イエリスのお願い
イエリスさんの秘密をかけて勝負をすることになったわけだが、いつどこでどんな勝負をするのか、そのあたりの事は特に示されなかった。
「……別に、すぐわかるから……」
イエリスさんがそんなことを口にしていたので、僕の方もそこまで問題しなかったのだ。
だが―――
「……待っていた……」
「え……?イエリスさん……?」
その日の夜、いつもどおりに『神層世界』に転移をすると、剣を携えたイエリスさんが待ち構えていた。
「イ、イエリスさんがどうしてここに……?」
「ん?勝負するって言ったよね……?」
「……は、はい……そうですけど……ちょっと、この展開は想像していなくて―――」
「そうなの……?あ、でも、ヒミツにするために何も言わなかったんだからそれでいい……戦ったら、私の正体もバレると思うし……」
「え?」
「一度、勝負を受けたんだから、今やめても貴方の不戦敗……でしょ……?」
「ああ、なるほど。勝負を受けさせるのが目的だったわけですね。でも、それって、戦えば必ず自分が勝つって事ですよね?」
「ウン……貴方じゃ、絶対勝てない……」
「一度も剣を交えていないのに断言されると、流石にカチンとくるんですが……そういう事なら、本気でやらせて―――」
「―――もう何度も戦っているでしょ?」
剣を抜き、構える僕に対し、イエリスさんはそう言うと……その姿を変える。
「―――え……?」
『人化』を解除し、ぷよぷよの楕円形のボディーに変化したイエリスさんは、僕たちの良く知る相手で……
「なんなら全員でかかってきてもいいよ。それでも私が勝つと思うけど……」
虹色のスライム(詐欺)―――ハイエンシェント・エレメンタルスライムが抑揚のない声で告げる。
それに対し……
「……嘘だぁ……」
思わず現実から目を背ける僕。
「あ~……」
「あのスライムって……」
「なるほど。そういう事だったのね」
外野のリサたちは落ち着いているが、それは自分たちに被害が及ばない事を理解しているからである。
そして―――
「じゃあ……始めましょうか。今日はちょっと本気でいくからね……」
「マジかぁあああああああああ~~~~っ!」
―――地獄が始まった。
◆◆◆
「まだ続ける……?」
「イエ、僕ノ完敗デス……」
「んっ……」
地面につっぷしたまま、僕は死んだ瞳で負けを認めた。
以前戦った時はそれなりに戦えていたから、もう少しなんとかなるかと思ったが……それは甘い幻想であった。
それくらい詐欺スライム―――イエリスさんの強さは圧倒的だった。
「あっ、でも……今日はあの剣のコ、使わなかったよね……?なんで?」
「いや、あんな戦いに、自分の彼女を巻き込むわけにはいかないでしょ。特に今回のような理由だと……」
まあ、サリアやノアさんの力を借りれば、もう少し抵抗はできたかもしれないが、戦いとも呼べないような惨劇に彼女を巻き込むほど、僕の性癖は歪んでいない。
「……というか、るーがずっと殺され続けていただけよね……」
「……白旗をあげる暇もなかったのでは……?」
「4人に『分裂』したイエリスさんに一斉に襲われるとか、それはどうしようもないよね~」
それに、それ以前の話として―――こちらは最初の襲撃で死亡して以降、一度たりとも体勢を立て直すことさえできなかったのだ。
「……負けるわけにはいかないから、ちょっと本気だした……」
「あ、あれで、ちょっと……ですか……」
「私、スライムだから、10体くらいまでは『分裂』できる……それ以上数を増やすこともできるけど、あんまり増やすと性能が一気に落ちる……」
「……つまり、今までは1割の力で戦っていたんですか……」
「ん~……そうとも言えるけど、そうでもないとも言える……『分裂』するとその分疲れるから……」
「10人のイエリスさんと同時に戦うか、1人のイエリスさんと10回戦うかって話だよね?」
「うん……」
ぽむぽむと弾むように寄ってきた四体の虹色スライムが集結し、一体の虹色スライムなったところで、再び人の姿をとる。
スライムの身体でも話をすることは可能であるが、人の姿の方がコミュニケーションを取りやすい事を、イエリスさんは経験から学んでいた。
そして―――
「それはともかく……勝負は私の勝ち……だから、約束は守ってもらう……」
「はい……」
