お礼参り/1
あっかんべーと、国立に挑発的な態度を取ったダルレシアンは、ベルダージュ荘で留守番。崇剛ひとりを乗せた黒塗りのリムジンは、約束の時刻より少し早めに、治安省の正門前に到着した。
神経質な手で握りしめていた懐中時計の数字盤を、冷静な水色の瞳に映す。
「十六時五十八分十九秒――」
中心街の石畳の上。歩道を行き来する人々の好奇な視線が集まるのを、デジタルに全て切り捨て、崇剛は待っていた。意思の強さをよく表している個性的なウェスタンスタイルの刑事が建物の入り口から出てくるのを。
マリンブルーの幾何学模様の懐中時計をもう一度見る。
「十七時ちょうど――」
聖霊寮の部屋は一階の一番奥にある。当然、すぐに出てくることはない。それどろか、他の部屋は勤務時間が過ぎても仕事に追われ、活気が収まることはなかった。時間制限というものがなく動き続けていて、入り口から出てくる職員は誰もいない。
「十七時一分二十三秒――」
ロータリーの中央にある、空へ向かって聳える銀のポールから、国旗と治安省の旗が一日の見回りという役目を終え、地面へするすると下がってゆく。
その時だった、職員らしい人が入り口から出てきた。夕闇の下で、水色の冷静な瞳に彼らが映り込むが、視力の弱い崇剛は千里眼を使って人々をうかがう。彼らはみな、終業時刻まで時間を潰している聖霊寮の職員ばかりだった。
「十七時二分五十七秒――」
ひときわ背の高い男が堂々と胸を張って、ズボンのポケットに親指をかけながら出てきた。待ち人――彰彦だ。崇剛はバックミラー越しに、運転手に合図を送った。
「いらっしゃいましたので、お願いします」
「かしこまりました」
運転手は速やかに車から出ていき、歩道の人の流れをスマートに交わし、正門の手前へとたどり着いた。門番が見張っている。ウェスタンブーツがかちゃかちゃと言いながら出てきたところで、タキシード姿の運転手が丁寧に彰彦に頭を下げた。
彼らが一言二言話している姿を、座り心地のよいリアシートに、瑠璃色の貴族服を預けながら、冷静な水色の瞳がじっと見ている。
運転手と一緒に彰彦は夕食時でごった返す人の往来を、威圧感のある瞳と背の高さで簡単に横切ってきて、運転手がドアを開けた。
「どうぞ」
「すまねぇな」
今日の午前中に聞いたガサツな声が答えると、ウェスタンブーツとともに長いジーパンが先に乗り込んできた。遅れてシルバーリング六つとカウボーイハットが入り込み、藤色の少し長めの短髪が、崇剛の斜め前の席で進行方向へ向くように座った。
崇剛は優雅に微笑み、遊線が螺旋を描く芯のある声が車中に待った。
「お疲れ様です」
「おう、お疲れ」
リムジンに一緒に乗るのは初めてのこと。しかも、帰る家は今日から同じ。昨日の今日で告白し、断りをした男ふたり。
距離感がどうにもつかめず、お互いどう接していいのかもわからず、冷静な水色の瞳と意思が強く鋭いブルーグレーの瞳は一度も出会うことはなかった。
どうやっても沈黙が多くなる。時間をやり過ごそうと、彰彦はジーパンのポケットからシガーケースを取り出した。ジェットライターで炎色を作り、慣れた感じで口へ放り込む。
「寄り道しても構わねぇか?」
車内に広がる青白い煙と芳醇な香り。車窓を見つめたまま、それらを感じながら、崇剛は茶色のロングブーツを組み直した。
「えぇ、構いませんよ」
休日までに使う衣類や物を取りに行く可能性が高いと踏んでいたが、今回の事件現場のひとつである場所が、彰彦の口から出てきた。
「らよ、夜見二丁目の交差点にあるデパートに行ってくれ」
「家へは行かないのですか?」
予測したものと違うものを選んできた――策士は軌道修正を余儀なくされた。
彰彦は窓から灰を落としながら、
「男のひとり暮らしに大した荷物なんかねぇぜ。今度の休みん時で片付く」
それよりも、彰彦は崇剛と話をしたいと願った。
リムジンという珍しい物に人々の視線が集中する。崇剛にとってはいつものことで、今さら気にすることもない。
