表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
心霊探偵はエレガントに〜karma〜  作者: 明智 颯茄
31/110

愛おしさの刃

 小さい頃から繰り返し見る夢。

 屋敷の裏手にある雑木林を走り抜け、旧聖堂へ向かってゆく夢。

 だがそれは、自身が見過ごしてきた感情が入り込み、途中から切り替わって、別の結末を迎えるようになった。

 感情は激しく乱れ、冷静な思考回路に支障を来たすまでとなっていた。


 息苦しさを覚え、崇剛はふと目を覚ました。

「っ!」

 薄暗い一人きりの寝室。起きたばかりの頭脳で、違和感を記憶でたどる。


 邪神界の者が私の寝室にある窓へやって来た。

 幽体離脱をし、私は彼らと戦った。

 大鎌を持った敵と遭遇した。

 私は倒すことができなかった。

 私は首を切られ……瑠璃が除霊し、ラジュ天使が現れて……。

 そのあとの記憶がない――。


 夢の前の出来事は、現実だと実感すると、五感が急速に戻って来た。

「気を失った……肉体は窓のすぐそばに落ちた――」


 そこまでやっとたどり着くと、薄闇が広がる部屋で、崇剛は体に触れているものを強く感じる。ふんわりとした感触で、自分の下にあるものはサラサラという清潔感のある音を立てた。


 毛布がかぶせられている。

 ベッドに横になっている……。

 感じる重力の感覚……肉体。

 従って、以下の可能性が出てくる――。


 冷静な水色の瞳は静かに閉じられ、弾き出したものは重要かつ取り返しのつかないものだった。


 日付が過ぎているかもしれない。

 なぜなら幽体離脱をする前の時刻は、二時十三分五十四分過ぎだった。

 真夜中です。


 屋敷の主人は使用人や召使の行動はある程度把握している。


 涼介が今起きているという可能性は23.45%――

 ですが、私はベッドの上に横たわっています。


 最後に会った人物たちは、崇剛とは法則の違う世界で生きている。触れ合うことはできないふたりだ。


 瑠璃とラジュ天使は、私の肉体を運ぶことはできません。

 そうなると、肉体を持つ他の者が運んだという可能性が99.99%で出てきます。

 では、いつ、誰に運ばれたのか……。

 可能性の一番高い日時と人物は……。

 四月二十一日、木曜日の朝食時ある――こちらが98.75%――

 涼介が私を運んだという可能性が99.98%――


 執事が起こしに来る時は、部屋の扉をノックして声をかける。それに応えないことは今まで一度もなかった。

 返事が返ってこなければ、執事は一言断って、様子を見るために中へ入ってくる。そこで、自身が倒れているのを窓の下で見つけた。

 何度呼びかけても返事がなかったから、ベッドへ寝かせ、医者でも呼んだのかもしれなかった。

 冷静な水色の瞳は再び姿を現し、あたりに漂う薄闇を眺める。


 今は夜……。

 少なくとも、四月二十二日の夜であるという可能性が34.56%――

 もしくは、さらに日付が過ぎているという可能性が65.44%――

 霊体が傷ついたことは、今までありませんでした。

 ですから、データがありません。

 どのくらい眠っていたのかが導き出せません。

 今日は何月何日なのでしょう?


 斜め後ろにあるカーテンは開かれたままで、銀の月明かりがレースのカーテンのように降り注いでいた。

「――何故なにゆえ、想わなかったのじゃ?」

 時計を確認しようとすると、薄闇の中に、百年の重みを感じさせる、幼い少女の声が響き渡った。

 窓辺ににわかに現れた、この世のものでない者。しかし、声は小さい頃から聞き慣れているもの。

 その人と話すため、崇剛はそっと起き上がった。毛布がするするとパジャマのシルクを落ちてゆき、腰のあたりでいくつもの波を作った。

 白と朱を基調にした巫女服ドレスを着た少女が、月光を背中で浴びていた。幻想的な雰囲気を色濃く漂わせて、宙に浮かんでいる。

 問いかけられた言葉。滅多なことでは思考せずに動くことをしない崇剛。守護霊に心を読み取られないように、この言葉を選び取った。

「瑠璃さん……どちらのことですか?」

 最新の注意を払っていることさえ悟られないように、崇剛は心を隠した。冷静な頭脳の中には膨大なデータが流れ出す。

 自分が夢の中のように思うことによって、特別な感情を抱いてしまった相手を困らせないよう、愛ゆえに隠して来た言動。

 しかし、相手が守護霊である以上、思い浮かべれば、心を読みとられ、即座にバレてしまうのだ。

 怖かった。身が引き裂かれてしまうほど怖かった。さっきの夢の言葉が相手に伝わってしまったのではないかと、その可能性と対峙しようとすると、恐怖に駆られた。

 だが、残酷にも、聖女から審判が下ってしまった。

「お主、寝言を申しておったぞ――」

「…………」

 感情がどうにも揺れ動いて、いつも通り決断を下せず、崇剛は瑠璃とは反対側の壁に視線をやった。

 聖女は守護する者からの質問を無視して、静かに告げた。

「守護霊として、お主の行いは見逃せぬ。想うがよい。我の態度は変わらぬ」

 百年の余裕で言われてしまった。その意味はあまりにも破壊的で、崇剛は珍しく感情で受け取った。

(私の独りよがり。彼女は心のとても強い人です。私とはつり合わない……)

