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心霊探偵はエレガントに〜karma〜  作者: 明智 颯茄
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心霊探偵と心霊刑事/6

 崇剛はいつの間にか、真っ黒なペンキで塗りたくられた、絶望という空間に立っていた――。

 だがしかし、ブラウスの下で肌身離さず持っている、ロザリオをキツく握りしめると、一筋の光が天から差し込んできた。

「困りましたね、二百人は氷山の一角かもしれません。大魔王と四天王は、私たちの許容範囲ではありません。姿も見えませんし、声も聞こえません。ラジュ天使も、ご存知かもわかりません」

 赤い目をした男は四天王のひとりなのか。それとも、大魔王なのか。天使の格好をしていたが、悪魔が化けたのかもしれない。

 決め手がないからこそ、見たままで、正神界の天使なのかもしれない。自身よりも霊層の高い存在の姿形を、千里眼で捉えようとしても見えなかった。

 神の領域で人間の自分には追えないのか。そうなると、これはもう崩壊の序曲を踏んでいるという可能性が出てきてしまう。

 しかしなぜ、あの夜殺されずに、今日も無事に朝を迎えられているのか。やはり矛盾点が浮かび上がって、どうにも情報が少なく、崇剛は可能性を導き出せないでいた。

 前後不覚になっている男の名を呼ぶ声は、しゃがれていた。

「崇剛?」

「えぇ」

 焦点が国立に合うと、青白い煙の向こうから、ブルーグレーの鋭い眼光が真っ向から勝負するようにガンを飛ばしていた。

「瑠璃お嬢はお嬢で、てめぇのこと守れんじゃねぇのか? お前さん、何やってんだ? 人様の命がかかってるのによ」

 崇剛は心の中で冷静な水色の瞳をついっと細めた。


 おかしい――


 さっき逃した情報を得る機会がめぐってきたと、策略家は即座に可能性の数値を上げた。あっという間に作戦を練って、わざと優雅な笑みを消して――真剣な面持ちになった。

「なぜ、そちらのことをご存知なのですか?」

「どうしてだ? 当ててみやがれ」

 ハングリー精神旺盛なボクサーのように国立は、口の端でニヤリとすると、葉巻の柔らかい灰がぽろっと落ちた。

 冷静な頭脳の中では様々な可能性が近づいては遠ざかってゆく。そうして、崇剛はこの言動を選び取った。

 わざと間を置いて、紺の長い髪を横へ揺らす。

「わかりませんね」

「珍しいこと言いやがるな」

「そうかもしれませんね」

 あとで嘘だと問い詰められても、言い逃れができる言い回しで、崇剛は話を流した。国立が身を乗り出すと、長さの違うペンダントのチェーンがチャラチャラと歪む。

「瑠璃お嬢のことは、トラップ天使が守んじゃねぇのか? 縦社会だろ、霊界ってよ。お前さんが一番下だろうが」

 心が痛まないと言ったら嘘になる。だが、恋愛感情で崩れるほど、柔な冷静という名の盾ではない。

 三十二年間という月日で、激情の獣が雄叫びを上げる時などいくらでもあった。それは崇剛にとっては、かけがえのない経験だった。

 それらの結果を使って策略的に、目の前にいる男の話に耳を傾ける振りをして、情報が欲しいのだ。だから、崇剛はぎこちな言い方をする。

「そう……ですね」

「かよ、その上の守護神、てめぇの何て言ったか?」

光命ひかりのみことですか?」

 ミズリーは多神教の宗教で、ラジュから聞かされた守護神の名を、慎み深く口にした。

「そいつが守んじゃねぇのか?」

「そうかもしれませんね」

 さっきから逃げ道ばかり作りやがって――。国立は全力で回り込んで、退路を絶ってやった。

「てめぇみてぇなの、何て言うか知ってっか? 何でも、てめぇだけでできてると思ってるやつをよ」

 今回ばかりは、崇剛の心の奥底に深く、国立のパンチは響いた。策略家にしては珍しく言葉を失う。

「…………」

(私は……そちらを間違ったみたいです)

 可能性とかそういうことではなく、人の心の弱さが要因だった。それはいつからだったのかと、崇剛は記憶を追いかけ始める。

 この男が冷静でいて、神の言葉を残してゆくのが、強烈なパンチで、面白かったのに、なんてザマだと国立はカウンターパンチを放ってやった。

傲慢ごうまんって言うんだぜ。てめぇが説教してやがっただろ。忘れるんじゃねぇ」

「そう……ですね」

 水色の瞳はまだしっかりと前を向いていた。取り乱してなるものかと、意地になって。


 いつから、私は冷静な判断を欠いていたのでしょう――?


