Disturbed information/2
店の扉の外にまだいた、国立のブルーグレーの鋭い眼光は、店の白いドアを突き刺すようににらんでいた。強風がビューッと頬を切り、近くの空き家がバザバザと大きな騒音を立てて暴れ出す。
カウボーイハットが飛ばされないように、節々のはっきりした大きな手で押さえながら、国立はさっき見た女の姿を思い出した。
「心ってやつは、男より女のほうがその実ストロングだ。このご時世、媚び売るために弱ぇ振りする女郎は、ゴロゴロといやがる。ずいぶんまともな女だ」
フィルターも何もついていない葉巻はどこまでも燃えてきて、国立の厚みのある唇を焼き尽くすように熱くなっていた。
口からつまみ出して、足元へポトリと落とすと、ウェスタンブーツのスパーを鳴らしながら、土の上ですり消した。
そうして、シガーケースをジーパンから取り出し、新しいミニシガリロに火をつける。心霊刑事はくわえ葉巻のまま来た道を戻り出した。
人気のない建物が立ち並ぶ細い路地を、砂埃が舞う中で、ウェスタンブーツのスパーがかちゃかちゃと言いながら遠ざかってゆく。
国立の男らしい大きな背中はどんどん小さくなっていき、かなり先にある大通りへ出ると、右へと消えた――
*
柔らかさも温かみもない、黒い鉄格子に囲まれた殺風景な空間。あたりに人の気配はなく、物音がひどく少ない。粗末な布団が折り畳まれていて、扉のないトイレと、小さな窓が天井近くにひとつきりだった。
満ち足りた普通の生活から、いきなり拘束された元は力なく膝を床に落とし、牢屋の中で暗い顔をしていた。
「邪神界……? 霊……? 何のことだ、さっぱりで……。あの夢と関係する――」
その時だった、かちゃかちゃというウェスタンブーツのスパーの音と、カツンカツンと細く硬いものが当たるそれが響いたのは。
心霊現象など信じていない、元は両腕に力を入れて身構えた。
(な、何が起きるんだ? これから)
カツンカツンと尖った硬いものが当たるような音はなくなったが、ウェスタンブールの足音だけがスパーをかちゃかちゃさせながら近づいてきた。
ジーパンの長い足が見えると、頭上からガサツな声が降り注いだ。
「恩田、おっ始めんぜ。まずは一人目だ」
元が見上げると、国立のブルーグレーの鋭い眼光があった。
「な、何をですか?」
容疑者は床から恐る恐る立ち上がる。廊下の外で当然というように、心霊刑事は言い放った。
「事情聴取だ」
「え? こ、ここでですか?」
同じ景色ばかりで、行動範囲も限られている。少しでも別の場所へ行けると期待していた、元には寝耳に水の話だった。
国立はシルバーリングを細い鉄の並びに、一本ずつ当てカンカンと鳴らしてゆく。
「他に場所があんのか?」
「普通、別の部屋じゃ……」
不安げな面持ちで、こっちを見ている元の前にある鉄格子を、心霊刑事は両手でつかんだ。
「れって、映画か何かの見過ぎじゃねぇのか? 何の疑いでしょっ引かれてっと思ってんだ?」
「ど、どういうことですか?」
国立が少しかがみ込むと、牢屋にかけたままのシルバーリングがすれた。自分よりも背の低い、元の目を真正面から捉える。
「お化けさんの事件だろ? ノーマルの場所には連れて行けねぇだろ」
「はい?」
まるで意味不明というように、不思議な顔をした元を置き去りにして、聖霊寮の職員は話を強引に進め始めた。
「ここしか結界張ってねぇんだよ。から、他んとこ連れて行けるわけねぇだろ」
次々と出てくる浮世離れした単語。元は心霊刑事の顔をじっと見つめたまま、また意味がわからなくて聞き返した。
「け、結界?」
国立は日に焼けた顔を、鉄格子ギリギリにまで近づける。
「魂だけ抜け出して、あとで肉体に戻るっつうことがいくらでも起こんだろ? から、逃げられちまうだろ、いくらだって。霊界のやつが手を貸しちまったら、魂は肉体の出入りがフリーだからよ」
今まで生きてきた人生でこんな話を聞いたことがなかった。元はどう反応していいかわからず、視線をさまよわせた。
「え、えっと……あ、あのぅ……」
心霊刑事として再出発したものの、墓守は決して楽な仕事じゃなかった。こうやって笑い飛ばされそうになるのを、必死で捕まえて、罪を償わせるために、聖霊師の手に渡す日々。
手柄が欲しいと望まないが、それでももう少しまともに話が進まないものかと、神に一言文句を言ってやりたかった。森羅万象を人間に基礎知識として教えるべきだと。
国立は牢屋に背をくるっと向け、イラッとして、空気のよくない通路で言葉を叩きつけた。
「毎回、毎回、この説明からで、嫌になりやがる!」
ウェスタンブーツのかかとで、鉄格子を力任せに後ろで蹴りつけた。
ガタン!