 打ちしがれた。聖女の言動はとても大人で、三十二年ばかり生きてきた崇剛の想いはとても儚く子供じみたものに思えた。

 冷静な水色をした瞳の斜め後ろには、月影を浴びた白と朱を基調にした巫女服ドレスと、漆黒の長い髪を持つ少女が浮かんでいた。


 先ほど、あちらの夢を見ました。

 瑠璃が私のそばにいます。

 従って、夢の中の言葉を聞かれたという可能性が99.99%――

 すなわち、私の想いを彼女が知ってしまったという可能性が99.99%――


 感情を交えたばかりに、誤った判断の仕方をしてしまった。それは自身の予想をはるかに上回り、聖女を密かに守るつもりが、宣言をして戦いに出て、瀕死の重傷を負って戻ってくる結果となってしまった。

 何か気の利いたことでも言って、この場から立ち去ってしまいたかったが、今や雄叫びを上げて狂っている、激情の獣を冷静な頭脳という名の盾で抑えるのは至難の技だった。いつも流暢な崇剛は、思わず返す言葉を失った。

「…………」

 心の奥底で、ひどく子供じみた自分が言うのだ。


 私の想いは、あなたの心をかすりもしない――。


 瑠璃の言葉は自身のことを想ってもいいが態度はこの先も変わらない。それは相手にされていないという意味を指していた。

 こんなバカげた解釈の仕方など捨ててしまえばいいのだ。彼女は百年以上の時を経て、三十二年しか生きていない自分よりも、物事に対して動じないだけの経験を積んでいるのだ。

 それは尊敬であり、見習うべきところであって、自身をさいなむものではない。ここから抜け出せない限り、聖女と同じ霊層へは上がれないのだろう。どうにかこの機会をバネにして、前へ進みたいと崇剛は願った。


 癒しをもたらす月明かりの下、穢れを浄化するような風が窓から入り込む。住む世界――生きている法則の違うふたりが交わり合うような、絡まり合うような薄闇。

「寝言を申すほどとなると、想うこともせぬとは辛かろう」

「…………」

 素知らぬふりをする日々。規律を守る日々。細心の注意を払ってきたが、自身のミスで愛しい人に伝わってしまった。

 崇剛とは視線を一度も合わせない瑠璃は、窓の外をしばらく眺めていたが、ふと静寂を破った。

「お主は昔から素直じゃないの」

「…………」

 何も返さず、何も思わない崇剛。この男がまだ幼く自身と同じくらいの歳の頃には、もう今のように策略を組んでは悪戯をしたり、人を幸せにしたり、そうやって生きていた。

 守護をする身として、瑠璃は崇剛のことを許してきた。しかし、今回は見逃せなかった。

おのれをごまかすとは、我は許さぬ」

 瑠璃と反対方向を向いたまま、崇剛はにじむ視界をクリアにした。くすりと笑って、おどけた感じで言葉を紡ぐ。

「身を切り裂くほどの、牢獄といったところでしょうか?」

 読書する本のほとんどが辞書。語彙力があり、言葉遊びが好きな男を前にして、聖女は首を横にゆっくりと振った。

「遠回しじゃのう。またお主、そういうごちゃごちゃした考えをしおってからに」

 枕元においてある、小さな聖書を神経質な手で触って、崇剛は神父であろうとする。

「私には赦されていませんよ、口にすることも。神に身も心も捧げました。ですから、神以外の存在に、あなたを想う感情を持つことは、私には赦されていません。まして、守護霊であるあなたに対して、想うことなど……」

「お主は本に幸せなのか? 申すどころか思い浮かべることもせぬのが。今回のことはそれが招いた結果なのではないか?」

 聖女の言う通りだった。本末転倒とはまさしくこのことを言うのだろう。崇剛は今の自分がとても滑稽に思えた。

「……愛という煉獄れんごくですか」

「お主、ほんに素直じゃないのう。己で望むことをどうやって叶えるか知っておるであろう?」

「そちらの質問には答えたくはありませんね」

 崇剛らしくなく、真っ直ぐ質問を交わそうとした。聖女は決して見逃さなかった。


「ダガーを使えばできるであろう? 何を戸惑っているのじゃ?」


 ルールはルールとして絶対に守る崇剛。月影を反射し、白く浮き上がっている巫女服の少女へ、冷静な水色の瞳は上げられ、かたくなに拒んだ。

「こちらはそのようなものではありませんよ。悪を引き剥がすものであり、他の目的に使うものではありません」

「そういうために、神は与えてくださったのかもしれぬぞ。何事にも意味があるであろう?」

 一歩も引かない神父と聖女――。

 紺の長い髪を神経質な手でかき上げながら、崇剛はくすくすと上品に笑う。

「快楽という堕落へと導くのですか? 聖女――瑠璃さんは」

 瑠璃は崇剛のことを恋愛対象としては見ていない。彼女の気持ちを無視して、自分ばかりが踏み込むということが、崇剛にはどうしてもできなかった。

「それは違うであろう! 人を愛することが堕落なのか?!」

 瑠璃の表情は真剣そのもので、珍しく強い口調だった。引く気のない聖女。彼女と聖霊師の間にあるサイドテーブルでは、ダガーの柄が鋭いシルバー色を月影に揺れていた。

「罪な人ですね、あなたも」

 綺麗な幕引きをと、崇剛は願っていたが、どうやらそれは難しいようだった。即座に別の回避方法を模索する。

(こちらの場を乗り切り方法……そちらの可能性が一番高い。それでは、こうしましょうか)