淡々と僕に告げるイエリスさん。
勝負に負けた以上、それに否はない。
いや、多少、思う所がないわけではないが……
「るーはまんまと乗せられたわね……」
「うぐっ……」
「いきなり正体をあかしたぐらいだし、イエリスさんにとってそれは秘密でもなんでもなかったのよね?」
「……うん。リサ様もいるし、どうせそのうちバレると思っていた。アバン様やマリサ様が居たら誤魔化しようがないし。それに……私のお願いを聞いてもらうには、私たちの事も話しておかないといけないから……」
勝負も完敗であったが、それに至るまでの駆け引きの段階でも僕はイエリスさんに完敗していた。
となると、流石にこれ以上、みっともないところは見せられない。
敗者は敗者らしく、勝者に従うしかないのだ。
とはいえ、聞けるお願いと聞けないお願いがあるわけで―――
「そ、それで……僕にお願いというのはなんですか……?」
「昼間にも言ったけど、私と一緒にとあるダンジョンの攻略をお願いしたいの……」
「それは普通のダンジョンではないわよね?普通のダンジョンなら、あなた1人でわりとどうとでもなるはずだし……」
「普通のダンジョンでないのは確か……でも、貴方たちにお願いしたいのはサヨの護衛……私一人でサヨを守りながら戦うのは難しいから……」
「え……?サヨさんの護衛……?そのダンジョンにサヨさんを連れて行くって事ですか?」
「そう……サヨはそこに行かなくちゃいけないの……」
「それは何故?」
「サヨは来訪者だけど、かつての勇者の転生体でもある。私のライバルで、魔神王と戦った勇者……魔神王の最後の呪いで『チキュウ』に飛ばされた勇者の魂がサヨの中には眠っているの。そして……その魂を目覚めさせるためには、魔神王の呪縛をどうにかする必要があるの……」
イエリスさんのお願いは昼間聞いたとおりである。
だが、その目的は―――サヨさんの中に眠る、かつての勇者の魂を目覚めさせること。
「え?でも、それって……勇者の魂を目覚めさせたら、今のサヨさんはどうなるんですか……?」
「別にどうにもならない……かつての勇者の魂を活性化させて、勇者の力を取り戻すだけ……何度も転生を繰り返しているし、サヨの魂はサヨの魂として安定している……今、問題なのは、サヨが勇者の力を無くしている事……それと―――魔神王の呪縛が今も続いている事……このままじゃ、サヨは遠くない内に、また違う世界に飛ばされる……」
「それは……『チキュウ』に帰れるということじゃ……」
「ウウン、そうじゃない……魔神王の呪いは自分の倒した勇者をこの世界からはじき出すだけ……この世界じゃないなら、場所はどこでもいい……世界そのものから常に異物として扱われる『永遠の孤独』を刻み込むのが魔神王の呪いだから……」
「永遠の……孤独……?」
「勇者の魂は神々の力で保護されている……使命を終えて役目を解かれない限り、勇者の魂はずっと勇者……それは転生しても同じ……だけど……勇者の魂―――勇者の力は『チキュウ』のものじゃない……『チキュウ』にはあってはならないもの……だから、世界はそれを排斥しようとする……でも、神々の力で保護されている勇者の魂は、たとえ世界でもそう簡単には砕けない。ううん……砕く前に肉体や精神が先に壊れる……壊れて、転生して……壊れて、転生して……それだけを繰り返す地獄が続く……」
「そんな―――」
「今のままじゃ、サヨは救われない……」
イエリスさんの話に思わず言葉を無くす。
だが、そんな僕たちの中で、サクヤだけは冷静だった。
「なるほど……それが本当なら、どうにかしないといけないのでしょうね。でも、今のままでは貴方を信じる事はできないわよ?」
「え……?」
「流石に全てが嘘ということはないでしょうけど、貴方にはまだ話してないことがあるわよね?今の話だと、少なくとも解決方法はもうひとつ―――手っ取り早い方法があると思うのだけど……」
「……勇者の加護を解除する……でしょ?確かにその方法もないわけではない。でも……魔神王の呪縛をなんとかしなくちゃいけないのは同じ。勇者の力を無くして、普通の人となれば、魔神王の呪いに抗えなくなる……」
「まあ、それはそうでしょうけど……それだけ?」