 問いかける、自身に問いかける。

 ラジュが幼い頃言っていた言葉が、また抗力を発するのだ。

「悪に染まっていることに、自覚症状はないんです。ですから、たくさんの人が邪神界へ行ってしまったんです〜。人間の多くは、自身が悪者にはなりたくないんですから。自身や他人が気づこうとすると、言い訳をして、悪の部分を見ないようにするんです。従って、恐怖心も悪なんです〜。ですから、人の心は――」

 凛とした澄んだ女性的な声をかき消すように、目の前に座っているガタイのいい男はトドメを差すように言った。

「その手の怪我、守護霊の仕事増やしてんじゃねぇ。ダガーが使えねぇってことは、そういうことになんだろ」

(惚れた相手、困らせるようなことすんじゃねぇ)

 そそられっぱなしの男にだったら、本当のことを言ってやる――。相手がどう思うとかそういうのは関係なく、乾いた大地の上で向かい風にも負けず歯を食いしばって、両足でしっかりと立ったまま何度でも言ってやる。国立はそう思っていた。

 

 この男の言っていることは真実で、誠意があって、こんな幸運はそうそうないのだ。まるで神が降臨したようで……。ルールはルールだ。順番は順番だ。

「……そうかもしれませんね」

 厳しい本当の優しさが身にしみて、崇剛の視界は涙でにじみそうになるが、優雅な笑みに隠した。

「指摘してくださって、ありがとうございます。心から感謝しますよ」

 頭を深く下げて、紅茶を飲み干し、瑠璃色の上着を自分へ引き寄せた。スマートに立ち上がり、ローテーブルから横へ抜ける頃には、冷静な頭脳で激情の獣は完全に押さえ込まれていた。

「それでは、失礼――」

 出口へと歩き出した、線の細い背中に、国立は声をかける。

「じゃあな。死ぬんじゃねぇぜ、今回のヤマでよ」

 神の領域が関わっているのなら、大袈裟なことでもなかった。それでも、崇剛は振り向かずに、廊下へ出て、魔除のローズマリーの香りは完全に消え去った。

 相変わらずの合理主義者の男だと、あきれたため息をつこうとすると、国立は今の会話がおかしかったことに、やっと気づいた。

「あぁ?」

 指に挟んでいたミニシガリロが、思わず握りしめられた手の中で、真っ二つに折れた。

「崇剛の野郎……」

 悔しさを噛みしめるようにうなって、気品高くしれっと帰っていった男の、悪戯好きにしてやられて、

「らよ、トラップ張っていったって、時間差でわかるように仕掛けてくんじゃねぇ!」

 国立はローテーブルをウェスタンブーツでガツンと横蹴りすると、

「遊んでんじゃねぇ! わからねぇように、仕掛けんだろうが、トラップってのはよ」

 聖霊寮の人々がビクッと反応をし、応接セットのほうに視線が集中した。空き缶がふたつ、ローテーブルの埃の上をコロコロと転がってゆく。

 そんなことはどうでもいいのだ。国立は今の会話で最大の嘘が初めのほうにあったのだと、今知ったのだった。

「可能性で量ってる野郎が、『わからねぇ』なんて、言いやがらねぇだろ! 何の情報、持っていきやがった?」

 今の会話の順番を詳細に思い出せない。崇剛への説教だった。それは確かだが、嘘はどこだったのか。あの水色の瞳をできるだけ記憶の中で蘇らせる。

 国立にただひとつわかったのは、

「礼言ってたのは、本当だろ」

 転がっていた勢いで、空き缶ふたつが時間差で床へ落ち、カコンカコンと鳴った。赤い目ふたつはどこにもなかった。

 過ぎてしまったものは仕方がなく、藤色の短髪をガシガシとかき上げて、あの男を夢中にさせた、見たこともないガキを考える。

(でよ……瑠璃お嬢の惚れた野郎って、どいつだ? 涼介……トラップ天使……あぁ? 何つったか、涼介のガキ……瞬。ノーマルに考えりゃ、あいつだろ)

