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心霊探偵はエレガントに〜karma〜  作者: 明智 颯茄
25/110

Disturbed information/3

「拘束時間は四十八時間でしたよね?」

 今までの会話が時間潰しと言わんばかりに、元は身の解放を大いに期待した。国立は帽子のツバに手をかけ、標的に鋭く迫る。

「れって、罪科寮の話だろ? てめぇの罪状は肉体じゃなくて、ソウルのほうだろ?」

「え、え……?」

 逃げ道を奪われそうな元は、不思議そうに顔を前へ突き出した。国立はシルバーリングで、鉄格子をコツンコツンと一本ずつ叩く。

「聖霊寮には、拘束期間なんてモンは存在しねぇ」

「ど、どういうことですか?」

 治安省で一番端の日がよく当たらない部屋が聖霊寮。逮捕状を取るのだって、四苦八苦で、まともな会話も同僚たちにはない。

 そこで唯一真正面から事件に立ち向かっている国立は、シルバーリングを鉄格子へガラガラガランと、順番に滑るようになすりつけて、口の端でニヤリとした。

「墓場だからよ、法律がねぇんだ。何もかもが穴だらけってか?」

「ま、まさか、それって……!?」

 容疑者と心霊刑事は無言のまましばらく対峙する。

「…………」

「…………」

 元の顔が青くなってゆくのを十分堪能した、国立は吐き捨てるように事実を突きつけた。

「オレが解放しねぇ限り、てめぇは出れねぇってことだ。聖霊寮は無法地帯なんだよ」

「そ、そんな……」


 床に再び平伏した元の姿を横目で見ながら、国立は出入り口へ向かって歩き出した。ウェスタンブーツのスパーを、かちゃかちゃ鳴らしながら口笛を吹く。

「〜〜♪ 〜〜♪」

 物腰全てが貴族的。紺の長い髪と線の細い体が中性的なイメージを強く匂わせ、冷静な頭脳で流暢に話してくる、あの男を思い浮かべる。

(メシアってのはワンダフルだ。触れなくても見えやがる。憑依なんざ、レベルの低い霊視の仕方だろ。てめぇの体をお化けさんに明け渡すんだからよ)

 神経質な指先があごに当てられ、ロングブーツの足をスマートに組み替える、あの男が脳裏をチラつく。

(崇剛の野郎はてめぇをキープしたまま見やがる。道具も使いやがらねぇ。邪さんを引き剥がすためだけだろ、ダガー使うのは。敵うやつはいねぇだ、やっこさんにはよ)

 鉄でできた扉のドアノブの冷たさに、国立のシルバーリングが触れると、口笛はふと止んだ。


「からよ、崇剛にオレはそそられっぱなしなんだよ――」


 誰にも聞こえないようにつぶやいた、国立の顔は真剣そのものだった。ドアの開く音はギギーッと悲鳴を上げ、ガチャガチャと鍵のかかる金属のノイズが響いたあと、また静かになった。


    *


 ――――暗闇、静音。古い映画でも見ているように、不意にブツンブツンと切るようなノイズが入る。

 それは自身が斬られている衝撃だった。切り裂かれる苦痛なのに声が出ない、何度も繰り返し見る悪夢。

 紅血の波紋がひとつ、ふたつ、みっつ……。ぽたりぽたりと広がってゆき、お互いが重なり合い、最後に自分の口元がニヤリと笑った。

「いい……だ……」

 雑音で途切れ途切れの言葉を満足げに言うと、夢はプツリと途切れた――――


    *


「うわっ!」

 あたりに突如響き渡った、自分の大声にびっくりして、元は目を覚ました。折りたたんだ布団の上に、横向きでもたれかかったまま、いつの間にかウトウトしていたようだった。

「はぁ……はぁ……」

 ゼイゼイと息をしていると、鉄格子の向こう側に誰かの姿が映り込んだ。死神みたいな執念深さを持つ、男のしゃがれた声が響き渡る。

「てめぇ、今何の夢見やがった?」

「え……」

「夢の話なんか、聖霊師は誰も言っていやがらなかったぜ。れって、怪しすぎんだろ」

 焦点が合うと、床に片膝を立てて、地べた座りをしている国立がいた。射殺すようなブルーグレーの眼光を浴びせている。

 ウェスタンスタイルで決めている男の片腕は膝にけだるくかけられ、脅迫するようなシルバーリングが指三本で鈍い光を発していた。

 同じ床の上で、鉄格子を境界線として、心霊刑事と犯人は対峙する。

「え、え……?」

 元が返事を返さないでいると、

「見たこと、正直に言いやがれ!」

 ドスの効いた声が静かな空間を破壊するように炸裂した。腕を肘から床へ落とし、腰のあたりへ着くと同時に、立てていた膝を一旦自分へ引きつけ、鉄格子へ向かって勢いよく押し蹴りした。


 ズシャン!


