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心霊探偵はエレガントに〜karma〜  作者: 明智 颯茄
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Spiritual liar/2

 スクランブル交差点の真ん中で立ち尽くすように、常人では情報量の多さに驚いてしまうところだが、崇剛の冷静な頭脳は全て拾い上げ、記憶してゆく。

「今日はどのようなご用件で、こちらへいらっしゃったのですか?」

「あ、あの……?」

 うつむき加減の元は上目遣いに、紺の後れ毛を見た。

「どうかされましたか?」

「た、誕生日とか書くんじゃないんですか?」

 冷静な水色の瞳は横にゆっくりと揺れる。

「そちらは、占星術などのケースであり、霊視には関係ありませんよ」

 依頼主の心と口から出てくる言葉の両方が、千里眼という鼓膜に振動を与え始める。元は肩の力がふと抜けて、シャツの襟を何度か触った。


「あぁ、そうなんですか……」

(ずいぶん、いい加減なんだな……)


 細い足を優雅に組み、崇剛は依頼主の心の声を聞きながらも、上品な笑みを崩さないままだった。

「どのようなことがあったのか、詳しく聞かせていただけますか?」

 元は暗い表情に急に変わって、ボソボソと声が小さくなった。

「さ、最近、『最悪』なことばかりが起きるんです」

 心の声が聞こえなくとも、相手がどんな人間かは垣間見えるものだ。崇剛の遊線が螺旋を描く独特な声が春風とともに診療室に舞う。

「どのようなことですか?」

 元は袖口をいじりながら、言葉につっかえた。

「あ、ある晩、夜中に水を飲もうとしたら、水道から血が出てきたんです」

(あ、あれにはびっくりした)

 心霊現象の数々に幼い頃から出会い、幽霊を見るなど当たり前の崇剛。恐怖という感情などは、いくらでも冷静な頭脳で抑えられる聖霊師は、顔色ひとつ変えなかった。

「そうですか。他には何かありましたか?」

 元は木の床のしま模様を目で追う。

「ち、治安省に逮捕されました」

(何で、何もしてない自分が、逮捕されなくちゃいけないんだ!)

 言葉足らずの依頼者に、聖霊師は的確な質問を投げかける。

「どちらの寮ですか?」

 あの狭い骨董店で、国立に突きつけられた、手帳の文字を思い出そうとしたが、記憶力がひどく曖昧で、元は顔を上げて、視線をあちこちに飛ばした。

「せ……せい?」

(初めて聞く名前だったから……覚えてない)

 頭文字でどこだか導き出した崇剛の、水色の瞳はついっと細められる。霊の犯罪を取り扱う部署だと知って。

「聖霊寮ですか?」

 元は他のところに視線を飛ばしていたので、聖霊師の瞳の動きに気づかなかった。

「そ、そう、それです」

(な、何でわかったんだろう……?)

 さっきからずっと、おどおどしている依頼主とは違って、冷静さをたもち続けている崇剛は、包帯を巻いた手をあごに当てた。

「聖霊寮のどなたに逮捕されたのですか?」

 あの黄ばんだ空間とゾンビみたいな人々を、応接セットから眺めた光景が浮かび上がる。


 国立氏であるという可能性が97.65%――。

 聖霊寮で仕事をきちんとされている方は、彼ひとりだけです。


「国立って刑事です」

(脅されてばかりだった……)


 元の口から予測通りの名前が出てきて、崇剛は次の質問へ移った。

「そうですか。いつ、逮捕されましたか?」

 パズルピースがひとつひとつ並べられてゆくように、今までの出来事が、崇剛の脳裏で組み立てられてゆく。


 聖霊寮に拘束されていて、こちらへ来れなかったみたいです。

 すなわち、国立氏が恩田 元を逮捕したのは……。

 先週の予約時刻、四月十九日、火曜日、十五時半より前であるという可能性が99.99%――


 猫背で座っている元は考えようと、あごを突き出して白い天井を見上げた。

「あれは……先週の火曜日、午後二時半過ぎ……だったと思います」

「そうですか」

 一度情報を整理するために、策略家はお得意の間を置く言葉――どうとでも取れる相づちを打った。

 崇剛は千里眼を使って、正確な数字を呼び寄せ、前面から起き上がるように迫ってくる数字を読み取った。

(144337……十四時四十三分三十七秒が正確な時刻)