まわりに煽られやすい感情というものを持ち合わせている彰彦。不安定なはずなのに、自身の経験と情熱で強引に対処してしまう強さを持つ男。
崇剛とは違う法則で生きている男の情報を、仕草を、言葉を見逃したくはない。心霊探偵は刑事をじっと見つめたまま、
「そうですか」
了承して、運転手へ命令を下した。
「それでは、デパートへお願いします」
「かしこまりました」
リムジンが馬車の列に入り込み、走り出す。
「何を買うのですか?」
「葉巻だ。それがあれば十分だ」
屋敷から崇剛が滅多に外へ出ない理由がひとつ明らかになる。
「葉巻は屋敷に定期的に届けてもらうようにしましょうか? 私も時々吸いたい時がありますからね。あなたと私のふたり分を購入しましょう」
金持ちのボンボンだ――彰彦は鼻でふっと笑う。
「さすが、ラハイアット家は違ぇな。よっぽど金落としてねぇと、届けてなんかくれねぇぜ」
街で噂の、庭崎市にある小高い丘に建っている赤煉瓦の建物――通称、祓いの館。と言われているだけあって、そこの主人は浮世離れしていた。
短くなったミニシガリロの熱が指と唇に襲いかかるようになった。節々のはっきりした男らしい手から、葉巻を歩道へ投げ捨てる。リムジンのタイヤが通り過ぎてゆく風圧で、くるくると宙を回っていたかと思うと、赤いテールランプを見送るように、石畳の上へポトンと落ちた。
*
買い物を終え、ふたりを乗せたリムジンは、デパートのある交差点から三つ北へ行った信号の手前でハザードを出していた。彰彦がどうしても寄りたいところがあると言って。
ドアが運転手によって開けられ、和洋折衷の人々が目を輝かせているリムジンから、ウェスタンブーツについているスパーがかちゃっとという音を出しながら、長いジーパンの足が歩道に出た。
「すまねぇな」
少し肌寒い風が吹き、カウボーイハットが飛びそうになる。シルバーリング三つがついたゴツい手が抑えようとすると、迷彩柄のシャツの胸元でペンダントのチェーンを引っ掛けた。
ジャラジャラとなっている後ろで、線の細い瑠璃色の貴族服が、紺のもたつかせ感のある長い髪を靡かせながら、夜の繁華街に現れた。
デパートがある綺麗な通りとは違って、飲食店が立ち並ぶゴチャゴチャとした庶民的な街角。
ウェスタンスタイルで兄貴肌の男と中性的で優雅な男がふたり。事件現場を一緒に見に行くことも今までなく、聖霊寮の応接セット以外の場所で並んで立っている、珍しい光景。街ゆく人は、映画のワンシーンでも観ているような気分に陥り、リムジンから崇剛と彰彦たちに視線を今度は集中させた。
ふたりともそんなことはどこ吹く風で、崇剛は運転手へ言伝をする。
「涼介へ伝えてください。彰彦の名前を呼び捨てにし、くれぐれも敬語は使わないようにと。それから、迎えは二十一時でお願いします」
「かしこまりました」
運転手はぐるっとリムジンを回り込み、ドアを開けて乗り込んだ。車が離れ始めると、彰彦は今初めて、冷静な水色の瞳と視線を合わせた。
「こっちだ」
「えぇ」
ガッチリとした体格の彰彦のあとを、線の細い崇剛が歩くと、紺の長い髪が夜風に揺れて、初めてのデートで微妙な距離を取っているカップルように脇道へ入っていた。
彰彦が何度も通った細い路地。個人経営の店が立ち並び、くすんだ小さな窓から明かりが見え、中で酒を飲みながら話をし、時折りドッと笑い声が起こる裏通り。
中心街を見下ろすような小高い丘で、召使や使用人たちとの食事ばかり。そんな崇剛にとっては新鮮な場所で、冷静な水色の瞳は何ひとつ情報をもらさないように、あちこちに向けられ、精巧な頭脳に記憶してゆく。
入り口から何軒目の右側にある店の名前や外観。誰とすれ違ったか。刺激という電流が走り、次々に脳裏に記録する。
前を歩いていた、スパーのかちゃかちゃという音がふと止み、彰彦は振り返った。
「ここだ」
シルバーリングのついたゴツい手が洒落た赤いドアに当てられ、そこにかけられていた木の表札を崇剛は見つけた。