「……私がサヨと離れたくないと考えているのは認める……そのためにサヨには勇者の力を取り戻して欲しいと思っている……でも、それを決めるのはサヨ……」
「サヨさんが勇者の力を捨てて、『チキュウ』に帰りたいと願ったら……?」
「その時は……私がついていく」
「……それじゃあ、今度はあなたがもたないんじゃないの?神に匹敵する力を貴方も持っているんでしょう?」
「それは少し誤解がある……サヨの問題はサヨが人間だから起こった事。勇者の加護を授かっても、人はあくまで人……神のような力はもってない。だから……世界に合わせることができない……」
「世界に合わせる……?」
「簡単なことではないけれど……この世界にも元邪神の神様はいる……それと同じ」
「ああ、なるほど。そういう事なのね……」
イエリスさんの話に一応の納得を示しつつも、サクヤの目は未だ厳しい。
突如聞かされたとんでもなく重い話に思わず納得しかけたが―――イエリスさんの話が本当であるという証拠は特にない。いや、まあ、嘘であるという証拠もないのだが……
「……いきなりこんな話をしても、信じてもらえないのはわかっている……でも、サヨを助けたいと思っているのは本当……」
「そこはそれほど疑っているわけではないんだけどね。貴方、ずいぶんとサヨさんに執着しているみたいだし……だけど、だからこそ、引っかかるというか―――」
「……引っかかる……?」
「貴方ほどの力があれば、私たちの協力なんてなくてもなんとか出来るわよね?むしろ……私たちを蹴散らして、サヨさんを攫うことも出来たはず……それをしなかったのは何故?」
サクヤとしては、イエリスさんが僕たちに協力を求めること自体、『何か裏があるのでは?』と疑っていた。
しかし―――
「……え?貴方たちに協力してもらう方が一番でしょ……?」
イエリスさんは『何故、そんな事を聞くのか?』という感じで、首を傾げる。
そう、それはイエリスさんには当たり前の事。
だが、そんなイエリスさんの考えは、僕たちからすれば異次元のもの。
何故なら―――
「え……?」
「一番……?」
「……サヨと私、二人共とも神人にしてもらえば、リサ様の作る新しい世界でずっと一緒にいられるもの……私からすれば、一番いい選択でしょ……?神になれば、世界に適応するのもむずかしくないし、それが新しく生み出される世界ならなおさらだもの……」
「え……」
「……た、確かに……そうかもしれないけど……あ、貴方は本当にそれでいいの……?その……その為にはるーとサヨさんがくっつくことになると思うんだけど……」
「……何か問題ある……?サヨがそれでいいならいいと思うんだけど……」
「え?でも……イエリスさんはサヨさんが好きなんですよね……?」
「……好きだけど……それがどうかした……?」
「だとしたら、ルドナちゃん―――男の人に捕られるのとか、嫌じゃないんですか……?」
「ん?……人間はそうなふうに考えるの……?……でも、私、スライムだから……」
「あっ……」
「そ、そうか……貴方、スライムなのよね……」
「そっか。イエリスさんはスライムだから、男のコも女のコも関係ないし、他のコと一緒でも気にしたりはしないんだね~」
スライムであるイエリスさんの思考は、ヒトのそれと違って当然。
基本無性な上、分裂によって個体を増やすスライムに、ヒトの男女の機微を完璧に理解しろというのが無茶なのだ。
いや、『人化』をし、人の中で生きるスライムであれば、それを学ぶ者もいないわけではないのだが―――イエリスさんはそうではない。
「人間の考えはよくわからないけど、サヨがこのコと一緒に居たいと言うのなら、二人まとめて面倒見るだけ……」
「あ、うん、よくわかったわ……そういう事なら、貴方のことを信じましょう……」
サクヤがこめかみを手で押さえながら、どこか疲れた様子で告げる。
種族ごとの価値観の違いでトラブルが生まれるというのは、この世界ではわりと起こることではあるのだが、実際に自分がまきこまれると、その徒労感が酷いというか―――『最初から、そう言ってくれよ……』という思いをどうしても抱いてしまうのだ。
まあ、その程度で済んでいるうちは、良かったといえる範疇なのだろうが……
1対1で勝てない相手が4体に分裂して襲ってくるとかどう考えてもムリゲーです。
6章終了までは毎日更新していく予定です。