 国立の鉄格子へのキックの嵐は毎日のように起こされ、元の手はガタガタと震え出し、唇は真っ青になった。頭を抱え込んで、

(も、もう……。あの夢は見たくない……)


 自白させられない心霊刑事。

 と、

 隠し事をしている犯人。


 去年の三月まで、国立は殺人事件を扱っている罪科寮の敏腕刑事だった。密かに心理戦が何日にもわたって展開されていた。

 そんなこととも知らず、元はずっと待っていたが未だに現れない聖霊師の名を口にした。


「あ、あの……ラハイアット先生に、お願いできませんか?」


 眠るたびに見る悪夢。うなされては目を覚ますの繰り返し。そこから逃げ出したくて、元は切なる願いを口にした。

 国立はジーパンのポケットからシガーケースを取り出しながら、気だるく聞き返す。

「あぁ?」

 ミニシガリロを取り出して、両指で端を持ち回す。まるで何かの機会が巡ってくるのを待つように、葉巻の巻目――ゆるいUの時をくるくると眺めた。

「ラハイアットの苗字はやっこさんとこしかねぇんだよな。あそこはご先祖さんが外国人だからよ」

 鋭い眼光は部屋の隅に座る元をじっと捉えた。


「崇剛 ラハイアット――のことか?」

「は、はい……」

 葉巻の表面を男らしいごつい指でなぞってゆくと、スルスルと滑らかなのに、小さいデコボコが絶妙な手触りを味合わせる。

「やっこさんを連れてこなかったには、わけがあんだよ、いくつか。てめぇからのご指名じゃ、しょうがねぇな。どよ……」

 ミニシガリロを人差し指と中指に挟んで、見せつけるようしながら、国立はこんな言葉を犯人に浴びせた。

「てめぇ、覚悟はあんのか? そんなストロングな野郎には見えねぇぜ」

「な、何のですか?」

 正座した犯人を前にして、国立は足を床に伸ばし、ウェスタンブーツのスパーをかちゃっと打ちつけて、また手で葉巻を弄び始めた。

「やっこさんはメシア持ちだ。れって……」

 鉄格子にシルバーリングをカツンと当てた。


「本気で審判ジャッジかかんぜ?」

「え、え?」

「事実を事実として受け入れられんのか?」

「受け入れる……」

「オレとディファレントで、崇剛には情けなんてモンはねぇ。てめぇ自身にも他のやつに対しても限りなく冷酷だぜ?」


 国立は思う。この目の前にいる男とは大違いで、あの線の細い男は強い人間だと。情などにいちいち流されていたら、一流の聖霊師には到底なれないだろう。

 人の人生をいくつも見るということは、他人の感情や憎悪が自分の中へ容赦なく入り込んでくる。よほど自分をしっかり持っていないと、とてもではないが霊視などできないのだ。

