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心霊探偵はエレガントに〜karma〜  作者: 明智 颯茄
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春雷の嵐/1

 春雷しゅんらい

 体中に響く、雷鳴と激しい雨音。


 黒塗りのリムジンは街灯のない道路を走り抜けてゆく。暗黒へと引きずり込みそうな暗い夜道。同胞を求めてくるように、まとわりついてくる闇を振り切るように。

 ベルダージュ荘のある丘を水しぶきを上げながら滑り降りると、モーセが海を断ち割ったように、ミッドナイトブルーのあぜ道を中心街へと向かう。

 ガタガタと振動と雑音を生み出しながら、タイヤが跳ね上げた泥が毛布の下から機関銃を打ったように、バババと容赦なく泥除けにぶち当たっていた。

 昼間は穏やかに晴れ渡った、美しい景色が三沢岳からも堪能できたのに、夕食前から春雷に見舞われた。

 車窓は叩きつける雨でにじみ切っていて、時折り近くに落ちる雷鳴で激しい雨音さえ打ち消されてしまう。

 空を引き裂くような突然の閃光に反射的に目を閉じ、下から突き上げるような爆音が耳に襲い掛かる 。

 自身の居場所が一瞬錯覚されそうになりながら、再び目を開け、にじむ車窓の景色で、今自分がどこにいて、何をしようとしているのかを思い出すをリフレイン。

 リムジンへどう乗り込もうとしても、激しい雨のせいで濡れてしまった、紺の長い髪。少し乾いてきた後れ毛を、神経質な手でかき上げる姿が、よく磨かれたガラス窓に映っていた。

 線の細いその人影は、座り心地のよいリアシートに身を預けたままだった。運転手とふたりきりの車中だが、聖女が密かに乗り、三人いた。

 千里眼保有者であり、聖霊師の崇剛はズボンの右ポケットに、怪我をしている右手を当てた。


 二十時十六分二十七秒。

 四月三十日、土曜日――


 いつも通りインデックスをつけて、事件の情報収集へと入る準備をした。隣にいる小さな人を心の中で気遣う。

「三沢岳から戻ってきたあと、夕食までの間、少しは眠れましたか?」

「まぁの」

 運転手から見えるバックミラーには、瑠璃色の貴族服を着た崇剛ひとりだけ映っていた。

 しかし、別次元にはその左隣に、白と主を基調とした巫女服ドレスを着た聖女が眠たげな目をしていた。

「山からの帰り道でも少し寝たがの。やはり足りんかったわ」

 閉じかかっているまぶたを小さな手でこすり、瑠璃は守護霊としての役目を果たそうとする。

「事故が起きている場所はどこじゃ?」

「世見二丁目の交差点です」

 不審な事故が六回も金曜日に集中して続け様に起きている交差点へ、現世うつしよへ二度と戻れないようにカウントダウンするように、リムジンは水しぶきを悲鳴のようにして上げながら走り抜けてゆく。

