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心霊探偵はエレガントに〜karma〜  作者: 明智 颯茄
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Escape from evil/2

 血のにじむ包帯をした右手で、久しく顔を合わせていない、ポケットの中の懐中時計に触れた。

「十時三十八分十七秒です」

「そうかの……」

 瑠璃は余韻を残すように言って、ひどく難しそうな顔をした。明らかに様子のおかしい守護霊はリムジンのルーフを凝視する。

「そうじゃの? あと、それを聞かぬとの」

 何かを画策している聖女。どうもやり慣れないことを、誰かに無理やりやらされているような雰囲気だった。

「ここから、どれくらいで一番上には着くのじゃ?」

 時間をやたらと気にしている聖女の横顔を、崇剛は優雅に微笑みながら、隙なくうかがい、

(瑠璃は時間を気にしているように見える)

 運転手へ向かって、的確な質問を投げかけた。

「山頂までは、あとどれくらいかかりますか?」

「約四十分でございます」

 崇剛は語尾だけつけ、

「だそうです」

 ある意味辛い立場に立たされているだろう、愛しの聖女に心の中で問いかける。

(瑠璃さんは、何時になるのかわかりますか?)

 小さな指は右から順番に折りたたまれ、瑠璃は足し算を始めたが、六十進法の前にあえなく玉砕した。

「我は数字に弱くての……何時になるのじゃ? 崇剛、計算するがよい」

 自分の予想した通りに動いてくる聖女を前にして、神父は心の中で密かにくすくす笑い、愛おしさがにじみ出る。

(やはり、あなたは素敵な人ですね)

 数字に強い、優雅な策略家は聖女の仰せのままに、電光石火のごとく即答した。

「十一時十八分前後だと思いますよ」

「そうかの?」若草色の瞳はドアのサイドポケットへ落とされ、小さな唇からボソボソと、「それだと、早すぎるの……。あっちは十五分と申しておったかの。どうすればよいのじゃ?」

 嘘のつけない聖女は、思いっきり言葉がもれ出ていた。いや、情報漏洩を引き起こしていた。

 昨日から怪しすぎる態度を見せている、漆黒の髪に隠されてしまった聖女の小さな背中を、冷静な水色の瞳に映しながら、木漏れ日がマダラ模様を描く車窓に、崇剛は身を預けた。


 どなたかと会う約束をしているみたいです。

 時刻は、十二時十五分であるという可能性が87.69%――

 そうですね……?

 今は結界が張ってありません。

 ですから、指示語だらけの思考回路へ切り替えます。


 組んでいた細い足をエレガントに組み替え、腰元のシートでダガーの柄がググッとくぐもった声を上げた。あの金の長い髪を持ち、邪悪という代名詞が似合うサファイアブルーの瞳をしている天使が脳裏に浮かぶ。