と派手な音が、人気のない空間に炸裂して、
「ひゃっ、ひゃあっっ!!」
元はびっくりして、一メートルほど後ろへ飛び下がった。冷たい床の上で、ブルブルと震え上がる。
国立はジーパンのポケットから、慣れた感じでミニシガリロを取り出し、ジェットライターで火をつけ、青白い煙を吸い込んだ。
「ふーっ!」
葉巻を口から離し、左手の親指だけをポケットへ入れる。黄昏気味に牢屋にもたれかかった。しばらく、葉巻を堪能しながら去年のことを思い浮かべる。
(結界が張れんのはよ、瑠璃お嬢とトラップ天使だけだ。ってことでよ、崇剛がいねぇと、あのふたりは連れてこれねぇ。聖霊寮のやつらじゃ、呼び出しどころか誰も意思の疎通が取れねぇからな)
崇剛の屋敷まで公用車で行った、帰り際に『毒盛り』の話をぶつけてみたが、優雅な笑みでくすりと笑い、
「そうかもしれませんね――」
と答えてきた。あの男は面白いと、国立は思った。否定はしないが、認めもしない。うまい返事を返してくるもんだと感心させられた。
心霊刑事は短くなってきた葉巻を、三本の指でつまみ持ちに変え、苦く芳醇な香りをさらに味わう。
(崇剛に直接交渉ってのがベスト。やっこさんの守護霊と守護天使なんだからよ。がよ、治安省は部外者立ち入り禁止が多くてな。崇剛連れてこれたの、ここしかなかったんだよ。から、聖霊寮はヒヤーしか使えねぇんだ)
葉巻が短くなり、唇と指先に熱さを痛いほど感じた。持っていられなくなったそれを、床へ落とし、ウェスタンブーツですり消す。
(オレがいっと、気が散るとか言われちまうからよ)
国立は元には顔を向けず、自分が来たほうへ視線をやり、ガサツな声で言った。
「頼むぜ」
スパーのかちゃかちゃという音と、カツンカツンと尖ったそれが交代と言うようにすれ違うと、国立と入れ替わりに、女らしい体の曲線美が思いっきり出た、マーメイドラインの黒いドレスが、元の前に輪郭をすうっと現した。
頭までかけられた涅色のレースは背中を覆い、足元まであった。それを引きずる形で、ヒールを鳴らしながら、元が拘束されている牢屋の鉄格子の近くまで歩み出た。
元が顔を上げたそこにいたのは、天使でもシスターでもなく、魔術師のような怪しい女だった。
頭に金のチェーンが円を描き、ひたいの真正面に十字架のヘッドが下がっていた。口元は黒い布で隠され、元から見えるのは目元だけ。いかにも占い師みたいな女は、まるで別世界を見るような焦点の合わない瞳をした。
「それでは見ます」
元は鉄格子から離れた場所で、視線を落ち着くなく彷徨わせる。
「え、えぇっ!? な、何をですか?」
国立と話している時よりも、ディープにスピリチュアルな世界へと入ってしまって、容疑者の意見はスルーしたままことは進んでゆく。
「過去世と魂です」
「はい……?」
元は顔を不思議そうに突き出した。
「こちらへ来てください」
女性的なラインの見える黒い服を着ている女に手招きされて、元は警戒心を弱めた。
(女なら大丈夫か)
国立と違って、物を蹴ったり投げつけたりもせず、元は見た目で人を判断して、にっこり微笑んで軽くうなずいた。
「わかりました」
鉄格子へ足取り軽やかに近づていった。目元しか見えない女はくぐもった声で断りを入れる。
「肩に触れます」
「はい……」
女は片手で元の肩に触れると、目をすうっと閉じ、聖霊師として霊視を始めた。静かで重い時間が、気が遠くなるほどの長さで過ぎていった。
*
聖霊師の事情徴収が終わると、調査資料に記入する。そうして、次の聖霊師を元のところへ連れていき、国立は席をはずすを何度も繰り返し、逮捕から二日目の夕方を迎えていた。
待ち時間――。不浄な聖霊寮の回転椅子に浅く座り、心霊刑事は組んだ両足を机の上にどさっと乱暴に乗せた。カウボーイハットを頭にかぶせ、昼寝をするように目を閉じ、真っ暗な視界で思い返す。
(恩田に会って、フィーリングしたんだけどよ。今回の件は今までのヤマん中でワーストだ。がよ、それが何なのか――)
関係ないはずの寮の空気までが、深い谷底へ落とすようにまとわりついてくるようだった。あえていうなら、人の憎悪が渦巻く地獄への底という名が相応しかった。
国立は浅い妄想へ落とされた――。真っ赤な血の池に真っ逆さまに沈んでゆく。はい上がろうともがいでも、足を下から引っ張られ、それを振り切っても上から押さえつけられる。逃げ場のない血生臭い――