 交差点に悪霊がいる可能性は大。天候は嵐。主人と運転手――人間がふたり。守護霊の瑠璃――幽霊がひとり。

 魂が消滅する――本当の死が迫っているという恐怖感がじわりじわりと忍び寄る。しかし、どうしても情報を手に入れたい策略家の頭脳は稼働し続けている。


 恩田 元の四番目の妻。

 千恵さんの念が見せた一番目の場面――大きな通りの衝撃音。

 こちらで起こった、三月二十五日の事故。

 彼女のアザができた日が同じであるという可能性。


 これら三つが関係しているという可能性は、瑠璃の審神者により100%――

 すなわち、事実として確定しています。


 三日月型の鉛色の刃とフードをかぶった敵が、情報という土砂降りの雨の中に、横入りしてきた。


 大鎌の悪霊に関しては――

 カミエ天使がまったく別の非常に大きい出来事と関係していると認めています。

 しかしながら、ふたつの事件が関係しているという可能性はあります。

 なぜなら、大鎌の悪霊が私を襲ってきた時、千恵さんの生霊も一緒にいました。

 従って、邪神界全体で、何か非常に大きなことが起きているという可能性が出てくる。


 崇剛はいつの間にか、荘厳なパイプオルガンの音色で、体中を神の畏敬に包まれていた――。

 銀のロザリオを手で握りしめ、瑠璃色の貴族服で正装し、身廊に敷かれた真紅の絨毯の上を祭壇まで歩いて行こうと、正面のステンドグラスをじっと見つめた。

 すると、バク転を逆再生したように、祭壇の向こう側から裸足と白い服が立ち上がってきた。

 ルビーのような赤い目ふたつ。ボブ髪は衝動で揺れていたが、サラサラと綺麗に元に戻った。

 神聖な聖堂に突如現れた、天使の輪も両翼もない男。最低限の筋肉しかついていない体躯で、裸足のまま真紅の絨毯の上を、崇剛に向かって堂々と歩いてくる。

 それは、邪神界とか正神界とか、神とか天使とかそういう縛りで抑制できるような畏れではなく、人の想像を超えた神羅万象と言ったところだ。

 ナルシスト的に微笑みながら近づいてくる、赤目の男と崇剛は一人対峙する。


 彼の正体は何者なのでしょう?

 可能性はいくつかあります。

 

 邪神界の天使である。

 四天王である。

 大魔王である――


 考え込んでいるうちに、白い服を着た男はすぐそばまで来ていて、崇剛の手首をつかんで、軽々と彼を抱き寄せ、もう片方の手を神経質なあごに当て上げた。

 まるで口づけ前――

 聖堂の中で、パイプオルガンの音色に身を任せるような、全身を貫くエクスタシーに崇剛は落ちてゆく。

 

 正神界の天使である。

 そして、もうひとつ――


 お互いの息遣いを肌で感じるほど近くで、ふたりは見つめ合う。瞳の水色と赤が混じって、紫色になってしまうほど。崇剛は体中の力が抜け、ボブ髪の男に身を任せるしかなかった。

 あらがうのではなく、受け入れるしかない、ビリビリとした空気。この感覚はどこかで出会ったことがある。どこで――


 気がつくと、崇剛は土砂降りの雨を風景にして、車窓に映り込む自分の瞳をじっと見つめていた。

 重要な鍵を握る人物の特定ができない。物事は二分の一の可能性。焦りで思わず指先が少しだけ震える。


 出遅れれば、取り返しのつかないことになるという可能性が非常に高い。

 屋敷から、瑠璃に審神者をしていただこうとしたのですが、見えないと言っていました。

 ですから、私たちは世見二丁目の交差点へ向かっています――


 敵の懐深くに入り込む恐れがある事件へと、冷静な頭脳の持ち主は感情はいとも簡単にコントールして、平然と手をかけてゆく。


 今までのことから判断すると――

 三月二十五日から、邪神界の動きが活発化したという可能性が出てきます。

 千里眼を与えていただいたお陰で、様々な霊や天使と話す機会に恵まれました。

 ですが、邪神界が今回のように、大きく動いてきたという話は聞いたことがありません。

 何が起きているのでしょう?


 疑問ばかりが浮かんでは消えてゆく。神がいるであろう暗雲のはるかかなた――宇宙の果てまでを、千里眼で捉えようとするが、人である崇剛には神世を見ることは赦されていなかった。