 下手をすれば、自分が他人の人生に飲み込まれ、精神を壊し気が狂ってしまうだろう。だからこそ、残酷なほど、あの男の頭脳は冷静だった。

「そ、それは……?」

 気弱な元に向かって、心霊刑事は最後の審判を下すように告げた。

「もし、てめぇが邪さんだったら、どうすんだ?」

「え?」

「てめぇが、悪――黒だって突きつけられたら改心すんのか?」


 自分の願いとは現実が違った時どうするのかと問うたのに、あまりにも甘い見通しが返ってきた。

「ち、違います! 私は絶対違います!」

 床に正座したままの元は、必死に首を横に振った。国立は吐き捨てるように言う。

「……らちがあきやがらねぇ! 虚言はいくらでもつけんだよ!」

 ウェスタンブーツのかかとで、鉄格子を三度蹴りつけた。響き渡る、脅しという名の轟音。

 耳にこびりつくほど聞かされてきた元は、床に両手をつき、心霊刑事に向かって必死の叫びを上げた。

「も、もう出してください!」

 土下座された国立は、弄んでいたミニシガリロに火をつけ、慣れた感じでくわえ葉巻にしながら、あの優雅な男が聖霊寮の応接セットで仕掛けてくる罠のひとつを思い出した。

「夢の話したら出してやってもいいぜ?」

「わ、わかりました。します」

 元は床から顔を上げて、とうとう観念した。国立は口の端でニヤリとする。崇剛にいつもしてやられる、交換条件で情報入手にこぎつけて。

「吐きやがれ」

 勝ち誇ったように言った、国立の口元から葉巻の柔らかい灰が床にぽろっと落ちた。


    *


 墓地のような薄気味悪い空間――聖霊寮。今日は風もなく、いつもよりよどんだ空気が重くのしかかる。相変わらず全体的にやる気がなく黄ばんだ部屋だった。

 あれから何日かかけて、数少ない聖霊師に何度も次々と事情聴取させたが、ほとんと証拠が出てこなかった。

 国立の口元からは、ミニシガリロの青白い煙が上がっていて、調書をトランプを持つみたいに何枚も同時に見比べている。

「れって、どうなってやがる? ハーフかよ!」

 捜査は行き詰まり。国立はイラッとして、スチールデスクを足でドカンと横蹴りした。

 死んだような目をした同僚たちが一斉に顔を上げたが、そんなことには構わず、国立は調書十枚を右手から左へ抜き取っては、同じ欄を鋭いブルーグレーの瞳に順に映していった。


「聖霊師十人中、五人が邪さん、五人が正さんって言ってやがる……」


 持っていた資料を頭上へ、やっていられるかと言うように放り投げた。吸い終えた葉巻を灰皿に投げ置く。

 黄ばんだ天井からハラハラと舞い落ちる紙の雪を、体中で受け止めながらシガーケースを取り出し、流れるような仕草でミニシガリロを抜き取り、ケースの中身はカラになった。

 火をつけ、散らばった資料を一枚、ぐしゃぐしゃに引き裂きそうな勢いでつかみ取る。

「他に手がかりなし……ってか。空欄だらけだろ、この調書」

 国立のまわりの床には、白紙に近い状態の調書が何枚も降り積もっていた。くわえ葉巻をして、帽子のツバをぐっと下げた。

 他の聖霊師が誰も見ることのできなかった、元の夢の内容を思い出すために、目をそっと閉じる。

「てめぇ自身が斬られた。悲鳴、断末魔……。『返して……』、血の匂い」

 回転椅子に浅く腰掛け、後ろへ勢いよく引く。両足を机の上にどかっと乱暴に置いて、さらに考えをめぐらす。

「過去世の記憶ってか? たらよ、聖霊師のひとりやふたりぐらい、見抜いてもおかしくねぇだろ」

 こんな事件は初めてだった。メシアを持っていなくとも、情報を見逃すような聖霊師は聖霊寮では取引していない。

「過去に何がありやがった?」


 国立はいつの間にか、乾いた砂漠に立っていた――。じりじりと焼き尽くすような太陽を浴びながら、砂に足を取られがちに進もうとする。

 遠くの蜃気楼かと思えば、それは髑髏どくろが空中を横滑りして自分へ群れをなして向かってくる。

 両腕で顔を覆ったが衝撃はなく、ケタケタとあざ笑う声が耳のすぐそばを通り抜けてゆく。


 結界の張っていないこの部屋で、精神は誰かに地獄へと持っていかれるようだったが、足を乱暴に組み直して現実へと戻ってきた。

「れによ、おかしくねぇか? てめぇが斬られてんだろ。のに、他のやつの悲鳴が聞こえてくるって……。どんな死に方しやがったんだ? 恩田の野郎」

 情報は少なく、矛盾している出来事。

「死んだやつも含めで、どいつが邪さんで正さんなんだ? お化けさんの事件は死んだら罪に問われねぇんじゃねぇんだよ。何がどうなってやがる?」

 捜査は暗礁に乗りかけていて、国立は珍しくため息混じりにうなった。


「わかりやがらねぇ。Disturbed information/撹乱された情報ってか……」


 今回の事件は頼らないと決めていたが、頭の中であの男がうろつく。貴族的な物腰で優雅な笑みと冷静な水色の瞳を持つ、中性的な男が。

「やっこさんなら、わかんだろうな。がよ……」

 国立の男らしい手はジーパンのポケットへと伸びていき、急に声に出さなくなった。

(会う時は気をつけねぇとな。オレの心が――)

