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心霊探偵はエレガントに〜karma〜  作者: 明智 颯茄
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夜に閉じ込められた聖女/1

 小さな裸足は床でピタピタという音を漂わせながら、ひんやりした空気が広がる長い廊下を歩いてゆく。


 窓の外は夜――。ガラスから入り込む青白い月影は四角く切り取られ、規則正しく斜めに床へ差す。どこまでも続くように先に行けば行くほど遠近法で細く小さくなってゆく。燭台の明かりは今はどこにもなく、月明かりだけが頼りだった。

 雲がかかってしまったら常闇とこやみと化して前へ進めないどころか、どこか別の世界へ連れ去られてしまいそうな夜降よぐたち。

 空間は歪み、同じ場所を永遠と歩かされる無限ループみたいな廊下を、グリーンのふんわりしたネグリジェがまるで幽霊のようにゆらゆらと戸惑い気味にそれでも前へ進んでゆく。

「誰もいない……」

 漆黒のストレート髪は腰までの長さで、月明かりをしなやかに反射して、前髪は眉の上でパツンと綺麗にそろえられていた。

 くりっとした若草色の純粋な瞳は、自分の行く手を恐る恐る見つめる。いつもなら通り過ぎる廊下に、一人やふたり使用人や召使がいるのに、素足で歩いてゆく床は冷たく今は誰もいない。

「夜遅いから……?」

 ひっそりと真っ直ぐ伸びている廊下。角を曲がったつもりはないのに、いつの間にか曲がったことになっている。

 そんな常世の迷路という名がふさわしい回路のある、深更しんこうの古く大きな屋敷シャトー。そこで出会でくわしそうな百鬼夜行びゃっきやこうという震駭スリルのようだった。

 昼間には怖さなどなく心霊現象の話を聞いても平気で歩けた廊下。それなのに、夜の住人が背後から迫りくるような戦慄せんりつ

 まったく違う霊臭れいしゅうという現実に存在していないはずの香りが漂う、牙城がじょうへと変わり果てていた。

 体温の略奪という冷気は死が手招きをしているよう。圧迫死させるような霊気が否応なしにのしかかる。必死で振り払っても振り払ってもまとわりついてくるようだった。

 キシキシと軋み続けている床板の音がさらに冴え渡り大きくなったようで、自分だけが別次元を歩いているような不思議な感覚がする。

 足音は気が狂いそうになるほど、どこまでもいつまでも響き渡る真夜中の廊下。


 その時、少女の背後でドアではなく、壁から何かが突如、物理的な法則を無視してすうっと出てきた。窓のほうへさあっと、煙が風で吹かれたように消え去ってゆく。

 廊下の横断という怪奇現象が起きた。気配と視線に気づいて、六歳の少女は自分が歩いてきた後ろへふと振り返る。

「怖い……」

 しかし、そこには誰もいなかった。吸い込まれそうな闇が遠くへ行けば行くほど細く濃くなり、恐怖に駆られて手に持っていた人形をきつく握りしめる。

 再び前を向いて歩き出そうとすると、誰かと誰かが言い争っているような声が微かに耳へ忍び込んできた。

「ん?」

 少女は息を潜め、廊下が軋まないように気をつけながら、口論の応酬に近づいてゆく。すると目の前に、一筋の明かりがドアからもれ出ているのを若草色の瞳で見つけた。

(どうしたんだろう?)

 そろりそろり近づいてゆくと、よく知った女の声がささやきながら怒りに真っ赤に染まっていた。


「――瑠璃は伝染病に侵されているのよ!」

(ママ……!?)

 自分の名前を呼ばれた少女は、冷たい風が吹き抜ける廊下でビクッと肩を震わせた。その場でガタガタと震え出す、声の主と内容が信じられずに。

(伝染病……?!?!)

 今度は男のうなるようなささやき声がやり返した。

「だからといって……閉じ込めることはないだろう!」

(パパ……!?)

 子供の自分がいないところで、召使や使用人もいない場所で、自身の事実が繰り広げられている深夜の部屋――。

 いみによるおおやけにできない隔離を完全に指していた。六歳の瑠璃はあまりのショックで、出来事を受け入れることができなかった。

(閉じ込める……?)

