舞台裏の交渉
虹色のスライムは『神層世界』をぽむぽむと弾むように進む。
ぽむぽむ、ぽむぽむ、ぽむぽむ……
ひたすら進み続ける。
すると―――
「お久しぶりですね、イエリスさん」
通路の先で待ち構えていた少女が、優雅な微笑みと共に声をかけてきた。
しかし、それにかまわず、ぽむぽむ進む。
1万年以上生き続けたスライムは、その女―――トリーシャの厄介さを十二分に理解していた。
それゆえの無反応である。
もっとも―――
「滅多に住処から出歩かない貴方が何をしていたんです?」
トリーシャは何でもない様子で横に並び、ニコニコと語りかけてくる。
無視をした程度でいなくなってくれるのなら、誰も苦労はしないのだ。
「なんて、ホントは全部知っているんですけどね。アバン様のお願いで、なりたての神様たちに訓練をしていたのでしょう?」
「………」
そんなわけで、暫しの間、トリーシャの一方的な会話が続く。
スライムは相変わらず無反応であるが、反応がないというのも反応のうち。
「それで、新しい勇者はどうでしたか?」
「………」
「ふむ。やはり貴方のお眼鏡にはかないませんでしたか。まあ、あのコはリーヴァちゃんのお気に入りなので、お眼鏡に叶わなくて良かったわけですが―――」
「………」
「では、『あの勇者』の情報ならどうです?」
ピタ。
一定のリズムで刻まれていたスライムの弾む音が止まる。
反応してはいけないとわかっていても、反応せざるをえないモノがその言葉には含まれていた。
「魔神王との闘いで消失した『あの勇者』の魂ですが……見つけましたよ」
「……何処……?」
虹色のスライムは、滅多に見せない『人化』した姿で、トリーシャに問いかける。
「遠く離れた名前もわからない異世界です。現地の者は『チキュウ』とか呼んでいましたが、これはその星の名前ですね」
「そう……『チキュウ』ね……」
「それで、どうします?」
「……迎えに行く……」
人化したスライムは銀髪碧眼の愛らしい姿をしていたが、無表情のまま淡々と話すため、どこか作り物めいていた。
だが、それ以上に―――『狂気』を感じる。
「いくら貴方でも次元の壁は超えられませんよ?」
「……超えられないなら、超えられるようになる……」
「フフフッ……世界樹でも取り込みますか?」
そんな狂気を前にしても、トリーシャは嗤う。
邪神であった彼女にはその手の狂気は好ましいものであった。
もっとも―――
「でも、それは止めておいた方がいいでしょうね。貴方ではアバン様に勝てませんし、滅ぼされてしまってはあのコとも会えませんよ?」
「………」
トリーシャはスライム少女の暴走を望んではいない。
彼女の狂気を利用し、騒ぎを起こしたいと考えてはいたが―――それはあくまで楽しむ為。勝敗の見えた戦いに挑ませて、使い潰すようなつまらないマネはしない。
そして、それはイエリスもわかっている。
わかっているから、話が早い。
「……私に何をさせたいの……?」
「まずはお話ですね。いくつか貴方に確かめたい事がありまして―――あ、でも、その前にひとつだけ……」
「……何……?」
「今の『あのコ』、女のコのようだけど、それは大丈夫ですか?」
「……私、スライムだから、もともと性別ない……」
「ああ、そうでしたね。女のコの姿しか見た事ありませんでしたから忘れていましたわ」
「……それで……?」
「そうですね。まずは、今日、アバン様と共にいた若い神人について教えて欲しいのですが―――」
トリーシャは自分が楽しむ為なら世界の危機も平気で起こすような狂人……狂神である。
だが、話が通じないわけではない。
常人とは違う感覚で生きている為、理解されない事も多いが、実は自分の定めたルールを頑なに守るタイプなのだ。
故に―――交渉相手とみれば、意外と信用できたりする。
「……つまり、貴方の狙いはルドナとかいうコなの……?」
「そうですね。新たな世界樹の気配を感じましたし、気になる存在であるのは確かですね。近頃はアバン様も付き合いが悪いですし、いっその事、乗り換えるのもいいかと思いまして」
「……アバン様は最初から相手にしていなかったと思うけど……?あの人、マリサ様一筋だし……」
「神代から生きているくせに、浮気の一つもできないような男はダメだと思うんですよね」
「……それは……ただの負け惜しみ……?」
「まあ、そうとられても仕方がないですね。でも、熱が冷める時というのは、そういうものではないですか?相手の良いと思っていた部分が、急に色あせて見えるというか……昔はアバン様の頑なところを気に入っていたのですが、最近は『あれ?コイツ、頭が固いだけじゃね?』なんて事を考えていたりもしていまして……」
「……そういうもの……?」
「ああ、貴方には言っても理解されないでしょうね。ずっと『あの勇者』を思い続ける(粘着している)貴方には―――」
「……?」
一方、イエリスはイエリスで、常人とは違う感覚で生きている。
なにしろ、彼女はスライムなのだ。
いくら『人化』が出来ても、いくら知能が高くても、ずっとスライムとして生き続けてきた彼女が、人間と同じ感性を持っているわけがない。
それなのに―――彼女は人間に想いを寄せている。
「フフッ……どちらにしろ、難儀な事に変わりはありませんね」
「なに……?」
「いえ、なんでもないですよ。それより今後の話ですが、まずは貴方に―――」
自分に似たイエリスの境遇に、思わず笑みを浮かべるトリーシャ。
そんなトリーシャを怪訝そうに見つめるイエリス。
1万年以上生きるハイエンシェント・エレメンタルスライムにも、狂神の心を見通すことなど出来ないのだ。
※4章が終わるまでは毎日投稿予定です。