 何かを取り出そうとすると、真っ暗な視界に聞き慣れた若い男の声が突き刺さった。

「――兄貴!」

 ブルーグレーの鋭い眼光はさっと開かれた。

「あぁ? 何か動きがあったのか?」

 横になっている状態に近い国立は、若い男のあごを見上げる形で待っていると、男は前かがみになり、心霊刑事の耳元で用件を告げた。

「それが……」

 話はすぐに終わり、国立は葉巻を天井と垂直になるようにくわえ、両腕をノックアウトされたようにだらっと落とした。


「……ロストかよ。またひとり、お空に昇っちまったぜ」


 机から足をす下ろすと、ウェスタンブーツのスパーがかちゃかちゃと騒ぎ立てた。国立は前かがみに座り、シルバーリングたちを膝の上に呼び寄せた。

「恩田は直接手を下してねぇのかもしれねぇな? ここから出れねぇのに、カミさん死んじまったんだからよ」

 誰かが手引きをして、元の魂が肉体から抜け出し、転落させたという線は消えてしまった。

 元凶である元を拘束しても、関係者が亡くなってしまったことで、捜査は完全に振り出しに戻ってしまった。

「釈放か……」

 新しいミニシガリロの箱を開けて、シガーケースにざばっと入れる。調査資料から新しいものをふと取り上げた。

「四月十九日、火曜。九時七分に、崇剛んとこに電話した記録残ってんだよ。今日は二十八日。九日間もお預けすりゃ……」

 黒だとにらんだ限りは、潔白が証明されない限り、あの手この手で食らいついてゆく。ハングリー精神旺盛な国立は資料の紙を机の上に乱暴に投げ置いた。


「崇剛んとこに行くだろ? 泳がせっか」


 国立はカラになったダヒドフの高級な白い箱を、前を向いたまま片手で後ろへ放り投げた。

 山を描くように箱は飛んでゆき、彼の背中にあったゴミ箱にストンと見事に入り、ジャストスロー。


    *


 結果はどうであれ、ひと段落した事件。定刻通りに退勤した、国立のウェスタンブーツは夜の大通りからはずれた。

 個人経営の小さな店が軒並みを連ねる、裏路地へと入ってゆく。四月とは言え、夜になれば肌寒い風に吹かれ、ガタイのいい体は少し猫背になっていた。

 ――Bar peacock

 木の表札がかけられた、洒落た赤いドアの前でふと止まり、シルバーリングのついた節々のはっきりした大きな手で押し開け、国立は親げに声をかけた。

「よう!」

 足を一歩中へ踏み入れると、様々なボディーと色調を見せる、酒瓶が何段にも横並びしていた。

 ガス灯の数をわざと減らし、薄暗い空間が大人の疲れを癒す。木の匂いが広がる店内には、外国映画のポスターが壁に貼られていた。

 丸刈りのいかつい顔をした若い男がにこやかな笑みを向ける。

「兄貴、いらっしゃいっす!」

 礼儀正しく頭を下げた男の服装は、白いシャツに黒の蝶ネクタイとベスト。モルトの瓶が飾られている、一枚板のカウンター席の右端へ国立はつこうとする。

 背の高い丸椅子を回り込むのではなく、長い足を持ち上げまたいで座った。いつも通りの席を陣取った客に、バーテンダーがこんなことを聞く。

「何にするっすか?」

 シルバーのシガーケースをカウンターの上に投げ置き、国立はガサツな声で注意する。

「エキュベルだ。毎回聞くんじゃねぇ。いつものすかって言ってきやがれ」

「ウォッカすか? エキュベルは二種類あるっす」

 ニヤニヤしながら言ってきた若い男。行きつけのバーなのに、注文を聞き返されるという事件が発生し、カウンターの足元にある壁を、国立はウェスタンブーツで軽く蹴った。

「てめぇ、ジンに決まってるだろ! 笑い取るんじゃねぇ、そこで。オレはジンのショットオンリーだ!」

「おっす!」

 葉巻を一息吸うと、カウンターの左側からグラスがふたつスーッと滑ってきた。ひとつはとろみのついた液体――ジンが入ったショットグラス。もうひとつはチェイサーのミドルグラスだった。