 人を裁くことは神にしかできないと信じている神父は、千里眼を持っていたとしても、依頼主がどちら側の人間かは正確にはわからないと知っていた。それでも、


 国立氏の霊感は感じる程度ですが、彼が冤罪えんざいで逮捕したことは、今まで一度もありません。

 従って、以下の可能性が97.67%で出てきます。

 恩田 元は邪神界である――。

 残りの2.33%は正神界である。


 他の聖霊師たちは意見が割れ、国立もお手上げだったことに、事実と可能性だけで、崇剛は一旦決着をつけた。

 策略家はよくわかっていた。事実として起こらない限り、どんな物事も可能性の数値は簡単にひっくり返ることがあるから、人生は面白いのだと。

 優雅に足を組む神父の隣に立っている、白いローブを着た天使の綺麗な唇が動くことはなかった。

 冷静な水色の瞳は、依頼主を真っ直ぐ射るようにうかがっているが、優雅な笑みに隠されていて、そんな雰囲気は微塵もなかった。


 通常ならば、診療はこちらで終了です。

 あとは恩田 元の過去世を千里眼を使って見、なぜ邪神界となってしまったのかの事実を告げる。

 さらに、そちらを、改心するように説得する。


 さっき自室のテーブルの上に、執事が何気なく置いたメモに書かれた文字が必要なデータとして浮かび上がった。


 ですが、今回の件は、他の方も亡くなっているという可能性があります。

 今夜、十八時からの通夜。

 すなわち、事件関係者が他にもいるかもしれない。

 従って、全員の過去世を調べ、正神界か邪神界を見極めなくては、真の解決にはなりません。

 非常に時間がかかります。


 ロングブーツの細い足はスマートに組み直され、崇剛は大きな事件へと手をかけ始めた。

「釈放されたのはいつですか?」


 昨日、四月二十八日、木曜日、二十時十四分十八秒以前であるという可能性が99.99%――

 なぜなら、最初の電話があった時刻だからです。


 予測はついているが、正確な時刻を、デジタルな策略家は知りたがった。元はひとり治安省のロータリーへ出てきて、振り返って見た大きな掛け時計を思い出した。

「昨日の夜八時過ぎです」

(牢屋から出たあとだったから……)

 少し強い風が窓から吹き込んでくると、花香りを診察室へ爽やかに穏やかに連れてきた。

「釈放理由は聞きましたか?」

 拘束期間というものがない聖霊寮を、崇剛は当然知っていた。あのタフガイの国立が手を離すとなると、よほどの理由がそこにあるとにらんだ。

 元はいきなりガバッと立ち上がって、崇剛に人差し指を勢いよく突きつけた。

「そうです! それですよ!」

 穏やかな春に似つかわしくない、大声と興奮が依頼主からあたりに不快感を与えようとした。

 氷の刃という異名を持つ、冷たい水色の瞳が氷漬けにして、春の美しさを守り切ったようだった。

「どうかされたのですか?」

 元は悔しそうな顔で、唇を強く噛みしめて、声をワナワナと振るわせた。

「国立っていう男のせいで、妻の死に立ち会えなかったんです!」

(逮捕されてなければ、こんなことにはならなかった。あいつのせいで……いつか、絶対仕返ししてやる!)

 逆恨みという醜い心を前にして、崇剛は一瞬だけ目を伏せた。

「そうですか」

 依頼主の感情に乗せられることも、乗ろうとすること――同情もせず、事実を頭の中で整理した。


 奥様が亡くなった。

 涼介のメモ、十八時、頭文字の『つ』は、奥様の通夜みたいです。

 恩田 元が原因ではないという可能性が出てきます。

 なぜなら、彼は結界の張られた牢屋の中にいたのですから。

 そちらから、国立氏は、恩田 元が関与していないと見て、釈放したみたいです。

 従って、他の方が手を下したかもしれないという可能性が出てきます。

 それでは、どなたなのでしょう?


 聖霊師と依頼主は、雪解けを待つような部屋の中で向かい合って座っていた。こんな身を切るような風に変えてしまった元は、さらにあたりを凍りつかせるような言葉を撒き散らした。


「あぁいうのを『悪』って言うんじゃないんでしょうかね?」

(同意してもらえますよね?)

 ニヤリと口の端を歪めて、してやったとばかりに笑った。神に身も心も捧げた神父は感情を何ひとつ交えず、長々と説教し始めた。


「全ての物事には、あなたにとって大切な意味があります。従って、奥様の最期に立ち会えなかったことを、他のどなたかのせいにすることはしてはいけません。そちらは見当違いであり、まったく意味のないことです」


 聖霊師と依頼主はいつの間にか、無限に波紋を作る、真実という泉の水面の上に、立ったまま浮いていた――。

 元のまわりに黒い霧が立ち込める。それでも、優雅な神父はロザリオを胸にして、背後でラジュ天使から守護を受け、聖なる光に包まれていた。

 不意に吹いてきた悪意という強風に、長い髪を揺らし一瞬目を伏せると、すれ違うように水の上をこっちへ全速力で走ってきた男と視線が合った。

 ブルーグレーの鋭い眼光と冷静な水色の瞳はすれ違いざまに、真摯に交わる。日に焼けた頬と神経質なそれがあっという間に近づき遠ざかる。お互いの髪を激しく揺らしながら。


 国立氏は正神界の方であり、霊層もかなり高いです。

 ですから、悪ではありません。

 

