静観する理由
「……ただいま……」
「あ、おかえりなさい」
己の住処に戻ってきたイエリスは、先日から居候を決め込んでいるトリーシャに、帰宅した旨を告げる。
「それで、今日は収穫ありましたか?」
「……特にはない……」
「そうですか。それは残念でしたね」
互いの目的の為に協力関係を結んだ二人だが、今の段階で動いているのはイエリス一人。
『神層世界』にやって来るルドナたちを監視し、知りえた情報を伝えるというのが、ここ最近のイエリスの日課だった。
だが―――その成果は微妙。
1万年以上生きたハイエンシェント・エレメンタルスライムでも、神人たちに感知されることなく動向を探るというのは容易な事ではない。
むしろ、イエリスだからこそ、なんとかばれずに済んでいると言える。
故に、疑問を抱くのも当然なのだが―――
「……これ、いつまで続けるの……?」
「おや?気になるのですか?」
「……まあ、一応……」
「そうですか。それならお答えしますが……バカが動くまで、ですよ」
「馬鹿……?」
「『プレデコーク』は昔からヒトとの繋がりが深い国ですけど、その弊害かしら?魔王の役割を理解せず、地上の王と混同する愚か者が最近多いのですよ」
「……?」
トリーシャの答えにイエリスは首を傾げる。
高い知能を有しているのに、普段、それを使わないというのが、スライムであるイエリスのスタイルなのだ。
故に、トリーシャは改めて告げる。
「キリスヤ=プル公爵……先代魔王の従弟、リーヴァちゃんから見て従叔父にあたるお人なんだけど……大それたことに魔王位の簒奪を目論んでいるようなのよ」
「……は?魔王位の……簒奪……?」
「王位の簒奪……地上の国ではまま聞く話だけど、魔王位を狙うなんていうのは愚か者としか言えないでしょう?もちろん、絶対にないということでもないけれど」
「その公爵様はそれだけの力を持っているの……?」
「勘違いする程度の力は一応ね。でも、それだけ。年端も行かない子供とリーヴァちゃん―――魔王の事を侮っているのよ」
「あぁ、そういう……」
トリーシャの話を聞き、件の人物の判定に同意するイエリス。
だが、理解できたのはそこまで。
最初の疑問の答えとしてはピースが足りない。
「……で、そのバカ公爵とあのコたちの監視はどうつながるの……?」
「それは簡単な話ですよ。いくらバカでも、真正面から魔王とやり合うわけにはいきません。故に使うのは搦め手。狙うのは急所。リーヴァちゃんの―――魔王の弱点は勇者。あの男のコを手中に収めれば、魔王はもちろん、その周りもどうとでもなります。となれば―――」
「勇者のコが狙われる……?」
「ええ。ですが、それは今すぐというわけではありません。バカにもそれなりの準備が必要でしょうし、実際に動くのはもう少し後となるでしょう。ただ、その前に事態が動くという可能性もあります。公爵側の最良のシナリオは『勇者のコと関係を拗らせた魔王様が『嫉妬』により暴走、それを『断罪』するために狂った元・魔王を討伐する』という大義名分を手に入れる事です。ですが、これは二人の仲がこじれている今だから有効に使える策。時期を逃すと見送られる可能性もあります。そうなると―――」
「……貴方も困る……?」
「いいえ、私はそれほどでも。ただ、貴方にとっては困ったことになるかもしれませんね」
トリーシャの目的は新たな世界樹の『パートナー』となった神人たちの見定めであり、今回の件はどう転ぼうと、わりとどうでもよかった。
ただ、協力関係を築いたイエリスにはそうではない。
その事をトリーシャは知っていた。
「どういう事……?」
「先ほどの策の一番の問題点は『勇者のコをどのように篭絡するか』なのですが……愚者は最も愚かな手段を講じるつもりのようでして……『支配』する気なのですよ。勇者を―――」
「……バカ決定ね……神の加護を授かった本物の勇者を『支配』なんて出来るわけがない……」
「ええ、その通りです。でも、愚者もそこは一応考えているらしく……『魔神王の呪血宝珠』を密かに用意したらしいですよ?」
「―――魔神王のっ!―――」
「『あの勇者』の魂を遠く離れた異世界まで弾き飛ばした魔神王の呪い……その力の結晶である呪血宝珠があれば、神の加護を超えて勇者に干渉できると考えたのでしょう」
「っ!!」
かつて、勇者の魂をこの世界からはじき出した魔神王の力……その力があれば、『あの勇者』をもう一度こちらの世界に呼び戻す事が出来るかもしれない。
その考えにたどり着いたイエリスは、即座に行動を開始―――しようとしたのだが……
流石にそれは止められる。
「あっ!もう!待ってくださいよ。魔王位簒奪の切り札である呪血宝珠をそう簡単に奪えるはずがないでしょう。それに、今の公爵は何の咎もない貴族様。力づくで奪いとれば、あなたが罪人になるだけですよ」
「そんな事―――」
「あなたはそれでも構わないのでしょうが、あなたと協力関係を結んだ私は困るんです。そもそも合法的に手に入れる為に、バカを泳がせているんですから、今は大人しくしていてください」
「……あっ……そうか……」
「貴方にあのコたちを監視させていたのは、それぐらいしかやる事がないからです。仮に公爵が思いとどまったとしても、その時は交渉で呪血宝珠を譲り受ければいいだけですし……公爵が動くまで様子見するのが正解ですよ」
「……交渉で済むの……?」
「魔王位簒奪を諦めたのなら、呪血宝珠を持ち続ける意味はないでしょう?ですので、最良の答えは私が公爵を説得しに行くことなのですが……アバン様にはこの件に関わるなと言われてしまいましたしね」
「……あぁ、なるほど……」
トリーシャは協力の見返りとして、呪血宝珠の情報を流しただけで、勇者と魔王の問題には関わらないという立場をとっていた。
故に、それに関わる愚か者たちも放置する。
主神の言葉を逆手にとった子供のような意趣返しであるが、それを指摘する者はこの場にいない。
まあ、それ以前の話として、自ら破滅に向かう愚者を救う理由が、この場の誰にもないのだが……
※4章が終わるまでは毎日投稿予定です。