 土砂降りの雨や雷の青白い光ばかりだった。やがて、リムジンは速度を落として、ひどい雨のせいで、人通りのない交差点に穏やかに止まり、運転手の声が沈黙を破った。

「――崇剛様、到着しました」

 豪雨の絵具で空から闇色に染められる、事故多発地帯となってしまった中心街の交差点。

 これから、仕事――霊視をする聖霊師は優雅な笑みを、バックミラー越しに運転手へ見せた。

「ありがとうございます。こちらのまま、しばらく止まっていてください」

「かしこまりました」運転手が頭を下げると、車中は静かになった。

 ひょうでも打ちつけるような雨が、バラバラとリムジンの屋根を激しく叩きつけ、ドドーンと地面へ落ちる雷のとどろきが、思考回路に混乱を招こうとする。

 土曜日の夜――。いつもなら、まだ人通りもあるが、誰も歩いておらず、それどころか馬車の往来さえもなかった。

 春雷のせいというよりも、霊的な何かで、崇剛と瑠璃の乗ったリムジンが他から切り取られてしまったようだった。


 聖女の若草色の瞳は霊界を見つめていた。いつも晴れている世界でも、珍しく土砂降りの雨が降っていた。嵐の前の静けさと言うように、悪霊のひとりもいやしない。

 メシア目当てに近寄ってくる輩から、崇剛を守るのも瑠璃の役目だったが、その必要性が感じられないのが、かえって不気味だった。

 ラジュはあれ以来戻ってきていない。カミエもどこかで用があるとかで、すぐには来れないと言い残していった。

 何か起きれば、守護霊ひとりで守るのは困難極まる。警戒心がいやでも高くなる。その時だった、瑠璃の耳だけに、パチンと何かをぶつかり合わせたような音が微かでありながらはっきりと響いたのは。

 すると、霊界で降っていた土砂降りの雨が嘘のように一斉に止んだ――。急に鮮明になった視界の先で見たものは、真っ赤な目ふたつと、彫刻像のように彫りの深い男の顔だった。瑠璃は目を見張る。

「あやつ……」

 ナルシスト的に微笑むと、男は白い服をなびかせて、背中を向けた。大鎌を肩に引っ掛け、ひとり荒野に佇んでいる。

「ラジュを神殿に呼び出しておったやつじゃ……」

 あの金髪天使も怪しいものだが、霊界の遠くのほうで立派な両翼を広げている天使も、相当怪しい。

 守護をしている人間がいないと言うのに、地上へ降りてきているのだから。神に叱れるのはさけられないはずなのに、平然と地上へやって来る。

 瑠璃は思う。あれは神専属の天使なのかと。しかし、そんな役割など聞いたこともなかった。

「……さん?」

 遊線が螺旋を描く優雅な声が遠くから聞こえたが、瑠璃はぶつぶつと独り言を言う。

「じゃが、ラジュはだまされたとは申して――」

「瑠璃さん?」

「誰じゃ?」

 瑠璃は肩をトントンと叩かれて、振り返った。そこには、冷静な水色の瞳が氷の刃のように鋭く注がれていた。

「……崇剛」

「どうかしたのですか?」

 瑠璃は赤目の男をチラッとうかがったが、遠くで大きくバッテンを腕で作っていた。言うな――の意思表示である。

「……何でもあらぬ」

 崇剛は瑠璃の視線の先を追って、千里眼を使ってみたが、荒野が広がるだけで、男の姿を見ることはできなかった。彼はただ、聖女の様子がおかしいように見えるとだけ記録して、

「そうですか」

 ただの相づちを打った。瑠璃が霊界での異変を感じている間に、崇剛は霊視しようとしたが、

「私には何も見えないのですが、いかがですか?」

 瑠璃の瞳の端では、悪霊の大群が男に押し寄せようとしている様が映っていた。じわり冷や汗をかきそうになると、遠くにいるはずなのに、体の内側から男の声が聞こえてくる。

「俺のことはいいから、お前、自分にできることやっちゃって」

 口調はずいぶん砕けているのに、有無を言わせないような威圧感で、守護霊の少女は慌てて視線をそらした。そんな彼女の仕草は、崇剛の冷静な頭脳にきちんと整理される。

 瑠璃の様子がおかしいように見えたことが二度あった――と。

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