「Bar peacock……バー孔雀。お酒を飲むところですね」
彰彦の手でドアが開けられ、先に入ったウェスタンブーツが店の床を一歩踏みしめるやいなや、
「よう」
「いらっしゃいっす、兄貴!」
「今日は連れもいんぜ」
「いらっしゃいっす」
「お邪魔します」
平日の開店間もないバー。気さくで粗野なイメージだったが、崇剛が入ると、まるで高級ホテルのラウンジのような優雅な雰囲気に変わってしまった。
他に客もおらず、彰彦はいつもの席へ慣れた感じで、後ろから背の高い椅子をまたいで座った。
ロイヤルブルーサファイアのカフスボタンを、ガス灯の穏やかな光の下で揺らめかせながら、崇剛は神経質な手で椅子を引き、スマートに腰掛けた。
一枚板の立派なカウンター。綺麗に間隔を取って置かれて椅子。隣り合わせの席で座る、崇剛と彰彦。あのキス未遂事件以外、相手が隣にいるなんてことは今までなかった。お互いの香りが店内の匂いと混じりながら、体の内に入り込んでくる。薄暗い空間で、入ってきたばかりの客には、ふたりがカップルに見えるようだった。
共通の話題が心霊事件以外に見つからない。触れてはいけないこともある。それでも、一緒に暮らす以上、さらには最大の目標――悪霊退治。それを着実に遂行するにも、今までよりも距離を縮めて、ともに生きていかなければいけない。
今こうしている間にも、誰かの命が邪神界の者に奪われている。こんな小さなところでつまずいている暇はないが、微妙な距離感のまま会話が交わされては、途切れてを繰り返し始める。
丸刈りの粋のいいバーテンダーがおしぼりとコースターをふたりの前へ置いた。
「何にしますか?」
相手の酒の好みも知らない。冷静な水色の瞳はカウンターの奥に置かれた色とりどりの酒瓶についているラベルひとつひとつを、千里眼を使って片っ端から記憶しながら、思考時のポーズを取った。悩みに悩む。
「そうですね……? マッガラン。アプソルート……」
情報がほしい――すなわち飲んでみたい策略家。過剰な飲酒をさけている神父である崇剛。飲めるものは自然と決まってくる。
おしぼりで手を拭き、乱暴にテーブルへ投げ置いた彰彦は、
「崇剛、お前さんはいつも何飲んでんだ?」
探り合い。心霊探偵と心霊刑事の立場では、酒の話などしたことがなかった。冷静な水色の瞳が鋭いブルーグレーのそれを少し下から見返す。
「サングリアです」
執事が作ってくれた、ルビー色に輝くワイン。あれを夕食に飲むのが、崇剛のルールだったが、
「そんなごちゃごちゃしたモンは、バーにはねぇな」
彰彦は思う。手間暇のかかる酒を好むとは、崇剛らしいチョイスだと。同時に、バー初心者だと、勘の鋭い刑事はにらんだ。
さっきから酒の銘柄をデジタルに脳にしまっている崇剛の代わりに、彰彦が聞く。店内に流れているジャズに、ガサツな声が横入りした。
「おう、サングリアってあんのか?」
丸氷をカツカツと包丁で作っていたバーテンダーは手を止め、少し苦笑いをした。
「兄貴、さすがにそれはないっす」
「それでは、赤ワインをお願いします」
優雅に応えた崇剛の隣で、彰彦はバーの何たるかをわかってないと思った。酒がすんなり提供されるかと思いきや、バーテンダーは近づいてきて、
「どんなのがいいですか?」
酒専門店には、赤ワインだけでもかなりの種類がある。崇剛は考える。屋敷で飲むサングリアの特徴を。
「重厚感があり、柑橘系の香りがするものはありますか?」
崇剛のこだわりが見え隠れするチョイスだった。彰彦はニヤリとする。重厚感のあるワインをサングリアにするとは、珍しいことをしやがる。ノーマルは軽めのやつだろ――。
バーテンダーは穏やかに微笑んだ。
「いいのがありますよ」
「それでは、そちらをお願いします」
無事に注文が終わると、バーテンダーは崇剛と彰彦を残して、カウンター内を離れていった。ワインを手際よく用意しているのを横目で見ながら、崇剛はさっそく情報収集。
「彰彦は何を飲むのですか?」