 ラジュ天使の人間関係と策略……。

 そららから判断すると――


 想像の世界で、戯言天使が蜃気楼にゆらゆらと揺れると、無感情、無動というカーキ色の瞳と、深緑の短髪をした天使へと姿を変えていた。


 あちらの方がいらっしゃるという可能性が98.76%――

 そうなると、先ほどの非常に大きな何かが動いているという可能性が54.78%から、さらに上がり、68.99%――


 なぜこんなにも、天使が関係しているのか。疑問の泉に情報という石が次々に投げ入れられて、波紋がいくつも広がってゆく。

 レベルの違う策略をしている神父と聖女の真正面から、瞬の澄んだ声が、子供らしい言葉で、瑠璃に手を差し伸べるように言った。

「パパ、あるいてのぼりたいね」

「そうだな」

 向かい合わせになっているシートの上に座っていた、涼介が車窓から景色を楽しみながら、気ままにうなずくと、聖女の白いブーツの足が勢いよく立ち上がった。

 扇子のような袖をともなって、向かい側にいる瞬へ、少女の指が突きつけられた。

「それじゃ! 途中から歩いて参らぬかの?」

 仕事で三沢岳へ来ているのであって、遊びできているわけではない。崇剛にとってこれ以上ない、非合理極まりない登山方法だった。


 瑠璃は時間稼ぎをしようと、しているように見える。

 瑠璃は私の守護霊です。

 従って、私の心は筒抜けです。

 それでは、こうしましょう。


 情報は欲しいが、相手は自身の守護霊。心に思い浮かべれば、即座に手の内が読まれてしまう。最新の注意を払いながら、策略家は基本の疑問形を放った。

「仕事で来ています。頂上付近まで自動車で登り、転落現場を霊視するが一番合理的な方法です。なぜ、歩いて登るのですか?」

 指を瞬に向けたまま、瑠璃は油差しの効かない人形のように、首をギギーッと崇剛へやって、表情が引きつった。

「……そ、それはの……。す、崇剛の……運動不足を解消しようと思っての」

「そうですか」

 どうとでも取れる相づち。そうしてとうとう、言葉がもつれまくりの聖女に、策略家の鋭い一手が迫った。

「ラジュ天使から何を言われたのですか?」

 蟻地獄ことはまさにこのこと。答えたが最後、もがきながらも砂に埋れてゆくようなものだった。

 それを知らずに、瑠璃はうっかり罠にはまってしまった。

「ラジュは戻ってきてはおらぬ。お主、珍しくはずしておるぞ」

「わざと間違った人の名を出したのです。はずれていて当然です」

 崇剛もラジュには会っていなかった。聖女は二重の罠の前に屈したのだ。

「うぐ……!」

 誰かに何かを言われたことはすでに認めたこととなっていて、崇剛の次の質問は自身が予測した通りのものとなった。

「それでは、どなたから言われたのですか?」

 冷静な水色の瞳は今はどこまでも冷たい。車窓の外とは違って、氷河期を迎えたような車内。

 ただならぬ空気を感じて、乙葉親子は向かいのシートで、一人話している崇剛と、実は一緒に乗っている瑠璃をうかがっていた。

 守護霊であろうと、ルールはルールからはずれれば、崇剛は血も涙もなく質問攻めにするほど、厳しい性格だった。

 追い詰められてしまった聖女は、巫女服の袖口をもじもじと触りながら、

「そ、それは申せぬ」

 守護をする者としての苦悩に責め苛まれる。

(先に教えるとの、『あれ』にならなくなってしまうからの)

 いつもと違う予兆があるのに、何の対策も立てられない。それは無謀以外の何物でもなく、神父から聖女へこの言葉が叩きつけられた。

「どなたかに口止めされているのですね?」

「しゅ、守護霊もいろいろあっての……」

 百年の重みがすっかりなくなってしまった若草色の瞳は、守護する人の冷静な水色の瞳へちらちらと向けられながら、屋敷の一番東側の部屋で昨夜告げられたことを思い返す。

(あの話を我も昨晩初めて聞かされての。空前絶後の出来事での、我も驚いての。ラジュはもっと前に知っておったと思うのだが……。じゃがの、必要なことなのじゃ、今日のことは)

 クリーム色のリアシートには、瑠璃の小さな人差し指がぐるぐると円を描いていた。その仕草が愛くるしさが、神父の心の氷を溶かしてゆく。


 瑠璃さんも立場的に大変みたいです。

 しかしながら、困りましたね。

 十二時十五分過ぎに、何かが起きるということがわかっても対策が取れません。


 知らずに底なし沼へと落ちるのと、知っているのにどこにどんな仕掛けがあるのか未確認のまま、前へ進むことを策略家は決して好まないのだ。しかし、彼の原動力が突き動かす。

(ですが、情報は欲しいのです――。仕方がありませんね)