そこで、バタバタと近づいてくる足音とともに、若い男の声が割って入ってきた。
「――兄貴、大変っす!」
「あぁ?」
帽子を手でつかみ取り、血の池から正常な日常へ戻った。ブルーグレーの鋭い眼光の先には、いつも自分を慕ってくれる二十代前半の男が立っていた。
「恩田 元の……」
そこまで言って、若い男は国立の耳元でそっと告げた。内容は短かったが、心霊刑事は暮れゆく、窓からのオレンジ色の空を見上げて、珍しく盛大にため息をついた。
「……遅かったのか?」
国立は気づくと、水辺に座っていた――。見渡す限り真っ赤な彼岸花が血のように咲き乱れている。
奥にある平屋の縁側で、破れた障子戸に力なくもたれかかり、口から血を大量に流し倒れている女が傀儡のように座っていた。
節々のはっきりした手で、藤色の短髪をガシガシをかき上げる。どうもさっきからあの世に引き込まれ気味の精神を呼び戻すように。
「あの女、常世に向かって、カウントダウンに入ってやがる……」
気だるそうにウェスタンブーツの足を床にどかっと下ろし、死んだような目で終業時間を待ちわびている同僚に、国立は一言断った。
「はずす」
あの骨董店で、真っ直ぐ自分の目を恐れずに見返してきた女。彼女と元がどんな輪廻転生を送ってきたのかは知らないが、人として最低限の礼儀はわきまえるべきだと、国立は思った。
(教えてやらねぇとな)
椅子から立ち上がった兄貴の脇で、
「じゃあ、俺は戻るっす!」
若い男は足早に聖霊寮から出て行こうとした。国立はジーパンのポケットから小銭入れを取り出し、一枚つかむと、その後ろ姿へ向かって、コイントスするように親指の爪で弾いた。
「それ、受け取りやがれ」
濁った部屋の空気中をコインはくるくると回転していきながら、
「礼だ。飲みモンでも買えや」
若い男が振り向くと、ちょうど胸の前に、コインが飛んできているところだった。両手でしっかりとキャッチする。
「サンキュッす!」
後輩はペコリと頭を下げて、聖霊寮から勢いよく出ていった。
*
聖霊師の度重なる事情聴取の合間。束の間の休息にしたかったが、元は床に視線を落とし、部屋の片隅で両膝を抱えて縮こまっていた。
「な、何なんだ? さっきのおかしな人たちは……。見えないものなんか、存在しないだろう。どうして? 俺がここに……早く家に帰って、知恵の――」
その時だった。聞き覚えのある、かちゃかちゃという金属音が鳴り響き、近づいてきたのは。元が顔を上げると、国立が鉄格子の向こう側で仁王立ちしていた。
「恩田」
「は、はい!」
ドスの効いた声に、元は十センチほど震え上がったようだった。そこへ容赦なく、国立から衝撃の言葉が浴びせられた。
「カミさん、さっき入院したぜ」
悪霊が関係するのか。それとも別の理由でなのか。判断がつかないまま、犠牲者が増えてゆく予感が漂っていた。
妻の元へ無事に帰れると思っていた夫の表情は驚愕に染まった。
「え、え……!?」
心霊刑事は部屋の片隅で、小さく丸まるように座っている元と視線を合わせるため、鉄格子に手をかけたまま、ズズーっと金属同士が擦れる音をにじませて、かがみ込んだ。
「白血病だ」
「う、嘘ですよね?」
元は懇願するように聞き返した。医者がほとんどいない花冠国。その病名は死を意味していた。国立は真剣な眼差しを向ける。
「虚言は言ってねぇぜ」
気が動転してしまって、元はぼうっと宙を見つめたまま、ぽかんと口を開けて固まった。
「あの女、このままいったら殺されちまうかも知れねぇぜ」
牢屋の中にいる男のまわりで、人が死んでゆくのだ。一人無事なのはこの男だけだ。犠牲者が増えないうちに、事件に片をつけてしまいたいのだ。
石臼を挽いたようにジャリジャリとウェスタンブーツの底で鳴った。立ち止まっている暇はない。国立のしゃがれた声が牢屋に軋む。
「現世は遊びじゃねぇんだよ。死んじまったら終了だ。滅んじまった肉体は、神様でさえ蘇らせられねぇぜ」
「そ、そんな……」
元はやっとそれだけ言うと、床の上に力なく平伏した。頭を抱えて、物言わぬ貝となる。
(御幣[脚注]を持った気違いみたいな人。透明な丸いものを見つめてる人。それから……。もう二日も、変な人ばかりに会って……。気が狂いそうだ!)