 刑事の勘でたどり着いた。それを思うと、国立はどうしてもため息が出るのだった。

「崇剛も残酷なディスティニーの中ってか?」

 通常業務に戻ろうと、調書をかき集めて、青空を見上げた。この景色がこうやって見られるのも、今すぐに終わってしまうかもしれないが、それでもガムシャラにあらがってやろうと、国立は鋭い眼光を送りつけた。


    *


 治安省の廊下を、茶色のロングブーツはかかとを優雅に鳴らしながら、歩いていたが、ふと立ち止まり、行き交う多くの人々よ邪魔にならないよう端へと寄った。

 神経質な手の甲を中性的な唇に当て、崇剛はくすりと笑う。

「国立氏は今頃気づいているかもしれませんね。私が罠を仕掛けていたと」

 中庭の植え込みの花を眺めながら、崇剛は窓から吹き込んできた風で乱れた、紺の髪を手慣れた感じで払った。


 あとで気づくように、仕掛けさせていただきましたよ。

 私は『わかった』と言う言葉は使いません。

 なぜなら、確定――断定してしまう言葉だからです。

 従って、こちらの否定型である『わからない』も使いません。

 相手に手の内を見せることになってしまいますからね。


 崇剛は再び廊下を歩き出した。瑠璃色の上着で隠した包帯の、ざらざらした感触を左手で味わいながら、冷静な思考回路は正常に稼働させておく。


 国立氏に関して、おかしい点がふたつありました。

 ひとつは瑠璃と私の話を知っている――です。

 屋敷の人間でも知っているのは、涼介だけです。

 涼介が国立氏に話すというのはおかしいです。

 ふたりは会う機会も少なく、屋敷で会っても軽い挨拶をする程度です。


 一日は二十四時間だ。しかし、人それぞれの時間を足し算すれば、それは膨大な時間のパズルとなる。肉体という小宇宙で、崇剛はひとつずつ組み立ててゆく。


 私の見ている瑠璃が出てくる夢を最初に見たのは――

 三月二十四日、木曜日、十一時三十六分二十七秒以前。

 あちらの日から、涼介は国立氏には会っていません。

 これらから判断して、以下の可能性が、74.53%で出てきます。

 別の方法で知った――です。


 そうしてまた、形の合うピースを拾い上げた。崇剛はポケットに怪我をしていない手を入れた。


 自動車へ乗る前に拾った……。


 取り出したのは、千切れた紙切れだった。そうして、自室の隣国――紅璃庵の本のデータをさらに、パズルにはめ込もうとする。


 こちらの紙。

 術式を使ったあとのものかもしれません。

 そちらをしたのが、国立氏であるという可能性が64.53%――


 紙はポケットへしまわれ、策略聖霊師としては珍しく真剣な顔になって、その脇を、治安省の職員が追い越し、すれ違いを繰り返してゆく。


 そして、もうひとつ――。

 私と国立氏の関係は、罪科寮でいうところの、私立探偵と刑事です。

 それ以上でも、それ以下でもありません。

 ですが、国立氏は私を気にかけているように見えた。

 私の右手の包帯を見て、「それ、どうしやがった?」と聞いてきた。

 さらに、私の言葉「神の御心は神のみぞ知るですが……」に対する彼の言動。

 一旦視線をそらした。

 「そうか……。神さんはいろんな手使ってきやがんな……」と言った。


 いつもしないことをする。それは別の何かが起きている時だ。それが気になるのだ、0.01のズレを見逃せない、ルールはルールの策略家にとっては。


 次の国立氏の言葉は……。

「てめぇの心はてめぇでチェンジできねぇほど、人ってのは弱いって言ったのはよ」

「れって、こう取ってもいいのか? 神さんの導きってよ」


 聖書の話を持ち出して、神にすがるような仕草でもあると判断できる。それと同時に、今まで一度もしたことのない話だったのだ。崇剛の違和感は一気に膨らんだ。


 これらの言動から……。