 視線を彷徨さまよわせる。人形を抱きしめる腕に力を入れる。立っていられないほどの悲しみを感じて、思わず冷たい廊下にしゃがみ込んだ。

 片手で顔を覆いしゃくり上げないよう一人きりでボロボロと涙をこぼす。床に悲痛という水たまりができ上がっていった。


 確かに、自分は人とは違うと薄々気づいていた。

 太陽の光を浴びると、肌が真っ赤にれ上がる。

 立っていることもできなかった。

 友達と外で遊んでみたかった。でも、病気でできなかった。

 いつも光のさえぎられた暗い部屋で、一人で人形遊びをしていた。

 心のどこかではわかっていた、何かよくない病気なのではないかと……。


 六歳の少女を次に襲ったのは、病気ではなく、愛のように見せかけられていた嘘――差別だった。

「私たちまで病気になってしまっては……!」

「だが、一人にするのは……!」

 両親の会話が急に遠くなり、目の前が真っ暗になった。


(伝染病……自分はいらない。伝染病……一人になる。伝染病、死んでゆく……)


 壁や廊下が歪み始めて意識がぐるぐると回り出し、荒れ狂う波間で揺すぶられるような激しい目眩を覚えた。

 瑠璃はそのままショックのあまり、夜の冷たい廊下へ崩れるように倒れ、意識がプツリと途切れた。気絶と孤独の静寂という闇に、少女は飲み込まれた。

 それからすぐに、六歳の少女は屋敷の二階にある一番東の部屋へ幽閉された。家の外へ出ることはもちろん許されず、窓には光をさえぎるための黒い幕が張られた。

 暗闇と沈黙が嫌というほど広がる部屋で一人きり。召使も使用人も来ない。大富豪のラハイアット家。瑠璃の心の隙間を埋めるために、綺麗な洋服をたくさん買い与えられ、ありとあらゆる玩具で部屋はいっぱいになった。

 しかし、本当に欲しかったものは人の温もり。両親の愛情。それをよくしながら、瑠璃は来る日も来る日も唯一の光――月を見上げ、様々な感情と一人対峙した。


 どれたけ泣いたのだろう?

 どれたけ寂しかったのだろう?

 どれだけ絶望したのだろう?

 どれだけ人恋しかったのだろう?