 怪我をしていた右手には包帯はなくなっていて、その代わりに聖なるダガーが挟み持ちされていた。

 元のまわりに立ち込める黒い霧に向かって、鉄槌を下すように短剣を放った。影を力強く蹴散らす。


 あなたの考え方に悪意があるのです。

 そのために、他の方の善意も悪意に見えるのです――


 ――現実世界で、元は崇剛の手に巻かれた包帯に視線を落として、ひどくぎこちなく説教に同意をした。

「あ、あぁ……そうですね」

(この人もおかしい。世の中、おかしいやつばかりだ)


 崇剛の膝の上で寄り添う、ロイヤルブルーサファイアのカフスボタンは高貴な輝きを放っていた。


 おかしい点がまだあります。

 奥様が昨日亡くなられました。

 ですが、恩田 元は悲しんでいるように見えない――です。

 何か他に理由があるのかもしれませんね。


 Spiritual liar――心の中の嘘。その人の本当の姿。真実でありながら虚偽。究極のカオス。


 聞かれているとは思っていない依頼主。

 と、

 聞く力を持っている聖霊師。


 ふたりにふと沈黙が訪れた。聞こえてくるのは風の音と鳥の鳴き声だけ。静かな診療室で、依頼主の心の声が聖霊師の霊感ににじむ。

「…………」

(夢の話と、前の妻の話はしなくていいか)

「…………」

(夢と、前の奥様の話……。見てみましょうか)


 崇剛はいつの間にか、歌劇場の客席で優雅に足を組んでいた――。

 左右、真正面のステージで一斉に赤い緞帳どんちょうが上がり、別々の物語が始まった。

 それぞれの女と元が主演で、全てが早回しで場面が流れていくが、ラストが同じ結末だった。


 詳しいことは今のところ何とも言えませんが、転落死亡事故が三回。

 転落事故が一回。


 ――その時、歌劇場のライトは一斉に消え、真っ暗闇に青白い顔をした幽霊が次々に浮かび上がった。


 さらに、同じ夢を繰り返し見ているみたいです。

 こちらの夢から、以下の事実が読み取れる。


 古いフィルム映画を見ているように、針金のような縦線でノイズが入る。ところどころつぎはぎしたみたいに動きがぎこちなく、ホラー映画でも見ているようだった。崇剛は目をそらすことなく、ただ事実だけを拾い上げてゆく。


 自分自身が斬られる。

 うめき声と悲鳴が、男性と女性の声の両方で、複数聞こえてくる。

 『返して……』と言われる。

 体をつかまれる。

 悲鳴と断末魔が、男性と女性の声の両方で、複数聞こえてくる。

 血の匂いがした。

 血で視界が真っ赤になる。

 『いい……だ……』と言った――


 ――映像も終わり、暗闇に一人取り残された崇剛は、あごに神経質な指を当て、今までのデータで合致するものがないか、冷静な頭脳の中に膨大なデータを流し始めた。


 四月二十一日、木曜日、二時十三分五十四秒過ぎ――。

 私を襲って来た霊体が言っていた、『返して……』。

 さらに、四月十八日、月曜日、十七時十六分三十五秒過ぎ――。

 死装束の女の念。

 そちらの影響で見た、二番目と三番目の場面――。

 夜に断末魔が聞こえ、血の匂いがした。

 落下速度を感じた。

 四つのことが関係しているという可能性が89.72%――


 ――崇剛はいつの間にか、ラジュと背中合わせで荒野の中に立っていた。空は突き抜けるほど青く、風は吹きすさび、遠くには地平線が半円を描く。


 従って、以下の事実が可能性の数値は違いながら、三つ出て来ます。

 恩田 元は全てと関係している――。


 蜃気楼の向こうに、依頼主が黒い霧をまといながら佇んでいる。そこへ、白い着物を着た女が後ろに上からふんわりと降りてきた。


 死装束の女が関係している。

 少なくとも関係している人間が二百――。

 非常に大きな事件です。


 二対二で対峙していたが、ゆらゆらとフードを被った死神みたいな大鎌を持った幽霊が現れると、背後に山脈のような人垣ができた。


 武器――大鎌を持った霊体もいました。

 ですが、恩田 元は霊層が低く、天使レベルの邪神界の者を扱うことはできません。

 従って、以下の可能性が89.74%で出てくる。

 何かが原因で、非常に大きな力が動いている――


 光を奪い去るように、あっという間に暗雲は広がり、空を引き裂くように雷光が縦に走り、崇剛の両脇には天使が何人も翼を羽ばたかせて降りてくる。

 血のように赤い空が天変地異を物語っていて、大きな雨粒が乾いた大地を黒く染め出した。

 正神界と邪神界が全面対決のように、両軍は動くこともせず、戦い前の静けさに武者震いをしているようだった。

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