 国立氏は、自身の気持ちで、何かを悩んでいるという可能性が出てきます。

 恩田 元の逮捕時の情景。

 調べる方法がもうひとつあります。

 恩田 元の家へ行けばいいのです。

 情報を得るために、わざと国立氏に見せて欲しいと、私は言いました。

 彼は人と話す時、相手から目線を離さないという傾向があります。

 ですが、そちらの話をした時、彼は視線を私からはずしました。

 私に心を見られることを、戸惑っているように見えた。

 これらふたつの事実と、ひとつの可能性が発生するためには……。

 以下の可能性が11.78%で出てくる――


 あの狙った獲物は逃さないような、鋭い眼光を持つ男の気配が感じ取れなくなる前に、茶色いロングブーツはふと歩みを止めた。

 かかとを軸にして、聖霊寮のあるほうへ振り返るようにねじれ、冷静な水色の瞳は一瞬閉じられ、事実としっかり向き合うためにすっと開けられた。


 国立氏が私を愛している――


 ただの聖霊師と刑事の間に、突如割って入って来た、衝撃的かつ繊細な情報。


 崇剛はいつの間にか、全てが青い世界で旧聖堂へと続く雑木林を走っていた――。

 神聖なるステンドグラスの前にある祭壇で、あの漆黒の髪を持つ聖女が待っている。

 古びた両開きの扉を勢いよく開け、真紅の絨毯の上を足早に歩いてゆく。しかし、背後からかちゃかちゃと鉄の歪む音が聞こえ、足元の絨毯が引っ張られてヨレるのが、やけに複雑に入り組んでしまった関係性を表しているようだった。

 崇剛が振り返ると、国立が身廊の真ん中に仁王立ちしていた。反対側には、瑠璃の若草色の瞳が静かに、人間である男ふたりを見守っているようだった。

 午前中の診療室での、ラジュの言葉が蘇る。

「国立 彰彦が崇剛に会いたがっていると、『ある方』から聞きましたよ〜? ふたりでぜひ楽しんできてくださいね〜」

 瑠璃は知っていたのか。それは可能性として低い。守護をしていない他の人間の心を知るなど、直接出会っていれば、聞こえるだろうが、国立が屋敷へ来る昼間は瑠璃は眠っているのだ。

 そうなると、素直に考えれば、国立を守護する天使ということになる。あの赤目の男はやはり天使なのか。

 それよりもこの関係性から何を学ぶべきなのか。神――主の御心は何を導こうとしているのか。

 性別とかそういうことではなく、どこでこんな一列ができ上がることとなってしまったのだろうか。

 どちらにも進めなくて、激情の獣が雄叫びを上げる。それでも、優雅な笑みという仮面で、足元がぐらつくほどのめまいに見舞われているのを隠した。

 

 しばらく、崇剛は立ち尽くしていたが、不意に舞い込んできた春風で現実へと引き戻された。

 乱れてしまった紺の後れ毛を、神経質な手で耳にかけ、ロングブーツは優雅にまた前へ進み始めた。


 可能性がとても低く、非常にデリケートな情報です。

 ですから、漏洩は細心の注意を払って避けましょう。

 ですが、情報は得たいのです。

 どのようにしましょうか?

 私と国立氏は会う機会が少ないため、罠を仕掛ける回数も方法も限られてきます。

 まずは、機会がめぐってくるのを待ちましょう。


 崇剛の線の細い背中はどんどん遠ざかり、その後ろを治安省の職員が左右へと目まぐるしく動いていたが、煙に紛れてしまうように、とうとう聖霊師の姿は見えなくなった。


 ――それでも、赤い目ふたつは、崇剛のターコイズブルーのリボンの結び目を追い続ける。

 男のすらっとした長身は白い服で覆われているが、治安省の職員たちは誰も気づかず、すり抜けてゆく。

「ラジュが来なかったの、俺のせいなんだけど……」

 山吹色のボブ髪は大きな手のひらで気だるくかき上げられると、男の姿はもうどこにもなかった。

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