 どれだけ……。


 あげればキリがないほどの悲傷の月日が、屋敷内を自由に行き来できた時よりも、気が遠くなるほど長く感じられたが、軟禁状態で確実に時はそれでも過ぎていった。

 そうして、幽閉されたまま八歳の誕生日を迎えた翌日、瑠璃は短い一生を終えた――


    *


 ――窓から入り込む月明かりの下。瑠璃 ラハイアット、八歳――実際は百八歳、幽霊はベッドの上でふと目を覚ました。

 あれから百年近くも経ったのに、未だに見る夢――過去の記憶。不愉快で毛布を両手でギュッと握りしめた。


われも念のひとつぐらい、飛ばせばよかったかもしれんの。そしたら、違った一生だったかもしれぬ」


 ベッドから小さな影が起き上がって、闇よりも濃い黒い髪を手慣れた感じで、幼い手が払いのけた。

 一人きりの部屋だったはずだが、天からおどけた声が降ってくる。

「おや? そのようなことをしてはいけませんよ〜、瑠璃さんは聖女なんですから」

 次は声の出どころが変わっていて、部屋のすぐ近くからした。

怨念おんねんを飛ばすことは大罪です。霊層が下がってしまいますよ。霊の一番上のランクなんですから。あとひとつ上がれば、『準』天使で〜す」

 人と天使の間――天使予備軍といったところだ。幸せいっぱいといった様子で目の前に突然現れた、薄闇なのに全身が真っ白に光っている天使ラジュ。

 ニコニコ微笑んでいるが、その実何を考えているのかわからない腹黒天使へ、瑠璃は胡散臭そうに若草色の瞳をちらっとやった。


「おぬし、何しに参ったのじゃ? 今日はどんな戯言ざれごとを申す気じゃ?」

「今日は『壁ドン』で、瑠璃さんを手中に納めようかと思いましてね?」


 天使が聖女を誘惑するという、遊びが過ぎるラジュに向かって、瑠璃は吐き捨てるように言った。

「お主など、我の眼中にないわっ!」

「おや? 世の中、何があるかわかりませんよ〜?」

 聖女にフラれるわ、暴言を吐かれるわで散々なはずなのに、まさしく天使の笑みで全ての攻撃を無効化にしたラジュ。

 彼を捨て置いて、瑠璃はベッドから起き上がり、ドレッサーの前に座った。サラサラのストレート髪にブラシをかけてゆく。

「お主、相手を気絶させるほど魅了しておるであろう?」

 鏡にうっすらと映っている幽霊にも見えそうな天使を、少女は鋭い視線で捉え、このラジュがどんな男か暴いてやった。

「お主が通ったあと、おなごが次々と倒れるという噂を耳にしたぞ。相手は他にいくらでもおるであろう、お主なら」

 おかしな現象がまわりで起きている男性天使――ラジュはこめかみに人差し指を突き立て、眉間にシワを寄せた。


「そちらに関しては、私も少々困っているんです。今日も数十名の女性が倒れたんですが、私は何もしていませんし、特別な想いなど思っていません。しかしなぜか、彼女たちが『勝手に』倒れるんです」


 瑠璃は話が長くなると思って、また髪をブラシで解き始めた。

「女性の方が倒れてしまって、神殿の廊下が大変なことになるんです〜。他の方が通れなくなり、仕事が中断してしまうんです」

 嘘のような本当の話が天国で勃発していた。神様が指をくわえて見ているはずもなく、いろいろな角度から検証された結果、ラジュの半径五十センチ以内ですれ違うと気絶するようだった。

 神殿の廊下はかなり広いのだが、気絶した女性天使たちで足の踏み場がなくなり、救護しようと男性天使たちはあたふたする。そうして、仕事はとどこおってしまうということだ。

 それが毎日で、神様も頭が痛い限りだった。しかし、ラジュ本人も相当困っており、わざとやっているわけでもない。さらには原因が不明。

 邪神界が勢いを増している時代では、彼一人でも仕事からはずすわけにもいかず、だからと言って防御策もなく、みんなが被害に遭い続けるという、無差別テロと言っても過言ではなかった。

 悪と戦っている以上、切実なる現象である。ラジュも救護をと願い出たいところだが、自身がその場から立ち去らないと、女たちが目を覚さないわけで、彼は彼で肩身の狭い想いをする――いや邪悪な天使はそれはそれだと平然と乗り越え、次の仕事を淡々とするのだった。

 瑠璃はドレッサーの椅子から立ち上がり、姿鏡の前へ歩いて行った。女の子のたしなみとして服のヨレを直す。

「お主、何か策を張っておるであろう?」

 鏡の中には白と朱を基調にした巫女服ドレスを着る少女が立っていた。漆黒の腰ほどまで長い髪。眉の上でパツンとそろえられている前髪。

 若草色のくりっとした瞳。体は小さいのに、内側から感じられる年月は百年を思わせる威厳だった。

 巫女服の袖口は大きく布が取られ、腰から下は西洋ドレスのようにふわっと広がっている。足元は黒網紐の白いショートブーツ。

 具現化していないラジュだが、瑠璃にはしっかりと鏡で見て取れた。無慈悲極まりない天使が女性に罠を張っているのではという質問に対して、ラジュはにっこり微笑んでこんなことを口にする。

「おや? そのような手があるんですか? 是非とも教えていただきたいですね。そちらを使って、瑠璃さんを手中に収めましょうか〜?」

 瑠璃は漆黒の髪を両手でさっと払いのけ、レースのカーテンか何かがしなやかに広がり落ちるように小さな背中が覆われた。

 聖女を平然と誘惑してくる天使へ向かって冷たく言い放つ。


「知っておったとしても、お主には教えんわっ!」


 瑠璃が激怒するという、いつも通りのオチを迎えて、ラジュはくすりと笑った。

「以前、気の流れがどうとか言われたことがありましたが、そちらが関係しているのかもしれませんね〜。人を惹きつける気の流れがあるとかないとか……」

「お主また……」

 あぁ言えばこう言うで、返答が流暢に返ってきてしまう策略天使を前にして、瑠璃はため息をついて、百年前に死んだ時のことをふと思い出した――

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