 静まりかえった車中に、遊線が螺旋を描く優雅で芯のある声が響き渡った。

「それでは、こちらから歩いて登りましょう」

 主人の命令に、リムジンはすぐに路肩へ止められた。八合目からハイキングコースへ一行は入った――。


 そうして今、慣れない山道を四苦八苦してきたというわけだ。崇剛の茶色いロングブーツは坂道を再び登り始めた。

「そちらの出来事があり……はぁ……、私、瑠璃、涼介、瞬の四人で……はぁ……三沢岳のハイキングコースを……はぁ……登っているのです」

「崇剛、お前、普段歩いてく場所で一番遠いの旧聖堂だろう。あとは、車だし。屋敷からほとんど出ないからな。だから、運動不足でそうなるんだろう?」

 手作りのお弁当を入れた大きなリュックを背負っても、平然と坂道を登ってゆく、二十代後半の執事。

「そう……はぁ……かもしれませんね」

 インドア派の三十代前半の主人は息を切らしながら、高い場所にいる涼介と、下段にいる自分を客観的に見て、『下克上』だと心の内で思った。優雅な策略家の地位は完全に失われていたのだった。

 運動不足の主役を置いて、執事と五歳児、そして、守護霊だけが先へ山頂へ到着しようとした時――

 前を歩いていた瞬の小さな歩みは急に止まった。幼い指先が転落防止用の柵の向こう側を指す。

「パパ! あそこにひとがいる」

「どこだ?」

 涼介は振り返り、不思議そうな顔を向けた。しかし、雄大な景色が広がるだけで、何も見えなかった。

 というか、急斜面の崖下に林が広がっているだけで、人が立っていられるような場所ではない。

 それでも、瞬は誰もいないところを見たままで、無邪気な声を上げる。

「てがしたから、でてきた」

 やっと追いついた崇剛――千里眼の持ち主はすぐさま霊視をするが、


 どなたもいません。

 ですが、霊感のある瞬がいると言っています。

 従って、時間軸がずれている過去の場面を見ているという可能性が99.99%――


 自分が今通ってきた道へ一旦振り返り、瞬の小さな指がさしている場所を確認して、崇剛は合致する情報を取り出した。聖霊寮の不浄な空気に、しゃがれた声がにじむ。

「転落現場は三沢岳のハイキングコース。山頂近くの東側だ。おかしなことに、一ミリもずれてねぇんだ」

 まだ少し息切れが残る中、優雅な歩みは、情報提供された写真と同じ場所までやって来た。次に、日時が再生されてゆく。


 二十年前、四月十二日、日曜日、十七時十六分二十五秒――

 恩田 真里。恩田 元の最初の妻。転落死亡事故一件目。


 メシアという感覚を使って、時間軸を正しいと思われる場面の少し前まで巻き戻し、デジタル化された新しい記憶と照らし合わせた。

 聖霊師の心の瞳に映ったのは――

 男の霊が崖下からすうっと現れ、真里の肩に手をかけ、魂を肉体から引きずり出した――幽体離脱させたところだった。

 さらに時間を経過させる。

 数メートル先を歩いているのは、猫背の元。真里の肉体は違和感に気づいて、一度後ろへ振り返るが、首を何度か傾げ、何もないことを知ると、再び前へ歩き出そうとした。

 青白い顔をしたふたりの人物が不気味な笑みを浮かべ、真里の足元からのぞいていた。

 普通の人ならば怖くて凝視できないが、冷静な頭脳で恐怖という激情をあっさりと防ぎ、霊視は続いてゆく。

 ふたつの真っ白い手が崖下から伸びてきて、真里の足を谷底へ向かって引きずり下ろした。

「きゃぁぁぁぁっっ!!!!」

 悲鳴がガラスが突き刺さるように鋭く山中にこだました。現場は間違いなくそこにあって、崇剛は見逃すことなく次へと手をかけてゆく。


 十四年前、四月十一日、日曜日、十七時十六分十二秒――

 恩田 霧子。恩田 元の二番目の妻。転落死亡事故二件目。


 やはり、元は何メートルも先を歩いていたが、妻の姿形は違えど、さっきと同じ出来事が起きた。

「きゃぁぁぁぁっっ!!!!」

 悲鳴が谷底へと消え、聖霊師は三番目の事件と対峙する。


 六年前、四月十五日、日曜日、十七時十六分四十七秒――

 恩田 涼子。恩田 元の三番目の妻。転落死亡事故三件目。


 また同じだった。血のにじむ包帯が巻かれた、神経質な手をあごに当て、聖霊師は冷静な水色の瞳をついっと細めた。さらに、唯一死亡していない事件へと、時間を早送りして手をかける。

