う。

「これで、お主だけでも見れるであろう? たがえた時だけ、我は物申す」

「えぇ、ありがとうございます」

 優雅に微笑み返した聖霊師の瞳は隙なく聖女に向けられていたが、カモフラージュされていて、いつも通りの振りをした。

 聖なる結界の光に包まれた崇剛は、自身の存在までも、豪雨に打ち消されそうな中で、神経を再び交差点へ傾けた。

 さっきまでとは違い、透明で拡散するような輪郭だったが、色形がつき始めた。時を戻すと、青白い子供の霊を千里眼でやっと捉えることができた。

 国立からの情報を脳裏の浅い部分へ引き上げて、着実に霊視してゆく。


 事故発生、日時――

 三月二十五日、金曜日。十二時十五分二十六秒。

 四月八日、金曜日。十二時三十七分四十五秒。

 四月十五日、金曜日。十二時十五分二十八秒。

 四月十八日、月曜日。十二時四十二分十五秒。

 四月二十一日、金曜日。十二時二十七分十八秒。

 四月二十八日、金曜日。十二時十七分十八秒前――


 治安省のデータは事故後のもの。それより前の時刻へ、時間を巻き戻す。秒数まで記憶する精密な頭脳を使って、崇剛はやっと正常に仕事を始められるようになった。


 雨の降っていない交差点――

 昼間で人通りも多いが、霊界では三歳の子供が取り残されたまま、まわりの人々はそれぞれ動いている。

 そこへ、女の霊が空から舞い降りるように姿を現した。その邪気の影響で信号の錯覚が御者ふたりに起き、一回目の事故が発生。

 馬車同士の衝突事故。衝撃音が炸裂して、街ゆく人々が驚き声を上げ、騒然とし始めた。

 誰にも見えない霊界で、女は子供の霊に向かって、厳しい口調で言う。

「こっちへ来なさい」

「え……?」

 転生する時に記憶は消され、胎児のまま死んだ子供。女のことは知らない。会ったこともない大人に声をかけられ、不思議そうな顔をした。

 冷静な水色の瞳はついっと細められる。


 女が母親とは限りません。

 別人がなりすましているという可能性もあります。


 瑠璃からの待ったの声はかからなかった。それは、崇剛の霊視が道筋を間違えず進んでいるという意味を指していた。


 二番目の事故――

 四月八日、金曜日。十二時三十七分四十五秒。

 少し花冷えのする穏やかな春の日差しの中に、女の霊が再び降りてきて、小さな地縛霊に感情のこもらない言い方をする。

「あなたは私の子です。だから、こっちへ来なさい」

「え……?」

 

 さらに次の事故――

 四月十五日、金曜日。十二時十五分二十八秒。

 女の霊がまたやって来たが、背格好が違っていた。ふたりしかいない交差点で、聖霊師の耳に女の声が聞こえてくる。

「私はあなたをずっと探していたのです。だから、こっちへ来なさい」



 ――バケツをひっくり返したような、叩きつける雨で歪んでしまった車窓の景色を、冷静な水色の瞳に映したまま、神経質な手はあごにさっきから添えられていた。

(母親が死んだ時に、はぐれてしまった子供を迎えに来たみたいです。ですが、親子の霊層は違います)

 瑠璃の小さな唇は動くことはなかった。不確定要素が次々と確定――事実へと変わってゆく。魂につけられた数字を、崇剛は千里眼で読み取る。

(母親が百七十八段。子供が百五十六段です)

 茶色のロングブーツが優雅に組み替えられた。


 ですから、親子の住む世界は違います。

 従って、母親が自分の元へ子供を連れて行くことは赦されていません。

 決まりを破る者は、正神界ではいません。

 ですが、母親は子供を迎えにきています。

 すなわち、女は邪神界であるという可能性が89.56%――


 後れ毛を耳にかけると、束ねていたリボンがかすかに首筋で揺れた。さっき見た過去の出来事を、冷静な頭脳で再生する。


 悲鳴を上げて亡くなっています。

 先ほどの瑠璃の審神者で、女は誰かに殺されています。

 そちらが原因で、恨みや憎しみを持ち、悪へ降ったのかもしれません。


 怨念の鎖に縛られ、魂を悪へと売り飛ばした悪霊。青白い女の顔をじっとうかがったまま、崇剛の冷静な水色の瞳はどこまでも鋭かった。

 轟音を巻き起こす雷鳴。荒波に揉まれるように、強風で揺れ動くリムジンのリアシートに、瑠璃色の貴族服を優雅に預けていた。

「え……?」

 戸惑った子供の青白い表情を恐れもせず、崇剛の前で時が早回しになった。

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