 国立は右肘をカウンターにつき、左腕を気だるくもたれかからせる。ミニシガリロの煙を吸ったまま、ショットグラスを手に取った。

 口から落ちてゆく、冷やされた酒に葉巻の香りが混ざり合い、別々に飲むよりも何倍もの芳醇な味わいに、国立は心地よさを覚え、思わず目を閉じた。

(ポンベイ サファイアは、パンチがあるがまろやかさはねぇ。エキュベルはタンガレーと違って濃厚だ。ダヒドフの癖の強い香りのいい葉巻にも負けねぇ。シンクロ率、百パーだろ)

 墓場の聖霊寮で溜まりに溜まったストレスが消されていくというものだ。

「いらっしゃい」

 バーテンダーの声が響くと、カウンターの反対側に若い男女のカップルが座った。ショットグラスを傾け、アルコール度数四十二以上もある、冷えたジンを噛みしめるように飲む。

 グラスを立派な一枚板のカウンターに置いて、カップルを鋭いブルーグレーの瞳の端に映した。


(人を愛す……か)


 涼介しか知らないと思っている、崇剛がひた隠しにしてきた事実が、国立の脳裏に浮かんだ。綺麗に並べられたモルトの瓶を珍しくぼんやり眺める。

(瑠璃お嬢のこと、崇剛が心に思い浮かべねぇ理由はふたつだ――)

 中心街を見下ろす高台にある、祓いの館。人々のほとんどは奇異な目で見ているのが実情だった。心霊刑事も用がない限りは訪れない。そこに住む主人の恋愛事情など知らないはずだった。

(惚れた相手を邪さんからガードして、もうひとつは……困らせねぇことだろ?)

 少し高めの椅子の上で、国立のジーパンの足は余裕で組み替えられ、飲んだジンがやけに身に染みる。

(オレとやっこさんは、セイムなポジションだからよ……。シンクロしやがる)

 聖霊寮に後輩が来て、出しそびれたものを、ジーパンのポケットから無造作に取り出した。それは白く小さな人型をした紙だった。

(最初に聞いたモンが、れってな。運命っつうのは残酷だ。神様はずいぶん『しけた』ことしてきやがる)

 ミニシガリロの灰をトントンと指で落とすようにするのではなく、灰皿の縁になすりつけるように綺麗に削ぎ落として、葉巻を再びくわえた。

(どよ、霊界が縦社会だってわかってねぇのか? 崇剛の野郎。誰が誰の守護してると思ってやがんだ?)

 聖霊寮の応接セットに来るたびに、自分を論破してゆく男。隙がなく頭が切れて、中性的で老若男女誰もが見惚れるほどの男。

 そんな男がミスを犯しているのかと思うと、国立は鼻でふっと笑った。


(冷静な判断ができてねぇな。恋 わずらいってか? やっこさんらしくねぇな)


 カウンターに乗っていた小さな紙切れをも持ち上げ、国立が息を吹きかけると、それはキラキラと光り、不思議なことに跡形もなくなった。

 紺の長い髪とそれを縛るリボン。寒気を覚えるほどの冷たい水色の瞳。神経質な指先と線の細い体。あの男が脳裏で、優雅に微笑んだかと思うと、不意に消えてまた現れる。

 しばらくそんな考え事をしていた国立は、ミニシガリロを口にくわえた時、あの芳醇な香りが体の内へ入ってこなかった。ウェスタンスタイルの男はあきれた顔をする。

「消えてやがる……」

 タバコと違って葉巻は放置すると、火が勝手に消えてしまうのだった。ジェットライターでミニシガリロの先端で炎色が再登場すると、国立は青白い煙を吹かし始めた。

 ジンのショットを噛みしめて飲みながら、バーテンダーのジョークに時々付き合い、ふと一人きりの時間になると、あの聖霊師の男を思い出す。

 そんなふうに過ごし、心霊刑事の口からチェックの声がかかったのは、約三時間後だった。

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