 

 今年の四月十七日、日曜日、十七時十六分九秒――

 恩田 知恵。恩田 元の四番目の妻。転落事故一件。


 元は遅れ気味な千恵を置いて、山頂を歩いていた。妻は不意に吹いてきた強風に顔を覆い、慎重に当たりを見渡す。その場から動くこともせず、いや彼女の警戒心が前へ進ませようとはせず、その場に立ち尽くした。

 幽体離脱が起こらないまま、すぐ近くの崖下から三人の人物が不気味な笑みを浮かべていた。その顔は、崇剛も知っているものだった。

 青白い手が三本伸びてきて、千恵の足をがっちりとつかむ。

「きゃあぁっ!」

 そうして、彼女も同じように谷底へ落ちていった。


 穏やかな春の日差しのもとへ意識は戻ってきて、さわやかな風が紺の長い髪を優しく揺らす。

 崇剛は何が起きたのかの、可能性の数字をすぐさま弾き出した。しかし、結界が張られていない、ここでは思案するのは厳禁だった。

 守護をするという立場で、長年の付き合いだ。永遠の世界で生きている瑠璃の、幼いが百年の重みを持つ聖なる声が審神者をした。

「お主が見た通りじゃ。何ひとつ間違っておらぬ」

「そうですか」

 崇剛はただただ相づちを静かに打った。思うところは大いにある。ルールからはずれている。だがしかし、事実は事実として確定した。起きてしまったものは、どうにもくつがえせない。

 霞みがかった聖霊寮の空気の中で、埃だらけのローテーブルを国立から横滑りしてきた、ミニシガリロとジェットライターが今ここにあってほしいと、崇剛は願った。

 それは叶わない。強く目をつむり、暴れまわろうとする激情の獣が冷静な頭脳という名の盾を食いちぎろうとする、激痛に真っ暗な視界の中で、崇剛は一人耐える。

「やはり、そちらの理由で死んだのですね」

 このいっ時だけは、霊界に関して何も見ず、聞きたい気持ちにもなれず。千里眼保有者は霊視のチャンネルを全て閉じた。

 崇剛の独特の響きは、滅多に荒げたりしないが、ささやき声ながらも怒りで震えていた。

「私にはまったく理解できませんね――」

 聖霊師の見たものは、あまりにもひどい輪廻転生だった。死の尊厳というものはどこにもなかったのだ。

 ラジュから他の心霊現象を聞かされている瑠璃でさえも、言葉をなくした。若草色の瞳で今ここにはいない霊をじっと見つめたままだった。

 見た目は八歳だが、百年も生きてきた聖女はやがて口を静かに開いた。

「心弱き者とは愚かよの。他にやることがいかほどでもあるであろうに……」

 滑稽を通り越して、愚の骨頂としか言いようがなかった。

 メシア保有者という使命の元で、常に悪と戦ってきた崇剛。何も言うこともせず、思い浮かべたくもなく。ただ遠くの景色を眺めた。

 山肌をなぞるように降りてきた春風で、不意に乱れてしまった紺の後れ毛を、神経質な手で耳へかけ、神父は改めて思い知らされた。悪に下った者の心が、どれだけすさみ切っているのかを。

「――崇剛、昼飯にしよう!」

「るりちゃん、せんせい!」

 黄昏気味に山道に立っていた神父と聖女に、はつらつとした声と、幼く澄んだそれが同時にかけられた。

 聖霊師と聖女が我に返ると、山頂の平地にあった木でできているテーブルの上に、

コックでもある涼介が作ってきた、ランチが広げられていた。

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