 指示語で思い浮かべられている以上、崇剛が何をしようとしているのか聞き取れない瑠璃は、癇癪とまではいかないが、少々怒りに震えていた。

「お主が冷静さをかいておる原因はこれであろう。我に触れたいのであれば、これを介して、触れればよい」

 聖女が扇子のような袖をともなった腕をさっと上げると、サイドテーブルから悪霊を浄化するダガーが物質のまま鞘から抜けた。

 少女の右手に吸いつけられるように、霊界という、風変わりな縦社会の中で出会ったふたりだけの空間を、すうっと横滑りに飛んでいった。

 月の光を浴び、雪のような美しいほどの輝きを発している少女。彼女の前でダガーは柄を上にし、刃元を床に向けて縦になって止まった。

 霊界の者もこの世の者も切ることができる、刃を小さな指先でつまみ、柄を守護する者――崇剛へ向けた。

 銀の月明かりが差し込む部屋で、聖女と神父はふたりきり。静寂という薄闇で、まとわりつくような濃密な湿った空気にお互いに包まれる。


 それぞれの呼吸の音が混じり合って、プラトニックでいることを精一杯爪先立ちして耐えているが、悪魔が耳元でそそのかすのだ。落ちてしまえば楽だと。

 赦されぬ恋という甘美なとげに身を傷つけ、涙とともに血を流す。痛みばかりが襲うがすぐに麻痺して、官能に取って代わるだろう。


 聖女から誘われた神父は少しだけ微笑み、ベッドから優雅に床へ降り立った。桔梗色のシルクの布が、聖女のいる窓辺へとやってきた。


 指先でダガーをたどってゆけば、向こう側にいる聖女の手に触れられるのだ。ダガーがお互いをつなぐのだ。

 悪霊を退治する聖なる武器。誰かの幸せのために使うもの。今は自分のために使おうではないか。


 崇剛と瑠璃はダガーを間に挟んでお互いを見つめる。冷静な水色の瞳と百年の重みを感じさせる若草色の瞳。神の元で必然的に出会い、ふたりともいつの間にか大人になっていたのだ。

 体を重ね合わせるように、現世うつしよ常世とこよが唯一通じるもの。お互いの五感という道が妖しく通じるような微熱が体の底から込み上げる。

 ないはずの瑠璃の肉体が、艶かしく感じられるほどのリアル感。

 

 三十二歳の神父。

 と、

 百年以上も生き続けている聖女。


 黙ったまま視線を絡ませ合う。

「…………」

「…………」


 氷のやいばの奥に激情の炎を隠し持つ、影のある水色の瞳。

 幼いのに百年という重みを感じさせる若草色の瞳。


 触れれば、その向こうにある魅惑と色欲に足元から引きずり込まれて、恍惚という谷に真っ逆さまに落ちていけるだろう。

 自分という輪郭をかろうじて保っているもの全てを投げ打って、崇剛は少女へそうっと手を伸ばした。

 全身を貫くようなエクスタシーがめまいを起こす。ダガーの柄を触れようとするが、一瞬ためらう。

 崇剛は神経質な手を伸ばしたまま、お互いの息遣いがやけに大きく聞こえるようだった。

 エロスに導かれるまま、少女へと吸い寄せられる。そうして、ダガーの柄をたどり、神父の細い手は聖女へと向かってく。


 しかし――


 少女の手にも体にも触れることなく、崇剛の神経質な手は、瑠璃側にある刃をぎゅっと握った。小さなうめき声が思わずもれる。

「くっ!」

 焼けつくような痛みが崇剛の手のひらに、閃光のように鋭く走った。生きている証――鮮やかで暖かな滴がポタポタと落ち出した。

 月明かりに照らされる赤は、全てが青白く染まる夜の中でとても印象的だった。床に血だまりが次々に重なりできてゆく。


 刃先で自身の手を傷つける――という可能性を導き出した、慈悲深かすぎる神父を前にして、聖女はあきれた顔をした。

「お主はどこまでも律儀よのう。昔から変わらぬ」

「人を愛するとは、このようなことなのかもしれませんね――」

 自身を傷つけても、恋をした神父は聖女を守りたかったのだ。自分の感情よりも何よりも。


 愛おしさのやいば――


 崇剛が震える手を開くと、夜の冷たい空気に、物質界のダガーがカランと乾いた音を立て床に落ち、鈍い血の色が刃元にぬめりついていた――――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