嘆き悲しんでも何も変わることはない。それよりも現実逃避をする弱さ丸出しの男を前にして、国立はあきれた顔をした。
(体に触れる、接触霊視。霊を自分に憑依させる、霊媒。道具を使った、水晶霊視。からよ――)
焦点の合わないぼんやりとした心霊刑事の耳に、元のおどおどした声が割り込んできた。
「――あ、あのぅ……?」
「何だ?」
国立の鋭いブルーグレーの眼光が、元を刺し殺すように向けられた。
どうしてもここから出たい元。
と、
どうやっても原因を突き止めたい国立。
ふたりの間で一悶着起きるのだった。元は事件の説明は一通り聞いていて、そこから何とか理論的に説得しようと試みる。
「事故現場は一ミリもずれてなかったんですよね?」
この男がどれだけの切れ物か、心霊刑事は試してみた。いわゆる、プロファイリングの一環だ。
転落箇所は何度測っても同じ場所。目撃者はなし。罪科寮から回ってきた事件。つまり、普通じゃない。
それはどう普通じゃないのかといえば、あの世にいる人間が関与している可能性がある以上、死に一番近い事件ということだ。
この怯え切っているように見える男は、事故の事実をどう捉えているのか。自分の立場が本当にわかっているのか。国立は自身の見解は脇に置いて、お手並み拝見と洒落込んだ。
「答え出たか?」
ミニシガリロに火はつけられ、青白い煙がふわっと立ち上った。
「私にはそんな几帳面さはありません。ですから、私は犯人ではありません」
元の単純すぎる発想に、国立は真面目にやっている自分がバカみたいに思えると、あきれてため息ばかりが出てくるのだった。
「もう少し頭ひねれよ。てめぇが直接手を下してねぇのは、転落した人間との距離からわかんだろ? それじゃ、ただの転落死亡事故だろ」
どうやったって罪科寮止まりだと、国立は声を大にして言いたかった。聖霊寮に回ってくるにはもっと深い理由がはずだ。
元はまぶたを瞬かせた。
「はぁ、じゃあ、どうして捕まってるんですか?」
「被害者は四人。そのうち三人は死んじまってる。一人は怪我だろ? てめぇだけはピンピンしてやがる」
容疑者は少し得意げに言い負かした。
「無事だから犯人とは言えないじゃないですか?」
「ポイントそこじゃねぇんだよな」
国立は思った。頭は使えと。物事を見る角度を変えろと。元は間の抜けた顔をした。
「へ?」
「目撃者はいねぇ。現場は一ミリもずれてねぇ。三人は死んじまってる。てめぇに疑惑が向くように誰かがしたんじゃねぇのか? そっから考えっと、どうなんだ? それはてめぇで答えろや」
元は顔を真っ赤にして、怒鳴り散らした。
「真面目に生きてきました。誰にもそんなことをされる覚えはない!」
感情をあらわにはするが、激怒をするような男でない国立は、いつもより声のトーンを落として、元の魂――心に問いかけた。
「前の人生での話だ。生まれ変わっても事件が起きるっつうことは、それだけの恨みを買った――って見んのがノーマルだろ?」
刑事の勘もあるが、国立の見解はこうだった。
「つまり、てめぇが元凶――って話じゃねぇのか?」
根元を断たない限り、輪廻転生の恨み辛みの負の連鎖はなくならないのだ。死んだら終わりという楽観視ができない事件ばかり。
元は手を落ち着きなく触り直し、窓から見える小さな夜空を見上げた。さっき啖呵を切っていた勢いはどこへやらだった。
「何か隠してんじゃねぇのか?」
国立のしゃがれた声が響くと、元はビクッと体を震わせた。
「幽霊とは関係ありません」
「幽霊と関係ねぇことでは、何かあんのか?」
心霊刑事は口の端でニヤリとすると、元は視線を合わせずに首を横へ振った。
「そういう意味ではありません。言葉のアヤです」
「そうか」
国立はそう言って、立ち上がりながら葉巻を床へ捨て、靴底ですり消した。そうして、二日前の逮捕した時の風景を思い返す。
「あの人気のねぇ路地の奥で骨董店やって、もうかってんのか?」
「妻とふたりで生きていく分は何とか……」
「そうか」
鋭いブルーグレーの瞳は隙なく、元をうかがっていた。この男の身に起こっていることは、どうにも氷山の一角でしかないような感じがした。
[脚注]神祭用具の一つ。紙または布を切り、細長い木にはさんで垂らしたもの。